◆ヒーローが出向してきました!--食堂篇--◆  6






「昨日はすいませんでした」
次の日、タイガーはいつも通り出勤してきた。
「いや、大丈夫だよ。君も昨日は大活躍だったね」
「あははっ、見てたんですか、ありがとうございます。珍しく一番乗りできましたからね!」
タイガーが嬉しそうに顔を綻ばせる。
目尻が垂れて琥珀色の双眸が細められる。
「でも昼食時に出動とか滅多にないんですけど、…本当にご迷惑おかけしました」
「ああ、いいよいいよ」
「すんません」
そう言いながらこの日も重い段ボール箱を軽々と運んでは、掃除をしている。
昨日あんなに格好良く活躍していたから、もしかして彼はやっぱりヒーローの仕事の方が楽しくて、こんな食堂の下働きなんてヒーローにふさわしくない、くだらない、と嫌気が差してしまうのではないか、と危惧していたが、そういう事は全く無いようだった。
タイガーがそんな風に仕事に差別をつけるような人間ではないことは分かっていたのだが、それでもヒーローとして活躍するときの彼があまりにも輝いて格好良かったので、なんとなくそう思ってしまったのだ。
それからは昼に出動もなく、タイガーも前よりもずっと仕事をスムーズにこなせるようになってきた。
元々ヒーローとしての出動が毎日あるわけではなさそうで、2、3日に一度という感じらしい。
この食堂課に出向している時間の他は、ヒーロー事業部で事務仕事をしたり、或いはヒーロー専用のトレーニングセンターに赴いて、体力作りに励んでいるようだ。
相棒のバーナビーは、と言うと、タイガーがここに出向して働いている時間、取材やマスコミ関係の仕事があるようだ。
タイガーにもそういう取材等の仕事があっても良さそうな気がするが、そう言ってみるとタイガーは慌てて顔をぶんぶんと振った。
「いや、そんな。バニーちゃんは格好良いですからね、それに顔出しもしてるからいいけれど、俺はもう、そういうのはちょっと恥ずかしくて…」
「そうかねえ、君だって十分格好良いと思うんだけどね?な、みんな?」
「あぁ、そうだよ。もっと自信持って威張っててもいいのに、タイガーさん」
「は?いやいや。威張るとかそんなっ。俺そういうの苦手だし、…って、威張れたらちょっと格好いいですかねぇ?」
などと、へへっと笑いながら後頭部に手をやって照れている。
そういう所が如何にもタイガーらしくて微笑ましかった。










そんな風にして一週間が過ぎ、タイガーの研修出向期間が延べ2週間程になってきた。
あと1週間、計3週間で出向期間が一応終わりになる。元々短期出向の契約だった。
しかし、私は名残惜しかった。もう少し長くやってもらえないだろうか、と思った。
ロイズ氏の意向としては、タイガーには短期間でできるだけ会社の中の様々な部署の仕事を体験させ、その中でスキルを磨いてヒーロー事業部で使えるようにしたいという事だったが。
「タイガー、来週で終わりなんだよね」
「え、そうなの?」
その話をルーシーにしてみると、ルーシーがえ、という顔をした。
「期間決まってるの?」
「そうなんですか?」
チャンも話に入ってきた。
「うん、そうなんだよ、元々短期間でって事で契約してるからねぇ」
「……それは、もうちょっと長くって頼めないですかね?」
チャンが熱心に言ってきたので私は内心驚いた。
気難しく冷徹な彼がそう言ってくるという事は、余程の事だ。
「うーん……そうだね。彼がいると段ボール箱本当に楽だもんな。ああいう人材他にいないよな」
「そうですよ。それだけでなくて彼が来てから厨房の中の雰囲気、良いんです」
と、雰囲気を悪くしている張本人の一人であるチャンが言ってきたので、私は思わず吹き出しそうになった。
チャンは気付いていないらしく大真面目な顔だ。
「うんうん、そうだね。…とりあえずロイズ氏にもう少し延長を願い出てみようか…」
どうするか。それよりまずタイガー自身の意向を聞いた方がいいんだろうか。
そう思って悩んでいると、
「きゃーっ!!」
突然食堂の方から絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
時間はちょうど昼間の1時を過ぎた頃で、社員はあらかた食べ終わって部署に戻り、食堂は外部からの客や見学に来た一般人がメインで昼食を摂っているところだった。
はっとして悲鳴の上がった方を見ると、20代後半とみられる女性が蒼白になって厨房の方を覗いていた。
その女性の視線を追って顔を向けると、
(…………!!!)
