「ヒーローTVラーイブ!はい、今日の活躍は、今期も相変わらず安定のKOH、バーナビー・ブルックスJr.でしたぁっ。さすがKOHを3年も続けているだけありますね。いつにも増して華麗なキック!そして容赦のない攻撃っ。あ、バーナビーさん、今日もご活躍でしたが、調子絶好調みたいですね!」
「えぇ、ありがとうございます。おかげさまで、市民の皆さんを今日も守る事ができました」
「それにしても、バーナビーさん、お一人でご活躍されるようになってから、既に3年経ちます。勿論KOHとしてお一人で十分なご活躍なのは弁を待たない所ですが、ファンの中には以前のようなコンビ攻撃も見たいという人が大勢いますよ。どなたかとコンビを組むご予定とかお気持ちはありませんか?」
「コンビですか?勿論、また組みたいですよ。……ワイルドタイガーさんとね」
◆Four Leaf Clover◆
ピッピッピッピ……。
規則正しく一定の音程でリズムを刻む機器。その音はすっかり耳に馴染んだ。
この音が変化せず、こうして一定のリズムで鳴っている限り、容態に変化はなく安定している。
バーナビーにとってこの音は安心の音だ。
「虎徹さん、お加減いかがですか?」
白く清潔なベッドの上で、彼は静かに眠っていた。
整えられていない黒髪は柔らかく枕に散り、穏やかな表情は、口元にかすかに微笑みを浮かべている。
目は閉じられたまま、かなり痩せて肋骨の浮き出た身体にゆったりとした病衣をまとって、ここ、シュテルンビルト中央総合病院特別病棟の一室で眠っている。
大きな窓の外は、すっきりと晴れた冬の空だ。
澄み切った青の中に、小さくふんわりとポセイドンラインの飛行船が浮かんでいる。
バーナビーは窓の外を見上げ、眩しさに翠玉の瞳を眇めた。
「虎徹さん、眩しくないですか?」
薄いレースのカーテンを引く。柔らかい光がうっすらと差して、ベージュで統一された部屋の色が一層暖かくなる。
彼が入院して3年になる。
その間に、まずは呼吸器が取れ、次に栄養を送るチューブが外され、自力排泄もできるようになった。
今は彼の身体に繋がれている管はない。
相変わらず意識が戻らないというだけで、身体の方はほぼ回復を見た。
バーナビーは毎日、この病室に訪ねてくる。
仕事が終わった後、休日は朝から。
入院費用はアポロンメディア社含む7代企業が支払っている。
最先端の治療も受けさせてもらった。
アポロンメディア社はCEOの交替、ヒーローTVはそのまま存続。
表向きは何事もなかったように世界は動いている。
ただ、虎徹だけが時を忘れて眠っているだけで。
3年の間に、彼の娘である鏑木楓は小学校を卒業し、今年よりシュテルンビルト市内にある、ヒーローアカデミー中等部に入学した。今は寮生活を送っている。
バーナビーほどでないにしても、楓も父を見舞いに頻繁に病室を訪れ、バーナビーのマンションを訪れている。
虎徹が入院してから、バーナビーは、一回り大きいマンションに引っ越しをした。
5LDKの広大な部屋だ。
その部屋の一つに、虎徹のアパートから引き取ってきた彼の荷物を入れてある。
大きな家具は部屋に設え、彼がまとめていた段ボール箱はそのまま置いてある。
その隣の部屋は、楓の部屋だ。
楓が遊びに来て泊まったりする時に、利用してもらっている。
二人で一緒に炒飯を作って食べたり、巨大スクリーンで映画を見たり、タイガー&バーナビーの録画を見たり。
楓には正直に二人の関係を話してある。
拒絶覚悟で打ち明けたが、意外にも楓はそれをそのまま受け止めてくれた。
それは、父親が瀕死という異常事態だったからかもしれない。
そんな時に打ち明けたのは卑怯だったかもしれないが、でもバーナビーは楓に隠し事はしたくなかった。
今では、擬似親子のように、仲良く穏やかに、虎徹を介して付き合っている。
