◆ヒーローが出向してきました!--食堂篇--◆ 5
それから数日。
タイガーは毎日朝9時半頃になると食堂課に出勤して来るようになった。
2、3日経つと仕事にもすっかり慣れたようで、人の多い昼食時間でも効率良く掃除ができるようになってくる。
勿論、段ボール箱運搬は朝飯前のようで、楽々と運ぶ。
それを置く場所も完璧に覚えたようだ。
出勤するとすぐに地下へ降りて段ボール箱を持ってきては、いろいろな食材の入った重い段ボール箱を軽々と担いで、広い厨房の各所に的確に置いていく。
今まで段ボール箱を運ぶのに長時間かかっていた。
そのせいで、調理の手順が変わったり、進みが遅かったりした。
それが解消されて、調理師達が出勤してくる頃にはもう段ボール箱は全て適切な位置に配置完了している。
そのため、調理師達も出勤してすぐに調理に取りかかるようになって、仕事もスムーズに流れるようになった。
「いい人来てくれたわね、ほんと良かったわ」
調理主任のルーシーも、タイガーの事がすっかりお気に入りになったようだ。
確かに、運搬仕事は早いし、掃除も上手になってきた。
前から掃除係として働いていたラジャフの事も先輩として立てている。そのあたりはさすが年相応の社会人である。
人間関係をスムーズにこなす能力は十分のようだ。
こういう性格なら、どこに行っても彼はうまくやっていけるのではないか。
私はそう思った。
あの気むずかしい副主任のチャンとも、楽しそうに話をしている。
タイガーがチャンに臆せずに話しかけるのは分かるのだが、それにチャンが応えてやはり楽しげに返事をするのには驚いた。
チャンは気難しくて、自分にも他人にも厳しいから、新入りの調理師などは怖くて声も掛けられないような存在なのだ。
「こんにちは」
賄いの昼食の後、珈琲を飲んで厨房の隅で雑談をしていると、そこにヒーロー事業部のアレキサンダー・ロイズがやってきた。
「あ、ロイズさんだ…」
珈琲を飲んでいたタイガーが顔を上げて目を丸くする。
「やぁ虎徹君、ちゃんと働いているかい?」
ロイズが瞳を細めた。
「あ、どうぞどうぞ」
私は立ち上がって空いていた椅子をロイズに勧めた。
「じゃあ少しだけ」
そう言ってロイズが座る。
「珈琲どうぞ」
ルーシーがロイズに珈琲を差し出した。
椅子に上品に座って足を組んで、ロイズが珈琲を手に取った。
綺麗に撫でつけられた白髪混じりのグレイの髪に、仕立ての良い上等なスーツ。
ぱりっと着こなした彼は、いかにも大企業の管理職、といった出で立ちで、私たちのように現場で働く人間とは雰囲気が違っていた。
タイガーは、と見ると、ロイズを見てにこにことしている。
どうやらこういう如何にも管理職といった人間とも、臆したり媚びたりせず、自然態で接する事ができるらしい。
希有な能力だ。
「どうですか、虎徹君、ちゃんとやれてます?」
「えぇ、勿論、大丈夫ですよ。とってもよく働いてもらってます。特にうちは重い段ボール箱を何個も運ばなくちゃならなくてそれが大変だったんですけど、タイガー君が来てからは彼があっという間に運んでくれるので、仕事がはかどって」
「そうですか、それなら良かった。虎徹君、みんないい人だからってさぼらないようにね」
「あ、いや、ロイズさん、俺サボっていないっすよ−!」
タイガーが心外だ、というように手をひらひらさせて唇を尖らせた。
その言い方も、二人の関係が親密で和やかなのを彷彿とさせて、微笑ましい。
「これ、遅れましたけど、彼に関する書類です。こちらにサインをしたら人事部の方に回しておいていただけますか?」
「あ、はい、分かりました」
ロイズが私に小脇に抱えていた書類ファイルを差し出す。
