◆HONESTY◆ 9
その日は虎徹とセックスをする予定で心が躍っていたはずなのに、バーナビーは結局一人でマンションに戻った。
彼が来るときの為に用意しておいた酒やつまみも見るのも忌々しく、帰って早々シャワーを浴びてそのままベッドに潜り込んでしまう。
ベッドに入っても、腹が立つやら悲しいやら、気持ちがちりぢりに乱れてなかなか眠ることができない。
仕方が無く、そういう時のために処方されている睡眠薬を服用する。
そうした薬のおかげでいつしか眠りには入っていたようだが、しかし眠れた代わりにバーナビーは嫌な夢を見た。
夢の中で、場所は分からないが、バーナビーは虎徹と対峙していた。
虎徹が今までにないような冷たい、見知らぬ他人のような表情をしていた。
まるで初対面に戻った時のようだった。
「もう別れようぜ」
虎徹が吐き捨てるように言ってきた。
「いつまでもこんな事をしていてもしょうがねぇし、やめようぜ」
肩を竦めて掌を上に向けてひらひらさせて言う。
「…いやです!」
バーナビーは夢の中で絶叫した。
しかし、そんなバーナビーの声に唇を歪めて笑うだけで、虎徹はバーナビーに背中を向けた。
そのままバーナビーから離れていく。
「置いていかないで、おじさんっ!」
バーナビーは虎徹の背中にすがるように叫んだ。
「待って、おじさん、僕を一人にしないでっ」
そう行って虎徹の背中に向かって駆け出す。
全速力で駆けているつもりなのに、いっこうに虎徹との距離は縮まらなかった。
虎徹は歩いているというのに、全く近付かない。
それどころか、虎徹の背中が小さくなっていく。
絶望的な気持ちが湧き上がってきた。
バーナビーは虎徹に向かって手を伸ばし、声を限りに叫んだ。
「あなたがいないと、僕は生きていけないんです!おじさん、置いていかないで!あなたが好き、好きなんです!!」
好き、と絶叫して、喉が嗄れて声が出なくなるほどに叫んだ所で、はっと目が覚めた。
一瞬夢かうつつか分からなくなって、飛び起きる。
全身、冷たい汗でしっとりと肌が湿り、心臓は破裂しそうにどきどきとしていた。
いてもたっても居られない焦燥感で全身が震えていた。
バーナビーは激しく頭を振った。
なんとか気持ちを落ち着かせようと肺にいっぱいに酸素を吸い込んでは吐き、深呼吸を繰り返す。
さっきのは夢だ、夢なんだ、と何度も自分に言い聞かせる。
胸に手を当てて目を閉じる。
目を閉じると、自分が夢の中で叫んでいたセリフが頭の中で何度も再現された。
「あなたが好き、好きなんです…!」
夢の中の自分はそう叫んで、遠ざかっていく虎徹に追いすがろうとしていた。
『好き』
その言葉はすとんと、バーナビーの胸の中心に降りてきた。
――そうなのだ。
自分は虎徹の事が好きになっていたのだ。
他人を好きになるなんていう感情が自分にあったなんて。
その事にも驚愕する。
行きずりのセックスを重ね、それで満足していた自分に、人を好きになるなんていう気持ちがあったなんて。
でも、確かに自分は彼の事が好きだ。
バーナビーは目を開けて胸を押さえた。
虎徹の事を考えると、胸が痛む。
この切なくて、悲しいのか嬉しいのか分からないような気分は、好き、という気持ちなのだ。
虎徹が恋しくて、会いたくてたまらなって。
自分の方だけ振り向いて欲しくて、理不尽だと分かっていても、彼がアントニオと仲良くしているのを見て嫉妬した。
素直に自分の気持ちが言えなくて、意地を張って虎徹を怒らせてしまった。
………彼は、どう思っただろうか。
あんなに自分の事を気にかけてくれているのに。
…………でも、でも、ダメだ。
バーナビーは唇を噛み締めた。
虎徹はセックスはしてくれるけれど、自分の事を好きでも何でもない。
元々、男に肉体的欲望を抱く趣向のある自分と違って、彼は性嗜好はノーマルで、既婚者なのだ。
今、自分とセックスをしてくれているのは、自分に同情したからだ。
決して、肉体的な欲望を自分に感じたからではない。
彼は優しいから、たとえそれがセックスなどというようなとんでもない要求であっても、受け入れてくれたのだ。
けれど、それはただの同情でしかない。
虎徹の左薬指にシンプルな結婚指輪が嵌められているのを、バーナビーはよく知っていた。
彼の妻は5年前に病気で亡くなったと言う事だが、その後も彼はその結婚指輪を外さずずっとはめている。
ということは、彼にとって最愛の相手はその亡くなった妻という事になる。
きっと幸せな恋愛をして、幸せな結婚生活を送っていたのだろう。
自分とは全く違う。
好きでも何でもない相手とただ欲望のためだけにセックスをし、自分の欲求不満を解消しカタルシスを得ていた自分とは。
虎徹にとってセックスとは、大切な相手との愛の交歓の手段なのであり、それはとても幸福で満ち足りたものだったのだろう。
それを自分は自分の欲求不満の解消、精神的安定のためだけに彼に強請った。
バディであるというのを逆手にとって、彼にセックスを強要した。
本当は嫌だったのではないだろうか。
でも彼は優しいから。
困っている人間を見るとほおっておけないから。
人の役に立つことが何よりも好きだから。
そしてその相手は自分の相棒だったから…………。
だから、普通なら絶対に受け入れられないような要求を受け入れてくれたのだ。
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