◆ヒーローが出向してきました!--社史編纂室篇--◆ 2
一旦最上まで昇ったエレベータが、凄い勢いで地下へと降りていく。
降りてエレベータの扉が開いたその先は、薄暗いひんやりとした空気が静かに満ちている空間だった。
カツカツ、とくたびれて汚れた革靴を響かせて、廊下を歩く。
歩いて少しの所に、社史編纂室がある。
扉を空けて中に入る。
「あ、おはよう、ロベルト君」
真ん中の机の所で香ばしい匂いを上げて珈琲を飲んでいた室長が、片手を上げた。
年の頃は60近く。
もうすぐ定年で最早出世の見込みなど全く無く、というよりは元々最初から出世コースより外れているヤツだ。
この生き馬の目を抜くアポロンメディア社で最初から出世コースを外れているのは、それはそれでのんびり過ごすこともできるっつう典型だ。
最後の最後にこの社史編纂室の室長というお飾り的なポストを与えられて、まぁあと2、3年、こうやってひがな一日、珈琲を飲んだりパソコンをぽちぽち弄ったりして過ごすんだろう。
そういう、まぁ隠居じじいだ。
その室長の机を中央に、両側に向かい合わせになって机が二つずつ計4つ並んでいる。
室長の隣が俺だ。
まぁ、室長の次に年齢がいってるのが俺だからな。
それから俺の隣に20代後半の若いウォン。
こいつもまぁ言ってみれば未来の室長候補って所か。
最初から出世コースなんか外れてて、大学では歴史を専攻していたらしくて、古くさい文書を読んだり資料をまとめたり調べたりするのが好きっていう根っからオタクなやつだ。
編纂室にはちょうど良いかもしれねぇが。
それから俺の向かい側、室長の向かって左の机は、これまた20代後半のパメラだ。
「おはようございまーす、ロベルトさん」
黄色い声で挨拶をしてくる。
この女はどういう伝手でアポロンメディア社に入社できたのか分かんねぇが、かなりのコネがあったんじゃねぇかと思う。
というのも、どう見てもこの外見で面接を通ったとは思えないほど、すげぇんだ。
まぁ巨乳なのは悪くない…が、その胸が殆ど乳首まで見えそうなぐらい開いた、よく言えばセクシー、悪く言えば下品極まりない服を着た上に、スカートだって太腿が零れ落ちそうなミニスカートだ。
こんなのを着てこのシュテルンメダイユ地区、特にゴールドステージのアポロンメディア社辺りを歩いている女なんて誰もいやしねぇ。
どうやって会社に来てるんだと思うぐらい、凄い。
アポロンメディア社社史編纂室の構成員は、この4人だ。
はっきり言って、左遷コース以外の何物でもない。
初めてここに段ボール箱を持ってやってきた時に俺は、メディア調査部とのあまりの差異に腹が立つというよりは愕然として呆けてしまった。
これが俺に対する評価なのか。
シュテルンビルト総合大学経営学部を優秀な成績で卒業し、アポロンメディア社にも優秀な成績で入社して新入社員研修でも代表でレポートを発表し、そして念願のメディア調査部に入れて10年。
メディアの事に関しては俺の右に出る者はいないだろう、などと密かに自負するぐらい詳しくなったし、相手との取引先との駆け引きだって上手い。
営業だってばんばんかけていたし、はっきり言って顔もスタイルも悪くはないと思っている。
身体は鍛えている方だし、ブラウンの短髪にグレイの目、結構渋いハンサムじゃねぇかとか思ってたりはした。
今まで会社に対してもかなり貢献してきた。
そして内々に課長に昇進という約束までもらっていたってのに。
それなのに、そんな自分の力量とかは全く関係なく、ただの僻みと嫉妬の人間関係で部長が陥れられて、それだけで 自分までこんな閑職に追いやられてしまう。
会社なんて、結局そんなものなんだ。仕方がないだろう。
ここで何年か耐えれば絶対メディア調査部に戻れる、と何度も自分に言い聞かせてはみた。
が、この社史編纂室のあまりの荒廃ぶり、役に立たない部署ぶりには、さすがのこの俺の希望も、日に日に潰えていくような気がしていた。
今日もうんざりした気持ちと腹が立って何とも言えない悔しさと、でもそんな事考えてもどうにもならない絶望と、そんなものがない交ぜになったやけっぱちな気持ちで机に座った所で、室長が香ばしい香りを立てる珈琲カップを俺の机の上にとん、と置いて、
「どーぞ?」
とにこにこして声を掛けてきた。
まぁ室長自ら珈琲を淹れてくれるんじゃ、飲まないと悪いだろうと思ってがぶっと飲んで、それから室長をじろっと見上げる。
「あー、みんなちょっといいかな?」
室長が言いながら元の自分の机に戻り、俺たち3人を見てきた。
「あー、実は今度ねぇ、社内で他の部とか課とも交流を持とうという事になってねぇ…。それでなんかそういう社内企画が持ち上がったんだよね」
そういや、室長は昨日の午後は会議に出てたんだったか。
他の部や課と交流だと……?
