◆オジサンのバレンタイン☆デー◆ 4
一瞬、どうしよう、と思った。
入れるか入れまいか。
いやでも帰ってくれとか言う訳にもいかねぇし、そんなことを言ったら反対に不審がられる。
(くそっ……)
俺は慌ててもう一度目元をごしごしと拭き、できるだけへらへらっと笑ってドアを開けた。
「虎徹さん、こんばんは」
「お、おう。…どうしたんだ?もう夜中じゃねぇか?」
俺が何気ない風を装って声を掛けると、バニーは取り敢えず中に入ってしまおうという感じでずんずんと入って来て後ろ手にドアを閉め、俺がさっき酒を飲んでいたリビングまで踏み込んできた。
「お、おいバニー…」
慌ててバニーを追いかける。
バニーが、手に持っていた紙袋から箱を取りだした。
俺はぎょっとした。
それは昼間俺がバニーに手渡してみた、俺のプレゼントだった。
ラッピングが外され、中を見たらしい事が伺える。
それを見て一瞬、俺はパニックに陥りかけた。
どうしよう。逃げちまおうか。
誤魔化せるだろうか。
もし泣き出したら、どうしよう。
――いや、大丈夫。大丈夫だ。
当初の計画通り、ここはへらへら笑って冗談だって言うようにするんだ。
そうすれば俺の当初の計画通り、ここでバニーとハハハッと笑い合って冗談にできる。
俺の気持ちもバニーに冗談って事で告白できた事になる。
「これ、カードに鏑木虎徹って…」
バニーが箱を開けて俺に見せてきた。
中を開いてカードを見た形跡があった。
引き攣る顔を無理矢理笑顔にして、俺は笑った。
「あはは、そ、そう。どうだった?これ、そのー…ちょっとした冗談で作ってみたんだけど…」
よし、なんとか平静を装って言えた気がする。
「これ、すごい凝った作りじゃないですか。どうしたんですか?」
バニーが俺をじっと射貫くように見据えながら言ってきた。
バニーちゃん、そんな目で見ないで。
お願い。俺……胡麻かしが利かなくなっちまうよ…。
けれどバニーは俺をじっと見た。
綺麗なエメラルドの宝石のような瞳が、瞬きもせずに俺を見つめてくる。
長い金色の睫が緑色の虹彩に被さって、がらじゃねぇが俺は思いっきり見とれちまった。
真剣な目だ。
「だ、だからさぁ、その冗談で、な?あの、ほらっ、こういうの、絶対俺が作りそうにねぇだろ?バニーがさ、その、びっくりするかと思ってっつうか、なんつうか…」
冗談で済ませようと思っていたのに、それなのにバニーにじっと見つめられると、俺はへらへらとした表情が作れなくなってきちまった。
駄目だ、笑っていないと。
バニーがむっとするような、そんな茶化すようないつもの笑顔をしてバニーの肩をぽんと叩いて、そんで、……そうだ、珈琲でも淹れて一緒にチョコでも食えばいいんだ。
「そ、そうだ、一緒にチョコでも食う?俺、珈琲入れるよ」
バニーの目を見ていられなくて、目を逸らして立ち上がる。
そのままキッチンの方へ逃げようとしたのに……。
「………バニー?」
バニーが俺の手をがっしりと掴んできた。
「虎徹さん、これ、作るの、すごくかかったんじゃないですか?こんな丁寧にチョコレートを彫るなんて」
だからもう、その話はやめてくれよ。
へらへらと笑っていた唇の口角が下がりそうになって、無理矢理唇を歪める。
バニーは離してくれなかった。
反対に手を引かれて肩を掴まれて、バニーの顔と自分の顔が見つめ合う形になっちまう。
バニーが俺の心の底まで見透かすような瞳で、じいっと俺を見つめてきた。
ここで目を逸らしちゃ駄目だ。
あくまでへらへらと笑っていなければ。
俺が不審な動作を取ったら、バニーにばれちまうかも知れない。
駄目だ。
そう思うのに、バニーに間近で見つめられて耐えきれなくて、俺は目を伏せた。
「……虎徹さん?」
バニーの静かな声。
名前を呼ばれる度に俺は、冗談だと言って済ませようとした気持ちが崩れて、心の底の裸の俺が現れてきちまうような気がした。
(駄目だって言ってるのに、もう、本当に、なんで、くそっ……!)
