◇夢   






夢。嗚呼、夢だ。これは夢。
骸、君に逢う為の夢。
深く、遠く───水の底から呼びかける、君の声…。
…声が、──聞こえる。







「つっくん、もう寝るの?最近寝るの早いのねぇ」
夜、自分の部屋に引き上げて早々、ベッドに入ってしまった綱吉に、何か用事があったのか、ドアを開けて中を覗いた母が驚いたように声を掛けてきた。
確かに、最近寝るのが早くなったと思う。
元々そんな夜更かしをする性格ではないが、以前はよくだらだらとテレビを見たりゲームをしたり、マンガを読んだりして時間を潰していた。
しかし、ここ数日は、夕食を食べて風呂に入って自分の部屋に戻ってくると早々にベッドに入ってしまっている。
「うん、早寝早起きは健康にいいしね?おやすみなさい」
母に小声で言って、綱吉は目を閉じた。
「おやすみ、つっくん」
早寝早起きという言葉に安心したのだろう、母が優しげな声で言い、ドアを閉める。
照明を落とした部屋にカーテン越しに外の月光が入り込み、暗い部屋にカーテンの影を落とす。
早く寝るのは、理由があった。
夢を見たいからだ。
最近、いつも同じ夢を見る。
いや、同じ、というと語弊があるかもしれない。
登場人物が、同じ夢……六道骸が出てくる夢だ。
もしかして、夢といっても、それは綱吉が自分の頭の中で見ている夢の中の産物、というのではなくて、本当に六道骸が遠い遠いイタリアの復讐者の牢獄から、綱吉の夢の中まで翔んできているのかも知れない。
いや、そうだろう。
「こんにちは、ボンゴレ……」
うつらうつらとしていると、声が聞こえてくる。
柔らかく低く響く声。何処か寂しげな声。
一度聞くと耳に残って、忘れられない声。
──六道骸の、声。
綱吉は今日も広い草原に立っていた。
何処なのだろう。イタリアのどこかなのだろうか。
日本ではない、異国風のレンガを積み重ねて作った、同じような色合いの建物が遠くに見える。
教会の尖塔がいくつかぼやけて見え、草原には白い小花が一面に咲いていた。
骸は、その小花の中に立っていた。
暖かなそよ風が吹いている。
骸の藍色のさらりとした髪が揺れて、額にかかる。
蒼と赤の、綺麗な眸。
唇がふっと微笑んで、自分の方に近づいてくる。
「今日も会えましたね…嬉しいですよ…」
「…うん…」
骸の前に出ると、綱吉は口数が少なくなった。
あまり口に出さなくても、骸ならなんだか分かってくれそうな気がする。
自分の気持ちとか。なぜ骸とこうして会ってるのか。
自分でもよく分からない事を、骸なら分かっていてくれるような気がする。
「綺麗な場所でしょう、ボンゴレ。僕の育った所なんですよ」
「ここが…?」
ええ、と骸はそう言って、周りを見回した。
「春にはると、草原には一面に花が咲くんです。土地が痩せているから、オリーブぐらいしか作れないけれど、人々は昔からオリーブを作って、日々のささやかな幸せを噛み締めて生きている。何百年も前に建てた石の家の中で暮らし、昔から変わらない食事をし、そして老いて死んでいく。そういう街です。時間が止まった、穏やかな街……」
「……そうなんだ」
「僕はみなしごでしてね…ここでふらついている所をファミリーにひきとられた、という訳ですよ。まぁ、どうでもいい昔話ですがね。でも綺麗な場所だから、君に見せたかったんですよ、ボンゴレ。座りませんか…?」
草原の少し高くなった所に腰を下ろして、骸が綱吉を呼ぶ。
暖かな風に、小花の仄かに甘い香りが漂う。
綱吉が骸の隣に腰を下ろすと、骸がそっと綱吉の肩を手で包み込んできた。
……嫌ではなかった。
それよりも、ほっとして、なぜか心が暖かくなった。
なんでだろう。骸と一緒にいて、安心するなんて。
どこか、自分はおかしくなってるんだろうか。
「僕はね、ボンゴレ…」
骸が静かに話し出した。
「ここに座って、遠くの自分の育った待ちを見るのが好きでした。赤いレンガの屋根、小さな窓に咲きこぼれる赤い花、教会の尖塔。夕暮れになるとそれらがオレンジ色に染まって、それはそれは綺麗なんですよ、ボンゴレ。もう、現実のこの街に行く事は、二度とないでしょうけど…」
「……なぜ?」
「…僕が破壊しましたからね…」
笑い混じりに答えられたので、綱吉は返答に窮した。
「今はもう誰も住んでいません。廃屋が連なっているばかりですよ…」
自分で破壊したのに、どうしてそんな寂しそうな顔をするんだろう。
「ここは僕の思い出の街。誰かを連れてきたのは初めてです。君なら、一緒に街を見てくれると思ったから…」
骸のどこか虚ろな声が風に乗って、街の方へと流れていく。
足許の白い小花を掴んで千切り、純白の花びらを、骸はふっと口元で拭いて風に飛ばした。
薄青い空に花弁がふうわりと流れていく。
「ずっと、ここにいられたら、良かったのかもしれませんね…」
「…そうしたら、幸せだったの?」
「さぁ、それはどうでしょうか…」
骸が肩を竦めて俯いた。
藍色の艶やかな髪が垂れて、骸の顔を半分ほど覆い隠す。
「幸せって…どういうものを言うのか、僕には分かりませんからね。今の僕には…」
「……そう…」
「君と会えて、こうして話していられるのが、とりあえず幸せ、なのでしょうか…。この醜い世界を全て破壊してしまうつもりだったのですがね」
「…オレと一緒にいよう、骸…」
「優しいんですね、ボンゴレ…」
骸の腕がそっと綱吉を抱き締めてくる。
不快ではなかった。
それより、なぜかどこか安心できる、優しい抱擁だった。
骸の胸に頭をつけて眸を閉じると、骸の心が垣間見えるような気がした。
虚無と、寂寥と、…無垢と、諦念。
複雑に絡み合った、深く底のない、心が。
「ボンゴレ……名前を呼んでもいいですか?」
「…うん、いいよ…」
「綱吉、くん……少し、照れますね……」
骸が苦笑した。
笑うと、紅と青のオッドアイが細められて、柔らかな表情になる。
「君とこうして居るのが、好きですよ…」
「…オレもだよ?」
そう、骸といると何故か心が震える。
骸の何かが、自分の心を揺さぶってくる。
骸の寂しさが、虚無が……人間世界を一番嫌うという、歪んだ純粋さが…。
「これは嬉しい事を言ってくれますね、…嘘でも、嬉しいです」
「嘘なんかじゃないよ…」
「綱吉君…」
骸が少し口調を変えた。
「明日の夕方、黒曜ヘルシーランドに来る事ができますか?」
「黒曜ヘルシーランド?」
「えぇ、僕たちが出逢った場所…あそこで、待っています」
「……え?」
「体調が少し回復しましてね。……現実世界でも、君に会えそうな気がするんです。あまり長い時間はいられませんが…」
「…大丈夫なの?」
「君に、実際に逢いたいのですよ。…ヘルシーランドに行けば、クロームが表で待っています」
「…じゃあ、行ってみる」
「お待ちしていますね…」
骸が微笑んだ。赤い眸を細め、嬉しげに頬を緩めて。
「君に、僕の好きなこの花を……」
仄かに甘くまるで砂糖菓子のように優しげな色の花を数本束にして、骸が綱吉の手に握らせてくる。
花弁が微かに震えて、甘い香りが鼻孔を擽った。
「では、明日、黒曜ヘルシーランドで…」
すっと周りが暗くなる。
いつの間にかそよ風の吹いていた空に一面雲が垂れ込め、今にも雨が降りそうに重くなっている。
「また明日…」
骸の声だけが聞こえた。
はっとして隣を見ると既に骸はいなかった。
自分の手に握られた小花の束だけが、彼の存在を残していた。







