◆raindrop◆ 2







サーサーと微かな音が聞こえる。
ぼんやり目を開ければ、照明を落としたグレイの天井が視界に入る。
聞こえるのは雨の音だ。
それは、静かなクラシック音楽のように、耳に響いてくる。
少し眠っていたらしい。
手を上げて、目にかかっていた髪を払って顔を横に向ける。
そうして私は、私の傍らで規則正しい小さな寝息を立てる、暖かな存在を確認した。
目線を下ろして彼の頭を見る。
少し乱れた、でも艶やかな黒茶色の髪。
私よりも背は高いのだろうが、その身体を丸めて胎児のようにうずくまっていると、幼い子供のようにも思えた。
もし私に子供でもいれば、こんな感じなのだろうか。
彼の規則正しい寝息と確実に戻った体温を感じていると、いつもは一人で寝ているこのベッドがまるで別の物のように思えた。
暖かくて、心が満たされる。
少し不思議な気がした。
この男は、今朝方拾ってきたばかりだ。
勿論彼の事は画面を通して知ってはいたけれど、それは彼の営業用の、いわば仕事上の姿であって、そういう仮面を剥いだ本当の彼を知っていたわけではない。
本当の彼は――今、私の隣で眠っている彼が本当だと仮定しての話だが――その彼はどこか途方に暮れた子供のようで、思わず守ってあげなくてはいけないという気にさせられる存在だった。
不思議だ。
いつも強気で元気が良くて、シュテルンビルト市民を守るためには自分の行動など顧みず動く向こう見ずなヒーローなのに。
それなのに、今、私の傍に居る彼は、反対に、市民である私が守ってやらなくてはならない存在に思えた。
枕に頭を預けたまま、顔を横に向けて暫く彼を間近に見つめる。
髪に鼻を近づけて匂いを嗅ぐと、私の使っている石鹸と同じ匂いがした。
何故か嬉しかった。
「……っん…」
程なくして、彼が身動ぎをした。
頭が少し動いて、それから静かに瞳が開く。
間近で見る彼の瞳は、吸い込まれそうに深かった。
今は濃いブラウンだ。
至近で見ると彼は、肌理の細かい肌が艶やかで、端正な容姿をしていた。
端正だが、冷たく整いすぎた、所謂典型的な美形ではない。
目尻が下がって垂れ気味の目が特徴的で、それが彼を年齢よりも若く見せている。
睫が長く、その黒い睫が少し震えけぶるようにブラウンの瞳に被さる様には、思わず目を奪われた。
「やぁ、起きたかい?」
何故か不穏に胸が騒いで私は密かに狼狽し、その狼狽を隠すように努めて明るく彼に声を掛けた。
彼は私を見てぱちぱちと瞬きをし、瞳を左右に揺らして少し考えてから小さく息を吐いた。
私は独り言のように言いながら、また声を掛けてみた。
「ちょっと寝たね…。どのぐらい寝たかな…?」
ベッドヘッドの時計を見ると、2時間ほど経っていた。
「どうだい、身体は」
「あ…大丈夫、です…」
と言いながらも、彼はそのまま私の腕の中で丸まっている。
まだ起きたくないんだろうな。
それはそうだ。
いくら彼がヒーローで頑強な肉体を誇っていたとしても、昨夜のあの冷たい雨に一晩中打たれていたとしたら、相当な体力を消耗しているはず。
一般人なら数時間で確実に意識を失い、そのまま凍死していたところだ。
彼がヒーローだったからこそ、そこまで行かなかったというだけで。
「まだ、雨ずっと降ってるね、今日は一日雨かな」
「…そうですか、雨、降ってますか…」
寝る前よりも確実に彼が言葉を話すようになったので、私は嬉しかった。
「あー、コテツ君」
「…はい?」
「あのさ、その、敬語じゃなくていいよ。君と私って同じぐらいの年だろ、きっと」
「あ、そう、…っすか。じゃあ…」
彼がそう言って、少し表情を和らげた。
視線が柔らかくなって、焦げ茶の虹彩が細められる。
