バレンタインデー 
《2》












「ぼっちゃま、お客様です」
家政婦がトントンと扉を叩いて、跡部ははっと起き上がった。
どうやら、ベッドでうたた寝してしまったようだった。
「失礼する」
家政婦に案内されて入ってきた人物を見て、跡部は息を呑んだ。
「て、手塚………」
それは手塚だった。
帰ってきたままの服装で、少し息を弾ませて立っている。
「ど、どうして……」
手塚は跡部の自宅など知らないはずだった。
呆気に取られて見ていると、手塚が涼やかな切れ長の目で跡部をじっと見てきた。
「意志疎通がうまくいってないようなので、来てみたのだ。邪魔だったか?」
「あ、いや、……そんな事はねえが……」
慌ててベッドから下りると、家政婦がトレイに紅茶とお菓子のセットを持って入ってきた。
「ごゆっくりどうぞ」
礼儀正しい手塚を歓迎しているらしい。
にこにこしながらテーブルにトレイをおき、行儀良くチェアに座った手塚に紅茶を出している。
-----まぁ、俺のところに誰か来るってのもねえしな。
来るとしたら樺地ぐらいなものなので、きっと家政婦は優等生のような手塚を見て喜んでいるのだろう。
「こっちに座ったらどうだ?」
家政婦が退出すると、手塚が悠然と声をかけてきた。
(ったく……ここは俺の部屋なんだけどよ……)
と思いつつも、胸がざわめいた。
押し黙って手塚の向かいに座り、紅茶をすする。
「………で、なんだよ?」
「なんだよとは……おまえの方で、俺に用があるのではないのか?」
「………」
「先程は、素敵なものをありがとう」
「……素敵かよ、あれが」
「跡部が自分で作ったのだろう? 嬉しかった」
「……冗談……とか思わないのかよ」
「………冗談だったのか?」
手塚が秀麗な眉を少し寄せた。
「……それは残念だな。俺は嬉しかったのだが」
「………ああ?」
「おや、聞こえなかったのか? 嬉しかったと言ったのだ」
手塚が紅茶を持ったまま微笑んだ。
「……嬉しい?」
「ああ、そうだ。おまえがああいうものを作ってくれるなどとは思ってもいなかったのでな。不意を突かれたが、それだけに嬉しさもひとしおだった」
「……手塚?」
「なんだ?」
「ああいうのもらって嬉しいのか? おまえならもっと凄いヤツいっぱいもらってるだろ?」
「確かにたくさんいただいたが、俺はおまえからもらったと言うことが嬉しいのだ」
「………俺からもらって?」
「そうだ」
手塚が目を細めて頷いた。
「おまえとなかなか話す機会もないし、学校も違うからな、会う機会もない。だから、俺は自分の気持ちは言うまいと決めていた」
「……気持ち?」
「そうだ」
「…………」
頭が混乱してきて、跡部は頭を振った。
話の内容が-------見えそうで見えない。
いや、見まいとしているのだろうか。
怖かった。
手塚がなんというのか、-----いざ聞こうとすると、怖い。
「おまえが作ってくれたチョコレートに書いてあったのと、同じ気持ちだ。跡部………おまえが好きだ」
しかし手塚は、直截に言ってきた。
「…………」
本当だろうか。
目の前の手塚を見る。
真面目な顔で、じっと自分を見つめている。
微塵もふざけているようには見えない。
しかし-----。
「おい、冗談はよせよ……」
跡部は弱々しく首を振った。
「おまえがそんな事、言うはずねえだろ……」
「……どうしてだ?」
手塚が不審気に眉を寄せた。
「俺が言うとおかしいか?」
「そりゃ………」
「俺にとっては、おまえが俺に言ってくるのもおかしいと思うが?」
「俺はおまえの事が好きだからよっ!」
思わず口から出てしまって、跡部ははっと口を噤んだ。
手塚が満足そうに微笑む。
「そうか。それならいい。お互い問題ないと言うことだな」
「問題ないって、おい、手塚……」
「……なんだ?」
「おまえ、俺のこと好きなのか?」
「……先程言ったが」
紅茶を飲みながら、手塚が悠然と応える。
「おまえの気持ちも分かって、今嬉しさを噛み締めているところだ」
「……………」
