衝動














その日も真田は夜遅くまで、テニス部棟の一番奥にある部長室に残っていた。
部員達が帰宅した後も、部誌を点検し、入院中の幸村の元に赴いて相談し作成した練習メニューの修正案を練る。
真田は、今行われている関東大会の勝ち負けについては殆ど心配はしていなかった。
が、それでも油断は禁物である。
いや、連続2年全国大会優勝校の立海大だからこそ、最後の最後まで他校のどこよりも油断は禁物といえた。
部員一人一人の体調や練習内容をチェックし、今後の予定に細かい集成を加えていく。
ほぼ終了してほっと肩の力を抜いた時、かちゃり、と背後で扉の開く音がした。
既に誰もいなくなってかなり経つ時刻である。
誰だろう、と振り向くと、ドアの所に柳が立っていた。
立海の夏服にバッグを肩に掛け、手に缶コーヒーを二つ持っている。
確か彼は1時間ほど前に部室を後にしたはずだが…。
真田はそう思って柳を誰何するように見つめた。
「弦一郎、お疲れ」
そんな真田の視線にいつもの穏やかな微笑みを返しながら、柳が口を開いた。
静かな足取りで部屋の中に入ると、真田が座っていた机の上に缶を置く。
「終わったのか? いつも遅くまで大変だな」
「お前こそ……待っていてくれたのか?」
柳はわざわざドリンクを買ってきてくれたらしい。
有り難く頂くことにして缶を手に取り、プルタブを開け、冷たい珈琲を喉に流し込む。
柳が側のソファに腰を掛けた。
「待っていたという程ではないが……」
腰を掛けて、手に持った缶を所在なげに弄んでいる。
珈琲を飲みたい、という感じでもない。
座ったままで真田を窺っている。
「なにか話でもあるのか?」
柳は性格的に、何か言いたいことがあってもあからさまに言ってきたりしない。
が、長いつきあいの真田には、柳が何か自分に進言したい事があるらしい、という事が見てとれた。
回転椅子を回して柳の方に向き直る。
「……なんだ?」
「…………」
珍しく柳が逡巡した。
自分の方から口火を切れば、それまで黙っていたのとは反対に饒舌に話をしてくる柳なのだが。
今日は違った。
表情こそ変わらないものの、缶を持った手を動かしたり、僅かに額に皺を寄せて迷っているようである。
「…どうした、蓮二」
言いにくいことらしい。
察して真田は柳に向き直った。
まっすぐに柳の切れ長の細い瞳を見つめると、柳がやや目を見開いてじっと真田を見つめてきた。
「弦一郎…」
一旦口を噤み、唇を僅かに噛み、真田の表情を伺い、表情を曇らせて、ゆっくりと口を開く。
「……見たんだ…」
「……何をだ?」
言いたいことが分からなくて、真田は眉間に皺を寄せた。
「……先週。……氷帝の監督が…来ていただろう…」
他に誰もいないのに、聞こえるか聞こえないかぐらいの小声だった。
文節で切りつつ、言いにくそうに言葉を紡ぐ。
「…ちょうど部室に戻ってきたら……お前と彼が…」
「……どの辺まで見た?」
言いにくそうにする柳に比べ、真田はすぱっと発言した。
「……悪いと思ったが、ドアを少し開けて中を見させてもらった。…全部、見たと思う…」
柳が俯く。
柳のさらりとした黒髪が流れるように動くのを、真田はじっと凝視した。
「……で、なんだ?」
「…なんだと言われても……」
真田の返答が意外だったのだろう。
はっとしたように顔を上げて、柳が口篭もった。
「…なんで、あんな事を……」
「……さぁな」
見られていたのでは誤魔化しようがない。
もっとも、誤魔化すつもりもなかった。
真田は短く返答すると、椅子に深く腰掛けて足を組んだ。
手に持っていた珈琲をごくり、と飲む。
「したかった。…これでは答えにならんか?」
「……まさか」
柳が目を見開く。
真田は垂れてきた前髪を掻き上げて顎を僅かに前に出すと、柳を見下ろした。
視線に耐えきれないのか、柳が顔を背ける。
「理由などない。…俺に答えを要求するな、蓮二」
「……弦一郎…」
途方に暮れたように柳が呟く。
「…失望したか? あんな事をした俺は、お前の知っている俺ではない、とでも言うのか?」
「……そんなつもりはない」
「だったらなんだ。…俺に何を言いたいのだ」
「……何をとは……」
「わざわざ俺を待っていたのだろう。……俺に何を期待している、蓮二」
柳が眉を顰めた。
「謝って欲しいのか。お前の見間違いだとでも言えばいいのか」
「いや、そんな事は。……ただ、どうしておまえがあんな事を……」
珈琲を喉に流し込んで、真田は口元を歪めた。
「俺とて分からん。…聞くな…」
缶を握りしめると力を込めて潰す。
缶の潰れる音が部屋に響いて、柳が僅かに身動ぎした。
「弦一郎……」
「全部とは……何から何まで見たのか? 全てを…」
柳が逡巡して落ちつきなく瞬きをした。
「最初は見ていない。俺が来たときは既に…」
「……既に、なんだ?」
「…お前の背後から、あの監督が…」
「……そうか」
「無理矢理されたのかとも思ったが……そうでもないようだったので……」
柳が口篭もり、そういう事を話題にすることだけでも羞恥を覚えるのか、微かに赤面した。
「前から、なのか……とも思ったが、そうでもなさそうだし……分からん…」
「…あの時だけだ」
「……どうして」
さっきから問いかけられる言葉はどうしてだった。
真田は三白眼を眇め、自嘲気味に唇を緩ませた。
「……なんでだろうな……」
「そんないい加減な…」
「……蓮二」
真田が囁きかけてきたので、柳は顔を上げた。
至近距離で真田が自分を射竦めるように見つめてくる。
「…………」
真田の焦茶の瞳に、自分の顔が映っている。
虹彩がす、と狭まって、男にしては長い睫が微かに揺れ、形の良い濃い眉が寄せられる。
思わずごくり、と唾を飲み込んで、柳は視線を逸らした。
………自分も。
----------おかしい。
先ほど、真田が『分からない』、と答えたが、自分もそうだった。
どうして俺は、こんなにしつこく聞いているのか。
分からない、と言われたら、それ以上聞き用がないではないか。
彼には彼の考えがあるのだから。
たとえその行為が自分には受け入れがたいものであったとしても、どうしようもないではないか。
とは思うのだが、どうにも違和感は拭えなかった。
何かが違う
そんな耳障りの良い言葉で説明のつくようなものではない気がした。
もっと----------もっと違う感情があるような気がした。
言葉では説明のつかない、混沌としたものが………。
真田がふ、と唇を歪めて笑った。















