◆すれ違いあっちこっち◆ 9
「バニー、今日、帰りどうする?」
終業時刻間際、トレーニングセンターから戻ってきた虎徹がバーナビーに声を掛けてきた。
どうする、と聞きながらも、バーナビーの家に行くつもり満々なのが見て取れて、バーナビーは微かに眉を寄せた。
あれから―――虎徹にマジな関係は駄目だと言われて目の前の肉欲に負けて承諾してしまってから。
虎徹は頻繁にバーナビーの家に泊まりに来るようになった。
元々虎徹は気さくでバーナビーの家に来るときも気兼ねしない。
自分で買い求めた食材でバーナビーの家で食事を作ったり、――と言ってももっぱら炒飯とスープぐらいだが――、あるいは出来合いのものを買ってきたり。
バーナビー用にとワインを買って持ち込んだり。
まるでバーナビーの家が自分のアパートの延長であるかのように気軽に、無遠慮に泊まりに来る。
そして泊まれば必ず、寝る前にはセックスをするのが習慣となっていた。
勿論、虎徹とセックスできるのは嬉しい。
彼が欲しくて欲しくて、最初、催眠術にかこつけて半ば騙し討ちのような形で彼の身体を手に入れた。
彼が怒ってそこで絶交されてもおかしくないぐらい卑怯な手を使ったと思う。
しかし彼は怒らなかった。
それどころか自分に向かって身体を開いてくれ、こうして今は彼の方から自分を求めて来訪するまでになっている。
セックスの時の反応も、勿論最初から愛らしく扇情的だったが、最近では虎徹の身体自体がアナルセックスに慣れたらしい。
痛みも感じなくなったようで、挿入すれば驚くほどに乱れ、彼から強請られたり、フェラチオをしてくれる事もある。
フェラチオのテクニックも最初はぎこちないものだったが、今では舌で舐られるだけですぐに達してしまうほどに、技巧的にもなっていた。
虎徹が自分を求めてくれる。
自分に身体を開き、強請り、自分の与える快楽で乱れてくれる。
自分で願っていた通りの展開なのに―――。
……でも、バーナビーの心は暗かった。
なぜなら………結局の所、自分たち二人の関係は、『セックスフレンド』だったからだ。
そう、セックスフレンドだ。
決して恋人ではない。
お互いの性欲を満たすために、肉体的接触を持ってはいても、ただの友人。
もうちょっと親密だから、かろうじて相棒。
……バディ。
その域を出ていない。
出ていないどころか、それ以上を望むのは厳禁、と虎徹に最初に釘を刺され、自分もそれに承諾してしまった。
その上で今の関係が続いているのだ。
だから絶対、これ以上二人の仲が進展する事はありえない。
虎徹は進展する事がありえないこの関係で、満足している。
自分は―――バーナビーは、寂しかった。
虎徹を抱いていても、いや、抱けば抱くほど、彼と身体が馴染めば馴染むほど、寂しさが増した。
虚しくて、虎徹が寝た後一人ベッドの端で彼から顔を背け、涙で汚れた目をシーツで擦って声を殺して泣くこともあった。
辛かった。
心の伴わないセックスが、セフレという関係が、これほど寂しく辛いものだとは思わなかった。
こんな気持ちになるぐらいなら、セックスなどしなければ良かった、とまで思った。
身体を手に入れてしまったから。
虎徹が自分にだけ見せてくれる特別な一面を知ってしまったから。
……だから、もっと欲しくなってしまうのだ。
セックスしていなければ、肉体的関係が無かったら、きっとこんな風に悩むことはなかっただろう。
バディとして、いい相棒として、虎徹を尊敬し敬愛し、仲良く付き合っていけたに違いない。
仕事上の掛け替えのない同僚として。
でも、虎徹の身体をバーナビーは手に入れてしまった。
欲しかったから。我慢できなかったから。
―――あの時。
ネイサンが虎徹に催眠術をかけて、なんでもいいから言ってみなさいよ、と誘いを掛けられた時。
あの時誘われるままに、自分が密かに心の底に隠していた願いを口に出してしまった。
虎徹と自分が恋人同士になる、という願いを。
そしてその通り、虎徹は催眠にかかった。
