All praise be to God 《3》
跡部の言った言葉が瞬時には理解できず、樺地は眉を顰めた。
「いいだろ、樺地。……オレがいろいろ教えてやるからよ………なぁ……」
-------セックス………?
樺地には、口にするのさえ憚られるような単語である。
敬虔なクリスチャンである樺地にとって、そのような単語は、自分とは全く関係のない、遠いものだった。
勿論、単語の意味もその行為の内容も、知ってはいる。
学校での級友達の話や、或いはテレビ等のマスメディアから、否応なしに耳に入ってくるからだ。
しかし、それは自分とは無関係の事柄だった。
自分にとってセックス-----性愛とは、結婚と結びついた神聖なものであり、けして軽はずみに、或いはよもや同性同士で行うものなどではなかった。
キリスト教では同性愛は罪である。
それに加えて、跡部がそういう意味で自分に接してきたことなど今まで無かったので、樺地は突然の跡部の行動に狼狽した。
跡部は、容姿端麗で、はっきり言って相手には事欠かない。
樺地が跡部と行動を共にするようになってからも、跡部が女性を家に連れ込んだり、或いは街中でナンパしたりされたりするのをよく見ていた。
勿論、樺地はそういう時は速やかに跡部の前から辞することにしている。
跡部のそう言う行動に対して、自分が口を挟むことなどできないし、たとえ良くない事でも、彼には今はそれが必要なのだろう。
そう思って、ただ見守っていた。
それが突然、その矛先が自分に向いてきたので、樺地は驚いた。
樺地は急いで首を振った。
「なんだよ、……オレのこと、嫌いなのかよ………」
樺地が断るとは思っていなかったのか、跡部が長い睫毛を瞬いて、傷付いたような顔をした。
薄茶色の瞳が眇められ、樺地を睨むように、それでいて縋るように見上げてくる。
「……んなこたねえだろ。なぁ、樺地………オレのこと、好きだよな………?」
言いながら、跡部が樺地の腰を微妙な動きで撫でさすってくる。
樺地は狼狽した。
「なぁ、抱いてくれよ、樺地………」
白くふっくらとした頬が、腰に押し付けられる。
「オレさ、男とヤるなんて、絶対やだけどな、でも、おまえになら抱かれてもいいって思ってるんだぜ。………光栄だろ、樺地?………結構うまいぜ、オレ……」
急に、自分のだらりと垂れ下がった性器を跡部が咥えたので、樺地は仰天した。
樺地は、跡部を崇拝していたが、性愛の対象としては全く考えてもいなかった。
それには前述の信仰上の絶対的な制約もあったが、それよりも樺地にとって跡部は、そんな対象として見ることなどできない、神聖な存在であったからだ。
なので、そんな跡部が自分の性器を口に含んでいるという事実は、樺地に途轍もない罪悪感をもたらした。
跡部さんは、こんな事をしてはいけない。
オレなんかに、こんな事をしては…………。
竦み上がった気持ちでは、いくら跡部がテクニックを駆使して樺地自身を愛撫しても、樺地が勃つはずがなかった。「ん………んッッ………」
一方、跡部は、必死になって柔らかな樺地を口の中で転がして、勃たせようとしていた。
しかし、口が痺れるほど動かしても、樺地は柔らかいままだった。
とうとう顎が痛くなって口が動かなくなり、跡部はがっくりと肩を落とした。
失望すると同時に、どうしようもない寂しさや切なさや悲しみが押し寄せてきた。
跡部は力無く口を離して俯いた。
涙がぽたり、とシーツの上に落ちた。
「オレなんかじゃ、駄目か、樺地?………オレのこと、好きじゃないのか………?」
涙がぽたぽたとシーツに落ち、染みを作る。
「樺地………オレは…………」
涙で視界が曇る。