「蓮二……」
ゆっくりと立ち上がると、真田は自分の襟元に手を掛けた。
ネクタイを緩め、静かに引き抜く。
それから、シャツのボタンを一つずつ、外していく。
全て外し、シャツを肩から滑らせる。
日に焼けた小麦色の、艶やかな肌と引き締まった筋肉が現れた。
盛り上がった肩の筋肉。
厚い胸板。
割れた腹筋。
引き締まった腰。
…………惚けていたのだろうか。
はっと気づいた時には、真田はズボンも脱ぎ捨てていた。
西欧の男神像のような雄々しくバランスの取れた美しい裸体が、眼前に晒けだされる。
黒く艶やかな陰毛のふっさりと生えた茂みと、その中心で、重く垂れ下がっている彼自身。
剥きたての果実のように、桃色のみずみずしい先端を至近で眺めて、柳は息もできなかった。
「…………」
頭ががんがんする。
鼓動が全身を揺るがし、目の前が霞む。
「……分からん事ばかりだ。……お前もそうだろう、蓮二」
無意識のうちに頷いていた。
「答えが欲しければ…………来い」
掠れた低い美声。
耳元で囁かれて、全身が粟立った。
じっと柳を見据えながら、真田がソファに腰を掛ける。
上体をやや後ろに倒し、柳に向かって秘部がよく見えるように、殊更大きく両脚を開いていく。
ぴく、と太いペニスが蠢き、少しずつ勃起していく。
柔らかな室内光に照らされて、先端から透明な液がくぷ、と溢れていく。
引き締まった内股が大きく広げられ、真田の節くれ立った大きな手が陰嚢を掴み、その下の、奥まった秘処を柳の目に晒す。
「………蓮二……」
低く、掠れた甘い誘い。
全身がかっと燃え上がった。
何も、考えられない。
ふら、と立ち上がると、柳は真田の秘処に視線を釘付けにしたまま、乱暴にシャツを脱いだ。
かちゃかちゃと、ズボンのベルトを外す。
ジッパーを下げ、中から欲望の塊を引き出す。
そこは、いつのまにかすっかり勃起して、真田に負けず劣らず天を向いて聳え立っていた。
真田が黒い瞳を細めた。
手を伸ばし、柳の手を取る。
「…………来い」