虎徹は…身体はほぼ回復した。
ダメージを受けた内臓も、数度の手術に耐え、元々の頑強で健康な体格もあって、身体的にはもう健常人と大差ないはずだ。
あとは、彼が目を覚ますだけだった。
目を覚ましてすぐに動けるように、意識のない彼にリハビリが続けられている。
起きる訓練、手や足の筋肉を回復するトレーニング。
バーナビーも休日には彼を車いすに乗せて、病院の外に連れ出している。
病院の外は、緑豊かな森と噴水の美しい瀟洒な公園だ。
がっくりと項垂れた彼にできるだけ自然の風を当てたり、太陽の光を当てたりする。
そして話しかける。
「虎徹さん、花が咲いてますよ」
「虎徹さん、鳥がいます。可愛いですね」
「虎徹さん、四つ葉のクローバーを見つけました。こんなのを探してるなんて、ちょっと恥ずかしいですけど…貴方にどうぞ…」
そう言って、項垂れた彼の力無く膝の上に置かれた手の平にそっとクローバーを置いてみる。
覗き込むようにして、彼に話しかける。
目を閉じて俯いた彼は、やはりそのまま俯いたままだ。
けれどバーナビーは構わずに話しかける。
何度も何度も。
車いすを押して病院に戻ると、看護師や専門のスタッフからも虎徹は次々を声を掛けられた。
みんなが彼を見守ってくれている。
たまに楓が見舞いに来ると、3人で公園に行くこともある。
車椅子の虎徹をはさんで芝生に座り、話す。
話している内容が、必ず虎徹に耳に届くように。
「お父さん、いつまで寝てるの?早く起きてよ」
時折我慢できないのか、楓が強い口調でそう虎徹に言う事もある。
「まぁ、楓ちゃん、お父さんもきっと起きたいって思ってるよ。もうちょっと待とうよ」
「…うん、バーナビーさんがそう言うならしょうがないけど…」
そう良いながらも父親を見る楓のまなざしは優しい。
バーナビーを見て、父親を見て、肩を竦めて笑う。
虎徹さん、みんな待ってますよ。
早く目覚めてください。
そう願うけれど、それを考えるのは――もし目覚めなかった時の事を考えなければならないのは、辛い。
「バーナビーさん、急いで病院に来てください」
突如連絡が入ったのは冬の寒い午後のことだった。
出動要請もなく、ヒーロー事業部で仕事をしていたところで、即座に病院へと駆けつける。
「どうしましたか?」
馴染みの看護師が出迎えてくれて、二人でエレベータに乗る。
「鏑木さんが、気が付きそうなんです」
「えっ…ほ、本当ですか?」
「えぇ」
病室に入ると、数人のスタッフと担当医が虎徹を覗き込んでいた。
「あ、バーナビー君、もしかしたら、鏑木君が目を覚ますかもしれない。朝から反応が違うんだ。今、意識が覚醒するようにと薬剤を打ってみた。暫く様子を見ていてもらえないかな?できるだけいろいろと話しかけてみてください」
「はい、…大丈夫です」
「容態的には安定しているから、心配は要らないと思う。もしいつもと違ったら、すぐ私たちを呼んでくれ」
「はい」
スタッフ達が出て行くと、病室は静かになった。
ピッピッピッピ、という機械音が響くだけだ。
虎徹の様子はバーナビーから見ればいつもと同じだった。
穏やかな寝顔。
閉じた瞼。
笑っているような口元。
本当に、覚醒するのか。
分からない。
今更心臓がどきどきとしてきた。
いや、でも期待して外れた時の落胆は大きい。
何も考えないようにして、とにかく話しかけなければ。
心臓の音が煩い。
緊張する。
「虎徹さん…」
ベッドの脇に椅子を持ってきて、バーナビーは彼の顔に頬擦りするように顔を寄せて話しかけた。
「虎徹さん、この間、コンビはもう組まないんですかって聞かれたんですよ、僕。だから言ってやりました。勿論貴方と組むつもりはあるって。僕、今年もKOHになりそうですよ。虎徹さんがいつも応援してくれてるからですね。貴方とこうして一緒に居られるから…」
