◆ヒーローが出向してきました!--社史編纂室篇--◆ 5
次の日もその次の日も、鏑木虎徹は朝9時ちょっと前にこの社史編纂室に来て、12時過ぎまでぴったり3時間、みっちりパメラの指導を受けていた。
ブラインドタッチについては、1日目編纂室を後にして現在所属している人事部にでも戻って猛練習したんだろうか、次の日には殆ど癖が直っていたらしい。
パメラが驚いていた。
昔からついた癖のまま大人になってしまうとなかなか直らないっつう話だが、まぁ、あんまりパソコン自体触ってなかったのかもしれねぇな。
と言うのはおいといて、とにかくヤツは熱心だ。
次の日は簡単な文章の作成。
それから社内文書の形式の勉強、それから一通りの社内文書の作成を今やっている。
アポロンメディア社の形式の文書、これがある程度作れるようになればなんとか使い物にはなる。
まぁ、一番下の下という所だが。
でも、取り敢えずボランティア枠で入ったやつにしては、上出来かもしれねぇ。
俺もたまに鏑木の後ろに立って、ヤツがパソコン操作するのを見たりもした。
すごい集中力で、俺が後ろに立っても全くその集中力が途切れることがなくやっているのには感心した。
こいつは、スキルはともかく、性格的にも精神的にも強いヤツなのかもしれねぇ。
12時前ぐらいに少し早めに終わると、室長が珈琲を淹れてくれる時もある。
そういう時は俺もなんとなく鏑木の近くに行って、ヤツとパメラやウォンが話すのを聞いた。
ヤツは基本的に礼儀正しい。
歳は俺と同じだからパメラやウォンはずっと年下になるわけだが、必ず敬語を使って話し、丁寧だ。
社内文書の方も一通り覚えたようで、俺も少し教えてやったが、俺のぶっきらぼうな説明も一生懸命必死に聞いていて、不満を漏らすとかそういうこともない。
何事にも一生懸命、全力投球という感じだ。
―――俺はちょっとだけ、昔の自分を思い出した。
そう言えば俺も入社したばっかりとかメディア調査部に入って意欲に燃えていた頃は、こんなだったよなぁ……なんてな。
そう思うと、ちょっと胸の辺りがちりちりと痛んだ。
「これでどうですか?ロベルトさん」
鏑木が結構滑らかになってきたブラインドタッチでぱちぱちと打って作った社内文書の画面を、俺に見せてきた。
見上げてくる目は琥珀色、茶色と金色が混ざり合ったような色で日系人にしては珍しい。
すごく真摯なその視線に見つめられると、なんとなく自分が恥ずかしくなるような気がした。
こいつはこんな大会社に入っちまって、本当に必死なんだろうなぁ…。
ボランティア枠入社だから、正式入社のヤツからはまず下に見られて馬鹿にされるのは確実だろうし。
入ってみたのはいいものの、パソコンもできなくて馬鹿にされたんだろうな。
こんな会社じゃ誰も教えてくれねぇしなぁ…。
でもそこでふてくされたり挫けたりしないで、こうして一生懸命、自分なりにできる事からやっている。
そう思うとなんとなく、自分が恥ずかしくなったのだ。
俺はどうだろうか……。
俺は勿論、自分の実力で入社したし、入社の成績だってトップだった。
そのままアポロンメディア社の花形、メディア調査部に配属されて、そこでも中心になってばりばり働いていた。
でもそのうちに俺も、そういう自分を鼻に掛けて、おごっていたのかもしれねぇな。
俺だって入社した当時は、一生懸命頑張って、なんでも質問して自分で吸収して頑張ろう、周りはみんな先輩でどんな人でも尊敬しよう、なんて思ってたのになぁ…。
なのにいつのまにかメディア調査部っつう花畑部署の花形社員という事で、このアポロンメディア社を背負って立つ一番の若手なんていうつもりになっていた。
で、それがこうやって挫折して閑職にふっとばされて、すっかりふてくされて、そうしたら人間まで腐っちまったって訳だよな……。
「珈琲、美味しいですね?」
鏑木がにこにこして俺に話しかけてきた。
「あーそうだな。室長の淹れてくれるやつはうめえよ」
「本当ですね。ここの人はみんな優しいし、本当に俺、ありがたいと思ってます」