肩が震えてきて、跡部は嗚咽を堪えられなかった。
「おまえは、誰とでもうまくやっていけるもんな…………」
唇を噛んで堪えようとしたが、できなかった。
「オレなんか、迷惑だろ、樺地?…………オレがいない方が、いいだろ?」
樺地はどういう表情をしているのだろう。
見るのが怖かった。
跡部はシーツをぎゅっと握りしめた。
「オレのこと、捨ててもいいぜ。……樺地………オレは………」
本当は違った。
樺地に捨てられたら、自分は生きていけない。
そう思った。
あの日------樺地が楽しそうに幼なじみの女生徒と話をしているのを見たとき-------、跡部は自分の気持ちを理解したのだ。
樺地が好きだ。
樺地がいなかったら、自分は生きていけないほど、好きだ。
樺地を独り占めしたい。
誰にも、渡したくない。
…………でも、樺地は誰にでも好かれる。
誰にでも優しいし、誰だって、樺地となら楽しく過ごせるだろう。
樺地に嫉妬心を悟られたくなくて、彼を拒絶していた数日間、跡部に話しかけてくる人間など殆どいなかったが、樺地には皆が寄ってきていた。
樺地を拒絶しておきながら、跡部は苦しくて死にそうだった。
樺地に側にいてもらいたい。
他の人間なんかと、仲良くするな。
そう言いたい。
でも、そんな事言えるわけがない。
苦しくて、跡部は我慢できなかった。
樺地をどうしても自分のものにしたかった。
どのような手段を使ってでも、樺地を自分のものに。
--------しかし、最後のところで樺地に拒絶されるとは思っていなかっただけに、跡部は愕然とした。
自分が身体で誘えば、樺地は自分を抱いてくれる。
そう、殆ど確信めいた自信があったのだ。
それが脆くも崩れて、跡部にはもう手段がなかった。
ただただシーツを握りしめて涙をこぼしながら嗚咽を漏らしていると、ややあって、樺地がそっと跡部の身体を引き寄せてきた。
宥めるように背中を優しく撫でられる。
堰を切ったように涙が溢れ出した。
「う………うう…………ッッ」
樺地の胸に顔を埋めて、跡部は号泣した。身も世もなく、跡部が泣いている。
樺地は、心が切り裂かれるように痛んだ。
こんなにプライドも何もなく泣いている跡部を見るのは、生まれて初めてだった。
どんな時にも、瞳をきっと上げて、冷笑を口に浮かべ、矜持を保っていたのに。
--------どうしようか。
その時初めて、樺地は葛藤した。
心の底では、跡部に対する愛おしい気持ちが溢れだしてきていた。
それは、博愛とも、崇拝とも違う気持ちだった。
跡部を抱き締めたい、彼を抱きたいという、本能的な欲望の混じった愛情だった。
胸が切なく疼いて、樺地は困惑した。
そんな欲望を抱くのは、初めてだった。
今まで誰にも、………男は勿論のこと、異性にも感じたことなど無かったのに。
跡部を慰めてやりたい。
抱いてやりたい。
その時心底樺地は思った。
しかし、それは、………許されない罪を犯す事になる。
………どうする…………。
信仰と愛情の間で、樺地は苦悶した。
-----それでも、跡部を見捨てることなど、できなかった。
絶対に、できなかった。
もし、それで自分が罪に堕ちても、それでも跡部の望みをかなえてやりたい。
跡部さえ助けてやれれば、自分はどうなってもいい。
樺地は瞬時に決心した。
跡部を抱き寄せて、それから静かにベッドに横たえて、上から強く抱き締める。
「樺地…………?」
跡部が目を見開いて、嬉しさと不安の入り交じった心細げな声を出してきた。
「樺地…………抱いてくれるのか?」
跡部の瞳を見つめて、頷くと、跡部が泣き出しそうに表情を歪めた。
「樺地………好きだ………」
言いながら、跡部が樺地の顔に頬を擦り付けてきた。
