◆ヒーローが出向してきました!--社史編纂室篇--◆  11






久し振りに戻ったメディア調査部は相変わらず忙しく、俺はそれまでの社史編纂室の仕事とは一変して朝早くから夜遅くまで息を吐く暇もないほど働くことになった。
しかも今度は課長だから、責任もある。
新しい部長はリベラルな人で実力主義、派閥がらみではないので余計な気を遣わなくて済むが、実績や業績を着実に挙げていかないと評価されない。
そういうプレッシャーの高い業務ではあったが、でも俺は前みたいに偉ぶったり或いは派閥に与したり、そういう事は一切しなくなった。
どんな人にも謙虚に接し、新しくできた部下にもできるだけ丁寧に接するようにした。
もし鏑木が俺の立場だったらどうしただろうか。俺は常に鏑木の行動を念頭に置いて、自分の手本にするようにした。
最初は距離を取っていた部下達や、俺の悪口なんかをこそこそと言っていた元の同僚も、次第に俺に打ち解けてくれるようになった。
「なんか前と変わりましたねぇ…」
打ち解けた後に元同僚からそう言われることもあった。
「やっぱ、他の部署に出て修行してきたのがいいんですかね?課長、人間的にぐっと深みが増した気がしますよ?」
「そりゃ、前は深みが無かったっつうことかよ」
などと軽口を叩きながらも俺は、どんな経験も自分がそれを自分の糧にしようと思う限り、プラスになるんだな、なんて事を思ったりもした。










