◆Daisy◆ 1
夜の街は、車の音や様々な人々のさんざめきで満ちている。
暫く来ていないうちに、新しい店もオープンしたらしい。
親友のアントニオと別れ、虎徹はそんな華やかな夜の街の一角を一人そぞろ歩いていた。
ここはシルバーステージの東、夕方から賑わう夜の街だ。
ゴールドステージほど格調高くもなく、かといってブロンズほど物騒でもない。
所謂中流階級の人たちが会社の帰りにほっと一息吐いて仲間と飲み交わすような、或いは若い恋人達がたまの濃密な時間を気兼ねなく過ごすような、そんな一角だった。
アントニオに紹介されて行った店は新しくオープンしたもので、アントニオの知り合いが始めたバーだった。
落ち着いた雰囲気の小さな店で、初めて行くという居心地の悪さがない。
顔パスでゆっくりと心地良い時間を過ごし、店の前でアントニオと別れ、いい気分で街を歩く。
自宅まではかなりの距離があったが、歩いて帰るうちに酔いも醒めるだろうと虎徹は思った。
それぐらいのちょうど良い距離だった。
夜中とは言え、ブロンズのように治安が悪いという事もない。
よしんば治安が悪くとも、虎徹なら気にする事もない。
賑やかな一角を通り過ぎると、夜中という事で照明を落とした広い公園にさしかかった。
最低限の照明だけが防犯上点いている。
大きな木は既に全て葉を落として枝だけになっており、シュテルンビルトの街の光を反射した薄暗い空に、黒々と大木のシルエットが映っている。
人の居ない公園はひっそりとして、今まで通ってきた街の喧騒が背後からざわめきのように風に乗って微かに聞こえてきた。
ふと、視界の端に人影を認めて、虎徹は何の気なしにその方向を見た。
公園の中、大きな木の根元、ちょうど走ってきた車のライトがそこに当たって、木の幹に凭れるようにして会話をしている二人の顔が虎徹の目に入ってきた。
(……………!!)
一瞬照らし出されたその人物の顔を見て、虎徹は驚いて歩を止めた。
人物は二人居て、一人の方は見知らぬ顔だったが、もう一人の方に見覚えがあった。
照明に当たって一瞬煌めいた金色の髪。
冴え冴えとして理知的な緑の瞳。
すらりとした背格好。
それは、虎徹の相棒であるバーナビー・ブルックスJr.だった。
バーナビーだと思った瞬間、無意識に虎徹は歩道から公園に忍び込んでいた。
彼らに気付かれぬように木の陰に身体を隠して、二人を窺う。
ひっそりと足音を忍ばせて、ぎりぎりの所まで近寄る。
バーナビーは、普段の彼ではなかった。
一見すると彼とは分からないように違う服を着ていた。
眼鏡も掛けていない。
トレードマークの眼鏡がない上に、いつもはくるりと外跳ねになっている髪が、後ろで一つに結ばれている。
そうするとまるっきり印象が変わって、ちょっと見ただけではそれがシュテルンビルトで目下人気第二位の若手ヒーロー、バーナビー・ブルックスjrだと分かるものはいないだろう。
服装もラフな、少しゆるめの長いジャンパーにジーンズという出で立ちだった。
普段の彼よりもずっと繊細で、大人しい美青年に見える。
話している相手は、というと、バーナビーより5、6歳上だろうか、どこにでもいるような所謂良き企業人といった出で立ちの男だった。
二人で何か話をしている。
どんな話をしているのか、と観察していると、バーナビーが腕を伸ばして相手の男の茶色い短髪に指を絡めた。
そうして顔を傾けてその男にキスをする。
(…………)
息をするのも忘れて、虎徹は目を見開いてそれを見つめた。
長い口付けをして、バーナビーが男から身体を離す。
それからまたぼそぼそと会話を始める。
内容は聞き取れなかったが、その声の調子からどうやら明るい内容ではなく深刻そうな話をしているのが分かった。
やがて二人は互いに挨拶を交わして、別々の方角に別れていった。
小さくなるバーナビーの後ろ姿を虎徹はじっと見つめた。
歩き方もやはりバーナビーだ。
彼に間違いはない。
しかし、一体どうして…。
二人が出て行くと、公園は虎徹一人になった。
かさかさと、地面に散らばった乾いた枯れ葉を風が吹き飛ばしてゆく。
風に乗って遠くのさんざめきが聞こえてきては、風の向きが変わって聞こえなくなる。
二人がいなくなった後も虎徹は暫くその公園から動けなかった。
次の日、虎徹は前日あまりよく眠れず、やや眼を赤くして出社した。
バーナビーの行動がどうも心に引っかかって、眠れなかったのだ。
午前中は司法局にあるトレーニングエンターに行って、そんな胸の中のもやもやをかき消すように珍しくトレーニングに勤しむ。
午後になってアポロンメディア社に戻り、ヒーロー事業部の自分のデスクに座って不得意なパソコンをなんとはなしに弄っていると、雑誌のインタビューを終えたらしいバーナビーが戻ってきた。
虎徹の隣の彼のデスクに座る。
虎徹はちら、と横を向いてバーナビーを観察した。
バーナビーは普段と全く変わりがなかった。
外跳ねのくるりとした金髪。
細いフレームの眼鏡。
いつもの赤い丈の短いジャケット。
「なんですか?」
冷静な声。
虎徹がちらちら眺めているのが気に障ったのだろうか、眉間に皺を寄せ、神経質そうに目を眇めてくる。
どうしようか、虎徹は一瞬逡巡した。
オフィスには誰も居なかった。
都合がいいのか悪いのか。
昨日の話をするにはもってこいかもしれなかった。
やや躊躇してから虎徹は切り出した。
「なあ、バニーちゃん、昨日さ、夜にイーストシルバーにいなかった…?」
やや口籠もりながらぼそぼそと問い掛けると、バーナビーが一瞬眇めていた目を大きく見開いて虚を突かれたような表情をした。
が、すぐに眉を寄せ、厳しい顔つきに戻る。
思案しているのか目を伏せ、どうしようかというように視線を左右に揺らしていたが、顔を上げると虎徹を見据えてきた。
「見たんですか?」
「うーん、まぁ、そうなんだけどな…バニーさぁ、男とキスしてたろ?」
「なんだ、全部見られていたんですね」
虎徹がどのぐらい知っているのか、と誰何するような言い方だったが、虎徹が答えるとバーナビーはあっさりと認めた。
画面に向けていた身体を椅子の背もたれに凭れさせ、キイボードから手を離すと椅子をくるりと回して虎徹の方に向いてくる。
「アイツ、誰よ?…アイツとなんで公園に?」
「いえ、別に、…たいした事じゃありませんよ。あなたの見た昨日の人ですけど、…僕、彼と付き合ってたんですよね、でも昨日彼と別れました」
バーナビーが衝撃的な内容を、たいした話ではないというように言ってくる。
相棒の意外な一面に、虎徹は呆気に取られた。