頭の中がだんだんパニックになってくる。
それに従ってへらへらしようとしていた顔の筋肉がどうしても強張っちまって、反対に俺は泣きそうになった。
くそっ、駄目だ、泣くんじゃねぇよと思ったのに、鼻の奥がつうんと痛くなってきた。
やばい、駄目だ、絶対。
こんなとこで泣いたりしたら、ばれちまうじゃねぇか。
駄目だ駄目だ駄目だ……!
でも鼻の奥がつうんとしたかと思うと次に目頭が熱くなって、視界が潤んじまった。
バニーの顔が近寄ってきて俺の目や鼻、歪んだ唇を全て、瞬きもせずにじっと見つめてくる。
目尻からぽろり、と涙が頬に伝うのを感じて、俺はとうとう堪えていた気持ちが折れちまった。
だってこんなに間近に見つめてくる容赦のねぇバニーの視線になんて、堪えきれるはずがない。
プレゼントは冗談だぜって軽く済ませてへへっと笑って、お互いにじゃあチョコでも食べるかってな軽い気持ちで食べて、それで終わりっていう作戦だったのに。
こんなにバニーが俺を追求してくるなんて思いもしなかったから。
……どうしよう。
きっとバニーにはばれちまっている。
バレンタインデーに手作りのチョコレートなんか作って、10歳以上も年下の同性の相棒にプレゼントなんかして。
その理由を尋ねられて泣くとか、最悪じゃねぇか。
どう考えても気持ち悪すぎる。
自分で考えただけだって気持ち悪いのに、バニーはどう思っているだろうか。
――どん引きだな。
どうしよう。どうしたらいいんだ。
バニーに嫌われちまったら、どうしよう。
気持ち悪がられて、話もしてもらえなくなったらどうしよう。
こんなチョコレートなんて……作らなければ良かった。
……でも、自分の気持ちを押し殺して我慢するのも限界だったんだ。
じっと押し殺して、それで仲良い相棒なんてできるような、……俺はそんな器用な性格じゃねぇ。
――そうだ。
こうやって格好悪くバニーにチョコレートを作って、それで思いっきり格好悪くフラれてしまった方が、俺らしい。
バニーに嫌われようが気持ち悪がられようが、だってそれが俺なんだから、しょうがねぇんだ。
ぐるぐるしていた頭の中がちょっと整理されて、俺は覚悟が決まったような気がした。
伏せていた目を上げてバニーを見る。
「あのな、バニー」
もうこうなったら毒を食らわば皿まで。全部ぶちまけてしまえ。
「俺、……お前の事好きなんだ。悪い。……でもってさ、黙ってんの俺の性に合わねぇから、潔く告白して玉砕しようかななんて思った。どうせ玉砕するなら、手作りチョコなんて、最高に格好悪くていいだろ?」
一気にそこまで言って一度息を吸う。それからまたバニーに口を挟ませずに話し始める。
「これ作るの、結構大変だったんだぜ。お前の事考えながら作ったんだ。ははっ、気持ち悪いよな、ごめん。このチョコ捨てても良いよ?とにかく俺は、……うん、他のさ、チョコレートとかプレゼントあげた女の子みたいにさ、お前の事好きなんだよ。あ、でも俺の一方的な気持ちだから、……ごめんな?押しつけて。お前は俺の事嫌っても何でもかまわねぇよ。気持ち悪いって思ってくれてもいいし、実際気持ち悪いし。俺もさ、黙ってんのやだかとにかく言っちゃいたかったんだ。言ったらもう諦めもつくし。うん。ごめんな。今泣いてってけどさ、明日からは今まで通りいい仕事仲間って事で、これからもコンビ組んでくれよな?」
――よし、なんとかうまく言えた気がする。
大丈夫大丈夫。
まだ涙が止まらなくて鼻がぐすぐす言っているけれど、でもちゃんと自分の気持ちが言えた。
バニーにとっちゃ大迷惑だろうけど、でも俺はこれで気持ちの整理が着いた、はずだ。
……大丈夫だ。
