◆ヒーローが出向してきました!--食堂篇--◆ 2
「どうしたんですか、主任」
ルーシーが背後からパソコンを覗き込んできた。
「…これ、求人応募来たんだけど…」
「え、良かったじゃないですか?どれどれ…?」
ルーシーが画面に顔を近づける。
「ええっと、…って、ええぇ!!ワイルドタイガー??」
大声で叫んだので、オフィスで事務仕事をしていた他の料理人や契約社員が一斉にこっちを向いた。
「どうしたんだ?」
真っ先に声を掛けてきたのは副主任のチャン・ウェイツゥだ。
30代後半の一番脂の乗った料理人で、仕事は早いが他人に結構厳しい。副主任に叱られてしょげる契約社員を慰めるのも、私の仕事だったりする。
その彼がパソコンの画面を覗きこんだ。
「おいおい、ワイルドタイガーがバイト応募なのか?」
彼も驚いたようだ。
オフィスにいた他の社員たちがわらわらと寄ってきて画面を覗き込んでは、みんな一様に驚いてがやがやと騒ぎ始める。
「ワイルドタイガーって、タイガー&バーナビーのタイガーだろ?」
「そうそう、…確か別の会社から合弁でうちに移籍して来たんだっけ…」
「結構出動してないか?こっちの仕事とかできるのかな?…なんでわざわざ食堂の仕事なんか…」
「だよな…」
と首を傾げて不思議がる者もいれば、目を輝かせて喜ぶ者もいた。
「タイガーがバイトに来るの!すっげー!」
「え、じゃあ、バーナビーのサインとかもらえるかな」
「タイガーが来るのにバーナビーのサインなのかよ、それって失礼じゃね?」
皆がいろいろと勝手に言っている間、私はちょっと悩んだ。
ワイルドタイガーと言えば、同じアポロンメディア社の社員で会社の広告塔とは言え、実際には会った事もない。
なにしろビル内は本当に広いし、用が無ければまず、ヒーロー事業部に行くことなどない。
もしかしたらワイルドタイガーの方で昼食を摂りに食堂に来ているのかも知れないが、何しろ昼食時は料理を作るのに精一杯で、とても厨房の外、食堂の方を見る余裕などない。
社内では必ず、ヒーローTVのライブがあればそれが流れるようになっているので、ヒーローとしての活躍を欠かさず見てはいる。
が、頭の先から爪先までがっちりとスーツに覆われた姿では、中の人間がどういう人物なのか窺い知ることはできない。
確かに運動神経は抜群で、身体能力は平常時でもずばぬけているのは分かるし、ネクスト発動時には、それこそ超人的に活躍しているのはよく知っているが。
「主任、いいんじゃないですか?」
ルーシーが画面を見ながら言ってきた。
「今までヒーローの出動が掛かったのって、お昼時じゃないですよ。意外と昼食時は働いてもらえると思いますし、体力は申し分ないですしね」
「…でも、ヒーローやってる人間だろ?なんかこう、プライド高そうじゃないか?このメール文面だとなんでもやらせて大丈夫のようには書いてあるけど…。タイガーって既に10年はヒーローやってる人間だし、扱いが難しそうな気がするよ。中途入社だしねぇ…」
「その辺はロイズ氏に直接聞いてみたらどうですかね。とにかく今、うちの食堂、すぐにでも人が欲しいし。その人手が、体力的にはおそらくアポロンメディア社員の誰よりも丈夫そうな人間なんですよね。断るのは勿体ないですよ」
「それもそうか…」
確かに、ヒーローなら体力的にうちの段ボール箱の運搬など、楽々こなしそうだ。
もしプライドが高くて、掃除などしないとか言われたとしても、とりあえず運搬だけでもしてもらえるかもしれない…。
私はロイズ氏と直接話してみる事にした。
ヒーロー事業部に電話を掛ける。ピー、と繋がって立体画面が立ち上がった。
「求人応募ありがとうございます、食堂課のダグラス・リースマンです」
立体画面に映った、自分より10歳程度上と思われる男性に挨拶をする。上質な仕立てのスーツをびしっと着込んだいかにもやり手らしいその男が口を開いた。
「ヒーロー事業部のアレキダンサー・ロイズです。応募の方、いかがでしょうか?」
「そのことについて、二三、質問したいのですが、いいですか?」
「はい、なんでも」
「では、その、ワイルドタイガー君をこちらに出向させてくれるという話ですが、うちの仕事は掃除とか運搬なんですけど、そういうのをヒーローの彼がしてくれるのでしょうか?」
