◇支配する快感  






最近のオレは変だ。
どう変かと言うと──
例えば、オレは京子ちゃんが好きで、将来は京子ちゃんと結婚できたらいいな、なんて、ダメツナのわりに理想だけは高く持っていたはずなのに。
それなのに、ふと気がつくと、京子ちゃんの事が心の中から抜け落ちていたりする。
代わりに……気になるのは獄寺君のことだ。
朝、学校に行って教室に入ると、獄寺君がぱっと顔を綻ばせてオレの傍に駆け寄ってくる。
「10代目、おはようございます!」
まるで飼い主を見つけた迷い子犬みたいに。
獄寺君のそんな様子を見て、表情を見て、オレは何故かほっとする。
走り寄ってきた獄寺君に「おはよう」と声を掛けて、獄寺君が嬉しくてたまらない、という表情をするのを見て、何故か得意になる。
何だろう、この気持ち。
いつのまにか、オレの心の中の京子ちゃんが占めていた部分に獄寺君が入ってきている。
でもそれは、京子ちゃんに対する気持ちとは明らかに違う。
オレの、京子ちゃんに対する気持ちは、憧れとふわふわした夢みたいなものが一緒になった、春の日だまりに咲く可憐な花のようなものだ。
明るくて、眩しくて、優しい気持ち。
心の中がほんのり暖かくなる気持ち。
でも獄寺君は───オレの獄寺君に対する気持ちは、なんて表現したらいいんだろう。
オレは自分の中に、こんな激しい感情があるなんて思ってもみなかった。
獄寺君を見ると、心の奥底の何かが疼く。
今まで自分にそんな感情があるなんて思いもよらなかったもの。
激しくてどろどろしていて、何かきっかけがあれば爆発しそうな、そんな危険な気持ち。
獄寺君がオレに向けてくる、尊敬と親愛のこもった笑顔…。
それを見るたびに嬉しいと思う心の裏側で蠢く、別の感情。
壊して、踏みにじって、ずたずたに傷つけてやりたい衝動。
これはなんだろう、獄寺君。
オレは……自分が怖い。
以前は、獄寺君と出逢う前には、こんなオレはいなかった。
このままでは、オレは獄寺君に何をしてしまうか、分からない…。
自分が制御できないんだ。分からないんだ。
それが、怖い。



でもオレをこんな風にしたのは獄寺君、キミなんだよ。







獄寺君が教室に入ってくるだろうとは予想がついていた。
さっき教室の窓から昇降口付近を眺め降ろしたとき、キミが駆け込んでくるのが見えたから。
いつものように着崩した制服、走るたびに胸で踊って煌めくシルバーのアクセサリー。
それよりもきらきら光る綺麗なプラチナの髪。
もうすぐキミは教室に駆け込んでくるだろう。
息せき切って。白い頬を紅潮させて。
オレを見つけて顔を輝かせて、挨拶をしてくるだろう。
嬉しそうに心から喜んで。
だからオレは、獄寺君が入って来るであろう教室の中で、ことさら機嫌良く振る舞った。
「ねぇ、山本、この問題、分かる?」
山本の机の所へ行って、山本の顔を覗き込む。
邪気のない笑顔で、いかにも親密そうに。
「あーどれだ?オレだってわかんねーと思うけど」
「そう言わないでさ、一緒に考えようよ。次の時間、当たりそうだよ?」
「そうか?当たったら困るよな」
山本は根はできないわけじゃないけど、なんと言っても勉強する時間が取れないから、宿題とかやってこなくてよく先生に叱られる。
オレはまぁ元々できないんだけどね。
山本の肩越しに身体を密着させて、にこにこしながら肩を寄せ合ってノートを見る。
いい角度だ。
階段を昇って教室に入ってくる所の扉に背を向けているから、獄寺君の顔は見る事ができないけれど、どんな表情をするかは想像が付く。
───ガラッ。
扉を勢いよく開ける音と、いつもの明るい声。
「10代目、おはようございます!」
勿論オレは気が付かない振りをする。
獄寺君が俺を探しているのが分かる。
すぐに見つけるだろう。山本と仲良くしてるオレを。
キミは笑顔を一変させて、眉間に皺を寄せ、山本を睨む。
それから大股に俺たちのところに近寄ってきて、山本を押し退けようとする。
やっぱり、オレの予想通りだね。
「10代目、何してんですか?」
「あ、おはよう、獄寺君」
オレはそこで初めて気が付いた、というようにキミに挨拶する。
キミの顔が僅かに歪む。
寂しさと悔しさが入り交じった表情が一瞬浮かんでは消える。
………可愛いね、獄寺君。
そんな風にキミが表情を変える相手はオレだけだと思うと、とても嬉しいんだ。
キミの表情をもっと歪ませたい、と思うほどに。
「10代目、勉強ならオレにお任せください。山本なんか分かるわけないっすよ」
自分にお任せ、とばかりにオレと山本の間に割って入ろうとする獄寺君を、オレはさりげなく避けた。
「いいよ、今、山本と考えてるところだし。獄寺君はオレと違うから、こんな問題、すぐに分かるだろうけどさ」
獄寺君の表情がさっと変わる。
透き通った灰緑の瞳が傷ついたというように翳って、捨て犬みたいな、すがるような目付きになる。
「さ、山本、やろうやろう」
気付かない振りをして、オレは山本の方に向き直る。
「よし、やるか」
山本もこういう時は鈍いから、獄寺君の気持ちには気付かない。
二人で仲良く勉強を始めると、獄寺君がしおしおと自分の席に戻っていった。
可哀想……
──なんて、思わないよ。
キミがそんな悲しい表情をするのが見たいんだ。
オレの些細な言動に振り回されるキミが見たいんだ。
女の子にモテモテで、憧れのキミ。
誰にも懐かない、孤高でプライドの高いキミ。
男のオレから見てもなんて綺麗なんだろう、とうっとりするようなキミ。
……なのに、キミはオレのもの。
オレだけがキミを支配し、独占し、好きなように振り回せる。
キミか悪いんだよ、獄寺君。
キミがあまりにもオレに夢中だから。
こんなオレに…………キミみたいに素敵な人がね。
獄寺君は席につくと、悲しげな、見捨てられた子犬のような目をして、オレたちを見てた。
山本を睨み、オレにすがるような円らな視線を送ってきては、ため息を吐き、俯く。
──山本の事、羨ましいんだね、獄寺君。
キミには、クラスの女の子たちがみんな声をかけてもらいたくてやきもきしてる、っていうのに。
そんな女の子の切ない願望なんて、想いなんて、キミの眼中にはないんだね。
キミの心の中にはオレしかいない。
ダメツナの、オレだけ。
……なんてワクワクするんだろう。
……なんて気持ちいいんだろう。
───獄寺君、……キミのせいでオレはこんなになってしまったよ。







