◆Without Your Love◆ 5
知らないうちにそんな大胆な提案をしていた。
「へ…?」
彼がきょとんとした表情で目を丸くする。
「男と出来るかどうかってのを試しにやってみませんか、虎徹さん?まだその人に返事をしていないんですよね。だったら今、僕としても、浮気とかそういうことにはなりませんし」
「…………」
思いがけない提案だったのだろう、まだ彼は目を丸くしたままだった。
まあ、確かに、そんな提案をされるなんて、思いもしないだろうな。
彼は何気ない仕草や、目線、話し方などで周りにいる人間をそれとなく誘惑する。
彼自身は気がついていないようだが、周りにいる人間の感情を微妙に刺激し誘っているような部分がある。
しかし、彼自身が気がついていないのだから、今までもそういう風に恋愛感情を抱いて彼に近付いてきた人間がいたとしても、気付かずにそのまま終わってしまったのだろう。
きっとそういう人間は何人もいたに違いない。
ただ今回の24歳の会社の同僚という人は、そのラインを踏み越えて彼に迫ってきたわけだ。
そして彼もその同僚が好き、と言う。
それならば何も問題はないのだから、結ばれてしまえばいいのに。
とは思うのだが、そこが彼の常識人たる所で、一度結婚を経験して家族もある、という部分から踏み出せないのか。
それとも男と経験がないから、そこで怖じ気づいているのか。
両方あるのだろうが、今の時点では男と経験がない、もしそういう風な意味で性的接触に失敗したら、同僚との関係が悪くなる、という所を気にしているようだ。
だったらそこに僕が踏み込んでも、大丈夫なのではないか。
別に悪い事ではないはずだ。
僕はそう思った。
そんな風に考えること自体、自分で驚いていた。
僕は元々大胆な事ができるタイプではない。
今まで22年生きてきたが、小さい頃から殆ど冒険をしないで堅実な道を歩いてきた。
大学受験だって勿論、他の大学を滑り止めに受け、万全の体制を整えて入っている。
だからこそ、ここに来て就活がうまく行かなくてドロップアウトした自分、というのを直視できず途方に暮れたり落ち込んだりしたのだ。
はっきり言って自分はこれからどうしたらいいのか分からなくなって、一ヶ月ぐらい引きこもってもいた。
けれど、ここに来てコンビニでバイトをするようになったり、それから今こうして虎徹さんと普通では考えられないような内容の話をしたりしている。
意外と自分は大胆な事もできるのかも知れない。
「僕実は、女の子と経験したことないんですよ。言ってみれば童貞ってやつですね。20過ぎて童貞ってのも洒落にならないですよね。で、女の子とするときに、ほら、もうこの年で童貞とか言うと女の子が引きそうじゃないですか、だから失敗しないように練習しておきたいってのもあるんです。男でも女でもそういう時の手順って同じだと思うんですよ」
ぶっちゃけ、体裁など構わずにそう言ってみる。
彼は丸くした目を更に丸くし、ぱちぱちと瞬きをして、そして思いっきり笑い出した。
「あはははっ、そうなんだ。なんだよそれ、なんかびっくりするじゃないか。…君、童貞なんだ…?」
彼が目尻に皺を寄せて笑う。年相応の皺が、何故か彼を一層可愛く見せている。
「うん、そうだね、なんか君の話聞いたら気が軽くなった。……じゃあ…やってみる…?」
彼が笑顔のまま、さらっと言ってきた。
やってみる、と言われて心臓が一瞬どきっと跳ねる。
「はい、お願いします」
でも、真剣に受け取られても困るから明るく答える。
彼が肩を竦めて更に笑った。
「よし、じゃあ、善は急げって、善かどうか分かかんないけどな、とりえずそういう事で。どう、俺んち、来る?ここからすぐの所だから」
「え、いいんですか?」
「うん。一人暮らしだし。よーし、じゃあもう決めたらさっさと行こうぜ?これ持ち帰りにしてもらおう」
皿の上に残っていたチーズやウィンナーを、彼が店員を呼んで持ち帰りにしてもらう。
紙袋に入れてもらってそれを手に持つと、僕たちは店を出てそこからブロンズステージの道を歩いた。
人通りの多い繁華街をそぞろ歩いて10分ほどで、人気のない住宅街にさしかかる。
そこに彼の家があった。
いくつか並んでいるメゾネットタイプのアパートのようだ。
入り口の階段を何段か登って、彼の後から続いて入る。
入ると中はいかにも彼らしく雑然としていて、それでいてどこか彼のセンスの良さが伺える洒落たアパートだった。
僕のアパートよりはずっと広い。
彼のアパートは、アパートと言うよりはもう少し作りも良くしっかりとしていて、マンションとアパートの中間という感じだった。
入った所に大きなリビング。
リビングは台所も大きく、広々としている。
フローリングの床には生活感があふれる洗濯籠や買ってきた雑誌などが散らばっていたが、それがいかにも男の一人暮らしという感じだ。
