ノート
「あ、手塚君、これ職員室まで持っていってくれるかな、悪いわね」
終業の鐘がなって、挨拶を終えた手塚の前に、ノートの山が差し出された。
「……分かりました。先生の机の上でいいんですね?」
「そう、いつも助かるわ。よろしくね、手塚君」
そう言って出席簿と講義ノートだけ持って教室を出ていく年若い社会の女の先生を、手塚は眼鏡の奥の切れ長の目で見つめた。
周りからは、休み時間の喧噪が聞こえる。
小さく溜め息を吐いて、手塚は教卓に載せられたノートの山を両手で抱えた。
手塚はよく教員から仕事を頼まれる。
教員だけでなく、クラスメートや、部員、そして部顧問の竜崎先生からもだった。
----手塚なら大丈夫。
彼に任せておけば安心だ。
そういう評価が自分に対してされていることも、そして自分が十分それに応えられることも知っている。
その信頼に応えるのは、手塚にとっては当然の事だった。
それでも、軽い溜め息がときたま出てしまうのは、押さえられない。「……あれ、手塚?」
廊下を歩いて階段に差し掛かったとき、手塚は後ろから声をかけられた。
「……不二か……」
3年生の教室は3階にあり、職員室は2階だった。
階段を降りるのには、不二のいる6組の教室の前を通るようになっていた。
通りすがりに見付けられたのだろうか。
「ノート頼まれたんだね?」
不二がくすっと笑った。
色の薄い髪が、廊下の窓から入ってくる日の光を通して、ふわりときらめいた。
「ああ」
短く答えて階段を降りようとしたところを、不二が軽い足取りで手塚に近付いてきた。
「僕も持ってあげるよ」
「大丈夫だ」
「駄目だよ、あまり重い物は持たない方がいい」
手塚は腕を痛めていた。
それを心配しているらしい。
「このくらい、なんでもない」
「……駄目だったら」
不二が苦笑した。
「そう、なんでも自分でやろうとしないで、たまには僕にもきみを手伝わせてよ………ね?」
すっとノートの山が半分にされる。
「さ、行こう?」
先に立って階段をとんとんと軽やかに降りていく不二の背中を、手塚は眼鏡の奥から見つめた。
「ほら、早く、休み時間が終わっちゃうよ?」
踊り場まで降りた不二が、振り返って笑う。
薄い唇の端をちょっと吊り上げて笑う、いつもの笑い方だ。
「……悪いな……」
なんとなくほっとして、手塚は目を伏せた。
「いいよ、気にしなくて」
二人で階段を降りて、職員室に向かう。
職員室の手前で不二はにこっと笑うと、手塚にノートを返した。
「きみ独りで入ってね?」
「どうしてだ?」
「まぁ、いいから……」
腑に落ちないまま、手塚は扉を開けた。
「3年1組の手塚国光です。失礼します」
一礼してノートを社会の先生の机に持っていく。
「あ、手塚君、ありがとう」
既に職員室に戻っていた先生が、信頼に満ちた笑顔を向けてきた。
「……いいえ、それでは失礼します」
周りの先生方にも一礼して、職員室を後にする。
「いやぁ、手塚は、いつも礼儀正しいな」
「いいよな、あんな生徒に手伝ってもらったりして、小野先生。俺の出てるクラスにもああいうやついたらなあ」
職員室の先生方の話し声を後に、扉を閉めると、
「ご苦労様」
不二が廊下で待っていた。
「優等生は、何かと大変だね……?」
「…………」
皮肉のような物言いに、眉を顰めて不二を見ると、不二がくすくすと笑った。
「ほらほら、そういう顔をしない。せっかくの美貌がだいなし………ってことはないなあ。反対に色っぽいね、手塚……」
「なっ……」
「冗談冗談」
不二は、何を考えているのか分からないような顔で、平気でどきっとするような事を言う。
思わず不二を睨むと、珍しく不二が瞳をまっすぐに手塚に向けてきた。
その視線の鋭さに、手塚は無意識に視線を逸らした。
なぜか、恥ずかしかった。
自分の心の底を見られたような気がした。
「さ、戻ろうか?」
肩を叩かれて、手塚ははっと我に返った。
不二が自分を覗き込んでいた。
自分より身長の低い不二に覗き込まれると、俯いていても、表情を全部見られてしまったような気がする。
なぜか頬が紅くなった。
「腕、大切にしなくちゃ駄目だよ、手塚」
階段を上りながら、不二が言ってきた。
「きみはいろいろ頼まれ事が多いだろう? 僕が手伝ってあげるから、必ず僕のクラスに寄って行くこと。いいかい?」
「大丈夫だ……」
「……駄目だよ」
優しく、しかしきっぱりと言われて、手塚は困惑した。
「いいね?」
重ねて言われ、思わず頷くと、不二がにっこりと笑った。
「そうそう、そういう風にさ、僕の前では素直でいて欲しいな。……そういう手塚、可愛いよ」
「な、なに言ってるんだッ!」
「はははっ、冗談だったら。じゃあ、また部活で」
がらり、と6組の教室の扉を開けて笑いながら入っていく不二の後ろ姿を見ながら、手塚は眉を顰めた。
と、先程の不二の言葉が脳裏の蘇った。
『せっかくの美貌がだいなし………ってことはないなあ。反対に色っぽい……』
途端に、なぜかまた頬が紅くなる。
恥ずかしいような、それでいてなぜか嬉しいような、変な心持ちがした。キンコンキンコン------
その時授業の始まりのチャイムが鳴って、手塚ははっとした。
次の時間の始まりだ。
早く戻らないと。
我に返った手塚は、頭を振りつつ、1組に走って戻っていった。
初めて書いた不二塚です。ど、どうでしょうか?イメージ合ってればいいんですが(汗)