◆すれ違いあっちこっち◆ 1
午前中テレビ局での取材をこなしてバーナビーがトレーニングセンターに赴いたのは、その日の午後3時ごろだった。
最近ヒーローとしての本来の仕事よりも、インタビューや取材の方が多い。
それには訳があった。
先日、バーナビーは20年来の宿敵であったジェイク・マルチネスを倒した。
シュテルンビルト市民にはその時、自分の生い立ちやジェイクとの確執を公表している。
見事に本懐を遂げたそのシナリオに市民は、皆喝采を叫んだ。
皆が喜ぶのはある意味当然で、そのため、あの事件以後、取材の申し込みが引きも切らないという訳だ。
どんな仕事もきちんとこなすというのがバーナビーの信条だ。
インタビュー等の仕事もだが、その上でヒーロー本来の業務やトレーニングなども欠かさない。
その日もそんなわけで忙しく一日のノルマをこなし、終わってからトレーニングセンターに赴いたのだった。
行くと既にそこにはヒーローたちが何人も集まっていた。
それぞれ、専用のマシンを使ってトレーニングをしていたり、あるいはベンチに座って雑談をしていたりしている。
「よ、お疲れさん」
バーナビーがトレーニングルームに入ると、ベンチに座ってスポーツドリンクを飲んでいた虎徹が左手を挙げて挨拶をしてきた。
一通りのトレーニングを終わらせたのか、虎徹はうっすらと汗を掻いていた。
首に引っかけたタオルで顔を拭きながら、スポーツドリンクに差し込んだストローを口に含んでいる。
隣にはファイヤーエンブレムこと、ネイサン・シーモアがいて、なにやら手に本と、それから美しく光を放つクリスタルガラスを一つ持っていた。
「それ、なんですか?」
虎徹に挨拶をした後、バーナビーはネイサンの持っているそれを覗き込んだ。
「あ、これねぇ、今すごい人気なのよ。ほら、こうやって…」
ネイサンが右手をぷらぷらとさせた。
見ると涙雫型に美しく削られたクリスタルガラスの上部にきらきらと光る糸がついており、それを振って振り子のように動かしている。
本を見ると、それには『本格派、正統催眠術大秘術』と大仰な見出しが書かれていた。
「今これに凝ってんのよね。実を言うとね、ここの先生の所に直接習いに行って催眠術の勉強をしたのよ」
ネイサンが得意げに言う。
隣に座っていた虎徹が肩を竦め、ははっと笑った。
「ったくよ、さっきからこの話してんだけどな、バニーちゃん。こんなのかかるわけねーよな?眉唾じゃねーか」
どうやら虎徹ははなっからそういうものを信じていないらしい。
そのいかにも小馬鹿にしたような態度に、ネイサンがむっとするのが分かる。
「アンタねぇ、…そうやって経験がない事をすぐ嘘だって言ったりなんだりするけど、そういう態度って良くないわよ?この世には不思議な事がいっぱいあるんだから、なんでも先入観を持たないで受け入れることが重要だと思うんだけど」
「ああー?そう言われたってなぁ、な、バニーちゃん」
バーナビーはどちらにも同意しなかった。
虎徹の言う事にも一理あると思ったが、ネイサンの言う事にも重々頷けたからだ。
「じゃあさ、アンタに催眠術かけてやるから」
「おーいいぜ。俺絶対かかんねーよ?」
目の前では二人が威勢良くやり合っている。
「じゃあ、こっち向いて集中してよ…」
ネイサンが眉間にぐっと皺を寄せて、持っていたクリスタルガラスを虎徹の目の前に翳した。
「ハンサム、そこで見ててよ?」
「……あ、はい、いいですけど…」
「ふーん、まぁ、俺、かかんないから、バニーちゃんもそれ証明して?」
虎徹がへらへらっと笑う。
「いいから、もう黙って、はい、これ見て…」
