◆ヒーローが出向してきました!--食堂篇--◆  4






12時過ぎになると食堂はものすごく混んできた。
広いテーブルがほぼ満員になる。
そうすると珈琲や水をテーブルに零す者、それからトレイを下げ台に下げずに帰ってしまう一般人などが出てくる。
更に人気のある総菜は次々と無くななって補充しなければならない、と言うように、食堂も厨房もてんやわんやの事態となった。
厨房も忙しかったが、私は気になって厨房から総菜を作りつつ、食堂の方を窺った。
「ちょっとおにいちゃん、ここ汚いよ!」
「あ、はい、すんませんっ。すぐ拭きますっ」
厨房から近いテーブルの所で、アポロンメディア社の社員の一人がタイガーを叱責している。
タイガーがぺこぺこしながらアルコールを吹きつけたタオルでテーブルを拭いている。
どうやら、社員ではなくバイトのその辺のにいちゃんと思われているようで、新入社員と思われるような若い社員からも、タイガーは使われ放題のようだった。
テーブルを拭いたり、椅子を直したり、その度に客に気を遣って頻りに頭を下げている。
「ちょっとあれ、どうなの?うちの看板ヒーローなのにあのこき使われよう…」
厨房からそれを私と共に眺めていたルーシーが、肩を竦めた。
「うーん。……まぁ、微笑ましい光景ではあるよね」
と、私が言うと、
「食べに来ている人は彼がワイルドタイガーと知らないんだから、しょうがないですよ」
副主任のチャンが冷静に言ってきた。
「まぁ分かっても困りますけどね」
「そりゃそうだね」
タイガー&バーナビーは、アポロンメディア社の中でも、社名を背負って立つヒーローだ。
掃除をしている彼がもしワイルドタイガーと分かってしまったら、いろいろと面倒な事になりそうだ。
やはりここは、まるっきり分からないぐらいの方が良いのかもしれない。
「おい、君、ちょっと」
「はい?」
タイガーが呼ばれた。
私たちは厨房の手を止めて、揃って厨房から食堂を眺めた。
呼んだ方はでっぷりと太った60過ぎの、いかにもプライドの高そうな、偉そうな男性だ。
見覚えがある。
外部からこのアポロンメディア社に来ているお偉いさんだ。ぷりぷり怒っている。
「いつまでテーブル汚くしとくんだね、きみぃ!」
「は、はいっ、すんませんっ!」
タイガーがへこへこと頭を下げて、慌てて放置されていた食器やトレイをひとまとめにする。
それを混雑している中をすり抜けるようにして下げ台に持ってきた。
「あー、すんません、これここに置いときます。先輩よろしくお願いします」
ラジャブに声を掛けてトレイを置くと、慌てて先程のテーブルに戻っていく。
どうもすいません、と謝りながらテーブルを拭く。
「ったく動作が遅いんだよ!」
「はぁ、申し訳ありませんっ」
「……あんなにさぁ、謝らなくていいのにねぇ」
ルーシーが不満そうに鼻を鳴らした。
実を言うと私も内心そう思っていた。
あの男性も、彼がうちの看板ヒーローと知らないからあんな横柄な態度を取るのだろうが、それでもなんとなく気分が良くない。
「でもタイガーって謝るの上手ですよ。あの客いつも機嫌悪くて有名ですよね」
チャンが意外そうな声を上げた。
確かにそうだ。思い出した。
あれはたまに来るヒュペリオン社の営業顧問だ。
注文ばかり付けてくる嫌な客なのだ。
取引先だから丁寧に応対するものの、できれば顔を合わせたくない人物だ。
「おいおい、靴に汚れがついたぞ」
「はいっ」
タイガーが慌てて新しいタオルを出して、そのでっぷりした営業顧問の、いかにもブランド物でございますといったぴかぴかした靴を新調に拭いた。床に膝を突いて顔を靴に近づけて平身低頭だ。
対する営業顧問は腕を組んでタイガーを見下ろして、ご満悦の様子だ。
「もう、ヒーローなのにー…ちょっと情けないわよ」
「いや、でも人間的にできた人だよ」
チャンが珍しくタイガーを褒めた。
「自分がヒーローだというプライドで凝り固まってるとあんな事できないだろうしな。謙虚な人だと思うね」
「まぁそうねぇ…。意外ねぇ…人間ってよく分からないわ。だって、ヒーローTV見てると、タイガーって結構市民を守るためには何でもやりますって感じで乱暴じゃない?うちの会社に来る前だってモノレール壊したりすぐビル壊したり」
「確かに。正義の壊し屋だからなぁ…」
「ほらほら、まだ客がいて仕事が途中だよ、やらないとね?」
「あ、そうね、はいはい分かりました、やりまーす」
タイガーの様子を見ていたら、他の調理師たちから手伝ってくれと声を掛けられてしまった。
トップの人間がさぼっていては示しがつかない。
私たちは慌てて仕事に戻った。