「おまえは嬉しくないのか?」
「えっ?……あ、ああ……そりゃ嬉しいけどよ……」
でも、まだ腑に落ちない。
こんなに簡単に事が運んでいいのか?
俺は半年以上も悩んでいたんだ。
絶対手塚には伝わらないだろうと。
手塚は俺のことなど、なんとも思ってないだろうと確信していたんだ。
それなのに、手塚が俺のことを好きだったって?
------ホントかよ?
「なんだ、まだ信じられないのか? まぁ、俺も信じられないと言えば信じられないが」
手塚がすっと立ち上がった。
「まさか、おまえが俺に思いを寄せていてくれたとはな、考えもしていなかったのでな」
言いながら跡部の隣に座る。
「お、おい……」
不意に顎に手をかけられて、跡部は仰天した。
「な、なにするんだよ?」
「………いやか?」
「…………」
手塚がこんなに積極的だとは思ってもいなかったので、動揺が激しかった。
心臓が口から飛び出そうに高鳴る。
「口付けしたい……いいか?」
「……ちょ、ちょっと待てよっ!」
「待てないな」
「て、手塚ッッ!!」
言い終わらないうちに、暖かな手塚の唇が自分のそれに覆い被さってきて、跡部は目を見開いたまま硬直した。
唇がそっと重ねられ、触れ合ったかと思うと離れていく。
「いやだったか?」
「……い、いやじゃねえけどっ!」
でも心臓がバクバクする。
跡部は後ずさりながら、手塚を睨んだ。
「お、おまえよ、もしかして、こう言うこと慣れてるのか?」
「……そう見えるか?」
手塚が困ったように目を瞬いた。
「初めてなのだが。……嬉しくて、おまえに触れたくなった。相思相愛なのだから、口付けをしてもいいかと思ったのだが、失礼だっただろうか。すまん」
「あ、いや、いいけどよ。……っていうか、本当に初めてなのかよ?」
「そうだ。触れたいと思ったのはおまえだけだからな」
……その割には、この落ち着き具合はどうだよ!
跡部は心の中で叫んだ。
自分のほうがずっと経験があるはずなのに、狼狽してばかりだ。
それに、好きだと告白したあとのことなど、全く考えていなかった。
どうせ振られる----というか、相手にもしてもらえないだろうと思っていたからだ。
なのに、手塚は。
いつもと変わりない、落ち着いた態度で、すごいことをしてきやがる。
「…………バーカ……」
なんだか、どっと力が抜けて、跡部は小さい声で悪態を吐いて、手塚の肩にもたれかかった。
「どうした?」
「なんでもねえよ……」
手塚がそっと自分の肩を抱いてくる。
暖かな手のひらの感触に、そこにぽっと火がともったような気がした。
「俺のこと、好きなんだな?」
「ああ、そうだ」
「そうかよ………バカだな、てめぇ……」
「………そうか?」
手塚の声が柔らかくなった。
「おまえの事が好きだ。あの試合の時から、ずっとな……。おまえもだろう?」
「……ああ、そうだよ。……ずっと好きだったよ……」
「ありがとう、跡部」
「……ああ?」
「おまえのほうから告白してくれたな。俺は言う勇気など無かったからな」
手塚の手が跡部の髪をそっと撫でてきた。
「俺はずっと待っていたのかもしれんな。おまえに告白させてすまなかった」
「なんだよ、そんな事いいって……」
気恥ずかしい。
口ごもりながら言うと、手塚がくすっと笑った。
「チョコレート持ってきたのだが、一緒に食べるか?」
「ああ? 自分の作ったやつなんて、ぞっとしねえな。おまえ全部食べろよ」
「大きいからな、全部食べるのは大変そうだ。おまえの愛の籠もったチョコレートだからな、一緒に食べてみたいものだな」
「…………」
顔がかっと赤くなるのが分かった。
「じゃあ、食うよ」
結構恥ずかしいことを平気でいうやつなんだ、こいつは。
「……そうか?」
手塚が満足そうに微笑む。
ますます顔が赤くなってきた。

















それでも。
手塚が持ってきたバッグから大きな不格好なチョコレートが出てくるのを、跡部は幸せな気分で眺めていたのだった。


















FIN

こんな跡部も可愛くていいかな