バレンタインデー 
《2》















部室には、既に誰もいなかった。
鍵も閉まっている。
鍵を開けて中に入ると、机の上に部誌が置いてあり、中には不二の達筆な字で、その日やった練習の内容が書き込まれていた。
それから、部誌の隣に、ピンクや水色のラッピングがされた可愛らしいチョコレートが十数個置かれていた。
メモが添えてあり、それには不二の字で、『手塚へ。クラスの子に頼まれたやつ。持って帰ってね』、と書いてあった。
「すごいな、手塚………また増えてるよ?」
チョコレートを見て思わずそう言うと、手塚が僅かに顔を顰めた。
「……大石、もし良かったら持っていってくれないか?」
「えっ?……オレ?」
「おまえんち、妹がいるだろ? きっと喜ぶんじゃないか?」
「で、でも、これ、おまえにって心を込めて作ったもんだろ?」
どうみても手作りのチョコレートがあるのを見て、大石は恐る恐る言ってみた。
これを作るのにかかった時間とか、手間とか、その間、きっとこれを作った子は、手塚のことを思っていたんだろうとか考えると、自分の身と重なって、他人事とは思えなかった。
「俺はいらないよ……」
手塚が困ったように言う。
「チョコレートは好きじゃないし、どうせもらっても食べないんだ。それに、こういうやり方で強引に気持ちを押し付けてくるのは、俺は好きじゃない」
「そ、そうなんだ…………」
思わず血の気が引いた。
かなりショックだった。
------気持ちの押し付け。
確かにそうかも知れないが、そこまで手塚に断言されるとは。
「……まぁ、一応持って帰るよ……」
手塚が諦めたように言って、机の上のチョコレートを紙袋に詰め込む。














なんとか全部詰め込んで、紙袋を持って部室を出ようとして、
「……どうした、大石?」
大石が椅子に座ったままなのに気付いて、手塚が声をかけてきた。
「……い、いや、なんでもない……」
がっくりとして放心していたらしい。
慌てて返事をして、手塚に笑い掛けようとして、大石はうまく笑顔が作れないことに気が付いた。
(……あ、あれ?)
慌てて必死で笑おうとするが、笑う前に鼻の奥がつうんとしてきた。
(まずい………!)
と思ったが、すでに遅かった。
涙がつつっと頬を伝って流れてしまった。
「大石………?」
手塚が眉根を寄せて、心配そうに見つめてくる。
「どうしたんだ? 大石………」
優しい声に、どっと涙が溢れてきた。
「な………んでもない……」
声まで半泣き状態になってしまって、大石はどうしたらいいか分からなかった。
「大石………?」
心配そうに、手塚が大石の隣に腰掛けてきた。
「どうしたんだ………どっか痛いのか?」
「………………」
痛いのは確かだ。
心に、針が突き刺さったように、痛い。
でも、そんなこと、言えない。
「なんでもない………から、先に帰れよ……」
これ以上、手塚と一緒にいるのが辛い。
俯いて嗚咽を噛み殺しながら言うと、手塚が首を振った。
「様子のおかしいおまえを一人置いて帰れるか!……どうしたんだ、大石、何か嫌なことでもあったのか?」
「………………」
こんな時に、優しい手塚は残酷だ。
そんなに優しくしないでほしい。
唇を噛んで下を向いて、必死に嗚咽を堪える。
「大石………」
手塚が大石に寄り添ってきた。
「俺にも話せないことなのか?……なぁ、大石………水くさいじゃないか?…俺にはなんでも話してくれないか?」
手塚がこんなに優しく言葉をかけてくれることは、滅多にない。
他人に対して、いつも一歩遠くから、感情を交えずに話すのがいつもの手塚だった。
その手塚が、こんなに優しくしてくれる。
手塚が心から心配してくれていることが分かって、大石は涙が溢れてきた。
「オレ…………」
手が勝手に動いた。
バッグのファスナーを開けて、中から青いリボンが掛けられた銀色の包みを取り出していた。
「これ………」
「…………?」
「オレが買ったんだ……おまえにあげたくて……」
「……俺に?」
「うん………オレ、おまえの事……………」
好きだ、とはどうしても言えなかった。
手塚の表情を見るのが怖かった。
でも、涙が溢れて、どうせ手塚の顔も見えない。
それに、手塚だって、オレの行動に呆れて、そのまま出ていってしまうかも知れないな。
なんだ、大石って、こういう奴だったのか、って思って。
変な奴。気持ち悪い奴。……とか思われて。
もう、今までみたいに仲良くしてもらえなくなるかもしれないな。
(…………)
そう思うと、更に涙が出てくる。
視界がぼやけて、大石はチョコレートを手塚に押し付けたまま、俯いた。