そんな風にして慌ただしい昼食時間が過ぎ、時計も1時を回った。
1時を過ぎるとぐっと客が減り、調理なども数人で賄う事ができるようになる。
その時間になると私たちは順番に厨房の隅の自分たちのテーブルで昼食を食べるようにしている。
まず私、チャン、ルーシーの3人がトレイにその日の昼食を並べた。
「おーい、一緒にお昼食べないか?」
まだ食堂の方でテーブルを拭いていたタイガーに声を掛ける。
「あ、はい、じゃあ上がります…」
そう言ってタイガーが厨房に戻ってくる。
さすがに疲れたのか、ちょっとげっそりとした表情だ。
「一日目から忙しかったでしょ」
ルーシーが苦笑しながら声を掛けると頷いて椅子に座り、やれやれといった感じで息を吐いた。
「はい、タイガーさん」
「あ、ありがとうございます」
一緒に食べていた契約社員の女子が、タイガーにその日の賄いの昼食を持ってくる。
一人用のトレイにカレーライス、スープ、サラダ、珈琲にデザートだ。
「あー、…昼あんなに混むとか知りませんでした。ここの人みんな働き者っすよねぇ…」
恐縮した様子で受け取ってテーブルに置き、スープを一口飲んで顔を上げる。
私たちを見て笑顔になる。
ちょっと垂れた目が細められ、年よりずっと若く見える。
日系人だからだろうか、茶色の瞳がくりくりっと栗鼠のようで、そこが人好きのする笑顔を作る原因にもなっているようだ。
スープ飲んだあとタイガーがカレーを口に運んだ。
「すげー美味いです。やっぱりここの食事美味いっすよね。毎日こんな美味いの無料で食えるとか、ラッキーっすよ」
カレーがよほど口に合ったのか、タイガーが咀嚼しつつ、とろけるような笑顔を作った。
本当に美味しいと感じている表情に、みんなが和やかな雰囲気になる。
「食堂は人も多いし、なんか賑やかでいいっすね」
タイガーが厨房を見回しながら言ってきた。
「ヒーロー事業部はどうなの?」
「俺とバニーちゃんと、って、あ、バーナビーの事ですけど…っと、経理のおばちゃんと、ロイズさんかな。でもロイズさんは自分の部屋に籠もってるし、バニーちゃんはもともと事業部にはあんまりいないし、結構寂しいっす…。あ、あと経理のおばちゃんはすごい仕事のできる人なんで、いつも叱られてます…」
「へぇ、そうなんだ?」
「ねぇねぇ、バーナビーって、どういう人?格好いい?」
契約社員の女子が興味津々と言った感じでタイガーに質問する。
「サインとかもらえるかなー?」
「こら、公私混同しないように!」
サインの話を持ち出した契約社員が早速チャンに怒られる。
虎徹が瞳を細めて笑った。
そうすると顔全体があどけない感じになって、とても可愛くなる。
「サインならもらってこられますよ。普通のサイン用紙でいいっすか?」
「こら、って申し訳ないね、タイガー君」
「いや、そのぐらいならできますから」
「じゃあ、タイガー君がそう言うから、特別だよ、君?」
「わーい!」
契約社員が破顔する。タイガーも一緒に笑って場がほんわかとなった。
「バーナビーはどういう感じ?」
「そうっすねぇ、バニーちゃんは、とにかく格好いいっすね!ちょっと頑固なんだけど…。意見が合わないと喧嘩とかしちゃうんだけど…」
「え、タイガー喧嘩するの?そう見えないけど」
「そうですか?」
「そういやコンビ組んだ最初の頃って、出動してる時、あんまりうまくいってなかったよね?」
「はぁ…そうなんすよ。なんかすごいツンツンされちゃって。…あっちは若いのに、俺みたいなおじさんと組まされちゃったから、不満だったんだと思うんですけどね。でも最近うまく行くようになってきたんでほっとしてます」
「タイガー、おじさんじゃないと思うけどなぁ…な?若いよな?」
聞いていた調理師の一人が首を捻る。
「まぁ、俺たちよりはずっと若く見えるよ。それにバーナビーより格好いいと俺は思うぜ」
もう一人も頷く。
「…え?」
タイガーが頬を赤らめて俯いた。
そうしていると格好良いというよりはやはり可愛い青年だ。
思わず頭を撫でたくなるぐらいだ。
みんなで笑いあって賑やかに食事が終わった。
その後食堂の掃除を済ませると2時になる。
「じゃあ、今日は戻ります」
「あぁ、今日は最初の日だったのに、よくやってくれたよ。ありがとう。明日も頼むよ」
「はい!」
一日会っただけだが心の中がふんわりと軽くなった気分だった。
去っていくタイガーの後ろ姿を眺めて私は微笑した。
とてもいい人材が来てくれたものだ。
あれがうちの看板ヒーローか。
…まぁ、もうちょっとヒーローらしく尊大で格好良くてもいいけどな。
明日も彼に会うのが楽しみになった。
今までになく心が弾んでいる自分を、私は感じていた。




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