んなもん、こちらから願い下げだ。
俺が思いっきりしかめ面をすると、室長がハハハっと困惑したように笑った。
「で、何かやるんですか、うちでも」
「うーん、でねぇ…。その部や課で、他の部や課に教えられる事をしようって事になったんだけどねぇ」
「うち、何かあるんすか、室長?」
俺がむすっとして質問する。
「え?そりゃあ…。うん、一応ね、私が考えたのは、うーん…こういうのどう?『誰でもできるパソコン初心者教室』」
「…は?」
「パソコン初心者教室ぅ?悪くないんじゃないんですか?」
パメラがそこで嬉しそうな声を上げたので、俺は眉を顰めてぎろっと彼女を睨んでやった。
しかしパメラは俺の睨みなんかまるっきり意にも介さない。
まぁそういう女じゃなくちゃ、こういう格好をして会社に来ねぇか…
ったく、俺が睨めば前はメディア調査部のやつなんか、みんな目を逸らして押し黙ったもんだが。
「初心者ってそんなやつ、うちの会社にいるんすか?」
だいたいこのアポロンメディア社に入社するような人間で、パソコンができないなんていうヤツがいるとは到底思えない。
俺が肩を竦めて両手の平を上向けてひらひらさせながらおどけて言ってみると、室長がそういう俺の挑発には乗らずににこにこして答えてきた。
「普通に入社試験受けて入社した人は勿論、みんなパソコンのプロでそんな必要はないと思うんだけど、特別枠、特にボランティア枠で入ってくる人とかがいるだろう?職業訓練を受けて入ってきた人は別だけど、そうじゃない人でいきなり会社に入って困っている人もいると思うんだ。会社忙しいから、パソコンなんか悠長に教えているような暇もないしねぇ」
「はー、そうっすねぇ」
悠長な暇があるのはここってわけか、などと内心思いながら俺はしらっとした目で室長を見た。
確かにうちの会社は、競争率の高い難関の入社試験を経て入ってきた正社員だけではなく、それ以外に必ず一定の割合のボランティア枠、特別枠社員ってのがいる。
特別枠というのは、アポロンメディア社に必要な人間を入社試験無しに入社させる枠だ。
ボランティア枠ってのは、行政の失業対策、雇用機会均等の一環で、失業者の中からスキルや経験に関係なく、簡易な入社試験あるいは面接のみで雇用する精度だ。
失業者以外に、何らかの障害を持っていて長時間の勤務に耐えられない、通常勤務が不可能な人たちをやはり面接程度で雇用する制度でもある。
その制度を取っている会社には行政から補助が下りるし、一人につきいくらという予算も付く。
アポロンメディア社のような大企業になれば、補助云々というよりは社会的な影響力からしてボランティア枠を相当数取るのは当然のことだった。
その他、契約社員、或いはパート、バイトに至るまで、考えてみるとアポロンメディア社にはさまざまな人間が働いている事は確かだ。
「会社にね、一応所属している人誰でもOKという事で、すごく簡単な所から始めてみたらどうかな、と思うんだけど…」
室長が珈琲をもう一杯注いで、そこに角砂糖をぽとんと落としながら言ってきた。
「すごくいいですね、それ。あたし、パソコン得意ですから教えます!」
「はぁ、お前、パソコン得意なのか?」
「えー!やだぁ。あたしの事よく見てくださいよぅ、ロベルトさん」
「……見てはいるけどな…」
「言っときますけどね、あたし、国際WEB技能検定1級、HexcelWoord情報処理技術初段、WEBクリエイターデザイン技能検定師範級を持ってるんですよ?」
パメラが得意げに口にした資格の名称を聞いて俺ははっきり言って驚いた。
それはアポロンメディア社の中だって、それだけ複数で取得している人間というのはなかなかにいない。
たまに履歴書にその資格を書いてくるやつもいるが、そういうやつはたいてい超優秀で花形部署に配置される。
「えー、パメラさん本当に持ってるんですか、すごいなぁ、あ、僕も国際WEB特殊情報処理検定1級なら持ってるんですけどね?」
(え…)
ウォンの言葉を聞いて俺は更に驚いた。
ウォンまで………!