囁いて、虎徹をじっと見つめる。
滑らかな頬にふんわりと唇を押し当てる。
柔らかい感触と、石鹸の匂いがする。
「虎徹さん、僕、炒飯がプロ並みになりましたよ。楓ちゃんに褒められるんです。勿論味は貴方の味ですよ。楓ちゃんからは『お父さんよりずっと美味しい』なんて言われるんですけどね。早く貴方の炒飯また食べたいな…。最後に作ってもらった時、食べられなかったのが残念で。…でも、その分次に貴方に作ってもらえるのが楽しみですからね。ずっと待ってるんです」
虎徹に話しかけるというのは、自分の思い出をつぶさに思い出す事だ。
今まで日常に隠れていた思い出が意識上に出てくる。
なんとも言えない切ない感情が心の中に湧いてくる。
少し、困惑した。
今感情的になるのは避けたかった。
何より、穏やかな気持ちがかき乱されるのは辛かった。
辛い。
3年前のあの時のように、死にそうな程の辛い思いは…もうしたくない。
けれど、一度思い出してしまうと、当時の感情が心の中に次々とわき出してきた。
自分が放った銃撃の光線で、虎徹が瀕死の重傷を負った事。
彼の能力減退を、知らなかった事。
自分の腕の中で、がくりと項垂れた彼の重み。
最後の言葉。
「虎徹さん……」
声が震えた。
どうしよう。困った。
――いけない。
今は自分の甘っちょろい感情などにかまけている暇はない。
虎徹が目覚めるかも知れないのだから、声をかけ続けなくては。
「虎徹さん、……」
でも、感情が溢れてくると、さりげない内容はもう思い浮かばなくなってしまった。
「早く、起きてくださいよ、虎徹さん。…貴方がいないと僕、ダメなんです。本当は分かってるんでしょ。…いつまで寝てるんですか。もう、起きてもいいじゃないですか。待つの、辛いです…」
恨み言は決して言わないつもりだったし、感情さえ制御できていれば絶対そうできたはずだった。
けれど今はダメだった。
一度口にしてしまうと、それは堰を切ったように溢れてきた。
「虎徹さん、僕がもう待てないって言ったら貴方どうします?僕、そんなに精神力強くないですよ。もしかしてって思ってずっと生きるの辛いです。…虎徹さん、…嘘です。いつまでも待ちます。ごめんなさい。虎徹さん、弱音吐きました…」
しまった、と思ったが、その時には既に言葉が口から出ていた。
重い後悔が胸をいっぱいに塞ぐ。
奥歯を噛み締めたが、堪えきれず、涙で視界が滲んだ。
「虎徹さん、虎徹さん……」
顔を擦り寄せて、目を閉じる。
彼の暖かい頬にほっとする。
彼は生きている。
こうして息をしている。
これ以上何を望むことがあるだろうか。
贅沢だ。
――いや、でも、声が聞きたい…。
名前を呼んでもらいたい。
なんでもいい、何気ない会話がしたい。
目を開けて、間近に虎徹を見る。
おずおずと唇を寄せて、触れるか触れないか、ほんの少し一瞬だけ、口付けをする。
柔らかく、ちょっとだけかさついた感触がする。
触れたらもっと感情が溢れてしまうのに…でも、触れないではいられない。
「虎徹さん、ごめんなさい…。貴方が僕にしてくれた事棚に上げて、貴方を責めてしまいました。ごめんなさい。…僕はずっとずっと待ちます。貴方が目覚めるまで。…もし、目覚めなくても…待ちます…。愛してます。貴方がもし目覚めなくて、これ以上病院にいられなくなっても僕が引き取りますからね。一緒に暮らしましょうね。毎日散歩に行きましょう。楓ちゃんもいますよ。寂しくないですよ。それから…、貴方と一緒に眠ります。毎日貴方を腕の中に抱いて。きっと幸せですよね?」
大丈夫。
自分は耐えられる。
彼さえいれば。
生きてさえいれば。
そうだろう、バーナビーブルックスJr.。
指を伸ばして彼の頬を撫でる。
暖かい。
――大丈夫だ。
大丈夫大丈夫。
何度も何度も自分にそう言い聞かせる。