受け取ると、ロイズは立ち上がった。
「じゃあ虎徹君、終わったらすぐヒーロー事業部に戻ってきてよ。その辺で遊んでないように」
「え、って俺、遊んでませんからっ」
「はいはい。じゃあね?」
そう言ってロイズが手を振って厨房から出て行く。
「へぇ…あの人が上司?」
「あ、そうなんです。ロイズさん」
「ちょっと怖そうな人だわね」
「うーん…、いや、そうでもないっすよ。結構楽しい人です」
「それはタイガー君、君がそういう人間だからそう思うんじゃないかな?普通だったらきっと怖いと思うよ?」
調理師の一人が肩を竦める。
「そうすかねぇ…」
タイガーは同意しかねるようだが、調理師の意見には他の調理仲間のみんなも同じ意見のようで、それぞれに頷く。
アレキサンダー・ロイズ氏と言えば、このたび新しく立ち上げられたヒーロー事業部の営業部長に抜擢された人物として一躍名を上げた、社内の有名人だ。
それより前はメディア開発部の部長補佐をしており、緻密なメディア戦略と駆け引きの上手な人物として知られていた。
ロイズ氏とは今まで話した事はなかったが、会社の会議などで彼が発言するのを見聞きした事はある。
神経質そうな、細部まで精緻に構築された理論を淡々と話す、頭の良い抜け目のない人物という印象だった。
極力感情を見せない所がかえって畏怖の念を抱かせる。
なので、タイガーと話している時のロイズ氏の、どこか気を許してほんわかとした雰囲気には戸惑った。
タイガーと話すと誰でもそうなるのかも知れないな…私はなんとなくそう思った。
その日も9時半頃にいつものようにタイガーが食堂課に出勤してきて、段ボール箱を運び、掃除を始めた。
素早く段ボール箱を並べてしまうと、
「じゃあ俺、食堂の方の掃除してきます」
と言って、厨房を出て食堂の方へと行く。
もう身支度もすっかり手慣れたようで、出勤してくるとロッカーを開けて白い割烹着のような制服を身につけ、ネクタイを外しロッカーの中に入れる。
髪をきっちりと一つにまとめそこに自分でスプレーを掛けて、それからばたばたと仕事を始める。
厨房の中では調理師達がその日の昼食の多種多様なメニューを作り始め、食材の煮える良い匂いが立ちこめていた。
タイガーが何枚かタオルを持って厨房に戻ってきた。
「このタオル、汚れてきたから変えていいですか?」
「あぁ、いいよ。新しいタオルがある場所は分かるかな?」
「はい、ここっすよね?」
そう言ってタイガーが厨房の壁に沿って置いてあるスチール棚を指さす。
そこには備品が保管されており、下の方の引き戸の中に新品のタオルが積まれている。
タイガーが身体を屈めてタオルを取り出そうとした時、ビーッビ−ッビ−ッ、と聞き慣れない音がした。
「…あれ?」
身体を屈めていたタイガーが慌てて立ち上がる。
見ると、彼が右手首につけている、白に緑の縁取りのあるブレスレットから立体画像が立ち上がって音がしている。
それと同時に館内に一斉放送がかかった。
『タイガー&バーナビー出動要請、タイガー&バーナビー出動要請、すぐに出動準備に掛かってください』
「あれれ…」
タイガーが後頭部に手をやって困惑する。
どうしようという目で私を見上げてきたので、私は言った。
「早く行っておいで。ここはいいよ、後は掃除だけだしね、今日は私がやるよ」
「えっ、大丈夫っすか?」
「あぁ、それより早く行かないとね?」
「…はぁ」
厨房で調理をしていた他の皆もタイガーをじっと見た。
「す、すんません、じゃあ行ってきますっ」
タイガーが慌ててロッカールームへ行き服を着替え、ばたばたと食堂課から出て行く。
「こんなな時に出動がかかるなんで珍しいですね」
「そうだね」
