(山本のやつ…)
獄寺は、ボンゴレファミリーが調達したマンションに独り暮らしをしている。
帰宅してバッグを放り投げ、ベッドに仰向けに寝ころんで、獄寺は両手を頭の後ろにして天井を見上げた。
山本があんな事を想っていたとは知らなかった。
(言うに事欠いて、オレの事が好きだと……?)
「…………」
眉間にぐっと皺が寄る。
ふざけているのではないだろうか。
自分をからかってみたかったのでは。
どう考えても、あの山本が自分の事をわざわざ好きだとか言ってくるとは思えない。
だいたい、自分が好きだ、という事は、山本は男が好きだという事になるではないか。
(……んなように見えねぇよなぁ…)
ツナの言葉ではないが、確かに山本は女子生徒に人気がある。
まぁ、自分も人気があるのかもしれないが、自分は興味がないからそんな事はどうでもいい。
しかし、スポーツをしている山本を見て嬌声を上げる女子や、わざわざ教室に見に来る女子、何か言いに来る女子がひきもきらないのは確かだ。
そして、応対している山本を見ている限り、女子に興味がないというようには見えない。
(……やっぱりオレの事からかったんじゃねえか…)
山本ならやりそうだ。
明るく飄々としていて裏がなさそうでいて、意外に思慮深くもあって計算も出来るヤツだ。
意図は分からないが、自分の事をからかって、自分がマジになって慌てる様が見たかったに違いない。
にしても……
「…くそっ!」
銜えていた煙草に火を点け、ふうっと紫煙を天井に向かって吐き出して、獄寺は悪態を吐いた。
油断して、山本に抱き締められて、額にキスまでされたのを思いだしたのだ。
考えるだけで屈辱でむかむかする。
油断さえしていなければ、山本なんかに近寄らせなかったのに。
(………)
不意に山本の腕の力や、額に触れてきた唇の感触を思い出してしまって、獄寺は更に眉間に皺を寄せ、天井をぎりっと睨み付けた。
とにかく、これ以上山本なんかにつけこまれてたまるものか。
ツナの右腕の地位さえ危なくなりそうだ。
油断禁物。
紫煙をくゆらせながら、獄寺は自分に言い聞かせた。
ところが、事態は自分の思うようには運ばなかった。
次の日からというもの、獄寺は妙に山本を意識するようになってしまったのである。
当の山本はといえば、先日の告白めいた一件は忘れたのか、と思うぐらいに、依然と変わらずに獄寺やツナに接してくる。
自分に好きだ、とか言った事なぞ忘れたように、普通の友達として。
反対に獄寺の方がやきもきして、山本のなんという事もない一挙手一投足に意識が囚われて、腹が立ったり気が抜けたりした。
あの告白は、やっぱり嘘だったのか。
自分をからかうだけの芝居だったのか。
それならそれで平和ではあるのだが、自分が虚仮にされた、と思うと腹が立つ。
自分は山本の事などなんとも思ってない。
が、嘘を吐かれ、その嘘をほんのちょっとでも信じてしまった自分にも腹が立った。
(………くそっ!)
とにかく、イライラして腹が立つ。
「……獄寺君、どうしたの?」
とうとう、ツナにまで心配されてしまった。
「すいません、10代目っ、いや、その……特になんでもないんですが…」
ツナと二人で帰宅途中に心配そうに眉を寄せたツナに見上げられて、獄寺は自分の不甲斐なさにますます苛ついた。
命よりも大切な10代目に心配させてしまった。
本当ならば、自分の事などさしおいて、10代目の事を考えなければならないのに。
10代目を支えお守りする立場なのに……
「なんでもないならいいけど、…いつもの獄寺君らしくないからさ…具合悪いとかなら、無理しないようにね?」
「は、はいっ…大丈夫です、10代目!」
(10代目にこんなに心配されている…)
感激と、情けなさに涙が出そうになった。
