来訪















「国光、お客さんよ」
母から言われて、自宅の玄関口に出た手塚の目に飛び込んできたのは、意外な人物だった。
見慣れない制服をきっちりと着こなし、眼光鋭く自分を射すくめるように見据えてくる彫りの深い顔立ち。
「真田……」
思わず名前を口にすると、真田が三白眼を動かした。
「少々話があるんだが。上がらせてもらってもいいか?」
「あ、ああ……」
その日は既に午後7時を回っており、手塚家では早めの夕食を終わらせたところだった。
早めだったのは、明日の朝、手塚が九州へ旅立つからであり、手塚は、肩の治療のために、九州にある青春学園専属の病院にしばらく入院するのだった。
荷物等は既に宅急便で送ってあるし、明日持っていく身の回りのものも用意ができている。
あとは、風呂に入って寝るだけ、という所に、意外な人物が来訪したというわけである。
それにしても、立海大の真田がわざわざなぜ?
手塚はいぶかしく思った。
手塚と真田は勿論面識もあり言葉を交わす仲ではあるが、個人的には友人という訳ではない。
1年生の頃から試合ではよく見るし、実際試合をしたこともあるから、よく知ってはいるが。
しかし、夜に自宅を訪問するほどの仲ではなかった。
何か、特別に用事でもあるのだろうか。
不審に思いながらも、手塚は2階の自分の部屋に真田を案内した。
















部屋に入って真田に座ってもらい、母が持ってきてくれた茶菓子等を差し出すと、それまで押し黙っていた真田が腕組みをして、話しかけてきた。
「手塚、九州へ行くそうではないか?」
「……ああ、そうだが………どうして知っている?」
自分が九州へ行くことは、青学の面々しか知らないことだったので、少々戸惑う。
「実は不二から聞いた」
「……不二と知り合いなのか?」
「まぁ、連絡を取る程度にはな。肩の治療に行くそうだな」
「……ああ」
………真田は自分の怪我の程度を探りに来たのだろうか。
手塚はそう思った。
手塚は、関東大会は残念ながらこれ以上出場はできない。
が、できれば全国大会には出場したいと思っている。
真田も、自分がいつ頃復帰するか、情報を集めに来たのかも知れない。
そう推測して手塚が表情を硬くすると、真田がふっと笑った。
「いや、勘違いするな。別にスパイにきたわけではない。おまえの事は真剣に心配しているだけだ。おまえと関東大会で試合ができなくて本当に残念なのだ。うちの赤也などは、がっくりして元気がなくなっているぞ?」
「……切原か……。俺がいなくても、がっくりすることはない。うちには越前がいるからな」
「ああ、あの1年か……確かに赤也のいいライバルになりそうだな。しかし……」
真田がそこで言葉を切ったので、手塚は眉をひそめた。
「……なんだ?」
「………いや、………そうだな………」
真田が言いよどんだ。
「まぁ、おまえなしでも青学は全国大会に出場はできるだろうが……」
「その通りだ」
「………」
真田が顎を擦って、それから出された茶をがぶりと飲んだ。
「………張り合いがない……」
「張り合い?」
「そうだ。おまえがいない事にはな。青学と言えば手塚。これが俺たちの合い言葉だったからな。関東大会では俺たちは青学に勝つだろうが、おまえのいない青学に勝ってもな。つまらない」
「それは失礼な言い方ではないか?」
手塚が渋面を作ると、真田がそんな手塚をじっと見据えてきた。
「おまえがいないと駄目だ」
「……真田?」
不意に、真田が手を伸ばして、自分の左手を掴んできたので、手塚は目を見開いた。
「………肩は、痛いのか?」
「………いや、今は大丈夫だが……」
「………そうか。………」
真田が何か言いたげに唇を動かす。
「………なんだ?」
手塚が問いかけると、真田がじっと手塚を見据えたまま、低い声で言った。
「…………おまえがいないと、駄目なんだ…………」
「……真田?」
「分かるか、手塚。………おまえでないと駄目なんだ。俺も、切原も、柳も………」
急にぐい、と手を引かれ、肩に一瞬痛みが走る。
体勢を崩したところを抱きしめられて、手塚は驚愕した。
「……さ、真田?」
「おまえが氷帝の跡部と試合するのを俺はずっと見ていた。跡部が憎らしかった。おまえとあんなに熱く試合をして、そしておまえを壊した。おまえを壊せるのは、俺たちだと思っていたのに、跡部に奪われてしまった。それが許せなかった。おまえは…………おまえを壊すのは、俺だ………」
押し殺すような声だった。
驚いたまま動けない手塚を、真田が強く抱きしめてくる。
どうして真田がこんな行動に出るのか、全くわけがわからず、手塚はただ戸惑うばかりだった。
「なんで、跡部が憎らしいんだ?」
「………おまえを奪った」
「俺は、奪われてなど、いない」
「俺は、奪われたと感じた」
「真田……おまえ、へんだぞ?」
「……そうかも知れないな……………おまえを見たら、抑制がきかなくなった……」
「……真田?」
そのまま動けないでいると、不意に、真田が乱暴に口づけてきた。
(…………!)
