(……可愛い)
などと一瞬思ってしまって、私はどぎまぎした。
なんだろうか、この気持ちは。
心の奥の、今まで穏やかに凪いでいた水面に風が吹いてきてさざ波が立ち、ざわめいて少しずつ波が大きくなっていくような。
その波がうねって、身体の中心を通って全身に伝わるような、そんな不思議な感覚だった。
少しうろたえて私は頭の中を切り替えようとした。
「そうそう、私はね、君がいたあのビルの中に入っている製薬会社に勤めているんだ。今年で15年目かな。営業をやってる」
何か話さなければと思って話題を考えた結果、私は自分の事を話す事にした。
彼が視線を私に合わせてきた。
視線が合うと、訳もなく落ち着かなくなった。
深い茶色の瞳、その奥に不思議な色合いが見える。
ずっと覗き込んでいたい気持ちになる。
「元々、私も他の人の役に立ちたくてね、何か人を助ける仕事に就きたかったんだ。本当だったら医者になりたかったんだけど、残念ながらそこまで学力がなくてね、それで薬学部の方に進んだんだよ」
きっとつまらない話だろうと思ったが、彼がじっと聞いているのでそのまま続けた。
「大学を卒業して今の会社に入ったんだけど、なかなか現実はそううまくは行かないよね。結局今私がやっている事ってのは新薬のピーアール、買ってくれっていうお願いかな…。本当にその薬が必要な人とは接してない。クライアントのご機嫌を取るのに精一杯で、疲れてるかも知れないな…。なんて、なんか関係のない話、悪いね。君はどうなんだい、コテツ君。…君は素晴らしい仕事をしているよね。直に市民を助けているし。君がポイントなんか気にせず市民を助けることを第一義にしてる事はみんな分かってるよ。そういう仕事に就けるって素晴らしいよね。前からヒーローになりたくて、それでなれたんだろう?自分の夢をきちんと叶える事ができたのもすごいよなぁ…」
彼の身体が微かに震えた。
あれ、と思って覗き込むと、彼が目線を逸らして俯いた。
しまった、今仕事の話はしたくない心境だったのか。
私としては、ヒーローをやっている彼が格好良くて純粋に憧れだったから素直にそれを言ったつもりだったが、考えてみると彼は昨日ヒーローの仕事を離脱して、何故かゴミの山の上で放心していたのだった。
仕事上の悩みでもあって、それで自暴自棄になっていたのだろうか。
そう言えば仕事上のストレスを抱えた時、私ならどうしていただろう。
たいてい、今の仕事とは関係のない友人と飲みに行って愚痴を聞いてもらったり、あるいは休みの日に一日中ふて寝をしていたり、そんな事が多い。
ヒーローという仕事にどんなストレスがあるのか分からないが、仕事は仕事だ、きっと彼にも何かあるんだろう。
「あぁ、ごめんな。つまらない話ばっかりして」
「いや、ンな事ねぇよ…」
私が済まなそうに言うと、彼が顔を上げてそう言ってきた。
敬語ではない言い方で言ってきたので、一瞬どきっとした。
彼との間がすごく近くなった気がした。
「アンタはすげぇ真面目なんだな…。それにすごくいい人だ…」
「そうかな…」
「あぁ、そう思うぜ」
「君だって」
「いや、俺の事はいい…」
どうやら自分の事には触れて欲しくないらしい。
そのまま彼が黙ってしまったので、私はどうしたものかと迷った挙げ句、彼の肩に手を掛けてそっと抱き寄せた。
なんとなく、言葉ではなくて体温で、彼の事を心配しているよ、と伝えたかったのだ。
背中を撫でると、彼が私の胸元に顔を擦り寄せてきた。
猫のような仕草に、心臓が跳ねた。
同年代の、しかも男だというのに、とてもとても彼の存在が愛おしく感じられた。
不思議だ。
このままずっと彼が私の家にいてくれればいいのに、などとも一瞬考えてしまって、私は内心戸惑った。
