◆オジサンのバレンタイン☆デー◆ 3
数日後、バレンタインデーの当日。
朝から俺はそわそわしてバニーの様子を窺っていた。
午後になってアポロンメディア社の総務部からヒーロー事業部に、大量のダンボール箱が運ばれてきた。
箱の数は、と見ると30箱ぐらいはある。
「はい、これ、受け取りお願いします」
総務部の社員がそう言って事務のおばちゃんとやりとりをしている。
事務のおばちゃんが運ばれて積み上がった段ボール箱を見て、肩を竦めた。
俺もそれに呆然とした。
「あ、これ、バレンタインのプレゼントだってよ。タイガー、あんたにもあるわよ、はい」
その中の一箱を渡される。
「こ、これ、俺…?」
「……そ」
その他の30箱ほどの積み上がった箱を見る。
「こっちは全部バーナビーだって」
手前の段ボール箱は蓋が開けられていて、見えるようになっていた。
中を覗き込むとそこには色とりどり様々な大きさのチョコレートやらプレゼントやらが山となっていた。
いかにも一目で分かる高級ブランドのチョコレートやワイン。
それからこれはアクセサリーだろうか、有名宝飾店のどう見ても俺なんか手が出ないような高そうな店の箱。
一体どんだけ金使ってプレゼント買ってんだって思うようなものばかり見えて、俺は愕然とした。
思わず自分のは、と自分の段ボール箱を開けてみる。
焼酎メーカーの箱やその辺のコンビニで買ってきたと思しきチョコレート、あるいはまぁ庶民的なお得な店で買った靴下とかハンカチとか小物らしきものが入っている。
いや、でももらえるのは勿論嬉しい。
けれどバニーにあんなにプレゼントが届くとは……。
そりゃ勿論かなり来るとは思っていたが、せいぜい5、6箱かと思っていたので、その6倍もの箱に俺は呆然としてしまった。
しかもプレゼントがみんな高そうだ。
俺が作ったやつなんざ、自分ちの近所のスーパーで買ったチョコレートだ。
(………どうしよう…)
と思ったが、とにかく行動を起こさないと。
俺は事務のおばちゃんが出て行った隙に、机の下に隠しておいた自作のバレンタインのチョコを、一番手前で開いている段ボール箱の中にこっそり紛れ込ませた。
バニーがすぐ手に取れるようにと一番目に見える所に置く。
置いてどきどきしていると、そこにバニーがやってきた。
午前中取材があって、バニーはずっとヒーロー事業部にいなかった。
今日初めて顔を合わせたことになる。
「…よぉ」
「こんにちは、虎徹さん」
俺に挨拶をしてから、バニーの目が壁に積み上がった段ボール箱に行った。
俺はへらっと笑ってバニーに手招きした。
「ほら、これ、全部お前にだってさ。ずげぇよな、バレンタインのプレゼント」
「そうですか…」
全くいつもと変わらない平坦な声。
なんの感情も篭もっていないその声に、俺は一瞬どきっとした。
バニーはちらっと段ボール箱を眺めただけで、自分のデスクに行こうとする。
俺は慌ててバニーの手を掴むと、段ボール箱の前に連れてきた。
「見てみねーのか?」
「別に…見てもしょうがないですからね…」
「そ、そう……」
バニーが元々この手のプレゼントに関心がないのは知っていたが、それにしてもこんなにあるのに何とも思わないのだろうか。
俺だったら、絶対喜ばないと思っていても思わず目が輝いたりしちまうものだが。
「まぁそう言わずにさ、少し見てみろよ?」
急に胸がどきどきしてきた。
………どうしよう。
でもとりあえず作ったのだから、見せないと。
段ボール箱を開けて、俺は自分のプレゼントがバニーの目にとまるように自分のやつを押し出して見せた。
バニーの目が段ボール箱の中をちらちらっと見て、そして俺のプレゼントに止まった。
心臓がどくん、と跳ねる。
「こ、これとか、……どう?」
震える手で自分のプレゼントを持ち上げてみる。
バニーに渡す。
バニーが俺のプレゼントを受け取る。
目の所まで翳してみて、バニーが唇を少し歪めて笑った。