段ボール箱の運搬が終わった後で良かった。
いや、ヒーローとしての出動が彼の本務なのだから、こっちの仕事の都合を考慮する余地などはじめから無いのだが。
アポロンメディア社ではヒーローTVの中継が始まった時には必ずどの部署でもテレビが自動的に点いて、ヒーローTVを強制的に視聴するようになっている。
この時も、タイガーが出て行ってから10分ほどして、食堂と厨房にある大きな画面がパッと自動的に電源が入り、ヒーローTVが始まった。
『ヒーローTVラーイブ、はじまりまーす!』
画面の中でアナウンサーが挨拶をする。
皆調理の手は休めないながらもヒーローTVが気になるのか、ちらちらとテレビを見上げてはまた調理をしている。
本来なら、そんな風にテレビを見ながら調理をするのは危険だと注意をする所だったが、今日ばかりは私も自分がテレビを見たかったので、注意できなかった。
皆ベテランだから、なんとかなるだろう、などといい加減な事を考えつつ、私も鍋を掻き回しながら画面に見入る。
どうやらシュテルンビルト郊外ブロックス工業地区の工場の中で、爆発事故が起きたらしい。
作業員が数名中に閉じ込められていて、動けないようだ。
『さぁて今日の一番乗りは、あぁっとやってきましたぁ!タイガー&バーナビーだぁっ!!』
アナウンサーがテンポの良い声で言って、そこにタイガー&バーナビーの乗ったバイクが到着した。
赤いヒーロースーツを着ている方がバーナビーで、緑の蛍光色に光るヒーロースーツを着ている方がタイガーだ。
私たちはいつになく熱心にテレビを眺めた。
二人がぱっとバイクから飛び降りて、そのまま爆発で崩れた工場へと走り寄る。
『おっと、ここでタイガー&バーナビー、能力発動です!早速発動という事は、救出に時間を掛けられないという事でしょうかっ、活躍が見物でーす!』
二人のヒーロースーツが赤と緑に美しく発光して、それから目にも止まらぬ早業で瓦礫を撤去し始めるのを、私たちは眺めた。
連係プレイは見事なもので、タイガーが瓦礫を怪力でいとも容易く持ち上げ、バーナビーが素早い動きで入り込み、道を開く。
中継カメラが背後から入っていって中の様子が画面に映し出される。
工場内に閉じ込められていた数人は無事だが、一人、瓦礫に足を挟まれて動けない者がいるようだった。
タイガーが数人の作業員に駆け寄って、肩をぽんぽんと叩き力づけたあと、後からやってきた他のヒーローたち、スカイハイやロックバイソンにその作業員を引き渡す。
彼らが一人ずつ救出している間に、足を挟まれた最後の一人の上にがっしりと乗っている鉄骨を、タイガーが力任せに持ち上げた。
蛍光色に発光した彼の力はこうしてライブで見ても信じられないほどで、今画面の中で活躍しているヒーローが、先程までこの厨房で掃除をしていた人物だとは、到底思えなかった。
ヒーロースーツを着ていて顔が見えない、という事もあるかもしれない。
『あぁっとぉ!危ない!上からまた鉄骨が落ちてきまーす!!』
アナウンサーが絶叫する。
高い天井の一角が崩れて、鉄骨が垂直に落下してきたのだ。
タイガーが右手をさっと挙げてそこからワイヤーを発射した。
落下する鉄骨を巻き付け、遠心力を利用して吹っ飛ばしたようだった。
ようだった、と言うのは、あまりにもその動作が速かったので、私の目には何が起こったのかよく分からなかったからだ。
瓦礫を持ち上げながら同時にその動作をこなしたらしく、その間に相棒であるバーナビーが倒れていた最後の一人を救出する。
それから二人はやはり目にも止まらぬ動きで工場を抜け出し、抜け出した途端にその工場は耐えきれなかったのか瓦解した。