という鏑木の言葉がお世辞ではなくて本心から言っているのが分かって、俺は戸惑った。
「それにここ、本もたくさんあって、雰囲気もいいですね。歴史を感じます」
編纂室には古い本がそこかしこに山と積まれている。
他の部署はPC機器きとかそういのばかりだから、少し珍しいんだろうな…。
俺はこの本ばかりのこ汚ねぇ空間に、うんざりしたもんだが。
「はは、そう、本がたくさんあるでしょ、ここ。まぁ、ここはね、この会社の中でものんびりした所だからね?疲れたら本でも読んで君も焦らずに、ね?」
室長が珈琲を飲みながら人好きのする笑顔を見せた。
「はい。俺、本当にパソコン出来ないんで、すごい助かります。少しずつ覚えていって、なんとかこの会社で通用するようになりたいです」
鏑木が珈琲を飲みながら室長を見上げて笑顔を返した。
やや垂れ気味の目が、細くなると余計に若く見える。
髭さえ無ければ20代の若者、とも言えるかも知れない。
きっとそれは外見だけではなくて、この素直な態度がそう見せているのかも知れない。
こいつを見ていると、本当に性格がいいんだろうなと俺は思った。
誰にでも人なつこく、基本的に他人に善意を持っている。
きっと相手から悪意を向けられても、こいつは善意を返すんじゃないか。
その態度に加えて、琥珀色の丸い目と、大きめの黒い瞳孔が更にヤツを若く見せている。
あどけない感じにも見える。
背は俺よりは高い。
が、体重は俺の方がありそうだ。
なんと言ってもこいつはすらりとしていて足が長く、まぁ才能さえあればモデルだってできるんじゃねぇかっていう感じのスタイルをしている。
ちょっと街を歩いているとスカウトされそうな感じにも見える。
まぁでもこの性格じゃ、ああいう生き馬の目を抜くような業界は向かねぇのかもしれねぇな、とも俺は思った。
「俺とお前ってさ、同じ歳なんだよな」
「え、そうなんですか?」
俺が言うと、鏑木が俺の方を向いて嬉しそうに笑いかけてきた。
「ロベルトさん、すごいしっかりしているし落ち着いてるから、年上かと思ってました」
くりくりとした琥珀色の瞳で見つめられてそう言われると、俺のひねくれてささくれた心もなんだか和んでくる。
ささくれでちくちくした所をヤツの言葉がふんわりと包み込んでくれるみたいだ。
こいつ、ほんとに良い奴なんだろうなぁ…。
失業してたって話だから苦労してんだろうけど、それでひねくれたようにも見えねぇ。
でも本当は苦労してたんだろうなぁ…。
俺は、いつになくこいつに好感を抱いていた。
鏑木はそれから毎日、きちんと講座を受けに来た。
いつも地味なスーツを着て、でもその地味な色がヤツにとても似合っている。
濃いグレーの地味なスーツでやってきては(その一着しか持ってねぇのかも知れねぇが)9時〜12時までこの社史編纂室で講座を受ける。
11時半ごろになると、パメラが休憩しましょうと言って、室長がいれば珈琲を淹れてくれたり、いなかったらウォンが珈琲を淹れたりして、みんなでそこで珈琲を飲みながら話をするのが習慣になっていた。
そういう時でも鏑木は丁寧で素直で、俺はすっかりこいつに好感を持っていた。
そんな風にして数日後。
その日も、
「じゃあ、珈琲でも飲んで少し休憩しようね」
と言って、室長が部屋の隅の給湯室で室長自慢の珈琲豆で珈琲を淹れてくれて、それをみんなで飲もうとした時。
突然、編纂室の壁に設置されたスクリーンが、ぱっと点灯した。
(……………)
折角美味い珈琲を飲んでのんびりしようと思っていたのに……。
……俺は一気に不機嫌になった。
編纂室の誰かが操作したわけではないのに、自動的に壁のスクリーンが点くというのは、つまりアポロンメディア社が強制的に社員全員に見せたいものがある場合だ。
そしてそれは最近では殆どの場合、現在我が社が全面的にバックアップし応援しているヒーロー、タイガー&バーナビーに関するものなのだ。
(今日もヒーローTVの中継かよ……!)
