◇衝動   




「なー、アンタ、…なんか言ってくれよ…」
オレの身体の上で情けない声がする。
(あ゛あ゛?なんでオレが何か言わなくちゃならねぇんだ。バカくせぇ…)
冷めた目で睨み付けてやると、オレを好き勝手に扱っているくせに、コイツの方が泣きそうな面をした。







刀小僧がやってきたのは、オレが日本を離れる前の日だった。
リング争奪戦で傷ついた身体はまだ治っていなかったが、いい加減日本にいつまでもいるわけにもいかねぇ。
オレたちは敗者で、病院なんかで優雅に治療していられるような身分でもなかった。
イタリアに送還され、恐らくボスの身体が治り次第だろうが、ボンゴレ本部で処分が決定される手はずになっていた。
ボスよりも、実のところオレの方が重傷だった。
オレはまだ身体があまり動かず、移動には車椅子を使っていた。
敗者で、鮫に食われ掛けたにしては破格の待遇で、手術も受けさせて貰え、その際の抜糸も終わったが、長い間不自由な生活をしていたせいで身体のあちこちが軋む。
ろくろくものも食えねぇし、筋肉もすっかり落ちていたから、いつものオレの実力の百分の一も出せねぇだろう。
鉄格子の嵌った病院の一室でベッドに横になっている所に、刀小僧がやってきた。
病室は薄いグレイを基調とした寒々しい部屋で、暖まるような装飾も何もなかったが、その方がオレにとっては心が安まった。
死に損ないにどんな慰めも無用だ。
これから何が待っているのか。恐らく「ゆりかご」以上に厳しい処分だろう。
オレたちは二度目の敗北を喫したのだ。
そう思うと胸を焼くような焦燥感に苛まれて、オレは痛む身体をベッドの上で無闇に動かした。
包帯の巻かれた腕を振り上げ、ベッドに叩きつける。
そんな事をしても何の意味もなかったが、少しは気が紛れた。
またしてもボスを守れなかった。自分のこの8年間を思い、暗澹たる気持ちにもなった。
日本にいるのもいい加減辛く、イタリアに戻って処分でも何でも早く受けてしまいたい、と思う頃に、刀小僧がやってきた。
刀小僧は目の傷も全快して元気そうだった。
そりゃ当然だ。オレに勝ったヤツだ。忌々しいが最強だ。
「スクアーロ…、会いたかったんだ」
刀小僧はオレを見た瞬間、開口一番、惚れた女でも口説くときのような熱心さで言いやがった。
なんだコイツ。
テメェ、オレに殺されそうになったのを忘れたのか。
それとも日本では敵ともこうして仲良くするのか?
理解できねぇ。
「アンタに会いたくてさ…、どうしてるかって心配で…」
別にテメェに心配される謂われはねぇ。余計なお世話だ。
敵に情けを掛けられるなんざ恥辱の極みだ。
オレはむかむかして刀小僧を睨み付けた。
明日にはイタリアに帰るっていうのになんだって最後の日にこんなやつに合わなくちゃならねぇんだ。
それに、だいたい、オレに会いたいとか、会って何をするつもりなんだか。
──剣の試合か?
残念だが、今のオレではテメェに勝てねぇ。
殺したいなら殺せと言いたい所だが、コイツはオレを殺すことはできねぇだろう。
守護者戦でさえオレを助けようとしたぐらいだからな。全く甘い。
そんなんでマフィアとしてやっていけるのか。
……あぁコイツはマフィアになる気はねぇのかもしれねぇな。
だがオレに勝った事でテメェは否応なしにこっちの世界へ引きずり込まれた。ご愁傷様。
コイツがこれから歩む人生を考えて、オレは唇を歪めた。
日本では平和ぼけした学生をやっていたようだがこれからはそうはいかねぇぜぇ。
にしても、刀小僧が全く元気そうなのには些かしゃくに障った。
アルコバレーノのやつがこいつの事を「生まれながらの殺し屋」と言ったそうだが、確かに、それは認めざるを得ない。
小さい頃から剣術だけを頼りに技を磨いてきたオレに勝ったんだからな。すげぇ天才だ。其れは認める。
オレは負けた事がなかったんだ。それを負かした。
だが、気に食わねぇ。
その、いかにも心配しているっていう態度はなんだ。
オレに情けを掛けてんのか?ふざけんな。
オレに勝ったから、オレの上に立ったと思ってるのか。
押し黙ったままオレは眉を顰め、刀小僧を目つき悪くじっと見据えた。
視線の合った刀小僧が、落ち着きなく視線を彷徨わせる。
生粋の日本人らしい黒い瞳を左右に動かして、それからオレを見つめてくる。
……なんだその目は。
黒目がオレを映し出してくる。その中に懇願するような、泣き出しそうな雰囲気を見て、オレは困惑した。
刀小僧がオレの髪に触れる。掬って口付けする。
まるで宝物でも扱うかのように、オレの髪を恭しく握りしめ、頬擦りをする。
「スクアーロ。……ずっとアンタの事ばっかり考えていたんだ。アンタがどうしてるか、…あの闘いの後、アンタが鮫に食われて…オレはそれでもアンタのことあきらめられなくて。アンタが生きてるって分かったとき、嬉しくてどうしようもなかった。アンタを見て、嬉しくて…」
口調がオレをうんざりさせた。なんだその口調は。
熱っぽく上擦っていて、よく見ると頬は紅潮しているし、唇は震えている。
黒い眸をキラキラと輝かせ、初めて告白する童貞少年のように身体中を震わせている。(いや実際童貞なのかもしれねぇ)
──あぁそうかよ。分かったぜ。
命をかけた殺しの興奮は、性衝動と非常に似ている。
動機が違うだけで、実際の身体の反応は殆ど同じだ。
刀小僧が初めての殺しの興奮を、その相手であるオレに対する性衝動と取り違えているってわけかよ。
まぁ殺しの現場では結構あることだ。
今までマジに殺しをした事のねぇやつが初めてやって、その興奮をそのまま欲情にすり替えるってヤツだ。
殺しの後女を抱くヤツもいれば、殺した相手を更に嬲って暗い性衝動を発散させるやつもいる。
こいつは後者か。オレに欲情したわけか。
ハッ、ゲテモノ好きなやつだぜ。
オレは覆い被さるようにオレに迫ってくるヤツの向こう、視線を飛ばして病室の扉を見た。
誰も入ってこねぇ。
という事は、この刀小僧のやる事なす事は、全て黙認されてるんだろう。
廊下にはボンゴレの監視がつねに貼り付いている。
そいつらが刀小僧を通し、刀小僧の言葉に従っているんだろうから。
つまり、コイツは何をしてもいいって事だ。
オレに。
誰も入ってこねぇ。
刀小僧がオレの病室を出るまでは誰も。