この気持ちはなんだろう。
言葉に出来ない、したら消えてしまいそうな感情が、心の底で震えているような気がする。
社会人になって毎日、企業の中の歯車の一つとして労働を搾取され、そうしてこの大都市の中で一人生きている私からはもはや消えてしまったはずの、そんな懐かしいような、切なくて泣きたくなるような気持ちだった。
腕の中の彼が暖かく、そして息をして生きていると言う事がとても嬉しかった。
最初彼を見つけた時、彼は氷のように冷たくて、もう少しで死んでしまう所だった。
あのまま見捨てていたら、確実にあそこで死んでいただろう。
でも今彼は、私の腕の中で息をしている。
それは私しか、知らないことだ。
「アンタの名前、なんて言うんだ?」
彼が唐突に聞いて来たので、私は思わず目を丸くした。
「わ、私?私は、カートって言うんだ。カート・ハスキンス」
そう答えると、彼が口端を少し上げて微笑んだ。
「…カート…?」
掠れた低い声で名前を呼ばれた瞬間、全身が震えた。
一瞬にして体温が上がったような気がした。
感激なのか何なのか、表現の出来ない感情が心の中で渦巻いている。
私はそのまま彼をじっと見つめた。
彼がすっと手を伸ばして私の頬に触れてきた。
私もおずおずと彼の頬に手を触れた。
滑らかで、しっとりと吸い付くような肌だった。
目線が合うと、もう外せなかった。
どうしよう、そう思った。
いや、どうしようとか思っているような余裕もなかった。
私は吸い寄せられるように、彼の唇に自分のそれを押し当てていた。











どうしてこんな展開に至ったのか、理由は分からなかった。
けれど、必然的な帰結のように思えた。
勿論私は男とセックスをしたことなど無い。
付き合っていた女性はいたが、暫く前に別れた。
年齢的に生涯の伴侶が欲しい所だったが、そう簡単に見つかるわけもない。
要するに私は、所謂一般の、普通の人間なのだ。
では、彼はどうなんだろうか。
彼だって勿論、ヒーローとはいえ普通の人間だろう。
もっとも彼の性癖までは知らないが。
でもそんな事は、この際どうでもいい気がした。
私は彼が欲しかった。
彼の体温を感じ、鼓動を共有し、感情を分かち合いたかった。
そして彼も同じ気持ちでいるのが、分かった。
今朝出会ったばかりなのに――、でも、知り合ってからの時間などというのは、実際には関係が無いのかも知れない。
そういう事を気にするのは、初恋もまだ経験してないような子供だろう。
私たちは30代で、社会人になって長く、それなりに挫折や悲哀を経験して今に至っている。
男とセックスをした事は無くても、なんとなく手順は分かっていた。
彼の唇を貪りながら、私は右手をそっと下ろした。
唇は柔らかくふっくらとしていて、咥内は蕩けるようだった。
舌を差し入れると、彼の舌が積極的に絡みついてきて、嬉しさでぞくぞくとした。
強く吸い上げると、負けじとばかりに彼も吸い上げてきて、楽しくなる。
どこかわくわくとした気持ちだ。
生きている彼に触れて、彼の存在をこうして直に確かめていると、そのエネルギーが自分にも流れてくるような気がした。
下ろした右手でバスローブの紐を解き、はだけさせると、その下は全裸だった。
腹に触れると、引き締まって堅い腹筋が掌を反対に押し返してきた。
それは全く男性的で、女性のように柔らかくも滑らかでもなかったが、その感触に私はたまらなく興奮した。
そこから胸元まで手を上げる。
胸も筋肉で逞しく盛り上がっていた。
その頂点の小さな突起を指の腹でこね回すと、彼が身体をぴくっと震わせた。
私の愛撫で反応してくれている、と思うと、嬉しくて幸せな気分になる。