「これ、手作りみたいですね」
バニーの目が下に動いて他のプレゼントを見る。
有名宝飾店や有名酒店の超高級なラッピングのされたやつを見る。
「手作りとか、何が入っているか分かりませんからね。……ちょっと、気持ち悪いですね」
―――ズキ……。
確かにそれは、その通りだった。
こういう仕事をしていれば他人から恨みをかったりストーカーされたりすることだって、勿論ある。
だから手作りの物は危ないという意識があったって、全然おかしくない。
俺だって、考えてみればそうだ。
他人からの贈り物とかは必ず点検してから開けるようにしている。
………けれど。
その時のバニーの言葉は、俺の胸に鋭いナイフとなって、ざっくりと切り込んできた。
ふわふわしていた心がぐさっと一撃を受けて、そこから血が吹き出たような気がした。
『気持ち悪い』
それは、俺の恋心に対して言われたような気がした。
いや、自分だって勿論、自分の恋心を気持ち悪いと思っていた。
いい年をしたおっさんが何考えてんだ、正気の沙汰じゃねぇ、とも思っていた。
だいたい、バニーの言葉は得体の知れないプレゼントに対して言ったもので、俺に対して言ったんじゃねぇ。
だから、俺を気持ち悪いって言った訳じゃないんだ。
……けれど、俺は傷ついた。
傷ついて初めて俺は、自分がこのチョコレートを作るのにかなり感情を籠めて真剣だったんだ、という事に気が付いた。
表向き自分にも『開き直って告白してやれ』なんて冗談のように言い訳しながら始めた事だけれど、そんな風に誤魔化してへらへらしつつ、実は俺はすげぇ真剣だったんだ。
このチョコレートを作っている一週間、ずっと心を込めていた。
バニーの事を考えて、心がきゅん、となったり。
我ながら結構良い出来だと思って、バニーがこれを見てびっくりしてくれたらいいな、なんて思ったり。
『虎徹さん、すごいじゃないですか、これ』とか、褒めてくれねぇかな、とか思ったり
『虎徹さんが作ってくれるなんて嬉しいです』とか一言ぐらい言ってくれねぇかな、とか考えたり。
そんな事を考えて期待して、そして作りながら自分の心の中で、バニーに対する恋心を膨らませていったんだ。
ヒーロースーツとバイクの形に削ったチョコレートを箱に詰めてラッピングしている時も、どきどきだった。
バニーがこれを手に取って『すごい、虎徹さん』とか言ってくれねぇかな、とか。
開けて中を見てにっこりして俺に『ありがとうございます』って言ってくれねぇかな、とか。
……随分、都合の良い妄想だ。
現実にはバニーは俺のプレゼントを手に取って、こわごわ警戒したように触った。
中を開けようともしないで、見ただけで『気持ち悪い』と冷たい口調で言ったわけだ。
―――だよな…。
それが当然の反応だ。
こんな得体の知れない手作りのやつを見て、目をきらきらさせて『これすごい』なんて言ったら、そっちの方が変だもんな…。
どう考えたって、バニーの反応は一般的だ。
……けれど、俺は傷ついた。
自分でも、……驚いた。
こんなに自分が傷つくとは、思ってもいなかった。
くそっ、こんな事ぐらいで動揺すんじゃねぇよ……。
そう思ったけれど、駄目だった。
やばい、と思うよりも先に、鼻の奥がつうんと痛くなってきた。
―――泣きそうだ。
「……虎徹さん?」
返事をしない俺を不審に思ったのか、バニーが声を掛けてきた。
「あ、うん。………だよね。気持ち悪いよね、うん」
バニーに気付かれないようにしなくては。
俺は必死で笑顔を作って、平静を装ってそう返事をした。
けれど、声が震えてしまうのを取り繕う事はできなかった。
「悪い、ちょっとトイレ」
それ以上バニーの前に居ることができなくなって、俺はバニーに見られないように顔を背けると、急いでその場から逃げた。
ヒーロー事業部を出て、トイレに駆け込む。
個室に入って扉を閉めると、ぶわ、という感じで一気に涙が溢れてきた。
………なんだよ、これは。
一体俺は、何歳だ?