獄寺は奥歯を噛み締めて、無理矢理笑顔を作った。
それから数日。
相変わらず山本はこの間獄寺に好きだといった事などまるで忘れたかのように、獄寺に接していた。
授業中、ちらちらと山本の方を眺めて、獄寺は苦虫を噛み潰したような顔ばかりしていた。
なんで山本があんなすっきりした表情をしていて、自分がこんなに気を揉んでいなければならないんだ。
理不尽だ。
元はと言えば、山本があんなバカな事を言い出して、ふざけた振る舞いをしてきたのが原因だ。
つまり原因は全て山本にある。
自分は全くの被害者なのに。
なのに、なぜ自分がこんなに悶々としていて、山本はこの間の出来事などすっかり忘れたかのごとく平然としているんだ。
──納得いかない。
「おい、山本」
「お、獄寺、なんだ?」
「……ちょっと、屋上に来い」
ツナが二人を心配そうに見つめているのは分かったが、獄寺はどうしても山本と二人きりで話がしたかった。
ツナの方に一礼して、なんだろう、という表情をしている山本をぎりっと睨むと、教室から出て屋上へと向かった。
放課後の屋上は、少し傾いた太陽の光に照らされて、コンクリートの床が僅かに火照っていた。
扉を足で蹴飛ばして開けると、獄寺はズボンのポケットに手を突っ込んだままずかずかと屋上を歩いた。
端の給水塔の陰まで行き、そこで壁に背中を凭れて、後からついてきた山本を睨み付ける。
屋上は爽やかな風が吹いていて、獄寺の銀色の髪を僅かにゆらした。
「なんかオレに用あるのか? ツナに聞かせられない事か?」
「そりゃあな……。お前、この間の事はどういうつもりなんだよ……あぁ?」
獄寺は、ズボンのポケットから煙草を取り出し、ライターで火を点けながら山本に厳しい口調で切り出した。
風を手で避けて火を点けると、深く吸い込む。
イライラが少しはおさまるような気がした。
「この間の事って?」
「テメェ、そこまで忘れたのかよっ!」
いくらなんでも忘れすぎだろう。
頭に来て怒鳴ると、山本が後頭部に手をやってあはは、と笑った。
「もしかして、お前の事好きだって言ったこと?」
「………あーそうだよ。あんなふざけた事ぬかしやがって、しかもオレに触ってきやがったじゃねえかよ」
「獄寺、あれ気にしててくれたんだー」
「はぁ?冗談だったのかよ……ぶち殺す」
「アハハハ、ちょっと待った」
山本が笑いながらも手を振って獄寺を制してきた。
「いや、あれは勿論本当なんだけどさ、まさか獄寺がそんなに気にしててくれたなんて思わなくてさ。オレ、獄寺に告白はしてみたけれど、どうせ自爆だと思ってたし」
「……は?」
「有難う、獄寺がそれだけ気にしてくれて、わざわざオレの事呼び出しまでしてくれたって事は、オレの事ちょっとは気になったって事だよな?望みがないってわけじゃないって事だよなあ」
「………」
「オレ、全く望み無いよな、とか思ってあきらめてたんだ」
「…テメェ、勝手にあきらめんな!」
「……獄寺……ッッ!」
獄寺としては、山本が勝手に自分で話を進めて、勝手に自己完結してしまっているのが気に入らなかったのだが、山本は、獄寺の言葉を、言葉通りに受け取ったようだった。
焦げ茶の瞳を見開いて獄寺を見つめ、感激したように目尻を下げると、突然獄寺を抱きすくめてきた。
(……………!)
山本の腕の力は強い。
スポーツマンで鍛えているから、見かけよりもずっと強い。
それで力一杯抱き締められたら動けない。
…それでなくても、もしかしたら、獄寺は逃れようという気がなかったのかもしれない。
なんだか力が抜けてしまって、抱き締められるままになっていた。
山本の暖かな体温が服を通して伝わってくるような気がして、何故か胸がどきどきした。
「…キスして、いい?」
耳許で、山本が小声で囁いてきた。
(…………キス?)