あの日のことを思い出すと、バーナビーの胸は鋭く痛んだ。
あの日の虎徹は疑いもせずにバーナビーと彼が恋人同士だと思い込んで、バーナビーに甘えてきた。
信頼しきった瞳と、彼らしい甘え方と、初めてしたセックス……。
バーナビーは溜息を吐いて胸を押さえた。
あんな催眠、かけなければ良かった。
結局あれが原因で、今の状態がある。
虎徹とは、身体だけの関係。
自分は虎徹に告白をしてみたけれど、拒絶された。
身体だけならいい、と言われた。
自分は、身体だけでも欲しい、とそれに承諾してしまった。
―――でも、そうではなかった。
身体だけでも、欲しかった、それは事実だ。
しかし、身体よりももっと…、もっと欲しい物があった。
虎徹の心だ。
心の伴わないセックスは、身体が気持ち良ければ良いほど、その快楽に比例して、心が虚しくなっていった。
寂しい……虚しい。
苦しい。
虎徹が欲しい。心が欲しい。
自分を、愛して欲しい。
好きだ、と言って欲しい。
今のような状態は、辛い。
心がびりびりに千切れてしまいそうだった。
だが、虎徹の心は自分には無い。
自分には無いという事に対して、虎徹を恨むことも責めることも自分にはできなかった。
そういう資格はなかった。
この関係は、自分から仕掛けたものだ。
自分が、催眠術を利用して騙して、彼の身体を手に入れた。
本当ならばそこで彼から嫌われても当然だったのだ。
今こうやって彼を抱けているのは、偏に彼が寛容で、自分を許してくれているからだ。
だから、彼に感謝こそすれ、それ以上要求などできない。
今の状態で十分に幸せで、虎徹に感謝すべきなのだ。
バーナビーはその事は痛感していた。
彼の身体だけでも手に入れられている。
それだけで僥倖なのだ、分かっている。
―――けれど、辛かった。
苦しくて切なかった。
セックスすればするほど、苦しさが増した。
心がずたずたになって、鋭い針が毎日突き刺さっていくようだった。
でも、今更彼を手放すこともできなかった。
自分がどれだけ虎徹に執着しているか、考えると我ながら恐ろしくなるほどだった。
彼を手放すなど、絶対にできない。
しかし、彼の心は手に入らない。
あきらめるしかない。
あきらめるしかないのに、あきらめられない。
だから、苦しくなる。辛くなる。
分かっているけれど、どうしたらいいのか、分からない。
あきらめる事も出来なければ、手に入れることもできない。
虎徹は、自分の事を好きでもなんでもないのだ。
いや、彼は自分を好きだとは言ってくれた。
その好きは、相棒としての好きであって、決して自分の抱く恋愛感情の好き、ではないが。
でも好き、と言ってくれたからこそ、今こうして彼を抱けているのだ。
好き―――、好きだ、彼が。
好きで好きでたまらない。
欲しい。心が。
自分を、好きになって欲しい。
愛していると、言って欲しい……。
「――んっ、バニーちゃん、も、駄目っっ、ぁ、あっーっ、もっとっっっ!」
自分の身体の下で、虎徹がよがる。
潤んだ金色の瞳が自分を映してくる。
目が合うと嬉しげに微笑んで、ぎゅっと抱きついてくる。
繋がった部分が蕩けそうに熱い。
うねる内壁に包まれて、身体はこれ以上無いほどに興奮し悦楽に耽溺している。
―――心が、あれば……。
こうして自分の腕の中で喘ぐ彼の心が。
……それだけが、無い。
ぐさ、とまた心臓が痛んで、バーナビーは思わず奥歯を噛み締めた。
涙が零れそうになってぎゅっと目を瞑り、目の前の行為に没頭する。
ラストスパートを掛けて虎徹を揺さぶれば、虎徹がトーンの高い声で喘いだ。
「あっ、あっ、バニー、す、げぇイイっっ!あ、あっ、イ、くっっ!」
どんなに心が痛んでも、虎徹の快楽に濡れた声を聞くと身体は滾る。
ぐぐっと虎徹の体内深くペニスを突き入れて、バーナビーはその熱い内臓に白濁を放出した。
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