「なぁ、樺地…………オレがおまえを捨てても、おまえはオレを捨てないよな?」
跡部の頬は涙に濡れていた。
その頬の涙を舐め取るようにしながら、樺地はまた頷いた。
跡部が肩を震わせた。
「樺地…………愛してる…………」
どこか不安げな、怯えた声。
樺地は跡部を抱き締めたまま、跡部の髪を何度も撫でた。
そのまま身体を密着させて、跡部を宥めるように抱いていると、やがて跡部が、
「ここ………におまえのを………」
小さな声で言いながら、足を開いて、樺地の性器を自分の後孔に導いてきた。
「入れて………くれよ………」
頼りなげな、声。
まだ不安なのだろうか。
樺地は跡部を強く抱き締めると、目を閉じて、一気に自分を押し進めた。
「う…………ッッ!」
跡部が微かに呻く。
肉壁が軋んで、樺地にも痛みが走った。
罪悪感は既に消えていた。
目の前の人を慰めること、それだけが樺地の行動を支配していた。
「あ………あ………ッッ!」
跡部が苦しげに呻く。
濡れてもいない狭い器官に、自分の先走りの液のぬめりだけで無理に挿入したのだから、どれだけ痛みを感じているだろうか。
跡部の苦しげな表情に、樺地は無意識に腰を引こうとした。
しかし、跡部は樺地の腰に足を絡めて、樺地を離すまいとしてきた。
「大丈夫………だから、もっと…………樺地…………来てくれ………おまえを感じられて、嬉しい………」
忙しい息の中から、熱く甘い声で囁かれる。
樺地の全身にも、震えが走った。
初めての感覚だった。
跡部にうながされるままに、樺地は激しく動き始めた。「あ………あッ……あッッ…………く…………ッッ!」
切れ切れに呻きつつ、それでも跡部は二度と樺地を離すまいとするかのように、樺地に手と足を絡めた。
樺地の与えてくれる痛みが、心地良かった。
樺地が、自分の中に入っている。
そう思うだけで、心の底に張っていた氷が融けていくようだった。
融けだして、流れていって、その後に、樺地の暖かな優しさが流れ込んでくる。
「あ………かばじ………かば……じ…………ッッ」
喉を枯らして樺地を呼ぶと、樺地が強く自分を抱き締め返してくる。
涙が止まらなかった。
身体の奥底がとろとろに溶けて、そこに樺地がどんどん入り込んでくる。
樺地と一つになると、自分まで暖かくなれるような気がした。
温かく、幸せになれるような気がした。
「あ…………あッあッッ!」
目の前が眩く光って、跡部はせっぱ詰まった声を漏らした。
閃光がぱっぱっと光り、身体がふわり、と浮き上がる。
樺地が射精するとほぼ同時に、跡部も互いの腹の間に白濁した精を迸らせながら、意識を飛ばしていた。行為の後、罪悪感に苛まれるかと思ったが、そんな事はなかった。
心が満たされて、幸福だった。
樺地は静かに跡部をベッドに横たえると、濡らしたタオルで跡部の身体を丁寧に拭きながら、跡部をじっと見つめた。
跡部は、ぐったりと意識を飛ばしたまま、小さく息をしていた。
固く閉じた瞼に長い睫毛が微かに震え、その表情はどこか心細げで、いつもよりもずっと幼く見えた。
何がこの人を、こんなに苦しめているのだろう。
やはり、樺地には分からなかった。
しかし、何があろうとこの人を守っていくのが自分の役目なのだ。
たとえ、今後彼から捨てられても、冷たくあしらわれても。
それは関係ない。
自分の意志で、自分はこの人を守る事に決めたのだから。
罪に堕ちても、彼を守れればいい、と決めたのだから。「跡部さん……………」
そっと名前を呼んで、樺地は静かに跡部の髪を撫でた。
それから祈るように手を組み合わせて、目を閉じた。
FIN
樺地がえらく人格者なのでした……こんな中学生いないって(笑)