睚眦(がいさい)
はぁはぁと大きく肩で息をすると、額から流れ落ちた汗で視界がぼやける。
眼鏡を取って、鏡の前でタオルで乱暴に顔を拭って、洗面台に両手を付く。
コートでは、次の試合が始まったのだろうか。
コート外れのここまで、歓声が大きく響いてきた。
眼鏡を掛け直して、鏡の中の自分を見る。
「ざまぁねえな………」
その余裕のない情けない顔に、思わず自嘲が漏れた。
全く、いい笑いものだ。
氷帝の最初の試合で、多くの観衆を背負っていたにもかかわらず、急造のダブルスコンビに呆気なく敗退した。
あまりの己の不甲斐なさに、反対に笑いしか出なかった。
氷帝では、負けたら正レギュラーを外される。
(オレも、ここまでか………)
忍足は、鏡の中の自分にぺっと唾を吐いた。「珍しいな、荒れてるじゃねぇか………」
その時、背後で声がしたので、忍足ははっとして振り向いた。
トイレの入り口に、壁に背を凭れて、皮肉めいた笑みを浮かべて、跡部が立っていた。
「おまえが負けるなんてな……」
薄い茶色の瞳が、瞬きもせず自分を見つめてくる。
ちっと舌打ちして、忍足は目を背けた。
「なんや、笑いにきたんか?」
「別に………」
跡部が近寄ってくる。
いつもなら、そんな跡部をせせら笑って相手にしない忍足だったが、さすがに今は分が悪かった。
「……どうしたよ、いつもの威勢がねえようだな?」
「…………」
「よぉ、忍足………?」
「用が無いんやったら、はよ戻ったらどうや? 試合、見なくていいんか?」
「宍戸と鳳は、負けねえよ?」
くすっと笑われて、忍足は眉を顰めた。
全く、意地が悪い。
自分が優位に立てる、数少ない瞬間だと知っていて、わざわざ自分を揶揄いに来たのだ。この男は。
「オレはもう戻るわ。ちゃんと応援せんとな。……あとオレに出来ることは、そのくらいなもんやからな」
「……へぇ、殊勝な心がけ、してるじゃねえか?」
跡部が忍足の顔を覗き込むようにして言ってきた。
「オレの時も、応援してくれるんだろうな?」
「……勿論や。アンタが出るとなると、最後の試合やからな」
「なぁ、忍足……?」
不意に跡部が忍足の耳に囁いてきた。
「おまえでも、負けることあるんだな……」
「………悪いか?」
「いや、別に。……余裕のねえおまえ見るの、初めてだったからよ。………新鮮だったぜ?」
くくっと喉の奥で笑う声に、忍足はとうとう箍が外れた。
跡部の肩を乱暴に掴むと、洗面台の壁に押し付ける。
そのまま噛み付くように口付けて、荒々しく舌を差し入れ、跡部の口腔内を犯す。
跡部が身体を強張らせ、嫌がるように身じろぐのが分かったが、許さず、更にきつく抱き締める。
「ん…………んッ…………」
やがて抵抗を諦めたのか、跡部が身体の力を抜き、忍足の首に腕を巻き付けてきた。
逃げ回っていた舌が絡みついてきて、忍足の口付けに応えてくる。
思うさま跡部の舌を吸って、漸く平常心が戻ってきて、忍足は口付けをしたときと同様、乱暴に跡部を突き放した。
「出てけや……」
跡部を見ずに、洗面台に手を付いて、吐き捨てるように言う。「オレは負けねえよ。勝って、忍足、……おまえはまた試合に出るんだ」
跡部が忍足の背後から言ってきた。
「監督が、一度負けたヤツを使うか?」
「………おまえ、負けたのかよ?」
きっとして振り向くと、跡部が唇から流れ落ちた唾液を手の甲で拭いながら、潤んだ目を眇めて忍足を凝視していた。
「……あぁ、オレは負けた………」
跡部を睨むようにして言うと、跡部が薄く笑った。
「忍足、おめぇ………その程度のヤツだったのか?」
「………なんやと!」
跡部が唇の端をあげて、嫣然と笑った。「早くコートに戻ってこい」
「……………」
さっと身を翻して出ていく跡部の後ろ姿を、忍足は眼鏡の奥から睨み付けた。
FIN
Genius127の忍足君が余裕なく焦っている様子なのが可愛くて、SSを書いてみました。