(………)
明るい朝の陽射しがカーテン越しに降りそそいでいる。
まだ朝が早い。
寝るのが早い綱吉はその分起きるのも早かった。
ベッドから身を起こして、カーテンを開ける。
東の空に太陽が昇り、雲をオレンジ色と金色に染め上げていた。
ふと、掌を見た。
勿論、花はない。けれど、仄かに甘い香りが漂ってくるような気がした。
(骸……)
骸の事を考えると、胸が締め付けられるようにきゅっとなった。
なんだろう、この気持ち。
どうして自分は……たとえ夢の中とはいえ、骸と逢っているのだろう。
あまつさえ、骸を話して、安心しているんだろうか……。分からない。
けれど、骸を見捨てる事などできなかった。
自分がもう、夢を見ない、遅くまで起きていてテレビを見ていたり、骸なんか出てくるな、と思って寝れば、きっと骸は現れないだろう。
そういう確信があった。
骸はひっそりと、自分の前から姿を消すだろう。
深い水の底の牢獄で、孤独に一人、沈んだままで。二度と自分の前には姿を現さないだろう。
───駄目だ。
綱吉は顔を振った。
骸の寂しそうな笑顔。風に吹かれた藍色の髪。
時折笑う、オッドアイ。
怖い存在の筈なのに。
心の底では何を考えているか分からない存在の筈なのに。
骸の事を考えると、胸の奥が疼いた。
甘く、切なく。どこか、居ても立っても居られないような、そんな疼き。
綱吉は俯いて胸を押さえた。
胸が、痛かった。切なくて寂しかった。
今日は、黒曜ヘルシーランドに行こう。
行ってどうなるのかは分からない。
行かなければ行かないで、それですむだろう。
二度と、骸に逢う事もなく……平凡で平和な日常が戻ってくるだろう。
───それはできない。
骸に逢いたい……。
突然胸の奥から、感情がほとばしり出た。
逢いたい。
逢って、話がしたい。
逢って、骸の存在を感じたい。
それは、原始的で、自分を揺るがすような欲望だった。



(骸………お前はオレのなんなんだ……)



分からなかった。
朝日が部屋に差し込んで、綱吉の目を射た。
眩しさに目を伏せて、綱吉は溜息を吐いた。






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