実を言うと俺は持っていない。
いや、パソコンなんてある程度できれば、あとは営業や対人のスキルだろう、と思っていたからだ。
にしても、そういう資格を持っているとなると、ウォンもパメラもやはり正式の入社試験を受けて入ってきたんだろうな。
こいつら、外見はオタクだったりとんでもない女だったりするが、優秀というわけか…。
俺はやや複雑な心境になった。
「じゃあ、こんなのどうです?会社の中って本当にパソコンできない人たまにいますよね。そういう人に特化した企画にしましょうよ。こんな感じ…」
パメラが黄色い声を張り上げながら、パソコンをぱぱぱっと叩く。
各自の画面にぱっと彼女の作った企画が浮かぶ。
★誰でも出来るパソコン初心者教室★
『パソコンが苦手だけど、今更人にも聞けないというあなた、私たちがやさしーく教えます!
キーボードの打ち方から、あなたのペースに合わせて優しく優しく。怒りませんよ?』
☆講座の内容☆
1.ブラインドタッチを覚えよう。
2.文章ソフトを作って文書を作ろう。
3.長い文章を作ってみよう。
4.表計算ソフトを使ってみよう
「んー、この辺までですかね?室長、その社内企画って期間とかあるんですか?」
「あー、うん、これ、なかなかいいねぇ。さすがパメラ君」
室長が、自分の机の上に浮き上がった画面を見てにっこりとする。
「期間は約2週間って所かな?だいたい、1日3時間程度、午前中来てもらうっていう形を予定しているみたいだよ」
「ふーん、そうするとその期間中は、いろんな所にいろんな部署の人が移動してるってわけなんですね?」
「そうそう、そんな風にしてできるだけ他の部署を知って、みんなで仲良くなろうって事かな?」
(……はァ、みんなで仲良くかい…)
仲良くしてどうすんだ。会社として利益を上げるのが一番なんじゃねぇのか?
(しっかしそんな簡単な講座、誰か来るのかよ…)
俺は画面を見ながら内心けっと舌打ちした。
そんな俺を見て室長がおだやかに笑う。
この人は本当に穏やかで、俺の毒気がすっかり削がれちまうのが残念だ。
「まぁ、こんな所でどうだい、ロベルト君。ここには3人、優秀なパソコン技術者がいるからね、ロベルト君とウォン君とパメラ君、みんなで教えて欲しいんだ。もしたくさん人数が集まったらだけどね」
「つうか、本当に来るんすか、これ?」
「えーっ、来なかったら来なくてもいいじゃん、別に。だってさ、好きなようにできるし、楽しいじゃん、ねぇ、ウォン?」
「ん、そうですよ。なんか楽しそうです。もし本当にパソコンできない人がいたら、会社の中ですっごい困ってると思うし。そういう人に手助けできるんですから、いい仕事じゃないですか?」
――は、良い仕事だと?これが?
ブラインドタッチの使い方を覚えよう、なんて所から教えるのがか?
……アホくせぇ。あー、いやだいやだ。なんだこりゃ……。
俺がもしメディア調査部だったら、どういう企画を立てていただろうか。
俺はつい元いた花形部署のことを考えてしまった。
あそこなら、こんなくそつまんねぇ企画なんか立てねぇだろうな。
…つか、まず企画なんか立てて交流している暇がねぇはずだ。
生き馬の目を抜く花形部署で誰もが忙しくて緊張感があって、他社との駆け引きや高度な情報戦で本当にやり甲斐があって……。
……しまった!
メディア調査部の事を考えないようにしていたのに、ついつい考えちまった。
考えれば考えるほど今の自分が惨めになってきちまって、今朝方会ったジャンの事まで思い出して腸が煮えくりかえるような気持ちになる。
その時。
パッと、社史編纂室の壁半分を占領している大きな液晶画面が点いた。
『ヒーローTVラーイブ!』
点くなりいきなりアナウンサーの声が部屋に響き渡った。