◆ヒーローが出向してきました!--食堂篇後日談--◆ 4
アポロンメディア社の社員の中で赤っ恥を掻かされたのが、我慢できなかったのだろう。
自分の受けた屈辱で頭がいっぱいになっているようだ。
どうしようもないやつだ。
「僕はSB学芸社の社長の代理だぞ!それなのに、こんな無礼な事をっ!」
タイガーが『ん?』という感じで床に尻餅をついたドラ息子を見下ろす。
ドラ息子は涙目になって喚き散らした。
「だからっ、ヒーローなんてろくでもないんだ!タイガー、お前なんてっ、能力1分しか保たねーくせに、ヒーローなんかできんのかよっ!」
「なんだと…?」
怒ったのはタイガーではなく、バーナビーだった。
バーナビーの眼が再び怒りに鋭くなる。
「よせっ!」
さっと右手をバーナビーの前に出して彼を制して、タイガーがびしっと言った。
厳しい父親のような視線をバーナビーに向けて、バーナビーを黙らせたあと、それからやや視線を緩めて、ドラ息子を見下ろす。
「やぁどうもどうもすいませんねぇ、SB学芸社の社長の代理さんですか。いつもうちの社がお世話になってます。……あー、でもちょっと、ヒーローについて、俺の考えとか聞いてもらってもいいですかねぇ?」
タイガーが雰囲気を和らげて、いつもの人懐っこい調子で言った。
「ヒーローってのはですねぇ…、俺はこう思ってんです。まず、自分の身を犠牲にしても市民を守る存在であるってやつ。それから、市民を傷つけない。たとえ犯罪者であっても危害を加えない。それがまずヒーローの条件ってやつ? ヒーローってのは市民にとってはシュテルンビルトの平和の象徴ですからね。勿論ネクスト能力も人を助けるために使えなくちゃダメっすけど、とにかくまず、自分より第一に市民を守る、これがヒーローの条件だって俺はそう思ってんですよね。あんたはどう思ってます、ヒーローって?アンタはなんでヒーローになりたかったんですか?アンタの話さっき聞いてたけど、もしかしてヒーローになって他人にちやほやされたかったからですかねぇ?そういう人じゃヒーローやっていけないっすよ?」
タイガーが落ち着いた低い声ではっきりと言った。
私たちのみならず、食堂にいるみんながしーんとして、そのタイガーの声を聞いていた。
タイガーがこんな風に自分の考えをはっきりと言うのを聞くのは、初めてだった。
普段私たちはタイガーがヒーローとして活動している時の様子や、インタビューなどで断片的に聞く彼の言葉で、タイガーが自分の仕事であるヒーローというものに対してどのような信念を抱いているかをぼんやりと把握することはできている。
が、彼がこんな風にはっきりと自分の気持ちを言うのは初めてだったので、私たちは思わずそれに聞き入った。
周りのアポロンメディア社の社員たちや、彼の相棒であるバーナビー、それに尻餅をついていたドラ息子もだった。
ドラ息子はさすがに悔しそうにタイガーを睨み上げていたが。
タイガーが肩を竦めてくすっと笑って、ドラ息子の手を掴んでぐっと引き上げた。
ドラ息子がよろよろとよろめきながら立ち上がる。
「ホント、すいませんでしたねぇ?」
へらへらっとした感じで笑って、タイガーが茶色の瞳を細めた。
「あ、でもですね、これはまぁ、俺の個人的な考えであって、強要するつもりはないっすけどね。人それぞれ考えはいろいろあって当然ですからねぇ?それに悪口もどうぞどうぞ。お好きに言ってください。俺なんてまぁ悪口言われて当然って所もありますしね。いくらでもどうぞ。……ただし、俺の悪口だけっすよ?」
へらへらっと笑っていたタイガーが、最後の所で突然表情を変えた。
豹変、という言葉がぴったりだった。
今まで人懐っこそうな子猫のような表情をしていた彼が、獰猛な虎に瞬時に変わる。
茶色の鋭い視線が、ドラ息子を射貫くようだった。
それは今までに見たことの無い、厳しい視線だった。
視線だけで威圧されて、私たちはふたたび息を飲んだ。
タイガーの目は薄い茶色から琥珀色に変化し虹彩が狭まり、そこから発せられる威圧感は猛獣の虎とそのものだった。
私には彼から、威厳まで感じられた。
「俺個人の資質について非難するのはいくらでもどうぞ。でもヒーローという仕事自体をバカにするのは許さねーよ?」
低い声が食堂に響き渡る。
すうっと彼の目が変化した。
琥珀色から更に輝いて金色になる。
その視線が、周りにいる私たちにまでびんびんと伝わってくるようだった。
思わず後退る料理人もいた。
私も思わず息を飲んだ。
………凄い。
初めて見るタイガーだった。
威厳とともに畏怖の念さえ感じられた。
「あと最後にも一つ。俺の大切なバニーちゃんの事馬鹿にしたら、俺、……鏑木虎徹が許さねーよ?」
タイガーが唇に少し笑いを浮かべながら、そう言った。
低くゆっくりとした言葉は、聞くだけで背筋が震えるような迫力があった。
