◇再会   






「10代目、一緒に帰りましょう」
放課後獄寺から声を掛けられて、綱吉は申し訳ない、というように軽く頭を振った。
「ごめんね。今日はちょっと用事があって、一人で帰るんだ」
「えっ、もしかして山本とどこかに遊びに行くとか?」
獄寺は山本を密かにライバル視している。
綱吉をめぐって、綱吉の一番の側近、すなわち右腕は自分だと譲らない。
「いや、山本は関係ないよ。うちの用事だから」
「そうっすか…?」
獄寺が肩を落とした。
いつも自分の事を大切に思ってくれて、たまには暴走するけれど、仲間として掛け替えのない彼であるので、綱吉も獄寺に嘘を吐くのは心苦しかった。
しかし、本当のことを言ったら────自分が実は六道骸に会いに行くのだと知ったら────獄寺は怒って自分を行かせまいとするに違いない。
山本も巻き込んで二人がかり、いや、もしかしたらそこに雲雀まで巻き込んで大反対をするだろう。
そう思うと気が重かった。
元々綱吉は、他人と争うのが苦手だ。
仲良くやっていきたい。
みんなで平和に、幸せになってほしい。
そう思っている。
だからこそ、仲間を守るためになら戦ったし、強くもなった。
「ごめんね、また今度一緒に帰ろうね?」
頭を下げて謝ると、獄寺があわてた。
「じゅ、10代目っ、そんな謝ることなんてないっすから!オレの方こそ差し出がましい口聞いて申し訳ありませんでした!」
獄寺には非は全く無いのに謝られるのも、妙に居心地が悪かった。
それでも、本当のことは絶対に言えない。
綱吉自身、自分がどうしたいのか、よく分かっていないのだから。
────六道、骸。
骸のことを思うと、胸の奥がちり、と痛んだ。
甘くて、どこか切ない痛み。
今までに感じた事のないような、痛み。
…………これはいったいなんだろう。
知らない事が、どこか怖かった。
「じゃあ、また明日ね?」
内心の不安を悟られないように笑顔を作ると、綱吉は獄寺に手を振って学校を後にした。







並盛中学校から黒曜ヘルシーランドまでは、かなりの道のりがあった。
一度並盛町内を出て、道路沿いに歩き、人気のない道路に入って、そこからもかなり歩く。
廃墟となったヘルシーランドへ行く道である。
歩くにつれて道路はアスファルトが所々割れ、割れ目から雑草が伸び、歩道はでこぼことしていた。
やがて行く手に雑草と枯れた樹木、瓦礫に囲まれたヘルシーランドが見えてきた。
錆びた門扉の前に、見覚えのある女性が一人立っていた。
右目に黒い眼帯をして、黒曜中の制服を着て所在なげに佇んでいる。
「ボス」
久しぶりに聞く声。クローム髑髏だった。
リング争奪戦が終わってから何をしているのか、綱吉は知らなかった。
「……一人?」
「犬と千種はいないから。ボス、ここの3階、前に来たことあるから知ってるよね。そこに5分後に来てくれる?って骸様から…」
「……骸が?」
「うん。じゃあ」
「あ、ちょっと!」
綱吉が声を掛ける前にクローム髑髏はくるりと踵を返して走り出し、あっという間に黒曜ヘルシーランドの入り口から中へと駆け込んでいってしまった。