唇を深く吸って、名残惜しげに離して彼を覗き込む。
彼も私を覗き込んできて、なんとなく私たちはお互いに目を見合わせて笑った。
すぐにでも彼のことが抱きたくなる。
こんなに興奮するなんて、もうここ何年もなかった。
もどかしく、Tシャツとハーフパンツを下着毎脱いで全裸になると、私は彼の身体に覆い被さった。
彼がくすっと小さく笑いながら私の首に両手を回してきた。
もう一度キスを交わし、それから私は顔をずらして彼の乳首を口に含んだ。
小さくて可愛らしい乳首だった。
浅黒い彼の艶やかな肌によく似合う。
乳輪を舌で入念にねぶって、それから中央の乳首を唇で挟んでちゅっと吸い上げる。
「…あっ…」
密やかに彼の声がして、私は背筋にぞくりと甘い戦慄が走り抜けるのを感じた。
彼が快感を堪えるように強く私の髪を引っ張ってきた。
「それじゃ動けないよ…?」
そう言うと、はっとしたように力を緩めてくるところが素直だ。
乳首をねぶりながら手を下ろして、私は彼の身体の中心で息づいている性器を下から掬い上げるようにして握った。
「うっ……ァ…っ」
彼が身を捩って熱い吐息を漏らす。
私の手の中のソレは既に勃起していて、火傷しそうに熱く硬く漲っていた。
男のモノを握るなんていう経験も初めてだったが、全く不快感はなかった。
私の愛撫で彼が感じてくれている事が、とても嬉しかった。
もっと彼を喜ばせたい。
私が彼を喜ばせ、守ってあげたい。
「ぁ……っう……っん…」
陰嚢を軽く手の中で揉み込み、陰茎の根元に指を絡め海綿体をきゅうっと搾るようにして先端まで指を滑らせる。
彼が断続的に短い声を上げながら、顔を左右に振った。
その声を聞くだけでも興奮して、我慢しているのが辛いほどになってくる。
身体がかっと熱く火照る。
たまらなくなって私は身体の位置をずらし、彼の両足に手を掛け開かせるとその間に割って入った。
眼前でふるりと頭を揺らしているペニスを見つめる。
そこは彼らしく伸びやかで美しかった。
剥き立ての果実のような先端は透明な先走りでねっとりと濡れていて、それを見るだけでもゴクリと喉が鳴った。
誘われるようにして私は彼のペニスを口に含んだ。
「うぁっっ!」
びく、と大仰に彼が身体を震わせ、両手がシーツをぎゅっと掴む。
ぬぷ、と水音を立てて茎の半分ぐらいまで飲み込むと、唾液をたっぷりと絡ませながら私は歯に当たる硬いソレを口の中で扱き始めた。
陰茎の部分に歯を立てて甘噛みしながら亀頭の部分まで口を動かし、舌先を鈴口にぐっとねじ込む。
「くぅ……んっ……あ゛ァっっ…」
少し高いトーンで彼が呻く。
聞いた事の無いような声だった。
ズキン、と戦慄が背筋を走り抜けた。
股間に血液が急速に流れ込んでいく。
こんなことをした事がないからどう考えても巧みとは言えないと思うが、そんな私の拙い愛撫で彼が感じてくれている。
その事実にも感動し、興奮が高まる。
茎の根元の部分を右手で強く圧し、左手で丸く張り詰めた陰嚢を包み込んで中の玉を転がしてやる。
そうして数度顔を上下させると、
「あ―ぁ…っっっ!」
彼が全身を強張らせながら達した。
咥内に熱い粘液が溢れる。
喉奥に叩き付けられたそれを、私は躊躇無く飲み込んだ。
体液特有の味と匂いがしたが、全く気にならなかった。
それより、彼が私の愛撫でイってくれたということが嬉しくてたまらなかった。
丁寧に舐めとって綺麗にしてから顔を離す。
射精の余韻に浸ってはぁはぁと息を継ぎながらベッドに沈んでいる彼を、胸元に抱き寄せる。
くったりとなった彼は、素直に身体を寄せてきた。
可愛くて愛しくてたまらなくなって、私は彼の顔に何度もキスをした。