私もその女性と同じように一瞬にして蒼白になった。
厨房の窓際、少し張り出したその窓の部分の一角。
普段は常に鍵が掛かっているはずのそこが開いており、そこから外、ほんの少ししかない張り出し部分に立っている幼児がいたのだ。
この食堂は、アポロンメディア社のビルの最上階にある。
すなわち、150階だ。
下は目も眩むような距離である。
最上階であるから勿論、食堂の方の窓は嵌め殺しで開いたりしない。
が、厨房の、特に奥の方は、換気や外の大気の状態を直接体感できるようにと、一角のみ鍵付きで開けられるようになっていた。
勿論、普段そこを開けることは滅多に無い。
私も前に開けたのがいつか忘れてしまったぐらいだ。
しかし今、そこが開いている。
外から風が吹き込んでいて、そしてほんの少ししか幅のない狭い張り出し部分に、小さな子供が立っている。
私たちが青ざめて立ち尽くしたまま見ていると、子供はふらふらとしてそこを歩き出した。
そこから、アポロンメディア社の象徴であるグリフィン像の土台、双翼の張り出し部分の方へ、覚束ない足取りで歩き出してしまう。
そこはとても大人が歩けるような所ではない。
体重の軽い子供が漸く歩ける幅だ。
そのまま3歳ぐらいのその幼児は壁伝いに歩き出した。
時折ふらっと落ちそうになって、その度に母親なのだろう、20代後半の女性が鋭い悲鳴を上げる。
私たちはもうどうしたらいいのか分からなくなった。
食堂からも張り出したグリフィン像の土台部分は見えるようになっている。
そこを子供がふらふらと歩いているのが、食堂にいる客にも見えるようだった。
さぁっと上層で強い風が吹いてきて、子供がふらっとよろめいた。
「いやあぁあ!」
女性が千切れるような声を上げる。
子供がふっと宙に浮いて、そのまま落ちようとしたまさにその時。
――ガシャン!!!
急に大きな音がして、私ははっとして食堂の方を見た。
青い燐光が食堂の中にふんわりと光っていた。
それは人の形をしていた。
一瞬にしてその燐光は目の前から消え、私たちは呆気に取られてその青光の残像を眺めた。
青い燐光が矢のように外に飛び出して、宙に浮いた子供を捉える。
子供を抱えた、と思った瞬間、シュッと何か紐のようなものが発射され、それが青空を切り取って上へと一直線に伸びていった。
青い光が空中ブランコのように何も無い宙を大きく振り子を描いて飛んで、それから一瞬にしてまた壊れた窓から食堂に入ってきた。
「うわぁあーん!!」
幼児の耳をつんざくような泣き声が聞こえてきて、私たちは思わず厨房から食堂の方へ走った。
食堂にいる人たちがみな一様に驚愕に目を見開いて、壊れた窓の方を見つめている。
割れた硝子を背景にして青く光る人物が立っていた。
彼が、私の方を見る。
いつも落ち着いた茶色の目が、美しい青に発光していた。
私は息を飲んで彼を見つめた。
そんな風に青く光っている彼を直に見るのは初めてだった。
身体中から美しい青い光が発せられ、神々しい程だった。
吸い込まれそうに青い目は、それでいて内部から光っていて、その目を見るだけで息が止まりそうだ。
髪の毛を一つに縛って白い割烹着を着たままで、彼は青く光っていた。
左手首の時計にしゅっと紐が収まる。
どうやら伸縮自在の何かがそこに仕込まれていて、それをビルの上、グリフィン像の突起に巻き付けて子供を救出したようだった。
一瞬の出来事だったので、私たちはとにかく呆然として眺めるだけだった。
彼がいなければ、子供は確実に地上に落ちて死んでいただろう。
私たち誰もが何も出来なかった。
彼だけが、ヒーローであるワイルドタイガーだけが一瞬の判断で能力を発動させ、ハンドレットパワーで瞬時に硝子を割って子供を救って戻ってきたのだった。
「うわぁーんああーん!」
「ケント!ケント!!」
母親らしい女性が泣き出す。
