◆ヒーローが出向してきました!--社史編纂室篇--◆ 4
次の日。
『誰でもできるパソコン初心者教室』、こいつに応募したヤツが社史編纂室にやってきた。
いつものように俺がだるく出社すると、室長を囲んで向かい合っているパメラの隣の空いている机、そこに真新しいパソコンが一台設えられ、物置のようになっていた机の上もすっきりとしていた。
人が座ってすぐに仕事ができるようになっている。
「これ、アタシが綺麗にしたのよ、仕事できるでしょ?」
パメラが巨乳をぷるぷるさせながら、俺に言ってきた。
「はー、そう。…やる気あって、いいねぇ…」
パメラは今日も超ミニスカートだ。
いや、いつもよりももっとミニかも知れねぇ。
もしかして、企画に応募したヤツが来るからか?
俺は昨日見た、パソコン写真の鏑木・T・虎徹の顔を思い浮かべた。
……まぁ、造作は悪くねぇ感じだった。
少し自信がなさそうな表情をしていたが、ボランティア枠入社じゃしょうがねぇだろうな。
年は俺と同じだった。
だいたいこの30代後半ってのは、精神的に若くて前向きなら見た目も若くなるし、既にその年で人生に疲れてたりしたらすっかり見た目もおじさんになっちまうという、微妙な年代だ。
こいつはどうだろう…。
俺は昨日室長から各自のパソコンにデータとして送られてきた鏑木・T・虎徹の簡易履歴を、もう一度見てみた。
顔は……俺よりはいい男かも知れねぇ。
失業中という事だが前は何をやってたんだ、と見ると、『スポーツインストラクター』とある。
成る程、まぁ、頭使わねぇ仕事って感じだな…。
この顔でどういうスポーツ施設で働いていたのかはわからねぇが、たいていそういう施設ってのはお金持ちのおばちゃん連中が暇に飽かせて通う所が多い。
40代、50代のおばちゃんにはモテモテだったかも知れねぇな。
にしても、リストラされたんじゃしょうがねぇか。
……などとぼんやり画面を見ながらとりとめもなく考えていると、編纂室の扉が開いて、室長が中に入ってきた。
「やぁ、おはよう、みんな。鏑木君、どうぞ?」
室長はどうやら企画に応募したヤツを連れてきたようだった。
「はい、失礼します」
低く良く通る声がして、室長の後から背の高いすらりとした男性が入ってきた。
「そのまま、じゃ、ここまで来てね?」
室長がにこにこしながらそいつを誘導して、中央の室長の机の前に立たせる。
そいつの隣に立って、室長が俺たち3人を見回してきた。
「はい、今日からパソコン企画を受講してくれる、鏑木・T・虎徹君だ。みんなよろしく頼むよ?鏑木君は、このたびうちの会社にボランティア枠で入社した人でね、昨日のデータを見れば分かると思うけど、年は37歳。所属は今の所まだ決まってないから人事部預かり。研修したり適性を見たりしてから決めるみたいだね。前はスポーツインストラクターをしていたそうだ。うん、そんな感じの身体してるね、君。…じゃあ、鏑木君、挨拶してくれる?」
「あ、はい…」
室長に促されてそいつ、鏑木・T・虎徹が緊張した面持ちで直立不動した。
茶色がかったやや長めの黒髪に、地味な暗いグレイのスーツ。
薄い色合いのシャツに、やや暗い緑色のネクタイを締めている。
スポーツインストラクターをやっていたという情報から俺は、脳細胞まで筋肉のような、マッチョなタイプを予想していたが、ちょっと違った。
かなりスタイルがいい。
モデルをやっていたと言ってもおかしくないぐらいのスタイルだ。
背が高くすらりとして、足が長い。
着痩せするタイプなのかも知れないが、かなり細めだ。
日系人は童顔が特徴だが、彼もご他聞に漏れず若く見えた。
顎に髭を蓄えている事で漸く年相応――と言っても俺よりは年下に見えるが――まぁなんとか30代半ばぐらいには見える。
やや長い黒髪と自信のなさそうな茶色の目がおどおどとした印象で、迷子になった子犬のようだ。
同じ年とは言え、アングロサクソン系で短髪の俺とは随分印象が違う。
まぁ、でも結構お洒落な感じでもある。
左手にごつい時計とブレス、それから指輪をしている。
この指輪は結婚指輪だろうか、俺は少し考えた。
家族持ちだとしたら、たとえボランティア枠とは言え、大企業であるアポロンメディア社に入社できたんだから、それは嬉しいだろう。
が、家族持ち特有の保守的な所が、この鏑木・T・虎徹からは感じられない。
「あ、あの、今度アポロンメディア社に入った、鏑木虎徹です」
彼がやや口籠もりながら挨拶を始めた。
「実はその、パソコンがよくできなくて、今まできちんと勉強もしてこなかったので、本当に困ってます。心を入れ替えて一から勉強し直そうかと思って、こちらの企画に応募させていただきました。一生懸命頑張りますので、ご指導の程どうぞよろしくお願いします」
そう言ってぺこり、と頭を下げる。
「あーら、そんな謙遜しなくても、とにかくやればできるようになるわよ。ね、室長?」
「あ、うん、大丈夫。ここにいるパメラはすごく優秀なんだ。優秀だし優しいからね?」
「はい、どうぞよろしくお願いします」
まぁ、結構顔も悪くねぇし、スタイルもいいからな。