尾てい骨から脳まで、瞬時に戦慄が走り抜けた。
柳は無我夢中で真田に圧し掛かっていた。
















「……くっ…」
部長室に、押し殺した低い喘ぎが響く。
真田の声だ。
こんな声を出すなど、誰が想像できただろうか。
普段の彼は-------よしんば、試合に負けたとしても、けして声など出さない。
唇を噛み締め、鋭い視線で他を睥睨し、颯爽と去っていく。
そういう男だった。
----------なのに。
今、自分の身体の下で堅く瞳を閉じ、微かに唇を開いている彼は…………。
初めて……見た。
……こんな真田を。
目の前が霞む。
ぞくぞくと例えようのない興奮が全身を凌駕して、脳がぐつぐつと煮え立つようだった。
自分の入っている部分が、熱く生き物のように蠢き、締め付けてくる。
そのたびに背骨から脳天まで電撃が走り、脳が蕩ける。
ぎしぎしとソファを軋ませて、力の限り腰を突き進めると、真田が日に焼けた喉を仰け反らせる。
さらりとした髪が揺れ、形の良い鼻梁が僅かだけ膨らむ。
秀麗な眉が寄せられ、眉間に皺が刻まれ、近くで見ると驚くほど長い睫が震える。
「……弦一郎!」
ぐっと身を沈めると、真田の全身が細かく震えた。
腹に当たる熱く堅い肉棒からのねっとりとした先走りが、柳の腹をしとどに濡らしていく。
信じられなかった。
まさか、真田がこんな姿を晒すなど。
だが、今、俺は弦一郎を抱いている……。
その事実が柳を制御不能にした。
もはや、我慢できない。
「…………ッ!」
ソファを壊すほど強くペニスを突き入れ、唇を血が滲むほど噛み締める。
ドクン……と、全身の血が流れ出てしまうような衝撃だった。
熱い迸りを真田の体内に叩きつけながら、柳は瞑目した。
真田も間をおかず射精したらしい。
自分の腹に熱い飛沫が迸る。
まさか。
……まさか俺たちが。
………どうして……。
全身が快感で燃え上がる。
身体を激しく痙攣させながら、柳は首を振った。
分からない。
快感と、事実に眩暈がする。
何も分からなかった。
ただ、しんとした部屋に、二人の激しい息づかいが、響くばかりだった。
















「帰るぞ」
射精した後、暫く放心していたらしい。
ふと柳が我に返ると、既に真田は身支度を整えていた。
制服を着て、バッグを肩に担いでいる。
「あ、あぁ…」
呆然としたまま自分を見ると、いつの間にか綺麗に後始末がされ、シャツもきちんとボタンがはめられていた。
「す、すまん……」
ふらり、と立ち上がると僅かに眩暈がした。
「…大丈夫か?」
真田に腕を掴まれ、びくん、とする。
思わず真田と視線を逢わせると、彼は黒く深い瞳でじっと柳を見ていた。
………何を考えているのか。
「あぁ、では帰ろうか…」
自分の事も分からないのに、他人の事が分かるはずもないのだった。




静かに返答し、柳は自分のバッグを肩に担いだ。


















誘い受け真田v