チャイムが鳴って授業が終わる。
ガヤガヤとみんなが帰る中、獄寺君がオレの方をじっとうかがっているのが分かった。
バッグをぶらぶらとさせて、所在無げにさらりとした銀髪をかき上げ、ひたすらオレを待っている。
オレに声をかけてもらうのを。オレの許しが出るのを。
いつもならすぐさま駆け寄って来るところだけど、今日は、昼間オレが素っ気なくしたショックが、獄寺君を臆病にさせている。
そんなにオレのことが好きなの、獄寺君。
ダイナマイトを使えば無敵のキミが。
スモーキンボムとして、イタリアでもならしたマフィアのキミが。
………滑稽だね、獄寺君。
思わず、笑っちゃうよ──。







「獄寺君、どうしたの?一緒に帰ろうよ」
昼間のことなどすっかり忘れた、いや、気にもしてなかったふりをして、オレはいつも通り獄寺君に声をかけた。
ぱぁっと獄寺君の顔が明るくなる。
ついさっきまで沈んで寂しげな色を湛えていた瞳が輝いて、きらきらと翡翠色に光る。
バッグを引っ付かんでオレの前に飛んできて、獄寺君は頬を紅潮させた。
白銀の髪が揺れて光を散舞させ、見とれるほど綺麗だった。
「10代目、勿論っすよ!さ、早く帰りましょう」
じろっと山本を睨み、肩をそびやかして威嚇する。
「山本、またね?」
俺が山本とは教室で別れて一緒に帰らない、と分かったとたん、獄寺君の瞳が潤んで目尻が下がり、クーンと鳴いて甘えたように見えた。
尻尾を千切れんばかりに振って擦り寄ってくる子犬のように。
「へへっ、二人きりっすね、10代目!」
バッグを振り回しながら獄寺君がとろけそうな笑顔を見せてくる。
なんて綺麗なんだろう、キミの笑顔は。
そんな嬉しそうな顔、オレ以外の誰にも見せないよね。獄寺君。
──オレの前だけ。
──オレの事だけ。
キミが心から喜んだり悲しんだり、舞い上がったり苦しんだりするのは。
オレの一言で、キミは天国へ昇ったり、地獄へ堕ちたりする。
オレの事、そんなに好きなんだね………。
可哀想に…、獄寺君。
二人で校門を出て、並んで歩き始める。
獄寺君を見て、周りの女子が憧れの視線を獄寺君に向けてくる。
ひそひそ囁いて、オレを見る。
オレは肩を竦めた。
オレなんかと一緒に獄寺君が歩いているのがおかしいって言ってんだろうな。
まぁ、オレもそう思うから、別にいいんだけどね。
でも、獄寺君はオレのもの。
獄寺君の目には、オレ以外入ってないんだよ。
獄寺君の心はオレで占められてるんだ。
「獄寺君、帰りにオレんち寄ってかない?」
「え、い、いいんすかっ!」
獄寺君の顔がこれ以上無いほどほころんだ。
「宿題教えて欲しいんだけど、いい?」
「も、勿論っすよ!10代目のためならなんでもっ。オレ、勉強は得意っすからね。10代目のお役に立てて嬉しいっす」
素直で可愛い獄寺君。
キミは本当に可愛いよ。
オレの前に跪かせてひれ伏させて、その綺麗な銀色の髪を掴んでやろうか?
オレの靴に口付けしろって言ったら、キミは喜んでするんだろうね。
オレの前に平伏して。額を床につけて。
「じゃあ、ゆっくり教えて貰おうかな。オレの部屋でね?」
「はいっ。10代目!」
ウキウキしてるのが、声の調子からも分かる。
嬉しくてたまらないっていう声。
オレの方をちらっと見て、端正な顔に輝くような笑顔を浮かべる。



キミが喜べば喜ぶほど、オレは残酷になるんだよ、獄寺君。
───キミの、せいだ。
キミが可愛すぎるから。素直すぎるから。
オレの事を好きすぎるから。



キミのせいで、オレはこんなになってしまったよ。



次は、キミをどういう風に苦しめてやろうか……。
考えると、オレは密かに興奮した。






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