ネイサンの剣幕に虎徹が押し黙る。
そのまましばらく動かずにクリスタルに虎徹の目を集中させ、そこからネイサンが少しずつそれを揺らしはじめた。
揺らしては一旦止め、止めては少し揺らし、動かしたりなんだり、どうやらバーナビーが知っている、所謂一般的なやり方とはやや違うようだ。
ネイサンが巧みに言葉を操って、虎徹の集中力を引きつける。
さすが、習ってきただけの事はある、と思って立ったままそれを見ていると、驚いた事に虎徹がだんだんと瞼を降ろし、眠そうな表情になってきた。
暫くそのまま見守る。
どうやら驚いた事に、虎徹は完璧に催眠にかかってしまったらしい。
暫くクリスタルを振って反応を見てから、ネイサンがバーナビーの方を見上げてきた。
「ハンサム、あなた何か言ってみなさいよ。今ならどんな内容でもかかるわよ、タイガーに」
唇の端をちょっとつり上げてネイサンが笑った。
「なんでも、大丈夫よ?さっきあんだけバカにしてたんだから、凄いこと言ってみなさいよ」
ネイサンの言葉に思わずバーナビーは身を乗り出していた。
ネイサンがこっちに来いと手招きするのに招かれて、虎徹の目の前に行く。
「ゆっくり一言一言区切って、……いい?落ち着いた声でゆっくりと、ね?」
そう言われて小さく頷いて、ほぼ夢遊病状態になっている虎徹に顔を近づける。
「まず名前を呼ぶのよ…」
「かぶらぎ、こてつ…」
「……そうそう」
「あなたは、僕、バーナビー…ブルックスJr.の恋人です」
そう言った所でネイサンがはっとしたように眉を寄せたが、知らない振りをして続ける。
「あなたは僕の事が好きで好きでたまらない。僕の事を心から愛しています。僕の言う事ならどんな事でも素直に聞きます……。……こんな感じですか?」
ネイサンに耳打ちすると、ネイサンが盛大に眉を寄せた。
「ちょっとハンサムったらぁ…」
「まぁいいじゃないですか。虎徹さん、どうせかかると思ってなかったんだし。これでかかってたらちょっと面白いですよね?あなたはどう思います?」
「……え?そりゃあ、まぁ、かかるとは思うんだけどね、どうなるかわからないわよぅ…」
まさかネイサンも、バーナビーがそんなことを言い出すとは思っていなかったのだろう。
苦虫を噛み潰したような顔をしつつ、それからゆっくりとまたガラスを動かして、虎徹の催眠を解きにかかった。
「あなたは目を覚ます…目を覚ます。……三回拍手が聞こえたら、三回目で目を覚ます……」
そう言って、大きな音を立てて手を打って三回目。
虎徹がぱっと目を見開いて、我に返ったようにきょろきょろとした。
「……あれ?な、んか言ったか俺に…」
「……さぁ?」
特に反応に変わりがないのでバーナビーはややがっかりとした。
ネイサンも肩を竦める。
「一応かけてはみたんだけどどうかしらね?」
「ふん、まぁ、俺がかかるわけないって!」
そう言って虎徹が立ち上がった。
ぱんぱんと尻を叩いてそれからまたトレーニングマシンの方へ向かっていってトレーニングを再開する。
「ちょっと、なんか態度変わらないわねぇ、……掛かってないのかしら?」
「さぁ、僕には分かりませんが…。結局、眉唾ってことですか?」
「そんな事無いと思うんけど。今まで試した相手にはかかったもの。でもあんな内容で、かけたわけじゃないしねぇ。…ああいうのはかからないのかもね?とにかく何か変わったことがったら教えて?」
「…分かりました」
特に期待していたわけではないが、明らかに虎徹は催眠自体にはかかっていた様子だった。
実際、どうなのだろうか。
考えながらバーナビーもトレーニングマシンに向かった。