と思う間もなく、くい、と顎に手を掛けられ、煙草が滑り落ちた。
唇の感触がこんなに柔らかいものだとは知らなかった。
イタリアで何度も口付けぐらい経験はあったが、──なんだか、山本の唇はふわっとした綿菓子みたいだった。
押しつけてくるのではなくて、触れるか触れないか、ほんの僅かな接触だったからかもしれない。
微かに触れて、すぐに離れて、山本がすぐ間近で、獄寺の瞳を覗き込んできた。
焦げ茶の深い色の虹彩に、自分の影が映っている。
瞳がすっと狭められ、再び間近に迫ってくる。
無意識に瞳を閉じると、今度は先程よりはもう少し唇が押しつけられてきた。
角度を変えて押し当てられ、歯列を舌で擽られる。
「……おいっ!」
どのぐらい呆けていたのだろうか。
はっと我に返って、獄寺は思いっきり山本を突き飛ばした。
「あいたたたっ!」
すっかり気を抜いていたのだろう、山本が蹌踉めいて、どしん、と屋上のコンクリートの床に尻餅を突く。
その情けない姿を、獄寺は上からこれ以上ないほど眉間に皺を寄せ三白眼にして睨み付けた。
「調子乗ってんじゃねぇ!」
「ハハハっ、いつもの獄寺らしくなったなあ」
「……くそっ!」
「いや、なんか素直で大人しい獄寺ってなんか獄寺らしくなくてさ。すっごく可愛くてどうしようって思ったけどな?」
「気持ち悪い事言ってると殺すぞっ!」
「やっぱり獄寺はそうでなくっちゃな」
ぱたぱたとズボンの汚れをはたいて、山本が立ち上がる。
肩を竦め顔中笑顔にして、嬉しそうに獄寺を見る。
「でもさ、獄寺の唇、すげぇ柔らかくて、……どきどきしたぜ。っと、ごめんごめん!」
獄寺が殴りかかってきたので、山本は苦笑しながらさっと避けた。
避けながら一瞬獄寺を抱き締めて、さっと離れる。
「テメェー!!」
「獄寺、好きだよ…」
不意に真剣な声で言われて、獄寺は振り上げた拳のやり場に困った。
そう真面目に対応されると、どうふるまっていいか分からなくなる。
好きとかなにほざいてるんだ……と思うものの、何故か不快ではない。
それどころか、なんとなく嬉しかったり……するようなのを自覚して、獄寺は内心狼狽した。
「……もう帰るぜっ……10代目を家までお送りしなくちゃならねぇからな!」
きっと教室では山本と自分が二人で剣呑な雰囲気で出て行ってしまったので、ツナが心配して待っているだろう。
屋上にけりを付けるために来たのに、なんだか更に変な方向に行ってしまったような気がする。
「……」
ぎりっと山本を睨んで、獄寺はぞんざいに手招きした。
「ほら、帰るぜ。…さっきの事は10代目には言うなよ?」
「はは、勿論だよ。仲良く帰ろうなっ!」
こいつは──山本はどこまで本気なのだろうか。
自分の事を好き、と言って、……キスまでしてきた…。
急に頬が火照ってきた気がして、獄寺はそっぽをむいて階段を駆け下りた。
当分この一件は棚上げた。
考えると混乱してくる。
それより、ツナに心配かけてはいけないからな、などと微妙に自分に言い訳しつつ、獄寺はツナの居る教室へと走っていった。
「山本、獄寺君、どこに行ってたの?」
教室で待っていたツナが二人が何もなく戻ってきたので、ほっとしたように話しかけてくる。
「ちょっと野暮用だよな、獄寺」
「あ、あぁ、そうなんですよ10代目っ……さ、帰りましょう」
山本の顔がまともに見られない。
(ちぇ、とにかく、今は考えないようにしねぇと…)
「ふーん。…まぁ、二人で仲が良いっていいことだよね」
ツナが獄寺を見つめて言ってくる。
「そんなんじゃねぇっすよ、10代目!」
慌てて否定してみたけれど、ツナの顔がまともに見られなかった。
仲が良い──んだろうか。分からない。
でも、山本にキスされて、悪い気分じゃなかった。
(………)
「っと、早く帰りましょうっ、10代目。宿題やらないと駄目っすよ」
「ハハ、その通りだな、ツナ。俺と一緒に宿題やろうぜ」
「山本、テメェ、邪魔っ。10代目はオレと宿題やるんだ」
「獄寺君、山本も一緒でいいじゃないか?ね?」
「…10代目がそうおっしゃるなら…しかたないですが…」
「山本と獄寺君、仲が良いんだから、仲良くみんなでやろうよ」
「10代目っ、仲良しじゃないっすから、オレ達」
「ハハハ、ツナの言う通り、オレと獄寺、仲良しになったんだよな」
「おい、10代目に変な事言ってんじゃねぇぞ、テメェ」
「ま、まぁ……さ、帰ろうよ」
「はいっ、10代目」
校門を出ると、夕日が目に差し込んできた。
自分の前を談笑しながら歩くツナと山本を見て、獄寺は密かに溜息を吐いた。
なんだろう、この気持ち。
どこか不安で、頼りなくて、なぜかそわそわする。
今まで気にしてなかった事が、急に気になる。
獄寺は、自分の心の変化に、戸惑いを隠しきれなかった。
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