その日、暖かな春の日差しに照らされたデスクに、一冊のファイルが置いてあった。
「あ、課長、それ今朝部長から廻ってきたものです」
「そう」
取り上げてぱらぱらと開いてみる。
「お、これか…」
それは新しい企画計画書だった。俺が提案して、やらせてくれと部長に頼んでいたものだ。
メディア調査部とヒーロー事業部が合同で、マスコミの動向調査や予測をするという企画。
企画が通って俺が責任者として任される事になったものだが、ファイルを見るとその日の10時にヒーロー事業部で打ち合わせ予定、とある。
部長がヒーロー事業部の部長と擦り合わせをしてきたのだろう。
10時少し前、俺はメディア調査部を出て、エレベータに乗って数階下のヒーロー事業部へと赴いた。
以前、一度ふらふらと迷い込んで来てしまった所だ。
ここで鏑木を見かけて、ヤツがヒーローだったって知ったんだよな…。
カツカツと廊下を歩いて、ヒーロー事業部へ入る。
こじんまりとしたオフィスで、入った時には中年の女性が一人、デスクに座って事務を執っているだけだった。
俺が来ることは予め知らされていたのだろう、女性が俺を見ると立ち上がって、
「部長がお待ちです」
と言って奥の部屋へと案内される。
落ち着いた重厚な部屋で、俺はヒーロー事業部部長アレキサンダー・ロイズ氏と30分程打ち合わせをした。
どんな風に動くかとか、日程や方針などを大まかに話し合ってある程度の方向性を決め、打ち合わせを終了して部長室を出ると、先程は無人だったデスクに背の高い黒髪のすらりとした見覚えのある男性が座っていた。
鏑木だった。パソコンを立ち上げて何か事務処理をしている。
手つきを見る。ブラインドタッチをすっかり覚えたからか、流れるような手つきでまぁ悪くない。
ふと鏑木が顔を上げて俺を見た。
「……あれ?」
一瞬鏑木が目を丸くした。
ぱちぱちと瞬きをして目を見開いたまま、俺をぽかんと見上げる。
ちょっと間の抜けた顔に、俺は思わず笑ってしまった。
いや、本当は会ったら自分も頑張ってるんだぜ、とガッツポーズでもしてやろうと思っていたのに、鏑木の顔を見たら以前と同じ変わらない様子に、思わず嬉しくて笑ってしまったのだ。
笑うなんてなんて失礼なんだ、と思ったが、でもにこにこしてしまった。
鏑木は地味なスーツではなくて、緑を基調としたちょっと洒落た細身のベストとボトムを着ていた。
そういう格好をしていると、勤め人というよりはやはりヒーローをしてます、という格好良い雰囲気になる。
社史編纂室に来ていた時の地味なスーツとはまるで雰囲気が違うが、でも見上げてくる琥珀色の目やちょっときょとんとした表情や、ぱちぱちと瞬きする様子は同じだった。
目線が合う。
メディア調査部の課長らしく格好良く挨拶をしようと思ったのに、そこで俺はやっぱりにこにこ顔を見せてしまった。
鏑木が更に瞬きをしてあれっというように俺を見て頭を傾げ、それからロイズを見上げる。
状況が飲み込めていない様子が彼らしい。
ロイズ氏がその俺に向かって、鏑木を掌で指し示しながら紹介してきた。
「今座っているのがワイルドタイガーです。これから彼と仕事をする事もあると思います。よろしくお願いします、デットーリさん。……虎徹くん?」
ロイズ氏が鏑木の方を向く。
「こちらはメディア調査部のロベルト・デットーリ課長。今度メディア調査部とうちで合同の企画を立ち上げてねぇ、一緒に仕事をする事になったから、よろしくね?」
「あ、は、はいっ…あの……」
鏑木がやや素っ頓狂な声を上げる。
目線を左右に揺らして俺を見上げ、ロイズ氏を見上げてきた。
「あの、…よろしくお願いします」
久し振りだったからだろうか、恐る恐るといった感じで鏑木が俺を見た。
座ったままでは失礼かと思ったのか、はっとしたように立ち上がってデスクの後を回り込んで俺の前まで来て頭を下げる。
俺は、俺の前で肩を縮こませて頭を下げてきた鏑木の右手を取ってがっしりと握った。
「こちらこそよろしく。ワイルドタイガー君は素晴らしいヒーローですよね。我が社の誇りだといつも尊敬しているんですよ」
「え……?」
俺の言葉に鏑木がぱっと顔を上げてびっくりしたというようにぱちぱちと瞬きをする。
俺が心から鏑木との再会を喜んでいるというのが分かったのだろう。
鏑木が小首を傾げ覗き込むように俺を見る。不安そうな顔が少しずつ笑顔になっていった。
だんだん瞳が細くなり、ちょっと恥ずかしそうに笑う。
握った手が握り返されてきて、暖かな手の感触に俺はなんだか胸がいっぱいになっちまった。
「じゃあ虎徹君、デットーリ課長と少し話しててくれる?」
ロイズ氏がそう言って、部長室に戻っていく。
ヒーロー事業部には、俺と鏑木の二人きりになった。
「あの、…えーっと、その…ロベルト、さん?…えっと、部署、変わったんですか?」
鏑木が口籠もりながら聞いてきた。
「元の部署に戻ったって事ですよね?えーっと、その、おめでとうございます」
やや言葉を考えながらしゃべっているのか、一言一言区切りずつゆっくりだがそう言ってにこっと笑いかけてくる。
笑いかけてからやや眉尻を下げて、一瞬どうしようか、と逡巡するような表情をし、それからもう一度俺の目を覗き込んできた。
「あの、…俺の事、怒ってないですか?怒ってなければ嬉しいです。また会えるとか、思ってなかったから。…良かった…」
本当にほっとしたようだ。
はあ、と息を吐いて、へへっと笑っていかにも嬉しくて堪らないというように顔中を笑いでくしゃくしゃにして、俺を見つめてくる。
俺は胸が熱くなった。
何か言わなくてはと思ったが、すぐにはうまく言葉に出なかった。
――そうだ。
いろいろ、言う事がある。
言いたい事、言わなければならないこと。
いろいろあるのに、もどかしい。
「あー、怒ってなんかねぇよ。ほら、あの日……お前の事テレビで見て…その、お前がさ、俺の事友達って言ってくれただろ…?あれ、…なんつうか…」
「あのっ、俺はロベルトさんの事っ友達だって思ってますよ。ロベルトさんは、違うんですか?…俺の友達っすよね?ね?」
俺がヒーローTVを見ていたと言った途端鏑木が嬉しげに破顔し、意気込んで俺の顔を覗き込んできた。
くるりとした琥珀色の瞳が、俺をじっと見つめてくる。
嬉しい。
嬉しくてなんだか恥ずかしい。
困った。
慌てて俺は、誤魔化すように言った。
「……あ、う、うん、そうだな。鏑木は俺の友達だし、俺は鏑木の友達だぜ。……あ、あぁ、そうだ、今度、一緒に飲みに行かねぇか?」
口籠もりながらぼそぼそと言う。
「なんだったら今日でも帰りに。前みたいにまたバーで。積もる話があるんだ」
思い切って今日と言って誘ってみると、鏑木が目を輝かせた。
「勿論OKっすよ。じゃあ今日!良かった、今日俺ちょうど暇だったんっす。嬉しいな」
「そうか?いいのか?……あ、りがとう…」
「……え?やだなぁ、ありがとうとか。ンな事言われる筋合いないっすよ、へへっ」
鏑木が満面に笑みを湛えていかにも嬉しそうに笑う。
後頭部に手をやってがしがしと頭を掻いて、目線を左右に揺らしてそれから俺を見て、またにこにこと笑う。
嬉しい。
なんか訳もなく嬉しくなっちまって、俺はどうしたらいいか分からなくなった。
今ここに来てるのは仕事で、しかも俺はメディア調査部の課長だ。
けど俺はそんな事忘れて、鏑木に抱きついてヤツを抱き締めたくなった。
ありがとうって何回でも言いたくなった。





――ヤツに出会えて、なんて幸運だったんだろう、俺は。
人生には忘れられない出会いがあると言うけれど、本当だ。
ありがとう。
俺と出会ってくれて。
お前のおかげで俺は立ち直れた。
お前は最高のヒーローだ。
我が社の、いやシュテルンビルト一の最高の、格好良くて暖かくて優しいヒーローだ。





「よし、じゃあ今日は飲み明かそうぜ、前みたいにな?」
そう言って鏑木の手を握って笑うと、鏑木もそれに合わせて手を握り返して、金色の暖かな目を俺に向けてくれたのだった。


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