深夜の病棟はひっそりと静まりかえり、24時間ついている照明の白く冷たい光が、ひとけのない廊下を照らし出していた。
カツカツと堅い音を響かせて、ディーノは奥まった病室を訪ねた。
広い12畳ほどの一人部屋は厳重に監視されている。
ドアの外に直立している部下に軽く手を上げて挨拶し、ドアノブに手を掛ける。
音を立てずに中へと入ると、部屋の中は規則正しい電子音と病院特有の消毒液の匂いがした。
中央に真っ白なシーツの掛けられたベッドが置かれ、その周囲には様々な機械が並んでいた。
点滴を落とす高い金属の棒、液晶スクリーンには波線のグラフが間断なく画面を更新している。
酸素を送る機械が仰々しくベッドの脇に置かれ、ベッドに横たわった人物を覆い隠さんばかりだった。
看護師が一人ついていたが、ディーノが病室に入ってきたのに気付いて一礼し、入れ替わりに出て行く。
ディーノはベッドのすぐ脇に置かれたパイプ椅子に腰を掛け、ベッドに横たわる血の気のない青ざめた顔を見つめた。
スクアーロは身体中包帯で巻かれ、顔も目と口を残してほぼ包帯に覆われていた。
ぴくりともしない瞼は銀色の長い睫が影を落とし、色を失った唇は薄く半開きになって呼吸に合わせて微かに震えている。
元々雪のように白い肌は更に白く青ざめてこの世の者とは思われず、銀色に煌めく髪と、白いベッドは、スクアーロの凄絶な美しさをいや増しに増していた。
再びこうして二人きりで相まみえるのは、久し振りだった。
スクアーロをキャバッローネの館に定期的に迎え、二人で甘やかな夜を過ごすようになって程なく、その逢瀬はある日唐突に終わった。
それはあまりにも突然だった。
いつものようにスクアーロが来ると思ってキャバッローネの館で待っていたディーノに何の連絡もなく、スクアーロは約束を破った。
約束の時間を過ぎても現れないスクアーロに、ディーノから連絡を取ろうとしても、携帯も繋がらない。不安と焦燥の一夜を過ごし、次の日ボンゴレ本部を訪れたディーノに相対したボンゴレ9代目は、その年齢を刻んだ思慮深く落ち着いた顔に微笑を浮かべて、息子が戻ってきた、とディーノに告げたのだ。
果たしてザンザスがどのような経過を辿って、どこから生還したのか、それはディーノの知るところではなかった。
しかしザンザスが戻ってきた事は確かだった。
そしてそれは、スクアーロが自分から永遠に失われてしまった事を意味した。
あれだけ慎重に何年も掛けて網を張り、捉え、己の腕の中に閉じこめ愛情を掛けて慈しんできたはずの銀色の鮫は、あっと言う間に逃げ去ってしまった。
誤魔化しようのない現実と、例えようのない喪失感と絶望に、ディーノは館に帰ってきてしばし呆然とした。
スクアーロが泊まっていた客用寝室へ赴き、彼専用にしていたグラスやバスローブを眺め、手にとって更に呆然とする。
ザンザスが戻ってきたら、自分は確実に負けることは分かっていた。
いかに自分が愛情を込めてスクアーロを愛そうとも、スクアーロの愛情のベクトルは一途にザンザスに向いている。
決してそれが自分の方を向くことはない。
それが分かっていたからこそ、ディーノは必死になってスクアーロを捉えた。
そして、現実はやはりディーノの想像通りだった。
スクアーロはもう永遠に戻ってこない。
ザンザスが姿を現した、というだけで、スクアーロは自分への連絡を無断で絶ち、その事に対して謝罪も何もないのだ。
自分のことなど既に眼中にないのだろう。
そう思うと、ディーノの胸は千切れるほど痛み、プライドが傷つけられる痛みと相俟って、スクアーロを反対に憎悪してしまいそうになった。
自分がこれほど愛していたのに。
あれほど時間を掛け、愛情を惜しみなく与えて、──スクアーロが孤独と絶望にうちひしがれそうになっていた時に救ってやったのは自分なのに。
そんな葛藤が、ディーノをしてザンザス率いるヴァリアー側と対峙させたのかもしれない。
彼を次に見たのは、彼が日本で一般住民を巻き込んでボンゴレ10代目候補を襲っている所だった。
スクアーロは生き生きとしていた。
自分の前でどこか放心して長い銀の髪を揺らして蕩けた瞳を潤ませていた時とは、全く別人だった。
銀の瞳は鋭く猛禽類のように光り、微塵も儚さを感じさせない身のこなしに、強気に醜く歪めた口元。
それこそ本来のスクアーロであり、剣を手にして暴略の限りを尽くす彼は、鋭い鋼の刃のように冷たく残虐で、ディーノでさえ近寄れそうになかった。