額に、眉頭に、目尻に、頬に、鼻の頭に。
私の方はと言えば、最早少しも我慢できないほどの興奮が、身体の中を渦巻いていた。
しかし、これ以上していいのかどうか分からなかった。
男同士のセックスと言えばアナルセックスだ。
勿論、私はしたことはない。
彼が経験があるかどうかは不明だが、かと言ってここで無し崩し的に事に及んでいいのか分からなかったし、彼が気持ち良くなってくつろいでくれさえすれば、私はそれで満足だった。
身体の方はあとで自分で処理すればいい。
そう思っていたが、しどけなく私に凭れていた彼が、顔を上げて濡れて潤んだ飴色の瞳を向けてきた。
「カート…アンタも、しろよ…」
低い声でそう囁かれると、全身が震えた。
彼の声は、いとも簡単に私を燃え立たせる。
そうだ、私は彼が、…ワイルドタイガーが好きなのだ。
ヒーローとしての彼の生き方を尊敬していたし、ちょっとはらはらさせられるテレビ中継はいつも目が離せなかった。
彼を見るとどきどきしてしまうからあまり見ないようにしていた事もあったな、などと思い出す。
なんとなく自分の心情を代弁してくれる相手として見ていた所もあった。
最近はコンビを組んで勢いが復活してきて、それはそれで嬉しかったけれど、自分が置いて行かれてような気持ちになっていたのも確かだ。
ワイルドタイガーは何年経っても、ヒーローの第一線で活躍している。
自分はいつの間にか資本主義社会の一つの歯車として組み込まれ、日々の塵労に疲れきったロートルだ。
そんな風に思っていたかも知れない。
でも、今は違う。
今は、私の腕の中に、素の彼がいる。
私の愛撫に応えて、素を晒け出してくれる。
――嬉しい。
彼が身体を少し上げて、ベッドの周りを見回した。
ベッドヘッドに引き出しがあるのを見つけてそこを開ける。
入ったばかりの部屋だというのに、随分気安いな、と思ったがそういう彼の行動も微笑ましてくて私はつい笑顔になった。
ごそごそと引き出しの中を漁って小物類や薬などが放り込まれた中から、彼が傷口に塗る軟膏を取り出した。
「これでいいや…。使ってもいいんだろ?」
「あ、じゃあ、私が…」
彼がキャップを取って開けようとしたので、私が慌てて受け取った。
なんとなくそれで何をするかは分かったし、そんな事は彼にさせるのではなく、自分がしたかった。
胸がどきどきした。
まるで初めてセックスをする少年のようだ。
自分が初体験した時の事を思い出す。
それは私が中学生の時で、相手は家庭教師に来ていた女子大生だった。
今考えると遊ばれていたのかも知れないが、その時のどきどきとした、どうしようもなく自分を持て余すような気持ち、それがなぜか20年後の今になって蘇ってくる。
私は頬を染めどきまぎしながら、柔らかいその軟膏を指にたっぷりと付けて、彼のアナルにそっと忍ばせた。
密やかな入り口を指先で探し当てると、襞の感触に心臓が更に跳ねた。
彼は、と見れば、やはり恥ずかしいのか、頬をうっすらと赤くして視線を少し逸らしながらも、私がやりやすいように、と足を広げてくる。
くしゃ、と乱れた髪と垂れた目尻、染まった頬、そんなものが私の視神経を通りダイレクトに脳に突き刺さる。
なんて、可愛いのだろうか。
そう思うと矢も盾も堪らなくなって、私は少し乱暴に指を彼の中に埋め込んだ。
「ん―っっっ!」
入り口は窄まっていて抵抗があったが、そこを突破してしまうと中は熱くうねって、やわやわと私の指に絡みついてきた。
指先が火の点いた蝋燭のように溶けて、とろとろになってしまうようだった。
ぞくぞくっと指から脳に電撃が伝わり、脳から股間へ、同時に全身へ、その興奮が広がる。
