◆ヒーローが出向してきました!--食堂篇後日談--◆ 3
今日もヤツが来る日だったのか。
そう言えば、今は午後2時を過ぎた時刻、ヤツが食堂に現れる時間ではある。
食堂の方を見る。
ヤツはどかどかと下品な足取りで入ってきた。
腰巾着の部下がコマネズミのように走り回って、ドラ息子にサンドウィッチとコーヒーを運んでいる。
周りで遅い昼食を摂っていたアポロンメディア社の社員が、不快そうな顔をヤツに向けた。
ドラ息子が座ったテーブル近くだった社員などは、わざわざ立ち上がってトレイを持って移動してしまったりもしている。
椅子にどかりと座って足を組むと、いかにも一流ブランド物の気障なスーツの襟を直しながら、ドラ息子がサンドウィッチにかぶりついた。
「でかい会社かなんか知らねーが、社員教育がなってね−よな。あぁ、どう思う?」
「はっ、そうですね。その点うちの会社は社員教育には力を入れておりますから安心ですよ、坊ちゃん」
「だよなぁ。ったく、外に出るとそれがよーく分かるぜ」
サンドウィッチを食べて珈琲をがぶりと飲んで、行儀悪くどかんとテーブルに肘を突いている。
私たちが押し黙って食堂の方を見たので、タイガーも、『ん?』と食堂の方に顔を向けた。
「しっかしよぅ、アポロンメディア社ももう終わりなんじゃねー?この間のヒーローTV見たかよ!」
周囲にいるアポロンメディア社の社員にわざと聞かせたいのだろう。
ドラ息子がことさら声を張り上げた。
嫌な予感がして私は眉を寄せた。
「タイガー&バーナビーがいなくなってせいせいしたと思ってたのによ、また復帰しやがってきたよな!しかも、ワイルドタイガーは能力が1分しか保たねーんだろ、こりゃぁどうなんだぁ?ひでぇよなぁ。1分しか能力のねぇヒーローなんざ、邪魔なだけだろうが」
案の定、予想通りの台詞をドラ息子が吐き出してきた。
周囲が誰も黙っているので、ドラ息子が調子に乗って更に大声で続ける。
「タイガーもタイガーだぜ。引退したんだったら、そのまま引っ込んでりゃいいのによぅ、のこのこと1分しか能力の無い身体で格好悪く復帰しやがって。あれで市民の命を守るヒーローだぁ、なんてやってるんじゃよぅ、シュテルンビルト市民も命がいくつあっても足りねーや。ったくあれなら俺がヒーローやってた方が何倍もマシだぜ。俺だって一応ネクストなんだからよぅ、しかも俺は時間無制限だぜ?ヒーローアカデミーもアホだな。俺の事落第なんかさせやがって。そうじゃなかったら今頃俺がタイガーみてーなぽんこつヒーローの代わりに、格好良く女にモテモテのヒーローやってたのになぁ!」
「全くでございます、坊ちゃま」
「なぁ?アカデミーのやつらも見る目がねーぜ。あのまま卒業できてたら、今頃俺はバーナビーなんかよりずっと人気のヒーローだよな!…にしても、全くよぅ、あんなタイガーみてーなヒーローを応援してるようじゃ、アポロンメディア社も終わりだな」
――ガタっ!