「虎徹さん…大好きです。貴方が生きていてくれて嬉しい。貴方が、僕と出会ってくれて嬉しい。貴方と…出会えて僕は幸せでした…」
それは虎徹に言うと言うより、殆ど自分に対して言った言葉だった。
囁いて、瞼をなぞる。
睫に指先で触れて、眼球を指の腹で撫でる。
瞼に軽く唇を寄せる。
…胸が詰まる。
やっぱり、胸が痛い。
大丈夫だと思ったのに、やはり、辛い。
心の中が千々に乱れる。
「虎徹さん……虎徹さん、虎徹さん……」
これ以上話しかけるのは苦しかった。
言葉が思い浮かばない。
名前を呼ぶぐらいしかできなくなって、バーナビーは壊れた音響機器のように彼の名前をリピートした。
幸せなのは事実なのに、でも辛い。
辛いのも事実で、苦しくて、切ない。
…声が聞きたい。
いや、そんな事望んではいけない。
望めば自分が苦しくなるだけだ。
でも……。
「虎徹さん、…ねぇ、僕の名前、呼んでください…ダメですか?……」
つい、心の奥底で押し殺していた本音を言ってしまって、バーナビーは後悔した。
表に出してはいけない感情なのに。
考えてはいけないのに。
「しゃべってくださいよ、虎徹さんっ、ねぇ虎徹さん……、やっぱり、ダメですか?…虎徹さん…」
ダメだ。
これ以上彼の傍に居ると自分が制御できなくなる。
必死の思いで堪えて、バーナビーは立ち上がった。
嗚咽を噛み殺しながら、ベッドを離れて窓に凭れる。
目を閉じて深呼吸をし、感情を抑える。
夕暮れで、オレンジ色の光が、うすくカーテン越しに入ってくる。
閉じた瞼を赤く照らすその光は柔らかい。
暫くすると、漸く気持ちが落ち着いてきた。
深く息を吐いて、目を開ける。
夕方の薄い光が、ベッドまで差していた。虎徹にあたっていないか、心配になってベッドを見る。
夕暮れの金色の、暖かな光がベッドを薄淡いオレンジ色に染めている。
そして、それと同じ金色の瞳が、小さな太陽のように、煌めいていた。
「虎徹、さん……?」
虎徹が、目を開けていた。
金色に深く揺れる瞳が、バーナビーを見つめてくる。
真黒の中心を覆うように金色の虹彩が光り、白目との境界が銀色の輪となっている。
「…………バ、ニ…ちゃ、ん…?」
掠れた殆ど発声されない声。
彼は3年の間、一度も声帯を使わなかったのだ。
声が出なくて当然だ。
でもバーナビーには聞こえた。
唇が動き、微かな声が。
息だけの発声が。
涙で汚れた目尻をごしごしと拭く。
こんな姿、彼に見せられない。
狼狽する。
慌てているからか、無闇と無駄な動作をしてしまう。
金色の目が見ている。
暖かい目が。
3年の間焦がれた瞳が。
「おはようございます、虎徹さん。よく眠れましたか?」
できるだけ平静を装ったけれど、でもやはり声は震えてしまった。
でも、いい。
彼にはきっと何もかも気付かれてしまうだろうから。
気付かれても、いい。
なんでもいい。こうして彼が目覚めてくれたのだから。
でも次に何を言ったらいいか分からなかった。
何か、何かしゃべらなければ。
何を言ったらいいだろう、何も浮かんでこない…。
「虎徹さん、僕、炒飯作ってきましょうか。お腹減ったでしょう?」
結局口から出た言葉は、そんな陳腐なものだった。
虎徹がバーナビーを見上げて、ふっと瞳を細めた。
まだよく笑えないようだけど、それでも全然構わなかった。
ゆっくりと震える手が伸ばされる。
その手に引き寄せられるように近付いてバーナビーは虎徹の手を取った。
頬に当てる。
「……ご、め、ん…な…」
掠れた吐息だけの声。
でも虎徹の声だった。
耳から脳へ一気に伝わって脳全体を蕩かしてくる。
ふと気付くと、虎徹の指が自分の頬を流れる涙を掬って、宥めるように撫でてくれていた。
それはとても暖かく…………そして優しかった。
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