今時、好きな人にチョコレートをあげて冷たくされたから泣くなんて、小学生だってやんねぇぞ。
恥ずかしいにも程がある。
………泣くな。やめろ、鏑木虎徹。
気持ち悪いぞ、全く…!
バニーに気持ち悪いって言われても、当然じゃねぇか。
こんないい年したおっさんが、年下の、しかも同性の相手にチョコレートなんかあげて、そんでもって冷たくされたからって泣くとか。
我ながらキモすぎて笑える。
そういう風に考えると、悲しいのに思わず笑いが漏れてしまった。
笑いつつも胸が痛んで切なくて、涙は後から後から溢れてくる。
鼻をぐすぐす言わせ、トイレットペーパーを引き出して鼻をずずっと噛む。
それでも涙が止まらなかった。
泣く事なんて、滅多にないのに、一度涙腺が壊れるともう止めようがないみたいだった。
ひとしきり泣いてもまだ俺は鼻がぐすぐすしていた。
目は赤く腫れて充血していた。
こんな顔で戻って、仕事なんざできるわけがねぇ。
もう夕方だし、俺はトイレからヒーロー事業部に携帯でこのままジャステイスタワーに行ってトレーニングをしてから帰ると連絡をして、アポロンメディア社を出ちまった。
一応ジャスティスタワーには足を向けた。
が、他の奴らがいる所でトレーニングをやる気にもなれなかったし、相変わらず鼻はぐすぐすして目が腫れていたから、顔をちょっと出しただけで帰っちまった。
帰ってシャワーを浴びる。
気分を良くしようと思って、焼酎を飲む。
飲んでまぁ言ってみれば酒に逃げちまおうと思ったんだが、うまく行かなかった。
ソファに座って焼酎をちびりちびり飲みながら、どうしても溜息が出る。
…………切ない…。
自分がどんなにバニーの事を好きか、再確認しちまっただけに、辛い…。
バニーにあのプレゼントを手渡せば、自分の気持ちに整理が付くと思った。
どう考えたって、この『好き』っていう気持ちをバニーに伝えられるわけねぇから、プレゼントを渡すことで自分のこの恋心を引き出しにしまって、おしまいってなるわけだった。
なのに、反対にますますバニーの事が好きになって、切なくなっちまった。
バニー……。
――あのプレゼント、開けたんだろうか。
いや、あれが俺からのだって知らねぇし、手作りなんて気持ち悪いって言ってたもんなぁ。
きっとそのまま段ボール箱に逆戻りだ。
段ボール箱の中にはすげぇブランド品のアクセサリーとか高いワインとか高級な洋服とか、そういうのが目白押し。
チョコレートだってすげぇ有名な銘柄のやつばっかりだった。
そういうのをもらい慣れているバニーだもんな…。
……格好、いいよな…。
きっとお金持ちのセレブで美人で可愛いグラマラスな女の子たちが、群がってくるんだろうな。
……だよな。
だってあんなに格好良くてハンサムで能力が高くて……。
(……はぁ…)
またそんな事を考える。
気持ち悪い、と自分だってそう思う。
こんな髭面の中年のオッサンが、若くて格好いい男の子に、恋、とかな…。
「ははっ…」
肩を竦めて自嘲する。
まだ涙がぽろっと零れちまって、俺はごしごしと目を擦った。
気持ちを誤魔化すように焼酎をあおる。
―――と、そこに、俺のアパートのドアフォンを鳴らす音が聞こえた。
こんな夜に、実家から荷物か何かか?
俺はそのまま寝られるようにとTシャツと短パンの軽装だった。
しょうがねぇなぁ、とその姿で立ち上がって、玄関まで行く。
「…………バニィ?」
驚いたことに、そこにはバニーがいた。
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