◆Edelweiss◆








朝方垂れ込めていた雲も昼には綺麗に上がり、夜空は宝石のように星達が煌めいている。
目を夜空から下方に移せば、シュテルンビルトの美しい夜景が目に飛び込んできた。
大小様々な光が明滅し、虹色に光ってはその光が、夜空に浮かぶ飛行船を照らし出す。
眺めていると、昨日から今日の出来事が脳裏に思い浮かんで、虎徹は瞳を細めた。
虎徹が座っているのはバーナビーのマンションの彼の部屋だった。
窓際の床の上で、夜空を眺めている。
傍らに目線を移すと、そこには自分の相棒が同じく座っていて、虎徹の視線に気付いたのか、覗き込むように見つめ返して微笑んできた。
今日は、午前中の戦争のような慌ただしさに加え、午後は会社関係の歓迎行事に繰り出され一日中物を食べる暇もなかった。
ハンドレッドバワーで治したとは言え、傷はまだ痛む。
夕方漸く病院に行き、手当をして貰った。
自宅に帰ろうとするのを、バーナビーが傷の手当てもあるから、と言うので言葉に甘えて彼のマンションに泊まる事になった。怪我はもう心配は要らないと言っても彼は聞かなかった。
しょうがねぇなぁ、とこうして今、彼の部屋に座っている。
手には清涼飲料のペットボトル。酒が飲みたいと言ったが、怪我に障ると言って取り合って貰えなかった。
不満は残るが、バーナビーも虎徹に付き合って同じ清涼飲料しか飲んでいない。律儀なやつだ、と虎徹は思った。
それにしても昨日からこっち、本当にいろいろな事があった。特にバーナビーとの関係において。
しみじみと思い返して、虎徹は眉尻を下げた。
紆余曲折はあったが、今は彼が隣にいて二人だけの時間が過ごせている。良かった。
反省すべき点は多々あるだろうし、考えなければならない事もあるだろうが、今はただこの安堵の気持ちに浸っていたかった。
「おじさん、…昼間褒めて欲しそうでしたよね」
ふとバーナビーが話しかけてきて、虎徹は飲んでいたペットボトルを床に置いて彼の方に向き直った。
「…なんだよ、もう、その話はいいって」
昼間、バーナビーばかりが歓声を浴びているのにほんの少しだけ嫉妬した時の事を思い出す。気恥ずかしい心持ちがしてぶっきらぼうに返答すると、バーナビーがほんのり柔らかく笑った。
「今、褒めてあげます…」
「……?」
やや小首を傾げてバーナビーを見る。
その頬にバーナビーの右手がそっと、まるで少しでも強く触れたら壊れそうな物でもさわるように触れてきた。
指の腹で頬の産毛をなぞりながら、虎徹の顔を覗き込んでくる。
「貴方のおかげで、僕は勝てました。ありがとうございます…」
バーナビーが低い声で囁いた。
耳に響く甘い色合い。彼の指が微かに動いて、頬から目尻を撫でてくる。
「貴方のおかげで、僕は仇が討てました。ありがとうございます…」
顔が近付いてきて視界が遮られる。眼鏡越しではあるが、澄んだ碧の瞳がじっと虎徹を見つめてくる。真夏の目映い南洋の海のように、煌めいて、そして少し潤んでいる美しい瞳が。
「貴方のおかげで、僕は他人を信頼するようになれました。ありがとうございます…」
少し掠れた、けれど艶のある声が耳元でする。
暖かな息を耳朶に感じて、虎徹は微かに身体を強張らせた。部屋は少し寒いぐらいだったはずなのに、何故か身体が熱い。
「……貴方のおかげで、僕は人を好きになる事ができました。ありがとうございます…」
ふわ、と、柔らかな、例えて言えば小さい頃に食べた菓子のような、そんな感触を唇に感じた。
歯を立てたら溶けてしまいそうな菓子。食べてしまうのが惜しくて、けれど口に含んだら瞬く間に溶けて、甘い味だけが舌に残る。
離れていくのが惜しくて、追いかけるように顔を動かす。
角度を付けて唇を塞ぎ、バーナビーの腰に右手を回して引き寄せる。
ちゅく、と小さく水音を立てて唇を食み、歯列を舌でなぞる。
歯列の隙間から舌を差し入れ、暖かな咥内を舌でまさぐる。
甘くて、蕩けるようだった。
「…ン、…っ…」
掠れた吐息混じりの声が耳に忍び込んでくる。
聴覚神経を通って脳へと到達すれば、そこから全身に仄かな熱となって伝播する。
暖かくて、甘い、可愛い声。
バーナビーの舌が虎徹のそれに絡んでくる。
何か言わなければと思っていたのに、口付けを終わらせたくなくて、言葉が出なかった。
代わりにバーナビーの腰をぐっと引き寄せる。抱き寄せて腰骨を撫で、舌を絡ませて吸う。
バーナビーが身動ぎして軽く虎徹の胸を叩いてきた。名残惜しく唇を離すと、間近に真摯な色をたたえた碧の瞳が濡れて煌めいていた。
「貴方が、好き……虎徹さん…」
掠れた声が言葉を紡ぐ。
上気した目尻にうっすらと透明な雫が盛り上がる。
誘われるように目尻にキスをする。舌で舐め取ると、僅かに塩辛い。
心臓がトクンと跳ねた。
バーナビーの両手が虎徹の背中に回ってくる。伏し目がちに虎徹を覗き込んでくる。
「…バニー…、あ、っと、…バーナビー…」
くすっとバーナビーが表情を和らげた。
「呼び方はなんでも構いませんよ、虎徹さん。こうして今一緒に居られて、嬉しい。ありがとうございます…」
囁いて、顔を擦り寄せてくる。頬摺りが擽ったい。
耳朶を食まれる。耳朶から耳の下、首筋、顎髭、と口付けられて、たまらなくなる。
そっと、まるで宝物を扱うかのように慎重にバーナビーを床へ寝かせ、上から体重を掛けて身体を重ねていく。
バーナビーの手が、虎徹の後頭部に回る。生え際の髪を梳かれる。
「僕が今、どんなに幸せか分かりますか…?みんな貴方のおかげです。…愛してます…」
鼻の奥がツンと痛んで虎徹は思わず顔を顰めた。
顔を見られたくなくてバーナビーの首筋に埋める。
強く抱きすくめれば、同じ熱情を感じた。
「…俺も、その、…愛してる…」
もっと気の利いた台詞が言いたかったが、頭の中を掻き回しても出てこなかった。折角の決め台詞の機会だったのに。
いつもそうだ。肝心の時に恰好がつかない。
バーナビーが、虎徹を慰めるように目尻を下げて笑った。
気にするな、というように頭を撫でられて、虎徹は瞬きした。
少し、視界が滲んだ。
この年になって泣くとは。…恥ずかしくて顔が上げられない。
泣くんじゃねぇよ、と自分を叱咤すればするほど、視界がぼやける。





涙を誤魔化すように忙しく瞬きをし、気の利いた台詞の代わりに虎徹は、バーナビーの身体を優しく抱き締めた。
幸福な夜は、まだ、始まったばかりだった。








BACK