タイガーが青く光ったままその子の頭を優しく撫でると、よしよしと言いながら母親に子供を渡した。
その光景を見ていた客達がざわめきだした。
「あれ、…誰…?」
「え…?」
「誰だよ…?」
「……ワイルドタイガーじゃない?」
「……まさか!」
「だってほら、能力発動してるし。それにワイヤー使ってたぜ?」
「そうなの?」
「なんでここにいるの?」
「…ワイヤーで子供助けたもんな。ああいう事出来るのタイガーだけじゃん」
人々がざわざわと話し出す。
「なんでこんなとこにいるの?」
「え、ここの社員だからじゃないの?」
「え、でもあの人ってここでお掃除してた人じゃないの?」
「掃除してた兄ちゃん?兄ちゃんがワイルドタイガー?」
「どうなってんの?」
ざわめきがタイガーにも聞こえたのだろう、彼は気まずそうに眉尻を下げて笑った。
女性に向かって言う。
「無事で良かったですね、お母さん。お子さんきちんと見て無くちゃダメですよ」
「…はい!はい、ありがとうございます!」
タイガーが困ったように後頭部を掻いて私を見てきた。
彼はまだ青く発光したままだった。
「あー、タイガー君、とりあえずそこ、ガラスが割れてるから危険だよ」
思わず大声でタイガーと言ってしまってはっとすると、周りにいた客がやっぱりという顔をした。
「やっぱりワイルドタイガーなんだ!」
「なんでこんなとこで働いてんの?」
素顔を見られたタイガーが気まずそうに目線を逸らして、話しかけてきた客に応対する。
「あー、俺、顔出ししてないんで、すんません、秘密にしてもらえます?」
「それはいいんだけど、なんで?」
「ほんと、なんで?」
「だって、ほら、…ここの社員だし、俺。普通働きませんかね?」
「ええー!でも、お掃除してるなんて、ねぇ?」
「いや、知らなかったよー」
皆がわいわい言ってきた。
一般人も興味深そうにタイガーを見ている。
いつもここにいて彼を見ていた社員達は特に興奮して、タイガーを覗き込むようにした。
キィィーン、という微かな音がして、すうっと青い光が消える。
タイガーがいつものタイガーに戻る。
どうやら5分経って能力が切れたらしい。
「あーすんません、ガラス割っちゃいました、俺掃除しますから」
「いいよいいよ、危険じゃないか?」
「これ、一枚幾らしますかねぇ、また賠償金かさんじゃったなぁ」
タイガーが溜息を吐く。
「そんな、君、人助けしたんだから、そんな事気にしなくていいんだよ」
「そういう訳にいかないっすよ。それじゃなくても俺、物ばかり壊してて前の会社からの賠償金もかさんでるんすよ」
「大丈夫、私が立て替えてあげるから」
「ええっ?いやそれはダメっすよ。俺が勝手に壊したんだしっ」
私とタイガーのやりとりを聞いていた客がぷっと吹き出した。
「そんなのなぁ?」
「うん」
「見ていたオレたちも少しずつお金出すから。そうじゃないか、みんな?」
「あぁ、そうだよ。だってこんな所でワイルドタイガーの活躍を見られたんだもんな。ラッキーじゃね?」
「やっぱりワイルドタイガーはすげえ格好良いよ」
「つうか、掃除もうまいもんな、タイガー」
「え、掃除うまいっすか?」
「あぁ。君が毎日掃除してるの見てたけど、てきぱきしていて気持ち良く掃除する人だなって思ってたんだ」
「あーそりゃ、ありがとうございます!」
タイガーがにこにこして頭を下げる。
私もなんだか可笑しくなって、つい笑いが漏れてしまった、
誰かがぱちぱちと拍手をした。
そのうちその拍手が波のように広がって、食堂にいる皆がタイガーに拍手をした。
落ち着かなく瞬きをして、タイガーは恥ずかしそうに顔を赤くして俯いた。
「……俺、どうしたらいいんすか?」
私は肩を竦めて笑いながら、タイガーの肩を抱いてぐっと彼を前に押し出した。
