中間考査 《4》
「……で、ここにこれを代入して……」
「あ、そうか、なるほどね…………分かった………」
シャープペンを動かして、不二がノートに数式を書く。
計算をして、答えが出て、不二は納得がいったようにふんふんと頷いた。
「そうか、ここでこうすればいいのか……」
理解度の早い不二に、手塚はつい微笑んだ。
「不二だって、少し考えれば分かることだろう?」
「うーん、そうだけど、……でも、君に教えてもらった方がよく分かるよ。これで疑問が解けたよ。竜崎先生にがっかりされないように頑張らなくっちゃね……」
「自分のために頑張るんだろ、不二?」
「ははは、そうだね、その通りだ」
不二が瞳を細めた。
「君はいつも正しいことを言うね、手塚……」
「………」
顔を覗き込まれて、手塚は頬を赤らめた。
皮肉を言われているような気がしたのだ。
「ね…………いっつもそういう風に考えてるの?」
「そういう風にって………別に、意識してないが……」
「たまにはさ、悪いことしたくならない?」
不二がじっと見つめてくる。
「……悪いことって、なんだ?」
「なんでもいいんだよ。例えば……………」
突然不二が手塚の手を取って、その手の甲に唇を押し付けてきた。
「ふっ、不二!」
「ねえ、手塚………こういう事、してみたくならない?」
「こういう事って……おまえとか?」
「あ、ごめんごめん、僕とじゃなくてね、女の子とだよ」
手塚が後ずさりしているのを見て、不二が肩を震わせて笑った。
「女の子とさ、したいとか思わないのかなって思って。………それとも、もう、しているのかな………君、大人だもんね……」
「……バカな事、言うな!」
からかうように言われて、手塚は真っ赤になった。
「俺達まだ中学生なんだぞ。そんな事、するわけないだろう?」
「ふーん、中学生だから、ねえ……」
不二がくすくすと笑う。
「君は大人に見えるから、別に構わないんじゃない?」
「いや、そんな事、駄目に決まってるだろう!……不二は………どうなんた?」
余裕ありげに言う不二に、手塚はふと疑問が湧いた。
もしかして、不二は異性と経験があるのだろうか?
そんな事、考えてみたこともなかった。
もしかして、既に経験しているとしたら……………。
------厭な気がした。
「僕?………僕はないよ」
不二がしれっとした調子で言った。
「まだまだ子どもだからね、僕は」
「………嘘吐け」
「厭だなあ、僕のどこが嘘吐いてるってわけ?………まぁ、一人ではやるけどさ」
何気なくどきりとする事を言われて、手塚は絶句した。
「あれ?………君だってするだろう、マスターベーション?」
「不二っ!!」
そんな単語は、手塚にはとうてい言えやしないし、他人から聞くのも初めてだった。
耳まで紅くなって、不二を睨むと、不二がくすくすと笑った。
「悪い悪い。やっぱり品行方正な部長さんには、刺激が強かったかな?」
「からかうのは辞めろ、不愉快だ!」
「ごめん…………そんなつもりじゃなかったんだ…………」
語調を強めて怒ると、不二が睫毛を伏せた。
長い睫毛を伏せると、不二の茶色の瞳に霧雨がかかったようになる。
「ただ、君って女の子にモテるだろう? だから、知りたくなって」
「おまえだって、モテるだろう?」
「……君程じゃないよ」
不二が肩を竦める。
「部長さんに渡して下さいって、結構プレゼントの頼まれ事とかするんだよね、僕たち」
「僕たち?」
「そう、部員みんな。越前なんて、同級生から頼まれてばかりだって、ぶうぶう言ってるよ」
「そんな事、俺は知らない………」
「まぁ、越前の場合、きっぱり断ってるみたいだけどね」
「………」
「ね、手塚………」
不二が身体を乗り出してきた。
「一人でするときって、何、想像してる?」
「……不二、そういう話は……」
「僕はね、手塚………」
不二の熱い息が耳に掛かる。
手塚は無意識に目を閉じた。
「僕はさ……君の事、考えてるよ………」
言葉と共に、温かな濡れた感触を首筋に感じた。
「ふ………じ……バカな事は、やめろ……」
「手塚………好き………」
濡れた低い声。
不二の声ではないみたいだった。
どこか、遠くから聞こえてくるような感じだった。
「君が好きなんだ…………」
首筋から、ぞくぞくとした電流が身体中を駆けめぐる。
心臓の鼓動が頭まで鳴り響く。
一体、俺は何をしているんだ?
「好きだよ………」
三度不二の声が聞こえて、ふっくらとした感触が唇を襲った。
「口、開けて………」
逆らえない。
言われるままに唇を開くと、口腔内に、熱い肉塊が入ってきた。
「ふ…………」
不二の舌が、手塚の舌を捉え、絡まりあう。
他人と口付けをしたのは、初めてだった。
異性とだって、したことなどないのに。
頭が混乱して、手塚は動けなかった。
不二が、俺を------好きだって?
(………俺は……………?)