5分後…。
時間が過ぎるのが、遅く感じた。
携帯を何回も眺めてきっかり5分経ったのを確認し、綱吉はヘルシーランドに入っていった。
中は前にも増して惨状を呈していた。
以前ここで戦って、その時にかなり内部を破壊したが、そのままの状態で更に風化が進んだようだった。
一つだけ残っている崩れかけた階段を恐る恐る昇る。
薄暗い階段に目を凝らし、落ちている瓦礫を踏まないように気をつけて上がる。
3階はヘルシーランドが開業していた往事は、広い映画館だった。
先日ここで骸たちと戦った時には、ここのステージにソファが置かれて、骸たちのアジトの一つになっていたはず…。
3階まで上がり、中央に進むと、壁を背にしたソファに人が座っていた。
薄汚れた、破れたカーテンがぶら下がった天井からは、灯り取りの窓だろうか、小さな窓があり、ほんの少し光が入り込み、古びた床を照らし出していた。
「こんにちは、ボンゴレ…やっと会えましたね…」
そこに座っていたのは、骸だった。
綱吉が上がってきたのを見つめ、ソファから立ち上がると、綱吉の方へと近づいてくる。
すらりとした身長。藍色の髪。
きらりとひかる赤と青のオッドアイ。
口端を少し上げて柔和な笑みを形作っている。
「……クロームは?」
「クロームは今はいません。クロームの身体を借りているのですよ、今の僕は。まだ回復していないのであまり長くはいられないのですが…」
「………」
骸の本体は、今、復讐者の牢獄の最下層、深い水牢の底に繋がれている。
だから、ここにいるのが骸本体ではあり得ない、という事はクロームの身体を借りているのだろう、という事は想像が付いた。
でも、目の前にいるのは、紛れもなく正真正銘の六道骸だった。
夢の中ではない。実際に目の前に骸が居る。
リング争奪戦の時は、自分は体育館の端から骸がマーモンと闘うのを見ていただけだったから骸の事は遠くから見ていただけだった。
自然と、手が伸びた。
自分よりかなり背の高い骸の頬に、そっと触れてみる。
暖かかった。
柔らかくて血の通った、なめらかな感触だった。
「ちゃんといますよ。君の目の前に。会いたかったですよ、ボンゴレ…」
骸の透明な響く低音が、綱吉の耳を擽る。
(もっと聞いていたい。お前の声を。オレのすぐ側で…)
どうしてそんな気持ちになるのか、不思議だった。
骸と自分と、どこにこんなにシンパシーを感じるような接点があるというのだろうか。
自分でも理解できなかった。
「君を抱き締めたいと思っていました、ボンゴレ…」
優しい声が耳のすぐ近くで響いて、骸の両手が自分を包み込むように抱き締めてきた。
それだけで、胸が詰まった。
甘くて、切ない気持ち。
なんだろう、この気持ち。
他の誰にも感じたことのない、どこか悲しいような、寂しいような、胸が疼く、この気持ち。
「僕の呼びかけに気づいてくれてありがとうございます。君が僕を見つけてくれた時、とても嬉しかったですよ…」
「…見つけた?」
「えぇ、実体のない僕は、僕の気配を感じ取れる人の夢の中にしか行くことはできません。君に呼びかけた時、自信はありませんでしたが、誰よりも早く僕の気配に気づいた君ですからあるいは、と期待していたんですよ…」
「オレに会いたかったの?」
「えぇ、ボンゴレ……。君と闘ってから。離れてから。水の底から…。君に会いたくてこうしてさまよい出てきたのです」
「……なぜ?」
「それは僕も聞きたいですよ、ボンゴレ」
抱き締めた腕を緩めて、骸が綱吉の顔をのぞき込んできた。
深紅の瞳が綺麗で、綱吉は一瞬見とれた。
「君も僕に会いたいと思ってくれていたから、こうして僕は君の前に姿を現すことができたのです。…君は何故僕を呼んだのですか?」
「オレが、おまえを呼んだ?」
「えぇ、そうですよ、ボンゴレ…君が呼んでくれたから、僕は君に会うことができた…。君が、僕を必要としてくれたから…」
「それは…霧の守護者として、父さんがお前を選んだから…」
「それだけですか?」
骸の瞳にどこか寂しげな色が映る。
「僕が霧の守護者だから…利用できるから?」
「それを言うなら、お前だって、霧の守護者をしていた方が、オレを乗っ取るのに都合がいいからって…」
それは嘘だ。綱吉は自分で分かっていた。
あの時。
霧の守護者の戦いで骸がそう言った時、直感が違うと告げた。
「………君はそう、思っているのですか?」
骸の低い声。
蕭々と吹く風のように、寂しげな声。
「…違うよ!本当はそんな事思ってない。オレは…オレは、お前と一緒にいたいんだ。理由なんて分からないよ。でもお前と一緒にいると心地良いんだ。お前がいないといやなんだ…」
叫ぶように言って、骸を自分から抱き締める。
少し水の匂いがした。
黒曜中の制服の上から骸の背中に手を回す。
「僕はね、ボンゴレ…」
骸の手が、綱吉の茶色のつんつんとした髪を軽く撫でてきた。
「君のことを考えると、何故か心が温かくなるんです。…こうして君と一緒にいると、こんな罪深く地獄を這い回ってきた僕でも、君が歓迎してくれてる、と思える…。君は不思議な人ですよ、ボンゴレ。きっと誰にでも優しいのでしょうね…」
そっと髪を撫でられて、綱吉は何故か泣きたくなった。
「違うよ。…違う。骸だから。お前だから……」
「ボンゴレ…」