中はとろりと熱く、指先に感じる粘膜は指紋の模様の一つ一つにまで柔らかく絡みついてきて、私の指を引き込むように動いては押し返し、また引き込んでくる。
私はその初めての感覚に、全身が総毛立った。
「あっ……ァ…は、…ぁ…ふ…ッ」
掠れた声と甘い吐息が低く耳に響いて、鼓膜を震わせてくる。
外では雨がサーサーと静かに降っている。
カーテンを引いた部屋は薄暗く、その中にいると此処だけ異空間で、私と彼の二人だけの閉じた世界のように思えた。
素肌同士が触れ合い密着し、触覚からも情欲をかき立てられ、五感全てがセックスのための器官に成り代わる。
慎重に指を増やして彼の内部を探れば、彼が一瞬目を見開き深みのある琥珀色の瞳を忙しく瞬きさせ、すがるように私を見上げてきた。
「ここ、気持ちいい?」
尋ねると、困ったように目線を揺らしてから小さく頷く。
彼の感じる部分を指の先で小刻みにつつけば、あっあっと断続的に声を上げて内股の筋肉がきゅっと引き締まった。
シーツに黒髪をぱさぱさと振り乱して耐える姿は、過去に抱いたどんな女性よりも扇情的で、隠しきれない色香が漂ってきた。
私はもう我慢ができなかった。
指を抜いて彼の足を抱え込み、奥まった部分にペニスを押しつける。
そのまま体重を掛けてゆっくりと身体を沈めていけば、彼がびくびくと身体を痙攣させながらも、私に合わせて足を開き、腰を上げて挿入に協力してきた。
彼に痛みを与えぬように注意深く身体を進め、ゆっくりと押し入る。
時間を掛けて挿入し、漸く根元まで埋め込んで、私は彼の頭をそっと抱き締めた。
繋がっているという認識が私の心を揺り動かし、感激で殆ど忘我しそうだった。
彼の中は溶けた溶鉱炉のように熱くて、それでいてきゅうっと断続的に締め付けてくる。
その動きに意識が全て持って行かれそうになる。
顔を少し上げて彼の顔を覗き込むと、揺れて潤んだブラウンの瞳が、私を見つめてきた。
唇が少し開いて下唇が震え、少し戸惑っているような垂れた目尻には透明な涙の粒が一粒盛り上がってはつう、っと形を崩して頬を流れていく。
「痛くないかい?」
囁くと彼が首を振った。
「痛くねぇよ、大丈夫だ…だからもっと、動けよ。…激しく、して、くれ…」
涙の膜の張った潤んだ瞳でそう言われて、堪えきれるはずもない。
激しくと言われた通りに、私は彼の身体を激しく貪った。
彼の足をきつく折り曲げ、上から叩き込むようにペニスを突き入れては引き抜き、また突き入れる。
粘膜同士が擦れ合い、絶大な快感が脳に送られてくる。
腰を撓めて彼が感じる部分の見当を付けてそこを突いてやれば、
「っ…んっ…ぁ……は、ぁっ……――っっ!」
彼が身も世も無いというように身悶え、ぎゅっと固く目を閉じた。
そうしていると彼は、ヒーローの時の彼とは全く別人のようにも見えた。
浅黒く艶やかな肌には汗がしっとりと浮かび、胸元は大きく上下して濃い桃色の乳首を腫らし、喉元を晒しながら切なげに顔を振る。
ヒーローの時の彼も本当であるだろうし、今の彼も本当の彼なのだろう。
何回か注挿を繰り返していると、私は限界を迎えてしまった。
「あっ…―あっあっ…は、ぁ…っっ!」
彼が激しく息を継いで喘ぐ。
「もう、イきそうだ、ごめんっ」
そう言うと、いい、というように彼の両腕が私の首に回され、彼の汗で湿った熱い身体がしがみついてきた。
「うぅっ…んっんっ…、い、イイっ……す、げぇ…ぁ、気持ち、いいからっ…来いよ…っっ!」
そう言われてぎりぎりの所で我慢していた情欲が、ダムが決壊するように一気に溢れ出る。
私は彼の体内奥深くに、その情熱を一滴残らず解き放った。











その後、べたべたになった身体を軽く拭き、それから私たちはまたベッドで少し眠った。
