◆Mimosa◆ 8









今言ってしまおうか、とも思ったが、周囲には客がいた。
館内もだんだん混み始め、カフェも新たな客が入ってきた所だった。
先程までの静かな、穏やかな空気は消え去り、がやがやとした活気のある雰囲気になる。
「…そろそろ出ましょうか?」
カフェがほぼ満員になって、席待ちをしている人々が入り口付近に立っているような状況に、バーナビーが言う。
「ん、そうだな。なんだか混んできたしなぁ」
もう少しここでゆっくり、この不思議な水色の空間に浸っていたい気もした。
こうして二人きりで、何気なく話をする時間。
彼の物の見方、考え方が垣間見える時間。
そういうのがとても貴重に思えた。
貴重で幸せで、満ち足りて。
でもどこか寂しくなって、もっと彼に近付きたくなるような、そんな不思議な心持ちだった。
「ここは俺が奢るよ」
「いいんですか?」
「あぁ、だって俺が誘ったんだしなぁ…。飲み物ぐらい、なんてことないさ」
カフェで代金を払って外に出る。
それからまた他の魚や、ペンギンやアシカなどの水生動物、それにイソギンチャクや珊瑚などを眺めながら、虎徹はバーナビーと水族館の中を歩いた。
ペンギンの餌やりを暫く見たあと、そこから建物の中ではなく外に出る。
海沿いにイルカの大きなプールがあった。
これからイルカのショーが始まります、という従業員の呼び込みが、華やかな音楽とともに聞こえてくる。
「イルカ、見てくか?」
「そうですね。…では行ってみますか…」
行くと円形のプールの回りに階段状に作られている観客席はほぼ満員で、虎徹とバーナビーは最前列に座った。
やや見えにくいが、しかし目の前がプールの水面より下を見渡せるガラスであるので、イルカがプールの中でどのように泳ぐかを見る事ができる。
座ってすぐに、イルカのショーが始まった。
元気の良い行進曲のような音楽と共にイルカの調教師が出てきて、イルカたちを紹介する。
今日は晴れた良い天気で、その青空を背景にしてイルカが調教師の指図通りに一気に飛び上がって、空中に吊り下げられたボールを鼻先でつつき、それから勢い良く水の中に落ちていく。
イルカのショーは、以前来た時には見なかったので、見たのはずっと昔だ。
もしかしたら、自分が子供の時以来かも知れない。
青空と黒いイルカ、元気の良い音楽、そういうものを見たり聞いたりするとわけもなく心が弾んで、虎徹は思わず夢中になった。
バーナビーは、と見ると、もしかしたらこういうのを見るのは初めてなのかも知れない。
真剣な眼ざしでイルカに見入っている。
微笑ましい感じがして、虎徹は思わず眼を細めた。
――バチャッ。
イルカが自分たちのすぐ目の前で大きくジャンプをして、派手に水に飛び込んだ。
「……うわっ!」
プールの水が大きく跳ねて、それが虎徹たち最前列から2、3列目までの観客にばしゃっと掛かった。
思わずバーナビーが声を上げる。
虎徹にも勿論水がかかった。
が、それよりもバーナビーの慌てぶりがおかしくて、虎徹は思わずにこにことしてしまった。
「あっ、と、前のお客様、どうも申し訳ありません!イルカのご愛敬という事でご容赦ねがいまーす」
調教師の威勢の良い声が聞こえる。
周りの客達がみな和やかに笑い、イルカが周囲のざわめきなど全く意に介さない様子で悠々とジャンプをして輪をくぐる。
バーナビーを見ると、金髪が結構濡れてしっとりとしていた。
いつものくるくると外跳ねをした金髪がぺったりとして、その様子がバーナビーをいつもよりも2、3歳若く見せていた。
目が合って思わず笑うと、バーナビーもしかたがないですよね、という感じで笑う。
その顔は無邪気な少年の雰囲気を彷彿とさせる物だった。
先程この水族館に来るときに彼が見せていた、取り澄ましたような、何の感情も見えないロボットのような端正な顔ではなかった。
好奇心や興味といった、少年らしい感情の溢れる顔だった。
そういう顔が見たかった。
嬉しくて、自分も笑顔になる。
イルカのショーが終わると、観客達はぞろぞろとイルカのブースから出て行き、三々五々、他の魚を見に行ったり、海辺の方に行ったりした。
外は海沿いに巨大なジオパークが作られていて、自然そのものでありながら人工的に造成された海辺になっていた。
「あっち行ってみるか?」
ジオパークもリニューアルした水族館のウリであった。
イルカのショーを見終わった客がたくさん流れたとはいえ、広大な海辺であるから、水族館の中のように人が目立つわけでもない。
何より、広く水平線まで見渡せる海が青空の青を映してすがすがしく、とても心地良かった。
二人並んで歩きながら、虎徹はちらちらと隣のバーナビーを見つめた。
しっとりとしていた金髪が少しずつ乾いてきて、ぴんぴんと不揃いに跳ねてくる。
いつもはドライヤーで綺麗にセットしているのだろう。
その髪が今日は不揃いに跳ねている所が、彼の完璧な雰囲気を崩して、庶民的な親しみやすい感じにしていた。
「海、気持ちいいですね、おじさん」
バーナビーが遠く水平線を眺めて、ぽつりと呟く。
「ん、そうだな。俺の田舎は海がねぇからな、こうして海を見るのって久し振りかもな。子供の頃は殆ど見て無かったんだ」
「そうなんですか?僕はシュテルンビルト生まれでシュテルンビルト育ちですからね、海は身近でしたけど。でも身近だからこそ、こういう海辺には来なかったですね。こんな風に海をしみじみと見たのって何年ぶりでしょうか…」
二人で海沿いを歩いて、海辺に建てられた小さな四阿に入って、腰を下ろす。
海辺の風が心地良く、白い砂浜と青い海の対照が美しい。
その時である。
ふと、バーナビーが顔を廻らせて何かを見つけたらしく、一瞬眉を寄せた。
それに気付いて虎徹もバーナビーの視線の先を見た。
海辺の向こうから、男女の二人連れが歩いてくる所だった。
背の高い体格の良い、年の頃は30前後だろうか、爽やかな、どこかスカイハイに似た雰囲気の男性と、寄り添って歩く活発そうな女性だった。
向こうもバーナビーを見て、一瞬立ち止まる。
それから男性がにこにことして虎徹とバーナビーのいる四阿に近寄ってきた。
「やぁ、久し振りだね」
近寄ってきた男が爽やかにバーナビーに声を掛けてきた。
(これは…)
その声を聞いて虎徹ははっとした。
この男性は、バーナビーが以前公園で別れ話をしていた相手だった。



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