◆Without Your Love◆  1






「いらっしゃいませ!」
シュン、とガラスの自動ドアが開く。
煌々と夜間照明の点く外から、こじんまりとした店内に客が入ってくる。
ここは、深夜のコンビニエンスストアだ。
ブロンズステージはもう静まりかえっていて、夜中過ぎになると殆ど人気がない。
たまに駐車場周辺に柄の悪い若者がたむろっていたりする事もある。
しかし最近では、そういう輩もそんなには見かけなくなった。
ここは、ゴールドステージやシルバーステージに比べれば治安は悪い。
が、その分深夜に店に来る客はだいたいがちょっと物寂しそうだ。
店の灯りに誘われてふらりとやってくるような人たちばかりで、僕はこの雰囲気が気に入っていた。
このチェーン店で深夜のバイトをするようになって一ヶ月。
時間は夜の10時から朝の6時まで。
その間、夜中の12時から5時までは僕一人だ。
最初は一人きりと言う事に対して不安もあったが、最近ではすっかり慣れた。
一人の方が店内の掃除や品揃え、片付けなど好きなようにできるから反対に気に入っているぐらいだ。
朝6時にバイトが終われば、その後はアパートに戻る。
戻って暫くぼんやりとして、それから太陽が昇った明るい昼、僕はアパートのカーテンを閉め暗くして眠りに就く。
夕方になって起き出して、そしてまたこの店にバイトに来る。
そういう日々をもう一ヶ月ほど続けている。










それより前は、大学に通っていた。
僕は、シュテルンビルト工科大学工学部応用物理学科の4年生だった。
シュテルンビルト工科大はシルバ−ステージの東の外れ、研究機関が集まった一区画にある、広大な大学だった。
大学の施設や学究的な雰囲気はとても気に入っていたし、研究自体も好きだった。
けれど、4年生になって就職活動をしなければならなくなって、僕はどうしたらいいか分からなくなってしまった。
できたらもっと研究を続けたかった。
しかし、そうは言っても、両親が経済的に苦労をして僕を大学に通わせてくれている事、それから奨学金をもらって大学に行っている事を考えれば、少しでも早くきちんとした一流企業に就職して、両親を安心させたかった。
就職活動は、3年の終わりから始めた。
数社にエントリーシートを提出し、書類選考を通過した。
筆記試験と第一次面接まで行った。
けれど、どの会社もそこまでで、ことごとく落ちてしまった。
何が悪いのか、自分では分からなかった。
試験官の少々意地の悪い質問や、試験が終わってから結果発表までの数日、不安に過ごす時間に耐えるのは辛かった。
最初はそれでもまだ挫けずに頑張っていられた。
でも、何社か落ちて、落ちた会社が片手では数え切れなくなった頃、僕は挫けてしまった。
大学の友人たちは皆精力的に就職活動をし、首尾良く第一志望の会社に内定をもらっている。
工学部だから就職は容易かと思われたがそうではなくて、結局僕だけ一人取り残された。
僕はすっかり意気消沈してしまった。
そうなると大学にも自然足が向かなくなり、一日アパートの中でごろごろ寝たり起きたりするようになる。
大学にはもう2ヶ月ぐらい行っていない。
最初の1ヶ月はまるで病人のようにアパートの中で寝起きをしていただけだった。
そのうちにこれではいけないと思い直した。
少なくとも経済的に立ちゆかない。
今はまだ親にも打ち明けていない。
奨学金も一応もらえているが、休みが長引けば大学も休学せざるを得ないだろう。
もしかしたら退学になってしまうかもしれない。
そうしたら親にも言わなければならない。
勿論、仕送りも途絶えるだろうし、奨学金も返還しなければならなくなる。
将来の見通しは何にも立っていなかったが、そう考えると、少しでもお金を貯めておかなければ、と思った。










そういう時に見つけたのが、このバイトだった。
どうせなら長時間、一般の社会人と同じように8時間は労働してみよう、と思った。
昼間ではなくて、人のいない夜がいい。
夜の方が時給も良い。
実際一ヶ月ほどバイトしてみて僕は、この深夜のバイトが意外と自分の性に合っていることに気がついた。
深夜に店にやって来る人たちと話をして商品を売る。
ぼんやり一人でいる時には真っ暗な外を眺めたり、仄かに明るい駐車場を眺めたり、静かな店内を眺めたりする。
棚を片付けながら、たまに雑誌を手に取って読んでみたりもする。
そんな、どこか世間の忙しい流れから取り残されたような、緩やかな時の流れが好きだった。
深夜に店に買い物に来る客も、皆どこか少し世の中の忙しい流れから取り残されたような人たちだった。
例えば昼間に見る、いかにも最前線の企業人といった、前向きな雰囲気のする人間は殆ど来ない。
みなどこか人生に疲れたような、あるいは少し途方に暮れたような感じだ。
少し崩れた雰囲気で店にやってきては、所在無げに雑誌をぱらぱらとめくったり、暖かいドリンクをどれにしようかと暫し眺めたり、総菜コーナーですぐに食べられるフライドポテトやウィンナーを眺めてどうしようかと迷っている。
そんな人たちを見るのが、好きだった。
そういう人たちを見ていると僕は、自分が今の状態で生きていてもいい、と許されるような気がしたのだ。
大学にいる時には自分だけ取り残されて、居たたまれない気持ちだった。
でも、ここなら僕の居場所がある。
僕がこうして緩やかに生きていても許される。そんな風に思えた。










深夜に店に来る客の中に、特に僕の関心を惹く人物が居た。
彼は2、3日に一度、この店にやってきた。
いつも僕が一人でバイトをしている、夜の12時過ぎから1時の間にやってくる。
見るとも無しに雑誌を見たり、忘れていたのを急に思い出したかのようにティッシュを買っていったり、あるいは帰ってから飲むのだろうか、焼酎のカップやチーズのつまみを選んだりしている。
年齢的には30代だろうか。
20代後半のようにも見えるし、一見すると年齢を推し量るのは難しかった。
少しぼさぼさの収まりの悪い黒髪を、がしがしと掻きながら考え込むのが癖のようで、そういう風にして雑誌を見ている時もある。
きりっとした細い、形の良い眉の下に、目尻の垂れた茶色い丸い瞳が覗いている。
その瞳が僕の方を見て、それから細められて笑い掛けてくるのが印象的だった。
そういう顔を見ていると20代後半かな、とも思うが、たまに店のガラスを通して遠くを見ているどこか放心したような表情は、30代のようにも見えた。
人種的には日系人だろうか。
日系人は年よりも若く見える事が多いから、彼もやはり30代半ばぐらいなのかもしれない。
背がすらりと高く、そして身体は全体的に細くて、とてもスタイルが良かった。
真夜中なので、自宅から部屋着でそのまま来るのだろう。
着慣れたジャージ姿で来る事が多かったが、その服装の緩めな感じが僕は気に入っていた。



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