射抜くように見つめられて、ディーノはその銀のナイフのような視線をぐっと受け止めた。
二人の間には甘い空気も、情事の気怠い安寧感もなく、緊張した敵同士のせめぎあいだけがあった。
本来のスクアーロは凶暴なまでに美しく、ディーノは睨みながらも息を飲んだ。
ふてぶてしい不遜な態度。
口元を歪め大声で笑う様。
軽々と身を翻し大剣を操る身のこなしにディーノは見とれ、忸怩たる思いに押しつぶされそうになり、必死で自分を鼓舞した。
意図的に冷たい視線を送り、スクアーロを騙して偽のリングを掴ませ、それから───。
結局スクアーロは敗北して、今は自分の手の中にある。
数ヶ月ぶりに間近で見る彼は、重症を負っているからか、それとも鋭く射抜く視線が閉じられているためか、どこか儚い雰囲気が戻っていた。
胸がきゅっと痛んで、ディーノは形の良い眉を顰めた。
あれほど愛していたのに……彼は一言も告げずに自分の元から去っていった。
自分など、彼にとってそのぐらいの存在だったのだ。
それを思い知らされても、やはり、愛しい。
愛しくて、たまらない。
───愛とはなんと厄介なものなのだろう…。
ディーノは溜息を吐き、俯いた。
結局、より深く愛した方が負けなのだ。
一人で苦悶し、愛に飢え、自滅するのだ。
いかに努力しても、愛の向きを変えることはできない。
自分の愛はひたすらスクアーロに向き、スクアーロの愛はザンザスに向いている。
たまさか、ザンザスがいないから自分の方に振り子が揺れただけで、それだけでも本当ならば感謝しなくてはならない所なのだ。
矜持も何もなければ良かった。
このままスクアーロを拉致して、キャバッローネに拘束し、自分のものにしてしまいたかった。
スクアーロの意志など関係あるか。
自分がこんなに愛しているのに、彼はザンザスが戻ってきた途端、自分の事など忘れ去ってしまったのだ。
そんな冷たく、少しも愛を返さない相手なら、構うものか。
連れ帰って鎖で縛り、嫌がるなら薬で朦朧とさせて、自分に奉仕させてやればいい。
自分だけを求め、欲しがり懇願するように精神を変えてやる。
この美しい銀の鮫を自分の権力で自分のものにしてやる。
…できない事はないだろう。
彼は負けた。
ザンザスと綱吉との闘いはまだだが、ディーノはおそらく綱吉が勝つだろう、と思っていた。
そうなれば綱吉側に荷担した自分は功労者であり、ボンゴレの人間であるとはいえ、反旗を翻した人物を一人貰い受ける事もあながち不可能ではあるまい…。
そこまで考えて、ディーノは激しく首を振った。
それはダメだ。
そんな事をしてスクアーロを手に入れても、彼の心は決して手に入らない。
今まで何年かかって、スクアーロの心を融かしてきたと言うのだ。
堅牢な牙城を、少しずつ少しずつ雨だれが石を穿つようにスクアーロの心を穿ってきた。
ほんの少しの影響でしかないかもしれない。
が、今までの何年もの努力を灰燼に帰す事は、…スクアーロの心を手に入れるのをあきらめるのは、できなかった。
畢竟、自分はスクアーロに愛されたいのだ。
身体だけ手に入れたいわけではない。
心がなければ、虚しくて自分は狂ってしまうだろう…。
力無く首を振り、ディーノは立ち上がった。
夜中の病室から見る外は暗く、病院の前の駐車場の薄暗い明かりがぼんやりとアスファルトを照らしていた。
スクアーロが今後どうなるかは分からない。
同盟とはいえ別ファミリーのディーノにはある程度を越せば口出しできるはずもなかった。
彼は本当にどうなってしまのうだろうか。
「……スクアーロ」
誰もいないにもかかわらず、ディーノはひっそりと彼の名前を呼んだ。
血の気のない白い、包帯に覆われた頬に手を当て、皮膚の見える部分に指を這わせる。
瞑った瞳を彩る銀色の眩い睫に指先を触れさせ、目尻を愛撫する。
ぞくりとする興奮が、激情がディーノを襲った。
スクアーロが愛しい。
彼をどこにもやりたくない。
このまま自分の腕の中に閉じこめて、何も見えないようにしてしまいたい。
自分以外は。
先程からその凶器のような欲望が自分を襲っていた。
───駄目だ。
ディーノは首を振り、形の良い赤い唇を噛み締めた。
ベッドの端に座り、仰向けになったスクアーロの上に慎重に覆い被さる。
血の気のない唇を指でなぞり、ディーノはその薄い唇に、そっと己の唇を触れ合わせた。