と、次の瞬間、手塚が大石の手をぎゅっと握り返してきた。
「ありがとう、大石…………」
「………えっ?」
手塚の低く優しい声に、思わず顔を上げると、間近に手塚の顔があった。
「これ、俺になんだろう?………嬉しいよ……」
「手塚………?」
手塚の茶色の瞳がすっと細められ、眉根が下がる。
「大石からもらえるなんて、思ってなかったよ。………これは、俺がちゃんと食べさせてもらうな……」
「えっ?で………でも………」
びっくりして思わず大きな声を出すと、手塚が含羞かんで笑った。
「おまえからもらえるなんて、夢みたいだな………」
「………えっ? えっ?」
手塚がほんのりと頬を染めている。
(………………嘘だろう?)
意外な展開に驚愕したままで硬直していると、手塚が宝物でも受け取るかのように、大石のチョコレートを手にとって、大事そうにバッグの中にしまった。
「い、いいのか?……オレのなんかもらって……?」
まだびっくりしたままの声で言うと、手塚が不安げに瞳を揺らした。
「俺がもらっていいんだろう、大石………違うのか?」
「い、いや、勿論!……おまえがもらってくれたらなぁって思って買ったんだけど……でも、オレ、おまえが受け取ってくれるとか思ってなかったもんで………その………」
「………………?」
手塚がぱちぱちと瞬きをする。
その様子が可愛らしくて、大石は思わず見とれた。
「オ、オレさ………おまえの事、好きなんだ………!」
思わず告白してしまった。
「そ、そのさ、良かったら、オレと付き合ってくれたらな〜、なんて、思って………」
「大石…………」
手塚がぱっと頬を染める。
「本当に、俺のこと好きなのか?」
自分の方を窺いながら聞いてくる手塚に、大石はぶんぶんと大きく頷いた。
「本当だって! あ、でもいやなら勿論、いいんだ。オレさ、男だし、……変だよな……」
「……だったら、俺だって変だ。……だって、俺も大石のこと好きなんだから………」
「……手塚………?」
------なんだって?
自分の耳が信じられなかった。
「……本当か?」
「本当だ………」
手塚の瞳が、自分をじっと見据えてくる。
その目は真剣だった。
薄い茶色の虹彩がすっと窄まり、長い睫毛が霧雨のようにかぶる。
「俺、好きでもない人からチョコレートもらっても嬉しくもなんともない。だから、本当は今日は憂鬱だったんだ。でも、最後に大石からもらえて、夢みたいだ……」
そう言いながら、手塚が恥ずかしそうに俯く。
「じゃ、じゃぁ、………オレと、付き合ってくれるの?」
上擦った声で言うと、手塚がこくん、と頷いた。
「俺で良かったら、付き合って欲しい………」
(……………ウソ!)
手塚がそんな事を言うなんて!
とは思ったが、実際自分の耳で聞いたのだ。
それでもまだ信じられなくて、呆然としたまま固まっていると、手塚がそぉっと身体をすり寄せてきた。
「大石………」
掠れた、甘えるような声。
こんな声、初めて聞いた。
身体がかぁっと熱くなって、目の前がくらくらする。
無意識に、手塚をぎゅっと抱き締めていた。
「大石………」
手塚の声が耳元で聞こえる。
安心しきったような、嬉しそうな、少し鼻にかかった声。
心の奥がじわりと潤んできて、また涙腺も緩んできた。
身体中がぽっぽっと暖かくなって、どきどきしてくる。
抱き締めた身体が少し身じろいで、吐息が首にかかる。
嘘じゃないよな。
今、オレは手塚を抱き締めてるんだよな。
手塚も、オレのこと、好きだって言ってくれたんだよな。













「チョコレート、大切に食べるよ………」
手塚の声を聞きながら、大石は涙が更に溢れてくるのを感じていた。














FIN

なんじゃこりゃぁって感じのとんでもなくほのぼの(汗)