「ねぇ、ボンゴレっていうのやめてよ。名前で呼んでよ。昨日、呼んでくれただろ?」
「……綱吉君……」
骸の低く響く声で名前を呼ばれると、心の中がすっと落ち着いていくようだった。
「ソファに座りましょうか?」
促されて骸の隣にぴったりと密着して座る。
座って骸の体に寄り添うと、何故か安心した。
この安心感は何だろう。……不思議だ。
だって、骸は自分を乗っ取ろうとした敵だったはずなのに。
「綱吉君……好きですよ…」
骸のひっそりとした声が、崩れかけた広い部屋に響く。
「君のことを考えるとき、僕は冷たい水の底でも心が自由になるのを感じます。羽ばたいて、君の夢の中を訪れるとき、僕は幸福を感じます。こうして今、実際に君に触れていると、もっと熱い情欲を感じる……」
「………」
不意に、顎に骸のひんやりとした指がかけられ、くいっと上向かされる。
あっと思う余裕もなく、口付けられていた。
驚いて茶色の目を見開いたまま、綱吉は骸の口付けを受けた。
少しかさついた、それでいて柔らかく包み込まれるような口付け。
「……ん…っ…」
不快ではなかった。
それより、心が震えた。
心が震え、身体が震え、心臓がどくりと拍動した。
唇が、熱い。
押し当てられた柔らかさに、身体の芯がうずいた。
どくどくと、血流が身体の中を駆けめぐり、熱い血液を全身に送り出す。
角度を変えて、骸が深く唇を覆ってきた。
舌がすっと忍び込んできて、口を開かされる。
骸の首に手を回ししがみつくようにして、綱吉は骸の口付けを受けた。
幾分冷たく、どこか氷菓子のように甘い舌が自分の舌に巻き付いてくる。
甘い唾液をこくりと飲み干すと、内臓から熱くなっていくようだった。
口から身体の中まで、骸の熱が自分の熱と溶け合って、体内を焦がしていく。
……これは、なんなんだろう。
どうして、こんな事をしているのだろう。
この、身体の内部からこみ上げてくる熱情はなんなのだろう。
身体が、心が、熱い。
熱くて、火照っていて、この熱をなんとかして欲しくなる。
咥内で蠢いていた骸の舌に引きずられるようにして舌を吸われ、きゅっと骸の項の髪をつかむ。
ぴちゃ、と水音が微かに部屋に響き、重なった二人の影がいつのまにか暗くなった部屋の中でうっすらと浮かび上がる。
「………綱吉、くん……」
ゆっくりと唇を離して骸が呟いた。
「むくろ……」
自分の声なのに、どこか遠くから聞こえてくるような気がした。
骸がオッドアイを細めて綱吉を見つめてきた。
「君の唇も甘いですね……可愛い、僕の綱吉…」
僕の、と言われてぞくっと全身が震えた。
名状しがたい幸福感がこみ上げてきて、綱吉は混乱した。
どうして、嬉しいんだろう。相手は骸だ。
毎日一緒にいて、信頼し合っている獄寺や山本じゃなく。
初めて逢ったときは敵で、次に逢った時は戦闘の最中だけで…。
そんな相手をどうして……どうしてこんなに身近に感じるんだろう。
どうして身体がぞくぞくと悦びに打ち震えるんだろう。
唇が……熱い。熱くて、くらくらする。
こんな感情も、身体の熱も、知らない。
自分で制御しきれない、熱。
身体の奥底から湧いてきて、止まらなくて溢れてくる、名前の付けようのない感情。
口付けなんて、綱吉は勿論したことがなかった。
こんな性的な接触をした事は初めてだった。
異性とだって勿論のこと、同性となど……
なのに、身体も心も熱に浮かされたようだった。
もっと……もっと、骸の唇に触れていたい。
熱い舌の弾力を感じたい。
ぬめる粘膜を直に接触させて、骸が今ここにいる、という事を確認したい。
「……そろそろ、時間です。僕は、帰らないと…」
はっとして綱吉は骸を見上げた。
行くな、というように眉根を寄せ、茶色の瞳を大きく見開いて、懇願するように骸を見る。
骸が眉尻を少し下げて、困ったように微かに笑った。
「申し訳ありません、綱吉君……でも、君がそんな顔をしてくれるなんて、嬉しいですね」
「骸……」
「また明日……今ぐらいの時間に来られますか?またお待ちしていますよ…」
「……うん……分かった…」
骸がふっと笑みを浮かべ、身体を離す。
急に部屋の温度が低くなったような気がした。
骸に触れていた手や、身体が、どこか心細くて、もう一度抱き締められたい、と思った。
「ではまた、綱吉君…あぁ、クロームは起こさなくていいですよ。きっとこのまま寝ていると思いますからね?」
突如霧が骸を包む。
暗い部屋の中に白い霧が充満し渦を巻き、目を見開いて見詰めている綱吉の前に、やがて霧がすっと消え、ソファに横になってすやすやと眠っているクローム髑髏が出現した。
(…………)
所々崩れた暗い部屋。ソファに横たわっているクローム。
どこか西洋の絵画のようだった。
綱吉は静かに立ち上がると、クロームを起こさぬように足音を盗んで部屋を出て、階段を降りた。
外に出ると、既に夜になっていた。
星が光り、人気のない不気味なヘルシーランドに微かな光を落としていた。
冷たい風が吹いてきて、綱吉は自分の腕で自分の身体を抱き締めた。
さっきは────さっきは骸の暖かい腕が抱き締めてくれた。
骸の柔らかい唇が…………。
綱吉は首を振った。


自分はどうかしてる。


まだ、身体の芯が熱かった。
疼いていて、行き場の無くなった熱が身体の中で渦巻いていた。






back