◆HONESTY◆ 1
アポロンメディア社の勤務態勢はフレックス制だ。
基本的に8時間労働をすれば自分の好きな時間に出社し、帰ることができる。
バーナビーは比較的早く出社して、帰りもその分スマートに早く帰るのを旨としていた。
「お先に失礼します。お疲れ様でした」
そう言ってヒーロー事業部を出、エレベータで1階まで降りると、ゲートで退社認証を済ませて、ビルの外に出る。
暗くなったゴールドメダイユ地区の街は、これから夕食を共にするらしいカップルや友人のグループが三々五々行き交い、華やかで上質な街の雰囲気を醸し出していた。
しかし、バーナビーには、家に帰っても何も予定がない。
バーナビーの自宅マンションは、アポロンメディア社からほど近いゴールドステージの高級住宅街の一角にある。
帰りに食材を買って帰るにしても、作るのも面倒くさいから、すぐに食べられるものにしてしまおう…。
そう思いながらも、帰っても何もすることがないと思うと、バーナビーは小さく溜息を吐いた。
本当はしたい事があった。
それをすれば、何もかも忘れて自分が無くなるような一瞬、解放された瞬間が手に入る。
それが恋しかった。
つまり、――それはセックスだった。
それも、女性とのセックスではない。
男性とのセックスだった。
自分が受け身で相手に良いように翻弄されぐちゃぐちゃに掻き回される、そんな自分が自分で無くなるようなセックス。
それがしたかった。
ついこの間まで、バーナビーはそういう生活が送れていた。
アカデミーの学生として生活をしていた頃は、自分の研究が終わってしまえばその後ふらりと街に出て、その手の人間の集まるスポットに行っていた。
そうすれば必ず誰かが声を掛けてきて、後腐れがない一夜の、すっきりとした気分転換ができるのだった。
気持ちが良く、いつもは自分を覆っている殻が壊れて、中を他人に掻き回されてぐちゃぐちゃになって、一旦死ぬ。
そこからまた、再生する。
その過程が好きだった。
自分が生き返るような気がした。
自分がいつも守っていなければならないものを捨ててしまう、そんな自由さがあった。
勿論、誰かと熱を共有するのも好きだった。
体内深く入られて掻き回されるときの快感は、何物にも代え難い。
たいてい後腐れが無く、お互いに遊びと割り切っている相手としかセックスしないので、その点でも気が楽だった。
一夜限りの相手になら、何を晒したって構わない。
その気楽さが何にも代え難く、バーナビーを魅了していた。
しかし、ヒーローとなってアポロンメディア社に就職し、顔と名前を出してしまった事が、バーナビーのその生活に終止符を打った。
勿論、長年の宿願であった親の復讐を果たすための第一歩、となれば、そのために生活に制限が及ぶのは致し方のない事だ。
覚悟はしていた。
しかし、実際ストイックな生活を強いられると、それが意外なほどにバーナビーを苦しめた。
心が解放される瞬間が、ない。
常にバーナビー・ブルックスJr.という人間を作って、その殻を被っていなくてはならない。
被り続ければ続けるほど、その殻は完璧となり、他人に賞賛される代わりに、自分はますます余裕が無くなっていった。
最近では、些細な事でいらいらする。
特に、コンビを組む事になった男に対して、ほんのちょっとした事で不満が募った。
十歳以上年上のベテランヒーローは表裏がなく、自分とは正反対の性格だった。
同じなのはネクストとしての能力だけだ。
ヒーローとして名前と顔を隠して活動しているという不自由さも、あまり気にならないらしい。
スポンサーのご機嫌取りも気にしていなければ、ポイント取得も彼にとってはあまり意味のないものらしい。
あくまで彼は市民の命を守る正義のヒーローという信念の元に、愚直にヒーローという仕事をこなしていた。
そういう固い信念とぶれのなさ、人の評価を気にせず突っ走る性格が非常にうざかった。
自分に対してもやたらと踏み込んでくる。
突き放しても突き放してもしつこく話しかけてくるところに、いい加減いらいらしていた。
こんな時、心の中にわだかまっていたイライラを、セックスなら一瞬にして解消してくれる。
誰でもいい。
ぐちゃぐちゃに自分の中を掻き回して、中に溜まって固まってしまった心の泥を、全て掻き出してもらいたい。
そうは思うのに、それができない。
アポロンメディア社のCEOで自分の育て親であるマーベリックからは、高名なカウンセラーを紹介されていた。
カウンセラーと同時に精神科医も紹介されていて、自分が連絡を取りさえすればすぐにでも診てもらうことが出来る。
そういう点で恵まれているのは分かっていたが、しかしバーナビーはカウンセラーや精神科医にかかる気は微塵もなかった。
そんな事をしたら、自分の人間性の不甲斐なさ、弱さを認めるような気がした。
プライド的にどうしてもできない。
かと言ってこのまま心の中に棘が刺さっていくを止める事もできない。
そうすると出動中も些細な事でかっとなってつい暴走してしまいそうになって、最近では自分を抑えるのが難しくなってきた。
そんな風に煮詰まった日々を過ごして数日。
その日もむっつりとしてデスクに座っていると、隣のデスクから声を掛けられた。
「バニー、大丈夫か?」
知らない間に頭を抱えていたらしい。
はっとして顔を上げると、琥珀色のよく変化する深い瞳が、じっと自分を見つめていた。
「なぁ、最近ちょっとイライラしてねぇ?なんか悩み事でもあるのか?」
そりゃあある。
ものすごくある。
とは思っても、口には出さず、じろっと虎徹を見る。
虎徹が眉を寄せて、垂れた目尻を更に垂らした。
「今日さぁ、夕飯でも一緒にどうだ?俺が作るからさ」
いい加減、イライラが勝って考えるのも嫌気が差していたからだろうか。
バーナビーはあまり仲が良いとは言えない同僚の誘いに応じて、彼の家に行く事になった。
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