「……眼鏡、取るよ?」
すっと唇が離れて、不二の手が手塚の眼鏡を外してきた。
びくっとして目を開くと、目の前に不二がいた。
茶色の瞳が射抜くように自分を見つめてくる。
「ふじ…………」
もう一度顔が近付いて、唇が覆い被さってきた。
ねっとりと舌が入ってくる。
「よ………せ…………」
動かない腕を、それでも必死に突っ張って顔を背けると、不二が傷付いたような目をした。
「……僕が、嫌い?」
「ちが………けど………」
言葉が出ない。
何を言いたいのかさえ分からない。
「厭なら、抵抗すればいい……」
------ドサリ。
不二が体重をかけて、手塚を床に押し倒してきた。
驚いた表情のまま見上げると、天井の淡い光の影になって、不二の瞳が深い泉のように黒々と見えた。
「君に抵抗されたら、僕の力じゃ押さえられないよ。君の方が力が強いんだから。……だから、厭なら僕を殴ればいい……」
「ふじ………」
「僕を突き飛ばすのくらい、わけないだろう、手塚?」
「ぅ……………」
三たび、不二の唇が覆い被さってきた。
下唇を舐めるように吸い上げられ、甘い痺れが背筋を駆け昇る。
「だ………だめだ…………」
不二の足が、自分の両脚の間に入り込んでくる。
触れ合った箇所から、疼きにも似た熱感が駆け昇ってくる。
手塚は息を詰めた。
自慰の時とは比べものにならない興奮が、その興奮を、不二によって与えられているという事が、手塚を怯えさせた。
こんな不二は、知らない。
自分の知っている不二は、穏やかで、時折どきっとさせられるけれど、でも、いい友人だった。
今、自分に伸し掛かって、熱く自分を求めてきているのは、一体誰なんだ?
--------これが、不二?
--------不二周助なのか?「…………やめろ!!」
「つッッ!!」
--------ガタン。
気が付いてみると、思い切り不二を突き飛ばしていた。
ベッドサイドに頭をぶつけたらしく、不二が頭を抱えて呻いていた。
「……不二っ!」
起きあがって、不二を見て、手塚は狼狽して声をかけた。
「だ、大丈夫か?」
「いててて………」
「す、すまない……」
慌てて不二に駆け寄る。
「大丈夫だよ………ちょっと打っただけ………」
不二が薄く笑った。
「やっぱり、振られたか……」
「い、いや、その………」
「いいんだよ、手塚……」
不二が肩を竦めた。
「君が受け入れてくれるとは思ってなかったよ。……しょうがないよね……」
「…………」
「ごめん、今のことは忘れて……」
いたたた-----顔を顰めながら、不二が立ち上がった。
「僕の気持ちは言ったし、後悔はしてないよ」
「不二、俺は……」
「いいって………気を使ってくれなくても」
不二が手をひらひらと振った。
「それより、変なことを言って、ごめん……」
「不二………」
「さて、と、………寝ようか?……もう遅いし、明日は部活だしね」
頭を押さえながら、不二が部屋を出ていく。
手塚は呆然としてその後ろ姿を見送った。
「君の布団、こっちに敷いておいたんだ。お客様用だよ」
隣の部屋の扉を開けて、不二がにこっと笑う。
いつもの、不二だ。
学校で、部活で、後輩やら同級生やらに見せている顔。
何を考えているかうかがいしれない、笑顔。
--------どうして?
「じゃあ、おやすみ」
手塚の背を押すようにして隣の部屋に案内すると、不二はにっこりして言った。
「………不二………」
「また明日ね」
ガチャリ。
部屋の扉が閉められる。
普段使っていないらしい部屋の雰囲気が、寒々しく手塚に迫ってきた。
「不二…………」
コトリ。
部屋の隅のテーブルに眼鏡を置くと、手塚は溜め息を吐いた。
頭の中がまだ混乱していて、考えがまとまらなかった。
パチン、と灯りを消して、布団に潜り込む。
新しい布団の良い香りがした。
横を向いて目を閉じると、目の裏に残像が浮かんだ。
『好きだよ………』
甘く囁いてくる声と、不二の瞳。
…………分からない。
俺は、どうしたかったんだろう。
不二が、俺を、好き………………?
好きって、一体どういう事なんだろう。
不二は、いつから俺のことを、好きだったんだろう。
俺は、不二の事をどう思っているんだろう。
俺は--------?
考えても分からなかった。
手塚は暗闇の中でそぉっと自分の唇に触れた。
不二が触れたそこは、まだ熱く熱を持っていた。
あの時、不二を突き飛ばしていなかったら、今頃、どうなっていたのだろう。
考えると、怖かった。
怖いのに、なぜか寂しかった。
なぜあの時、不二を拒絶してしまったのだろう。
拒絶しなければ、今頃、俺は、不二と…………………。
考えると眠れそうになかった。頭を振って、手塚は固く目を閉じた。
FIN
なんか手塚がすっごく乙女なんですけど、こんな話でも大丈夫なのだろうか(こわごわ)