かさついて、冷たかった。
押し当てると柔らかく、ひんやりとした唇とは裏腹に、咥内は熱かった。
発熱しているのだろう。
舌を滑り込ませて、スクアーロの意識のない舌を捉える。
絡めても動きのない舌を、執拗に吸い上げ、角度をかえて何回も口付ける。
頬から顎を撫で、包帯の合間の肌をまさぐる。
首から胸元に掛けて指を這わせ、包帯越しに彼の身体を貪る。
重体の病人なのに、欲情した。
薄く真っ白な布団をはね除け、スクアーロの身体を眺める。
彼は全裸だった。
全身包帯で巻かれ、腕には点滴が、ペニスには導尿管がつけられていた。
その管はベッドの脇の尿を溜める袋へと続いている。
このような状態のスクアーロに何かするなど、噴飯物だったが、ディーノの情欲は既に常軌を逸していた。
突然去られたのだ。
そしてスクアーロは死ぬところだった。
自分が彼を救ったのだ。
意識のない今しかチャンスはない。
ディーノはスクアーロの両足を注意深く持ち上げ、奥まったひそやかな蕾を晒け出させると、腰の下にタオルを敷き、濃い桃色の其処にたっぷりとクリームを塗りつけた。
それは、スクアーロの乾いた唇を潤すためのものだったが、それをディーノは惜しげもなくアナルに塗りつけ、指を挿入して解した。
内部は火傷するように熱かった。
クリームで丹念に揉み込めば、かつてディーノを受け入れていたそこは緩やかに解れていき、ディーノの指を歓迎してうねうねと蠕動してきた。
彼の身体の随所に着いた管を外さぬように細心の注意を払いながら、ディーノはベッドに乗り上げ、スクアーロの足を肩に担いだ。
できるだけ楽な体勢を取らせると、自分のペニスに持っていたコンドームを装着し、ゆっくりとペニスを挿入していく。
ぬるりとした感触とともに、ペニスは抵抗もなくスクアーロの中へと挿入された。
今まで何度も入った部分だ。
覚えのある熱い粘膜のうねりとやわやわと締めあげてはペニスを奧へと飲み込もうとする動きに、全身がかっと熱くなる。
「スクアーロ…」
ぐちゅ、と湿った音を上げてスクアーロの身体は動かさぬまま、ディーノは自分が動いた。
腰を引き、ペニスを慎重に引いては、スクアーロの腰を掴んで固定し、ぐっと突き入れる。
それは激しい情交ではなく、まして相互に楽しむものでもない、ディーノの一方的な自慰行為とも言えた。
意識のないスクアーロはベッドの上で僅かに動き、時折無意識に顔を顰め、美しい銀糸の髪がベッドに揺れた。
意識が無くても、彼は十分に扇情的で淫靡であり、ディーノを誘惑した。
「スクア−ロ…ッッ」
声を押し殺し、名前を呼んで、ディーノは小刻みに腰を揺らした。
やがて絶頂が訪れ、ディーノは快楽の波に攫われていった。
後始末をし、情事の痕跡を完璧に消すと、ディーノは椅子に座り溜息を吐いた。
自分はおかしい……そう思った。
自分の執着と、それが叶えられない現実が怖かった。
自分が何かしでかしてしまいそうで自制心に自信がなかった。
──いや、ダメだ。
このぐらいで自制心を喪って暴走するようでは。
今まで何年もかかって培ってきた、跳ね馬としての自分。
マフィアのボスとしての自分を取り戻さなければ。
ボスとしての自分なら、スクアーロを手に入れる手段を決してあきらめたりはしない。
細心の注意を払い、ここまでにしてきたものを、一瞬で壊したりしない。
スクアーロ…。
お前のことは、オレは決してあきらめない。
たとえお前がザンザスのものであっても。
オレはお前が死ぬ寸前で助け出した。
手術を受けさせて生還させた。
今の自分ならそのぐらいの事ができるのだ。
お前は義理堅い男だ。
お前はけっして自分がオレに助けられた事を忘れまい。
そしてザンザス不在の長い間、オレに愛されていた事も忘れまい。
──まだ、勝負は終わっていない。これからだ。
スクアーロを捕らえる網はまだ破れていない……。
暗く静かな病室で、ディーノは、スクアーロの唇に再び口付けした。
それは誓いだった。
自分が生きている間は決してスクアーロを諦めない、という。
彼を手に入れるためには奸智を巡らし、これからも自分の全てを掛けて彼を自分の物にする、という誓い。
「……スクアーロ、愛している……」
低い声が、病室に木霊した。
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