そんなヤツにぺこぺこされたら、パメラだって気持ちがいいに違いないだろう。
案の定パメラはぽっと頬を染めて上機嫌になった。
「じゃあ早速、始めてもらおうか。時間は9時〜12時まで、途中休憩を挟んで3時間だよ」
「はい」
「そんなに畏まらなくていいんだよ、鏑木君。ここはね、アットホームな部署だからね、君ものんびり楽しくやってくれたまえ」
室長がいつものにこにこした顔で言う。
鏑木虎徹がほっとしたように眼を細めて笑った。
……まぁ、どうせ暇だしな…。
こいつがどんなヤツなのかはよく分からないが、でもまぁ、取り敢えず、しょぼくれていて失業するところをうちの会社に拾ってもらって――そこはちっと運がいいと思うが――で、会社に入ってみたものの、スキルが何もねぇから途方にくれてるってぇ所か。
「じゃあ早速始めましょうねぇ、鏑木さん。はい、あなたの席、ここよ。うちに来てる間はここに座ってください」
そう言ってパメラが、綺麗に片付けたパメラの隣の机を指さした。
「あ、はい…」
鏑木が頷いてそこに座る。
俺とはちょうど斜め向かいの席になる。
椅子にふんぞり返って珈琲を飲みながら、俺はその鏑木というヤツの様子をちらちらと眺めた。
「じゃ、今日は一番最初ですから、本当に初歩の初歩から行きますよ。きっと鏑木さんも簡単でつまらないと思うかもしれませんけど、一応おさらいという事で」
「はーい、じゃあ、他のみんなはいつもの仕事について」
室長がぽんぽんと手を叩いて言う。
ちらちらと鏑木とパメラの様子を斜め向かいから盗み見ながら、俺もちんたらと仕事を始めた。
「じゃ、まずブラインドタッチからいきますね。これ、キーボード見ないで入力してください」
……はぁ、ブラインドタッチからやるのかよ、そりゃぁすげぇ。
今時小学生でもやらねぇようなあたりじゃねぇのか、と俺は一瞬呆気に取られたが、テキストを見せられた鏑木は、
「はい」
と言って必死にぽちぽちとキーボードを打っている。
(え、こいつ、もしかしてできねーの?)
さすがに驚いて、俺は顔を上げて斜め向かいのヤツの様子を見た。
ふと隣を見ると、ウォンもやや驚いた様子で前を見ている。
まぁ普通、驚くよな…。
「んー、そうですねぇ。まぁまぁできますけど、やっぱりちょっと間違ってるかな?」
「あーすんません。…途中で適当に覚えちゃったもんで」
「そうですねぇ、一度自己流の癖がつくとなかなか直らないっていうのがありますね。でも一度きちっとしたので覚えると、そのあと楽ですからね?じゃあ、鏑木さん、今日は本当に簡単でつまらないかも知れないですけれど、あなたの間違った手の癖を直す、という所から始めましょうね?」
「はい、お願いします」
パチパチ……。
それから延々とパメラと鏑木の二人で、どうやら完璧なブラインドタッチの練習、というやつをしているらしい。
向かいでちらちらと眺めながら、俺は資料をウェブに載せるという、たるい仕事をやっていた。
途中飽きてまた珈琲を飲んで、ぼんやりする。
その間も鏑木の机の方からは、パチパチとキーボードを打つ音が聞こえる。
ちらっと見るとものすごい真剣な表情で鏑木がテキストを見ていた。
(へぇ…意外とやる気あんだな、こいつ…)
俺はちょっと鏑木を見直した。
ボランティア枠で入ったヤツというと、その幸運に喜んで入社してなんにもしねぇヤツ。
それから、入社してはみたものの、アポロンメディア社の大企業ぶりや到底自分ではついていけないようなレベルの高い社員達を見て、まるっきりやる気をなくしてお荷物になり、結局辞めていくヤツ。
だいたいその二パターンしか見ていなかった。
自分がスキルが低いにもかかわらず、挫けずに頑張るってヤツを見たのは、初めてかも知れない。
ま、どこまで頑張れるかなってのもあるけどな…。
と思いつつも、向かいの机がやたらに熱気が入っているから、俺もついつい自分のたるい仕事が進んじまった。
暫くしてパメラが、
「はい、鏑木さん、お疲れ様でした。今日はこのへんで終わりにしましょう。あとはこのテキスト差し上げますから、自分でやってみてくれます?」
と言って終了にした。
「あ、はい、分かりました。ありがとうございます。今日一日ずっとやってみます」
鏑木がぺこりと頭を下げて言う。
「本当に今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
そう言って一礼して彼が部屋を出て行くのを、俺はぼんやりと眺めた。
いつのまにか12時になってやがる。
「鏑木さん、随分熱心ですねぇ」
ウォンが俺に話しかけてきた。
「あー、そうだな。……しかし、ブラインドタッチとは恐れ入ったぜ…」
「はは、そうですね、僕もちょっと驚きました。けどなんにしろやる気があるというのはいい事ですよ」
「んー。まぁ、それもそうかもな…」
あの熱心さがいつまで続くか、っつうのも問題だけどな。
そのうち挫けるかもしれねえが、どうだろうな、あいつ…。少しは骨がありそうだが…。
などと思いながら俺は、いつの間にか熱心に仕事をやっちまったせいで疲れた腕を伸ばして欠伸をした。