不意に椅子を蹴飛ばして立ち上がる音がして私たちははっとした。
血相を変えて立ち上がったのはバーナビーだった。
「バっ、バニーちゃんっ!」
タイガーが慌てた声を出す。
バーナビーが私たちをじろっと見た。
瞬間私は背筋が竦み上がった。
こんなに恐ろしい憤怒を表しているバーナビーを見たのは、初めてだった。
本気で怒っている。そう思った。
ものすごい迫力だった。
バーナビーの全身から怒りのオーラが立ち上ってそれが周囲を圧倒して、私たちはその圧力さえひしひしと肌に感じるようだった。
「バニーったら、おいっ!」
タイガーが宥めるように言うが、バーナビーはそのタイガーの事もじろりと見てからくるりと踵を返すとかつかつと大股に歩き厨房を出て食堂に向かった。
私たちは驚いてそのまま動けないまま、食堂の方を見た。
「うわぁぁぁっ!」
食堂で悲鳴が上がった。
バーナビーがドラ息子の襟首を掴んで締め上げていた。
「な、なんだよっ!くっっっ!」
食堂が水を打ったようにしーんと静まりかえる。
バーナビーの金髪が午後の光を反射してきらきらと煌めいている。
暖かな午後だった。
それなのに食堂はまるで氷でも張り詰めたかのように雰囲気が凍りついていた。
ドラ息子の首を締め上げて殺しそうな眼で彼を睨んでいるバーナビー。
必死で周囲に助けを求めるように目線を泳がすドラ息子と。
腰を抜かしそうにがたがたと震えてあわあわと狼狽える部下。
全く動かず、じっとバーナビーを見上げるアポロンメディア社の社員。
私たちも、驚いたままバーナビーをただただ見るだけだった。
「今、言っていた事を取り消せ…」
バーナビーが低くドスの利いた声を発した。
冷淡な落ち着いた口調が返って恐ろしかった。
「お、お前、その、バーナビー…?」
「そうだ。僕はバーナビー・ブルックスJr.だ。僕の大切な相棒であるタイガーさんの事をあんな風に言うなんて許せない…。まず、僕に詫びろ」
「ひぃっっ!苦しいっっ、助けてくれっっ!」
ぎり、とバーナビーがドラ息子の首を締め上げる。
声が出ないのだろう、鶏が喉を絞められたような声を上げながら、ドラ息子が周囲に助けを求める。
しかし、誰も助ける者はいなかった。
腰巾着の部下でさえ、驚愕して腰を抜かしたまま、バーナビーと、そのバーナビーに締め上げられている自分の上司を見上げて後退りするだけである。
「お、お前っ、ヒーローなんだろっ、ヒーローがっ、一般市民に、こんな事して、いいのかよっ!」
ドラ息子の方はもうちょっと骨があったのか、それともなけなしのプライドか、締め上げられながらも必死でそう反論してきた。
バーナビーの視線が一層鋭くなった。
傍目で見ているだけでも心臓がぎゅうっと締め付けられるような気持ちになる。
「ヒーローであるかないか以前に、お前の言う事は人間として許せない。虎徹さんの悪口を言う者は、僕が許さない…」
「ひーっっっ!あーっっ!」
「…よせっ、バニー!!」
突然、別の声が割って入って、私ははっとした。
気が付くと、今まで私たちの隣に座っていたはずのタイガーがいなくなっていた。
眼を向けると、タイガーがバニーの手を掴んでいた。
いつのまに食堂の方に行ったのだろうか、全く気が付かなかった。
バーナビーが驚いたように、タイガーを見る。
タイガーも、今まで私たちが見た事がない厳しい表情をしていた。
彼があんな表情をするのを私は初めて見た。
いつもの、くりくりとした眼で困ったように私たちに笑い掛けてくる、人懐っこい表情ではない。
今の彼は瞳を琥珀色に光らせ、眉を寄せ、唇を引き結んで、鋭い視線をしていた。
「ダメだ、バニー、よせ」
「虎徹さん……」
タイガーの手が、バーナビーの、ドラ息子を締め上げていた手を掴んで離させた。
ドサリ、とドラ息子が床に尻餅をつく。
ぜぇはぁぜぇはぁと頻りに息ををして、全身を震わせている。
バーナビーは俯いて唇を噛み締めていた。
とても悔しそうだった。
しかし、タイガーはそのバーナビーの手を離そうとはしなかった。
厳しい表情のままだった。
「ヒーローが一般市民に手を出しちゃだめだろ、バニー。市民は守るべき存在だ」
タイガーが厳しい口調でびしっと言った。
「……でも!」
バーナビーが不服を唱えるように反論したが、それに押し被せるように更にタイガーが言った。
「バニー、俺たちはなんだ?言ってみろ」
「………ヒーローです…」
「そうだ。だったらヒーローはどうするべきか分かるよな?」
「……はい」
バーナビーが項垂れてタイガーに頭を下げる。
「すいませんでした…」
「よし、それでいいんだ、バニー…」
タイガーが掴んでいたバーナビーの手を離して、ぽんぽんとバーナビーの肩を叩いた。
緊張した厳しい空気がふわっと解れて、私たちは思わずはぁっと深い息を吐いた。
みんなして息を詰めて、その場面を見つめていたようだ。
今まで息をしていなかったのに気付いて、がた、と椅子の背に凭れて、はぁー、と息をを吐いては吸う。
こんなに緊張した場面を見たのは何年ぶりだろううか。
皆一様に、タイガーの剣幕に驚いているようだった。
私も驚いた。
タイガーがあんなに厳しい一面を持っていたとは。
彼とはもう2年ぐらいの付き合いになるのに、知らなかった。
「な、なんだよ!」
その時、尻餅をついてへたっていたドラ息子が反撃に出た。