見つめられたドラ息子が再びガタッと腰を抜かして、床に尻餅をつく。
誰も息を止めて、動けなかった。
バーナビーも、タイガーを見つめたまま全く動かない。
「……なーんて!」
突然、その場の雰囲気が一気に解けた。
鋭い威圧する視線が一気に緩み、周囲を圧していたオーラが雲散霧消する。
「ははっ、なーんてね」
瞬時にタイガーがいつものタイガーに戻った。
私たちはふぅ、と息を吐いた。
息をしていなかっただけに脳に酸素がいかずに、くらくらした。
椅子にがくりと座る料理人もいた。
「虎徹さんっ」
バーナビーがタイガーにぎゅっと抱きついた。
「あれ、バニーちゃん、どしたの?」
よしよし、とい感じでタイガーがバーナビーの髪を撫でる。
私たちもすっかりほっとした。
「坊ちゃん、帰りましょう」
すっかり固まって動けなかった腰巾着がぎくしゃくと動いて、尻餅をついているドラ息子の腕を引っ張る。
「……あ?でもよぅ」
「でもでも何でも無いですっ!とにかく帰りましょう!」
ドラ息子の腕を掴んで引き摺り、二人が食堂から逃げるように去っていく。
その後ろ姿にタイガーが手を振った。
「また来てくださいね、お待ちしてます!」
「はははっ!」
食堂にいたアポロンメディア社の社員の一人がぷっと噴き出した。
思わず私たちも緊張が解けて笑い出した。
「ははははっ!」
「ったく、いや、ホント、タイガー、すかっとしたよ、ありがとうな!」
食堂で食事を摂っていた社員の一人がタイガーに近付いてきて、笑いかける。
「いやすいませんでした。ご迷惑おかけしちゃって」
「いやいやそんな事ねーよ。すっげーすっきりした!とにかくさ、うちのヒーローは格好いいよな!うん!」「俺、アポロンメディア社の社員で良かったよ。あ、ごちそうさま!」
社員達がわらわらとタイガーによってきては彼の肩を叩いたり笑いながら声を掛ける。
「タイガー、そろそろ戻ろうか?」
いつまでも彼が社員達にもみくちゃにされそうだったので、きりの良いところで声を掛けて、私たちは厨房に戻ってきた。
「珈琲がすっかり冷めちゃったね、僕が入れ直そう」
「あ、あたしもやるわよ」
チャンがルーシーと共に珈琲を淹れ直してくる。
「みんなちょっと休憩しようか?」
仕込みの仕事をしていた料理人達も集まってきて、私たちはタイガーとバーナビーを囲んで皆で珈琲を飲んだ。
「や、でもホントさっきはスカッとしたよ。ありがとなタイガー」
チャンがにこにこしながら言った。
「いや、でも大人げなかったですよね」
「いやぁ、彼にはいい薬だったんじゃないかな?きっとSB学芸社の社長にも感謝されると思うよ」
「そうですかねぇ…」
「虎徹さん、本当格好良かったです」
「バーナビーはいつも格好いいけど、タイガーがあんなに威厳あるなんてね、ちょっとびっくりだったよ」
「ええっ?俺、ヒーローしてる時いつもあんな感じじゃないっすか?」
「……まぁ、確かに、タイガーがヒーローしてる時はちょっと格好いいけどね?」
「ちょっとなんですか!俺、自分じゃかなりイケてるって思ってたんだけどなぁ…」
タイガーががっくりと項垂れる。
私たちは思わずくすっと笑ってしまった。
「はは、冗談だよ。真面目に言うとね、タイガー&バーナビーは最高に格好いい、うちの社の自慢のヒーローだよ。私たちの誇りだよ?」
「…いや、そこまで言われるとちょっと褒めすぎじゃないっすか。反対に嘘っぽい…」
「ええー?今のは心の底からそう思って言ったのに酷いなぁ、タイガー…」
「え、す、すんませんっ!」
タイガーがへこへこと頭を下げる。
その様子がまた可笑しくてつい笑いながらバーナビーを見た。
バーナビーが視線を和らげて、タイガーを見ていた。
タイガーを見て、私を見て、『こういう人なんですよねー』と目で笑いかけてくる。
私も頷いてバーナビーに笑いかけた。
みんなも笑って、顔を上げたタイガーがどうしたと言うようにきょとんとした表情をした。
こんなにすかっとしたのは初めてかもしれない。
やっぱり、タイガーは最高のヒーローだ。
タイガーは……不屈で困難にめげない。
能力の減退なんてのも、最後にはプラスに変えてしまう。
周りの人々を元気づけて、みんなに笑顔を運んでくる。
そんなヒーローだ。
タイガー、君はやっぱりヒーローの中のヒーローだ。
最高のヒーローだ。
私たちの誇りだよ。
君に出会えて良かった。
君とこうして同じ会社で、同じひとときを過ごせて、良かった。
ありがとう、タイガー。
今までも。
そして、これからも。
「君が戻ってきてくれて、本当に嬉しい。ありがとう、タイガー」
「えっ、だから俺、別にそう感謝されることなんてしてませんて!」
慌てるタイガーのくりくりとした丸い目に向かって笑いながら、私は思いっきりタイガーの肩をぽんぽん、と叩いてやったのだった。