『おおっと、危なかったぁ!ぎりぎりの所で全員が無事救出されましたぁ!さすがぁ、タイガー&バーナビー!今日の一番の功労者は、はい、ワイルドタイガーですねぇ!』
アナウンサーが駆け寄ってワイルドタイガーにマイクを突きつける。
『ワイルドタイガーさん、ご苦労様でした!今日はご活躍めざましいものがありましたね?』
マイクを突きつけられたヒーローがフェイスマスクを挙げて、にっこりと笑った。
アイパッチをつけているが、確かにタイガーだ。
先程まで厨房で働いていた彼だ。
『市民の命を守るためだったら危険とか関係ないですよ』
タイガーが力強い声で言う。
そう言ってカメラに向かってウィンクする。
その様子が如何にも力強く頼りになる感じだったので、私は意外な感に打たれた。
ここで働いている時の彼は、どちらかと言うと大人しく、何事にもあまり自信が無いように見えたからだ。
それに比べると、画面の中のタイガーは、ヒーローという仕事に自信とプライドを持っているように見えた。
考えてみると、今までそういう画面上でのタイガーしか見ていなかったから、私は彼がこの食堂課に出向してきたいと聞いた時に、素の彼もプライドが高いヒーローで、食堂の下働きなんてしてもらえないんじゃないかと危惧していたのだった。
「タイガー、格好いいわねぇ…」
調理の手を止めてテレビを見上げていたルーシーが、しみじみと要った。
「本当だねぇ。本当にあれ、今までここにいた彼なのって感じだね」
「本当ねぇ。なんか別人みたいじゃない?」
「やはり彼にとって本来の仕事はヒーローなんだろうなぁ。とても格好良いし、惚れ惚れしてしまうよね」
皆それぞれにそんな事を言いながらも、テレビの画面に釘付けだった。
今までだってアポロンメディア社にいたわけだから、ヒーロー事業部が立ち上げられた時からヒーローTVの中継は見ていたが、こんなに真剣に見たのは初めてだった。
自社の看板ヒーローであるタイガー&バーナビーの事は応援していたが、会社の看板として応援するのと、自分の身近で毎日接している人間が活躍しているのを応援するのとでは訳が違う。
と言うのは他の皆も同じようで、いつになく力が入ってヒーローTVを見たようだ。
タイガーが活躍したのを見て一様に顔がほころんだり、拳を振り上げたりして『やった』、というようなポーズを取る者までいる。
その分調理の手が疎かになってしまった訳だがそれは致し方ないだろう。
皆がタイガーの事を応援して、彼が活躍したのを喜んでいる。
昼時になって、ヒーローTVの中継が終わり、人がどっと入ってきた。
「ラジャフ君、今日は食堂の方よろしく頼むよ」
「はい、分かりました。タイガーさんがあんなに活躍したんですからね、僕も頑張らないと」
ラジャフもタイガーの中継を見て元気が出たのか、前のぼそぼそとした萎れた様子から一変している。
毎日同じ時間に食堂に来る社員の一人が、下げ台にトレイを持ってきながら私に話しかけてきた。
「今日はいつもお掃除してるお兄ちゃんいないの?」
「あ、すいません。今日はちょっと別の場所に行ってるんですよ」
「あ、そうなんだ。なんとなく彼の顔を見ないと元気がでないっていうかな…」
「そうですか?」
「うーん、いないんじゃね、しょうがないね。…いつも慌ただしく働いてるの見るとね、なんだかオレも頑張ろうなんていう気になってくるんだよね」
そんなことを言って、その社員は出て行った。
食堂の方を覗くと、落ち着き無くきょろきょろとしている客が数人いる。
今日食堂の方に出ているラジャフを見ては違うというように首を傾げたり、肩を竦めたりしている。
結構タイガーの事を気にしている人がいるようだ。
なんとなくその理由が分かるような気がして、私はちょっと愉快な気分になった。