しかし俺が睨みあげた画面は、ヒーローTVの中継ではなかった。
中継ではなくてもっと悪かった。
アポロンメディア社がわざわざ社員向けに啓蒙番組として作った、我が社のヒーローの特集特別番組だったのだ。
『世界に羽ばたくアポロンメディア社のヒーロータイガー&バーナビー』なんつう恥ずかしいタイトルがババーンと出る。
その次に、ヒーロースーツを着てポーズを決めているタイガー&バーナビーの画像になる。
「きゃあ、ヒーローTVの特別番組よ、すごーい!」
パメラが脳天気な声を上げた。
番組は最初、まずヒーローTVのメイキングから始まった。
ヒーローTVを作成しているOBCスタジオはアポロンメディア社の傘下にあるから、言ってみればまぁ関係子会社のようなものだ。
そこで中継がどのように行われるのか、スタッフのインタビュー、それからシュテルンビルト市におけるヒーローの歴史、変遷、そういうのを10分ほどやって、残りはタイガー&バーナビーの紹介だった。
全部で30分ぐらいの番組らしい。
タイガー&バーナビーの名前、それから能力。
さらにヒーロースーツの機能、今までの活躍のダイジェスト。
ヒーローがアポロンメディア社にどれだけ貢献しているか。宣伝効果について。
そういうものをヒーローの活躍の格好良い場面を交えながら、OBCスタジオのスタッフとアポロンメディア社の関連スタッフが大仰に話している。
……なんだこれは。
ヒーローの宣伝番組だからしょうがねぇんだろうが、あまりにもヒーローを持ち上げて褒めているから、俺は胸糞が悪くなった。
それでなくたってヒーロー、……特にワイルドタイガーなんか見たくねぇ。
いつもヒーローTV中継の時はできるだけ見ないようにしているのに、今回のはタイガー&バーナビーの特集だから、延々と見せられる羽目になってしまった。
「……けっ、ヒーロー様かよ!いいご身分だぜ!」
我慢できなくなって俺は、ワイルドタイガーがバーンと画面に大写しになった時に、思わず大声で悪態を吐いていた。
「なぁ、鏑木。このワイルドタイガーとかよぉ、俺やお前と同世代だよなぁ。……きっと、すげぇ給料もらってんだぜ、こいつ」
俺は鏑木に向かって、思わず声を荒げて話しかけていた。
鏑木はこの間まで失業していて、やっとボランティア枠でこの会社に拾ってもらったやつだ。
だからなんとなく、共感を抱いていたのかも知れない。
悪態を吐きながら鏑木を見ると、鏑木が茶色の目を大きく見開いたまま、驚いたように俺を見ていた。
「…え?……そ、うですね。……いや、…そうでもないんじゃない……かな…」
「はぁ?」
歯切れ悪く鏑木がもごもごとして俺から目線を逸らして言ってきたので、俺はぐっと眉を寄せてやつを睨んだ。
「あ、いや、その−。……そんな、高くないんじゃないですかねぇ……。……あの、俺、給料、安いっすよ……」
「は?…お前はボランティア枠で入ったばっかりだろ、少なくて当然だろうが」
「はぁ、……そうですけど…」
歯切れ悪くもごもごと言いながら、落ち着かなく目線をしきりに左右に彷徨わせている。
変なやつだ、なんだろう、と思ったが、その時画面がぱっとまた切り替わって、タイガー&バーナビーのグッドラックモードが映し出された。
いかにも格好良く映し出されたので、俺はまた思わずけっと舌打ちをした。
「はっ、グッドラックモードだとよ!なに、格好つけてんだっ、ったく!」
「……え?……い、いや、その…。……格好つけてるつもりは…ないん…です、………じゃ、ないかな?」
「あァ?いちいちなんだよお前っ!」
俺が何か言うと鏑木がそこに微妙な反論をしてくるので俺はむかっとした。
「お前なぁ、俺はヒーロー嫌いなんだよっ!いいか!俺の前でヒーロー褒めんな!――はー、そうか、お前、ヒーローに憧れてうちの会社受けたくちか?…残念だけどな、ヒーロー様には会えねぇぜ?やつら特別だからな。俺たち下々の一般社員とは違ってエラいんだよ。俺だって会ったことねぇぜ」
吐き捨てるようにそう言うと、鏑木が明らかに傷ついたようで、項垂れて俯いた。
ヒーローに憧れて入社してきたやつの夢を砕いたようで悪かった、とは思いつつも、実際同じ社員でもヒーローには会えないんだから事実だろう。
いつになく思い切りヒーローの事がけなせたので、俺は溜飲が下がってすっきりとした。
室長がちらちらと心配そうに、俺と鏑木を見てくる。
俺は肩を竦めて鏑木の肩をぽんぽんと叩いてやった。
「とにかくさ、ヒーロー様なんざ雲の上の存在で全く関係がねぇんだし、まぁせいぜい会社のために稼いでもらいますかってとこさ」
そう言ってすっきりした俺は、室長の淹れてくれた美味い珈琲を飲んでいつになく上機嫌になっていた。