突然の事に、手塚は硬直した。
生暖かい、弾力のある唇が生き物のように吸い付いてくる。
まさか真田がこんな行動に出るなどとはみじんも思っていなかっただけに、手塚は驚きで動けなかった。
その間にも、真田の舌が、自分の唇を無理矢理割って、内部に入り込んでくる。
熱く蠢くそれが、自分の口腔内をはい回り、顎の裏側をなぞり、舌に絡んでくる。
数瞬呆然として、それから手塚ははっと我に返った。
「…………!」
渾身の力を込めて、真田から逃れようとする。
しかし、力の入らない肩を真田におさえつけられ、手塚はそのままカーペットに押し倒された。
「さっ、……なだ………ッッ!」
顔を左右に振ってなんとか真田から逃れて、抗議するが、真田が上から全体重をかけてのしかかってきた。
「手塚…………おまえは誰にも渡さない………俺のものだ」
押し殺した告白に、手塚は背筋が冷たくなった。
「い、やだ……っ。はなせっ…!」
「駄目だ。………おまえがいなくなるのは、許さない………。手塚………いなくなるぐらいなら、俺が壊す……」
「……真田っ!」
首筋に口づけられ、手塚は声がうわずった。
ねっとりとした舌の動きに全身が凍る。
「よ………せ………」
藻掻いていると、足が一瞬自由になった。
手塚は、思い切りテーブルを蹴った。
ガタン!
派手な音をたてて、テーブルが倒れる。
ガシャン!。
テーブルの上に置いてあった茶碗がカーペットに落ち、茶が零れる。
















トントントン。
物音に気づいたのか、階下から誰かが上がってくる足音が聞こえた。
はっとして、真田の注意が手塚から離れる。
その機を狙って、手塚は真田を思いきり蹴り上げた。
「うッッッ!」
真田が呻いて、身体を離したすきに、手塚はさっと体制を整えた。
「どうしたの?」
「すいません、ちょっとテーブルを倒してしまって」
母親が顔を見せたのに、手塚はにこやかに答えた。
「まぁ、大丈夫?」
「ああ、心配いりません。拭いておきますから」
心配げな母親にそう答えて部屋から出て行ってもらう。
部屋に静寂が戻ってきた。
手塚は真田をじっと見つめた。
真田は………理性が戻ったのか、さえざえとした瞳をいささか曇らせて、唇を噛んでいた。
「…………すまん……」
やがて、手塚の視線に耐えきれなくなったのか、真田がぼそっと答えた。
「さっきは……どうかしていた………」
「いや………」
「おまえがいなくなると思ったら、急に我慢できなくなった……すまなかった……」
「……俺は、いなくならない」
「手塚……」
真田の視線を受け止め、手塚は静かに答えた。
「俺は、自分が壊れるつもりも、誰かに壊されるつもりもない。それに、いなくもならない。俺はまた戻ってくる。心配するな……」
「………手塚………」
真田が肩の力を抜き、少し俯いた後ふっと笑った。
「そうだったな。……おまえは、そんな簡単に壊れるようなやつじゃなかった。俺としたことが、おまえを見くびっていたな……」
真田は軽く頭を振って立ち上がった。
「そうだった、手塚。おまえは誰よりも強いやつだった。おまえを俺がどうこうしようなどと、そんな事のできるやつじゃなかったな………」
「………」
「さっきはすまなかった。……おまえが戻ってきて、全国大会で相まみえるのを楽しみにしているからな」
真田が左手を差し出す。
「……あぁ、待っていてくれ」
差し出された手を、手塚は軽く握った。




「だがな………さっきの行動は………あれは俺の本当の気持ちだ」
真田が手を握ったまま言ってきた。
「俺は、おまえが好きだ。ああいう風に口付けて、おまえに触れたいと思うようにな……」
「…………真田………」
「ああ、だが、おまえを困らせるつもりはない。いやがっているのに無理にしてすまなかった」
真田が爽やかに笑った。
「今度は、おまえがしてもらいたいと思うまでちゃんと待つことにする」
真田の言葉に手塚は困惑した。
「……そんな気持ちには、ならないと思うが………」
「まぁ、先のことは誰にも分からないぞ? もしかしたらなるかもしれないではないか?」
真田が笑いながら、手塚の手をぎゅっと握り、それから離した。
「では、また。全国大会を楽しみにしている」
「……ああ………」
困惑したまま答える手塚を、真田が面白そうに眺める。
「困っている所も、可愛いな……」
「……………」
「ははは、………ではな」
















ふっきれたのだろうか、来たときとはうってかわって爽やかそうに出て行く真田を、手塚は複雑な心持ちで見送った。
真田の告白。
これからの自分。全国大会。
少々混乱してくる。
………とりあえず、明日から九州だ。少し落ち着かねば。
手塚は自分にそう言い聞かせて、軽く溜息をついた。




初夏の夜空に、星が美しくきらめいていた。




















うーん、強引な展開だった(汗)