───負けたってのは、こういう事なんだな、ボスさんよぉ。





オレは刀小僧を見上げた。
冷たい視線を投げかけると、刀小僧がびくりと身体を震わせ、視線を落ち尽きなく左右に彷徨わせ、それから縋るようにオレを見つめてきた。
黒い眸と視線を交差させ、オレは暫く刀小僧を凝視していた。
少し、不思議な気がした。
別に、負けた事を後悔はしていねぇ。
生き残っちまった事も仕方ねぇ。
刀小僧は酷く真剣な表情でオレを見つめていた。
間近にみると、少年らしい真摯さと、元来真面目なんだろう、コイツの必死の思いが伝わってくるような気がした。
短い黒髪が揺れ、眉が寄せられ、唇が震えていた。
オレは一言も発しないまま、ゆっくりと目を伏せ、身体の力を抜いた。
──いいぜ。オレを好きにしろ。
身体の中にたまってどうしようもねぇ熱が、オレに向かっているなら、同じ剣士として、負けた者の義務として、…オレはテメェを許容してやるしかねぇ。







オレは全く抵抗はしなかった。
んなものしても、身体が痛むだけだ。
それでなくてもまだ身体の節々が痛ぇ。
オレが抵抗しないのを知った刀小僧は、最初はおずおずとオレの服を脱がし、包帯の巻かれた身体を眺めて眉を顰め、そろりと手を伸ばしてオレの肌に触れ、それから感極まったのか、突然むしゃぶりつくようにオレに襲いかかってきた。
自分の衝動に自制心がついていかないんだろう。
カチャカチャとズボンのベルトをもどかしげに外し、中から猛ったペニスを取り出して、息づかいも荒くオレの両足を割り開いてくる。
別に、今更やられようがなんだろうが、どうでも構わない身体ではあったが、そんな身体に対して刀小僧の興奮の度合いが凄すぎて、反対に滑稽だった。
荒い息づかいと、若い男の匂い。
病室の天井の模様をオレはぼんやりと眺めた。
灰色のそこには少し亀裂が入っている。
それがみすぼらしい様相を呈していた。
そういや日本は地震が多いからな。それでひび割れているんだろう。
オレが日本にいる間に地震はなかったが。
まぁ、身体を揺さぶられて、刀小僧がオレの股間をひたすらまさぐって弄っているから、この振動とかは地震ってやつに近いかもしれねぇ。
脚をぐっと担ぎ上げられ、鈍い痛みと共に、熱い異物が体内に入ってくる。
揺さぶられて、天井の亀裂がぶれる。
「スクアーロっ、…スクアーロ…ッッ!」
随分熱烈にオレの名前を呼ぶじゃねぇか。
コイツの純情さと懸命さには少し感心した。
揺さぶられて息があがる。
顔を背けてオレはシーツにだらりと両手を広げた。
「なぁ、好き、なんだっ、スクアーロッ、…あれからずっとアンタの事ばっか考えてて、オレっ…」
そう一方的に熱く愛を語られても困る。
だいたい、その愛というのだって、勝手にテメェが興奮をはき違えているだけだぜぇ。
バカくせぇ、早く気づけ。
しらっとしてオレを貪るヤツの顔を眺めると、刀小僧はオレの眸を見て泣きそうに瞳を見開き、視線を逸らし、唇を噛んだ。
黒い眸から透明な液体がつっと頬を伝い落ちる。
おい、どっちが襲ってるんだか分からねぇだろ、それじゃ。
まるでオレがテメェを誘惑してたぶらかして、酷い目に遭わせてるみてえじゃねぇか。





あ゛ー、もしかしたらそうなのかも知れねぇな。
テメェはもう、……オレからは逃れられねぇんだろう。
ただの興奮で終わらせれば良かったのに。
オレのことなんざ訪ねてこねぇで。オレを襲ったりしねぇで。
自分の中だけに留めておけばよかったんだ。
そうすればいつかその狂った熱も沈静化して、浮かれた気分も消えるだろう。
だが、テメェはオレを抱いた。
オレを手に入れて、オレを知ってしまった。
オレに囚われた、哀れな……ヤツ。
これからテメェはこっちの住人になって、陰惨な殺し屋になってくんだろ。
……可哀想になぁ…。
オレはがくがくと揺さぶられながら、刀小僧の顔を見上げた。
気怠い右手を上げて、刀小僧の目尻を拭ってやると、刀小僧が驚いたように黒い目を見開いた。
一瞬にして顔が歪み、涙がこぼれ落ちてきて、オレの指を濡らす。
「スクアーロッッ!」





オレの指をさも愛おしげに握りしめて、何度も口付けをしてくる刀小僧に、
───オレは心底同情した。






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