乱れたベッドの中で全裸で、抱き合って。
体温が一つになって暖かく、乱れたシーツは意外なほどに心地良くて、心も身体も解放されるようだった。
次に目を覚ました時は既に、夕方近くになっていた。
寝室のカーテンは、ベッドの所でリモートコントロールができる。
カーテンを少し開けると、さっと夕方の淡く薄い日の光が差し込んできた。
彼が身動ぎをして、私と一緒に窓の方を見る。
空はまだ灰色の濃い雲が流れていたが、その雲が一カ所切れていて、切れ間からすっきりと澄み切った青い空が覗いていた。
何層にも折り重なった雲の一番端がまばゆく金色に光って、そこから太陽の光がすっと光の筋を何本も地上に降りている。
私たちはその光景を黙ったままベッドの中から見た。
彼がそっと身体を擦り寄せてきて、私は彼の髪にキスをし、肩を撫でた。
足を絡ませ合い、時折彼の頬や瞼にキスをしたり、目元を舐めたりしながら。
彼は私が目元を舐めればくすぐったそうに瞳を細め、それから甘えるように私の首筋に顔を埋めてきた。
私たちはそうやってじゃれあいながら遙か窓の向こう、盛り上がった何層もの雲が金色に輝き、それからオレンジ色に光り、そこに太陽がまばゆく煌めくのを眺めた。
そうして彼を愛おしんでから、私は彼の身体をゆっくりと離し、ベッドから降りた。
もう、別れる時間が迫ってきていた。
私がベッドから降りると彼が上体を起こし、すがるような目で私を見上げてきた。
行かないでくれ、とその目は言っていた。
そのまま抱き締めて、彼を私の物にしてしまいたかった。
腕の中に閉じ込めて、私が守ってやる。
今ならできそうだった。
彼は私を欲している。私を必要としている。
それは、途轍もない誘惑だった。
ベッドに戻って彼を抱き締めさえすればいい。
そうすれば彼は心細そうな顔を笑顔にし、私に身体を預けて安堵するだろう。
でも私はそうはしなかった。
私はクリーニングから戻ってきていた服を彼に差し出して、にっこりと笑った。
「さぁ、もう帰らないとね、コテツ君」
「…………」
彼の眉がきゅっと寄せられ、目尻が下がる。
泣きそうなその顔は愛らしくて切なくて、私は胸がずきんと痛んだ。
(ごめん、でも…)
彼が俯く。
私は俯いた彼を包み込むようにふんわりと抱き締めた。
乱れた黒髪を撫で、額に尊敬の念を込めてキスをした。
「コテツ君、君が今何を考え悩んでいるのか私には分からない。君は普段ヒーローとして責任の重い仕事をしているから、私には計り知れない何かがあるんだろうと思う。でも大丈夫。君なら絶対大丈夫だよ」
私は何度もそう繰り返した。
彼は身動ぎもせずじっと私の腕の中で聞いていた。
「ね、シチューを作るときってさ?」
突然脈絡のない話をし出したと思ったのか、彼が顔を上げた。
間近で目線が合う。
目の色は今は深い茶色に沈んでいた。
私はその目に向かって笑いかけた。
「シチューってさ、まず材料を一度に入れて、それで蓋を閉めて開けないようにして煮込まないと美味しくできないよね」
彼がやや不審そうな表情をする。
私は肩を竦めて笑った。
「シチューの材料が悩みの原因となるような事実って思ってくれないかな。何か問題が起こったら、集められるだけの事実を集めてそれをシチュー鍋に入れる。入れて煮込んで、煮込む間は絶対に蓋を開けない。その間は考えても心配しても、仕方がない。時間がまだ経ってないから。そのうちに時間が経っていつの間にか美味しいシチューができてるんだ。だから君が今何か辛い事があっても絶対大丈夫。時間が経てば必ずなんとかなる。解決策がいつのまにか鍋の中にできてる」
そう言うと彼はやはり困ったように眉を寄せながら、目を伏せた。