質問をするとロイズがそんな事は問題ない、というように肩を竦めて掌をひらひらと上を向けて動かした。
「勿論です。大丈夫です。彼、前の会社ではヒーロー業務しかしてなかったみたいで仕事のスキルがとても低いんですよ。トップマグ社ではそれで良かったかもしれませんが、うちではそんなわけには行きませんからね。とにかくできる所で働かせようと思っています。うちの正社員になったからには給料分は働いてもらわないとね」
「…タイガー君本人は、了承しているんですか?」
不承不承来られて、こっちでさぼられても困る。何しろ相手はヒーローだ。絶対力では適わない。
「勿論です。本人もできるだけ働きたいみたいなんですけどね、如何せんスキルが無いもんで困ってるんですよ。パソコンも初心者ですしねぇ…。そちらで力仕事で使ってもらえると幸いですよ。ただ一つだけ。…出動要請が掛かったらこっちに戻してほしいんですが」
ロイズが頭を下げた。
「あ、はい、それは勿論。…あの、タイガー君って、人格的にはどうなんですか?私の指図とかなんでも聞いてもらえますかね?」
普通、中途入社とは言え本社に入社するには、厳しい性格検査や心理テストをクリアしなければならないのだが、その点ワイルドタイガーは特別枠で入社しているから、そういう検査は受けていないだろう。
人格的に攻撃的で尊大な人間だったら困る。
「性格ですか?全く問題無いですよ。強いて言えば、ちょっと思慮不足の所があるかもしれません。けれど総じて明るくて気さくです。会ってみれば分かりますよ」
「そうですか…」
「主任、いいじゃないですか!これ承諾しましょうよ!」
ルーシーが意気込んで言ってきた。
「とりあえず来てもらって働いてもらいましょうよ、それから考えたって良いし」
「そんな簡単に…」
私はさすがに慎重だった。
何しろ、相手は今期アポロンメディア社が広告塔として大々的に打ち出している、タイガー&バーナビーのタイガーなのだ。
気楽に、と言っても一度来てもらったらおいそれと追い返したりできないだろう。扱いも慎重にならざるを得ない。
「いいんじゃないですか。もし生意気なヤツだったら俺が叱ります」
背後から電話画面を見ていたチャンが言ってきた。
「叱るって……相手、ヒーローなのにかい?」
「同じ社員じゃないですか。社員としての態度にまずい所があったら叱るのが常識です。ここは食堂課ですからね。ここに出向している時間はヒーローといえども食堂課の社員ですよ」
「……まぁ、そうだねぇ…」
「とにかく力仕事に自信があるってのはいいですよ。主任、今日一日でもう疲労困憊でしょう?」
確かにその通りだった。しかも腰もしくしくと痛い。
「いかがですか?もしOKなら、早速明日からタイガーそっちに行かせますよ?」
ロイズが言ってきた。
「…分かりました。ではタイガー君こちらでお預かりします。明日は…そうですね、最初なので9時半に来てもらっていいですか?」
「はい、9時半ですね、了解です」
ロイズが頷く。
「では出向に伴う書類等は当方で作成して人事部に送っておきます。出動要請に限らず、ほかに火急のヒーロー業務が入るとこちらに返してもらわなければならないんですが、その辺だけよろしくお願いします」
「はい、分かりました」
「では明日」
ピー、と電話が切れる。
「うわ、明日から早速もう来るんだ!」
若い契約社員が弾んだ声を上げた。
「ちょっとわくわくするよなぁ…」
「ああ、君たち、不必要にタイガー君に構ったりしないように、いいかな?彼は仕事しに来るんだから、そのつもりで頼むよ?」
私がそう言ってもみんなあまり聞いていない。
「今までのバイトと同じ扱いで行くから、みんなもそのつもりで」
副主任のチャンがびしっと言うと、浮かれていたみんなが押し黙った。
私が言うより、怖い副主任の方がずっと威力があるわけだ。
私はちょっと肩を竦めてチャンを見て苦笑した。
(明日か…)
すぐに来てくれるのは嬉しいが、…やはり緊張する。
どんな人物なのか。
ちゃんと仕事をやってくれるんだろうか。
私の言う事をきちんと聞いてくれるのか。
私は、期待と不安で、年甲斐もなく胸がどきどきするのを感じた。