「みなさん、ワイルドタイガーは顔出しをしていないのでここでの出来事は秘密にしていてくださいね。でもこれがうちのアポロンメディア社のヒーロー、ワイルドタイガーです!」
そう言う時私はとても誇らしかった。
みんなが拍手をしてタイガーを見て笑い掛けてくる。
――そうだ。
うちのヒーローは本当に格好良くて、人の役に立つことが好きで、人懐っこくてみんなに好かれているんだ。
ルーシーもチャンも他の調理人達もみんなにこにこしていた。
「あーありがとうございます…。どうも…」
そう言いながら、タイガーが何度も頭を下げる。
私は笑いながら更にタイガーの肩をぽんぽんと叩いた。










結局、食堂に来る社員達に素顔が割れてしまったので、タイガーの出向はそこで中止となった。
「最後に迷惑掛けてすんません」
タイガーは随分と恐縮していたが、私たちは首を振った。
「いや、君が来てくれて本当に楽しかったよ。それにヒーローって素晴らしいって事を君が再認識させてくれた、ありがとう」
チャンがそう言って手を差し出してタイガーと握手をする。
頬を赤らめて嬉しそうに笑うタイガーは、やっぱりいつものちょっと頼りなさそうな人好きのする青年だった。
彼がいなくなるのはとても寂しいけれど、でもこれからは私たちはヒーローTVを見て、彼を心から応援できる。
「あ、昼飯また食べに来ますから!」
「そうだね、同じアポロンメディア社の社員だしね、いつでも会えるね」
「また新しい掃除の人採用すると思うんですけど、その人が来たら俺にしてくれたみたいに優しくしてやってください」
タイガーの言葉に私はじぃんと来てしまった。
彼の事をメールで知った時、彼が初めてこの食堂課にきた時の事を思い出したからだ。
最初とても不安だった。
ヒーローということで、プライドの高い尊大な人物が来るのではないかと思っていた。
そんな風に先入観を持たれて、彼も戸惑った事だろう。
でも彼はそんな私たちの中に苦もなく溶け込んで、私たちを和ませてくれた。
厨房の雰囲気が良くなり、皆が毎日楽しく仕事ができるようになった。
彼のおかげだ。
「そうよね、お昼食べにこられるわよね、厨房の方にも遊びにくるのよ、タイガー」
ルーシーがぎゅっと彼の手を握って言った。
「はい、本当に良くしてもらってありがとうございました」
「何言ってんの。良くしてもらったの私たちの方よね?ねぇ主任」
「あぁ、そうだよ、タイガー君…。いつでも私たちは大歓迎だ。是非お昼を食べに来てくれ」
「はい了解っす。…じゃあ、また…」
タイガーが一度深々と頭を下げ、そして食堂課を出て行った。
時折振り返って手を振る。
私たちも振り返して、そして彼の姿が見えなくなるまで、見送った。
――ありがとう、ワイルドタイガー。
君がこのアポロンメディア社のヒーローで、私は心から誇らしく思うよ。
できたら君と個人的に友達になりたいぐらいだ。
あ、いや、なれないことも無いのか。
同じ社員なんだし。
……そうだ、今度ヒーロー事業部の方に遊びに行ってみるか。
ここでお別れってわけじゃないんだし。そうしよう。
「あれ、主任何考えてるんですか?」
ルーシーが私の顔を覗き込んできた。
「あ、いや、ね。…今度、ヒーロー事業部に遊びにいってみようかな、とかね」
「え、それなら私も一緒に!」
「俺も行きますよ!」
「俺も!」
「僕も!」
皆がわらわらと寄ってきて、私は困った。
「じゃあ、少しずつ順番に遊びに行こうか?タイガーの邪魔にならないようにね?」
「よし、なんか元気出てきたぞ、仕事に戻ります!」
みんなが笑顔になって厨房に戻っていく。
その後ろ姿を眺めながら、私も、よしやるぞ!、と気合いを掛けて厨房に戻っていたのだった。







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