考えているようだった。
「それからね、コテツ君、私は人生にはほんの少しの無駄もないと思ってるんだ。私は今日、君に会った。君は今日、私に会った。これはきっと人生の貴重な1ページなんだ」
彼は目を伏せたままだった。
暖かな身体を私は慈しむように撫でた。
「君がゴミの山の中で雨に打たれていたことも、きっと君の人生にとっては絶対に欠くことの出来ない貴重な1ページで、どんな時でもどんな事にもちゃんと意味がある。私はそう思ってる。君に会えて良かった。君とこうして1日過ごせて良かった。君が好きだよ…」
好き、という時に少し声が震えてしまった。
もっと、もっと溢れるような思いが心の中にあった。
けれど、それは私が自分で処理しなければならない気持ちだ。
彼にぶつけていいものではない。
「そうだ、これ…」
私はベッドサイドに置かれていたバッグの中から名刺を取りだして、裏側のメモ欄に私個人の携帯番号とメールアドレスを書いて、その名刺を彼に渡した。
「はい、君が絶対大丈夫だっていうお守り。なんて言うほどたいしたものじゃないけど、ここから私に連絡してくれよ。いつでも大歓迎だから。待ってるから、ね?」
そう言って宥めるように彼の肩をぽんぽんと叩いて、身体をゆっくりと離す。
身体を離すとき、心が千切れるような思いがした。
このままずっと、ずっと彼を抱き締めていたかった。
体温を感じて、守ってやりたかった。
名刺を渡してはみたけれど、彼が私の手を離れて一人になってここから出て行けば、きっと彼はもう二度と私の前に現れないだろう、私はそう感じていた。
彼が、こうして弱い一面を見せているのは今だけだ。
元々彼はとても強い人間なのだ。
私なんかとは比べものにならないぐらい。
普段なら、私の方が彼に守られるべき一市民なのだから。
彼が顔を上げて、寂しそうに微笑んだ。
たまらなくなって私は、彼の背中に手を回し強く抱き締めた。
それから最後に、私たちはしっとりとした深いキスを交わした。
もう、お互いに30を過ぎたいい年だ。
はっきりと白黒を付けるような、そんな潔癖な年代でも無かった。
だからさよならは言わなかった。
またすぐに会えるような気持ちで、そうして別れたい……。











彼が服を着て出て行くのを玄関まで見送る。
ここがどこか今の彼にはちゃんと分かっているようだし、一人で帰れるとも言ったからそこから往来まで送ることもしなかった。
「そう、…じゃあ、またね?」
そう私は言った。
「あぁ、またな、カート…」
ハンティング帽を被り、右手にヒーロー専用のPDAを嵌め、きちんとした服装になった彼は、いつもの、ヒーローのワイルドタイガーに戻っていた。
一瞬、目線が交差して、彼の琥珀色の瞳がじっと私を見た。
私も彼を見つめた。
それから彼は身体の向きを変えると、扉を空けて出て行った。
ゆっくりと、しかし確実に足音が遠ざかる。
出来る限り耳を澄まして聞いていたが、やがてその足音も聞こえなくなった。
今までの馴染み深いしんとした部屋が戻ってきた。
いつもの日常だ。
この静まりかえった雰囲気が好きだった、――はずなのに。
突如、切なくて切なくて、どうしようもなくなって、私は崩れるように床に膝を突いた。
窓から夕方遅くの濃いオレンジ色の最後の夕日が、部屋の奥まで差し込んでいた。
それは私の顔を照らし、足下を照らし、乱れたベッドを照らした。




私はいつまでも、…夕日の最後の光が薄くなって、消えていって、部屋に静かに闇が忍び寄るまで、…そのままずっとそれを眺めていた…。







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