◆Mimosa◆ 10
「……え、そうなの?」
「えぇ、まぁ言ってみれば僕とは不倫をしていたというか…。褒められたものではないですけどね…」
さらりとバーナビーが言ってきた言葉に、虎徹は内心驚いた。
「不倫というと、反社会的な感じがしますけどね、でも僕としては気楽で良かったです。ちゃんとした相手がいる人なら、絶対本気にならないでしょ。あくまで僕とは遊びと言う事で相手が本気にならないのが分かっているから、気楽につきあえるんですよ」
と言いつつもバーナビーはどこか寂しそうだった。
フロントガラス越しにひとけのない海に立つ波を眺め、唇を少し歪めて笑う。
そんなバーナビーの様子を見ると、虎徹はなんとも言えない気持ちになった。
この気持ちはなんだろうか…。
……すっきりしない。
バーナビーの表情が気になる。
気楽でいいと言いつつ寂しそうにしている彼を見ると、なんとかしてあげたいという気持ちになる。
そんな表情をしているのは、その元彼に対して気持ちが残っているからではないか、などとも思う。
気持ちがざわめく。
これは、……嫉妬というものなのだろうか。
とにかく心の中がざわざわして、表現できないいろんな気持ちでいっぱいになる。
「本当は好きだったんじゃねぇのか、あいつのこと…」
バーナビーの表情を追求したい気がして、虎徹は思わずそう聞いていた。
バーナビーが虎徹をじっと見てきた。
「……もしそうだとしても、そんな事、絶対口に出しませんよ。僕のものにはならないと分かっていたからこそ、彼と付き合っていたんですからね…」
「なんで、そんな不毛な関係…。お前だったらそんなやつじゃなくて、お前の事だけ考えてくれる相手、いくらでも見つかるだろうに」
「いらないです。気楽なんですその方が…」
バーナビーが虎徹の言葉を遮るようにして言った。
「もし僕のものになりそうな人なんかと付き合ったら、怖いじゃないですか。僕のものになってくれて、僕がその人に溺れて、その人のことしか考えられなくなってしまったら…。そんなの怖いです。そんな風になってから、その相手が急にいなくなってしまったりしたら、僕はどうしたらいいんですか?そんなの耐えられませんよ」
「バニー……」
バーナビーが海を眺めながら吐き出すように言ったので、虎徹はなんと言葉を掛けていいか分からず、ただ名前を呼んだ
遠くの海を眺め、それから目線を間近に映して目を伏せて自分の手を眺め、そしてバーナビーはふっと笑った。
「人なんて、ある日突然、いなくなってしまうものです。だから、相手を好きになってしまったら、ダメなんです。自分のために…。遊びで付き合ってるのが、一番です。そうすれば、いなくなったって大丈夫。たとえばさっきの彼みたいにね。別れたって僕は傷つきませんし、彼だって愛する妻がいるわけですから、傷つきません。一番いい方法なんです」
「…………」
「……おじさん?」
バーナビーが自分の顔を覗き込んでくる。
瞳の翠が深く沈んで、透明で美しい湖の底を覗いているような色だった。
形の良い唇が、自分の呼称を紡ぐ。
突然、虎徹は胸が詰まった。
胸がきゅっと締め付けられて、目の前に居るこの青年が、愛おしくて愛おしくてたまらなくなる。
なんでこんな事を言うのだろう。
いや、言うのは分かる。
バーナビーは、今までずっと独りで生きてきた。
小さい頃、……それまで幸せに生きてきたんだろうに、突然その幸せが、両親の死という不可避の出来事で奪われてしまったのだ。
だから彼が、人はある日突然いなくなってしまうもの、そういう風に心の中に刻みつけてしまったのも致し方ない事だろう。
けれど、それではあまりにも寂しすぎる。
人生は、そういうものではないはずだ。
決して自分のものにならない人間と不毛な関係を続けて、それでいいなんて、この美しい青年には、そんな風に思って欲しくなかった。
自分だって、愛する妻を病で亡くした。
本当に、大切な人はある日突然いなくなってしまう。
それは分かる。
けれど、だからと言ってそれを怖がって、他人との触れ合いを拒んで、最初からあきらめて近付かないなんて…。
それは、生きているという事になるのか?
確かに、人を失う喪失感は耐え難く、血を吐くように苦しい。
でも、それだからこそ、人生は素晴らしいんじゃないか。
とは言え、バーナビーは4歳という小さな時に、その壮絶な喪失体験をした。
だから、その傷が大きすぎるというのも分かる。
でも、でもどうしても、――傷が大きければ大きいほど、なんとかしてやりたい。
自分の事だけを愛してくれる存在と愛を確かめ合うことが、どんなに素晴らしい事か、分かって欲しい。