俺はバニーに自分の目線を合わせて無理矢理にっこりと笑った。
「……虎徹さん」
「はい、じゃあもう終わりっ、な?あーなんつうかさ、うん、これ作るの一週間かかったんだけど、一週間楽しかった、ありがとな、バニー。よし、じゃあチョコレート食う、それとも帰る?これ邪魔だったら置いてってもいいぞ?」
よし、表情も元に戻せた。
へへっと笑って肩を竦めて、汚れた目元をごしごしと拭く。
バニーがどんな気持ちでいるか不安だったけれど、でも自分としてはもう全部言っちまったから大丈夫。
どんなことを言われたって覚悟は着いている、はず。
でもやっぱりバニーの顔を見るのは怖かったから、おどけた表情をして『珈琲淹れてくる』と言って離れようとした。
でも、バニーが反対に俺の手をもう一度強く引っ張ってきた。
「バニー?」
ぐっと引いてきたので俺は体勢を崩してふらついた。
そうしたらその俺をバニーが両腕で抱え込むようにして抱き締めてきた。
(…………)
驚いて動けない所を身体の向きを変えさせられて、更に強く抱き締められる。
更に顎に手が掛かって引き上げられたかと思うと、唇に柔らかく暖かなものが押しつけられるのを感じた。
目の前に、バニーの長い金色の睫やふわふわとした金髪が見える。
俺の口の中にぬめった熱いものが入り込んでくる。
俺の口の中に入ってきたその熱いものは、俺の舌を巻き付けるようにして絡め取ってきた。
じぃん、と痺れる。
「んっ……」
――キス、されている。
俺の頭はようやく働き始めた。
(え、キス……な、なんで…?)
……キスだ。
どう見てもこれはキスだと思う。
しかも普通のキスじゃなくて、すげぇディープなやつ……。
どうしよう。なんでバニーがこんな…?
バニーの舌がまるで生き物のように俺の口の中で蠢いて、咥内を擦ってくる。
くすぐったくて疼くような感覚が、顎裏の粘膜から湧き起こってくる。
その痺れが神経束を通って首の下、胸や、腹や……股間に伝わっていく。
暖かくて心地良くて、夢でも見ているような、そんなどこかふわふわした感覚だ。
バニーはキスがうまかった。
手慣れている感じでもあった。
……バニーの事を好きな女の子とか、もしバニーにキスされたらこうなっちまうんだろうな、という感じに俺はぽーっとなってしまった。
でもなんで、バニーが俺にキスなんか……?
どうしよう……。
もしかしてからかわれているのか?
俺があんなおかしなプレゼントなんかしたから、もしかして冗談のノリなのか?
でも俺は真面目に告白したんだ。
折角決心をして告白したのに、それを冗談で済ませられたら困る。
けれど、バニーはもしかしたら、返事に困ってこんなキスなんかしてるのかもしれない。
俺みてぇな中年のおじさんに告白されて、気持ち悪いけど、でも怒ったりしたら仕事での付き合いもあるし、……っていろいろ考えた末の行動かも。
真面目に拒絶したりして面倒な事になったら困るから、冗談で済ませてしまおうって気かも。
でも、俺、本当にバニーの事が好きで、すげぇえ決心して告白したんだけどな…。
キスを受けてうっとりと陶酔しながらも、俺は頭の中でそんな事をぐるぐる考えた。
バニーが冗談で済ませようとしてるなら、寂しい……。
けれど、それはしょうがない。
だってバニーにとっちゃ、すげぇ迷惑な事だろうし。
俺を嫌わないで、こうして済ませてくれるだけでもマシなんだ…。
唇が離れる。
透明な糸がつうっと唇と唇を繋いで光るのを俺は見下ろした。
「バニー、その、……ごめんな?」
バニーの目を見つめられなくて視線を落としたまま、俺は呟いた。
「あ、あのさ、ほんと、ごめん。……えっと、帰る?……明日からはまた普通のバディって事で頼むぜっ?」