リビングの一角のコーナーにはレトロなデザインの家具が置いてあり、家主の趣味の良さを伺わせる。
「こんな感じできったねぇけどな」
「いやそんな事無いですよ。お仕事されてるのに綺麗に暮らしてるじゃないですか」
お世辞ではなく僕はそう言った。
僕のアパートなどは元々僕が綺麗好きというのもあるし、何しろ大学に行かずバイトだけで暮らしているから、ものは極力少ない。
小さなワンルームにベッドとテレビがあるぐらいだ。
調理も殆どしないから、玄関の脇のキッチンは調理をしないという点で綺麗になっている。
それに比べると、彼のキッチンは結構調理もしているようだ。
洗った食器がぞんざいに立てかけてあったり、使い切っていないじゃがいもやたまねぎなどが台の上に転がっていたりして、少し微笑ましい。
「寝室、こっちなんだ」
意外とさばさばした感じで、彼が僕をロフトの寝室に案内した。
階段を上がるとそこは小さな、落ち着いた空間だった。
中央に、清潔な、ちょっと寝乱れたベッド。
周りには写真がいくつか立てかけてある。
虎徹さんと奥さんと思われる美しい女性、それに可愛らしい娘さんが写っている。
幸せそうな家族の写真だ。
彼が普通に今まで幸せに暮らしてきた事が伺えるものだった。
「シャワー浴びてくる?」
寝室の端のクローゼットをごそごそとやって、彼がバスタオルとバスローブを出してきた。
「はい、一応お客さん用なんだけど、こんなのでいいかな?」
「あ、はい」
一旦階段を降りて、彼にシャワー室を案内される。
「じゃ、お先に」
そう言ってシャワーを浴びる。
暖かな湯を頭から被っていると、だんだんと、彼とこれから本当にセックスをするのだ、という実感が湧いてきて、僕は胸がざわめいた。
さっき彼には『女の子としたことがない』、と言ったが実はそれは嘘だった。
彼が乗ってきやすいように吐いてみた嘘だ。
実際には僕は大学に入ってから彼女ができて、1年ぐらいは付き合っていた。
その間にデートしてキスもしたし、セックスもした。
けれど、3年で就活で悩むようになってから、彼女とは自然と疎遠になってしまった。
疎遠になっても別に気にならないぐらいの関係だったから、元々そんなに好きでなかったのかも知れない。
童貞だと嘘は吐いてしまったけれど、男の人とするのは初めてなのだから許してもらおう。
僕がシャワーを出ると、入れ替わりに虎徹さんがシャワーを浴びた。
出てくると彼はバスタオルを腰に巻いたままの姿で、
「じゃあ、ベッド行くか?」
と僕を再び寝室に案内した。
彼の裸体を見たのはその時が初めてだった。
彼の身体を見ると、急激に興奮が高まるのを感じた。
男の身体を見て興奮するなんて。
はっきり言って自分自身驚きだった。
昔見た、彼女の身体とは全く違う。
それは男女だからその通りなのだが、違うにもかかわらず、見ると思わずぞくりと生唾が湧いてきて、僕は喉を鳴らしてしまった。
彼は服を着ていれば随分細身だと思ったのに、裸になるとかなり筋肉が発達していた。
理想的な筋肉がついた身体だった。
肩や胸の筋肉が発達し、艶やかな浅黒い肌の下に張り詰めた筋が浮き出ていて、とても美しい。
男としての健康的な肉体美だ。
それでいて腰の辺りはきゅっと引き締まって、無駄な贅肉などひとかけらも付いていない。
よほど身体を鍛えていないと、こんな風にならない。
一体どんな仕事に就いているのか。
それとも単に、身体を鍛えるのが趣味なのか。
歩く度にうねる背中の筋肉が美しく、背後から見るとバスタオルに包まれた小ぶりの尻の動きにも僕は思わず目が引きつけられた。
歩いているだけでも、そこから見ている者を如何ともしがたく興奮させる色気が立ち上っているようだ。
寝室に上がると彼は、先程僕たちが徒歩でバーからここまで来る間、途中のコンビニで買い求めたコンドームとチューブ入りのジェルを取り出した。
それを買う時僕はさすがに恥ずかしくてコンビニに入れず、彼が一人で入って一人で買ってきてくれたものだった。
「じゃあ、やってみる?」
座るといよいよセックスという雰囲気になる。
僕は先程から胸の中でどきどきと鼓動を打っている心臓が、更に破裂しそうになった。
僕が緊張してがちがちになっているのが分かったのだろう。彼は眉尻を下げて僕の顔を覗き込みながら、首を傾げて笑った。
「俺が積極的な方がいいよな、デビット。そんなに緊張するなよ。大丈夫、初めてだってなんとかなるって」
元々このセックスは、彼が男に抱かれることができるかどうか、不安だからしてみる、はずだった。
が、僕が彼以上に緊張してがたがたしているせいだろうか、彼は反対にリラックスして僕をなんとか元気づけたいと思っているようだった。
彼が手を伸ばして、僕の頬をそっと触ってきた。