suicide 2













目覚めは、砂を噛むような虚無感と共に訪れる。
或いは擦り硝子を爪で引っ掻くというべきか。
どんなに藻掻いても、如何ともしがたい虚しさに、俺は悲鳴を挙げて身悶える。
目を開けると、遥か彼方に、明るい太陽が見えた。
遠い彼岸の向こうに。明るく降り注ぐ太陽と、人々の群。
ベッドから起き上がろうと俺は暫く重い身体と格闘していたが、やがてあきらめた。
身体が怠い。息をするのも億劫だ。
息と共に自分の胸が上下するのさえ、重く感じる。
「お客様ですよ」
淡いピンク色の制服。帽子。
ここの病院は、看護師は皆中間色の穏やかな色を身に纏っている。
患者の心を和ませるためだそうだ。
柔らかな色合いの服が揺れて小さくなって部屋を出ていくのを、俺はぼんやりと眺めた。















「よぉ、跡部景吾っておまえか?」
見覚えのある人物が立っていた。
薄汚れた白い制服。
色の抜けた髪を獅子のように逆立てて、その男は俺を睨み付けるように見下ろしていた。
「俺が分かるな。山吹中の亜久津仁だ」
山吹中、という単語が耳に入った途端、俺は呼吸が止まったような気がした。
頭の中で何かがわんわんと鳴り響いている。
夏の終わりの蝉のような、五月蠅い気怠さ。















「おまえに用があってやってきた。よぉ、跡部、よく聞け」
亜久津は低い声で囁いてきた。
「千石はな、元々死にたかったんだ。だから、アイツが死んだのは、おまえのせいじゃねえ。おまえはな、千石の自殺のダシに使われただけなんだよ」
頭の中が千石という単語で一杯になる。
千石、千石。
もう止めてくれ。その名前は聞きたくない。
でも、死にたかったって。それは一体どういう事なんだ?
「どうしてテメェが……」
「俺がそんな事知ってるのヘンか?」
亜久津は鼻先で笑った。
「千石から遺書をもらってな」
千石の遺書。そんなもの、無かったはずだ。
アイツは俺が死ねと言ったから死んだんだ。
「千石のヤツ、いくらなんでも後味が悪かったんだろうよ。俺にわざわざ手紙を寄越しやがった。おまえが苦しんでるだろうから、言って本当の事を言ってやってくれだってよ」
本当の事。それは何だ。
「いいか?千石は前から死にたがっていた。俺は一緒にいたからよく知ってる」
亜久津が俺をじっと見据えてきた。
色素の薄い茶色の瞳が眇められ、その目は冗談や揶揄を言っているのではないことを示していた。
「アイツはいっつも死にたがっていた。機会さえあればな。そこに好きなおまえから死ねと言われたろ。それで踏ん切りがついたらしいぜ」
亜久津が一旦息を吐く。
「だから、アイツが死んだのは、確かにおまえの言葉がきっかけかも知れねえが、でもおまえのせいじゃねえ。アイツにとってはおまえの言葉は渡りに舟よ。さぞ嬉しかっただろうぜ?大義名分をもらったんだからな」
千石が死にたがっていた?まさか。
「千石のやつ、きっとおまえも道連れにしたかったんだろうよ。わざわざおまえを苦しめるような事をするからにはな。で、どうする?そのまま苦しんでるか?跡部。俺は一応義務は果たした。千石からの伝言は伝えたぜ。もう一度言うが、おまえは千石の犠牲者だ。千石のことでおまえが苦しむ必要はねえって事だ」
それだけ言うと、亜久津は立ち上がって、俺が声も出せないうちに部屋を出ていってしまった。
背の高い後ろ姿を、薄汚れた白ランを、俺は呆然と眺めた。















千石。
少しはにかんだように笑う、優しげな目や、俺が話しかけると嬉しそうに笑う口元。
抱いているときの、苦しげに顰められた太めの眉や、しっとりと吸い付いてくる肌の感触。
俺も一緒に連れていきたかったのか、千石。
一人で死ぬのは嫌だったのか。
生の最後の瞬間、おまえは何を思ったのだろう。
俺の事を考えていてくれたのか。
俺は重い身体をベッドに沈ませた。















頭が痛い。
景色がモノクロームに変色し、俺は一人、冷たく寂しい、誰もいない場所で、遠くの温かな光を見ていた。















千石、おまえは成功したよ。
俺をそのうち連れていけるよ。
そうか、千石、分かったよ。
俺が好きだったんだな。
俺を再起不能にして、打ちのめして殺したいほど。















俺は目を閉じて、それから深く息を吐いた。
誰もいない暗い部屋に、息はひっそりと流れていった。






















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