◆すれ違いあっちこっち◆  2





暫くトレーニングに勤しみ、シャワーを浴びてさっぱりすると、先にトレーニングを終えていた虎徹が着替えて、ハンティング帽を手でぐるぐる回しながらバーナビーを待っていた。
既にネイサンは帰り、後から来たロックバイソンやスカイハイはまだトレーニングルームの方にいる。
着替えのロッカー室には虎徹とバーナビーの二人だけだった。
「虎徹さん、先に帰ったんじゃないんですか?」
「いや、バニーちゃん待ってたんだぜ?」
「そうですか、じゃあ」
そこでバーナビーはふと思いついた。
もしかしたら、先程の催眠術の言葉にかかっているのかも知れない――。
なぜなら、自分の方が後までトレーニングをしていた時に、虎徹がその自分を待っているというこのシチュエーション自体が珍しいからだ。
自分が虎徹を待っていて一緒に帰る事はあるが、その反対はない。
その場合は、虎徹は先に帰ってしまう。
なのに、今日、わざわざ待っていてくれたという事は、それは先程かけた催眠術の台詞、『自分と虎徹が恋人同士』というのが彼の頭の中にインプットされているからではないか、そう思ったのだ。
バーナビーは平静を装って、提案してみた。
「虎徹さん、一緒に帰りましょう。帰りに夕飯を食べてそれから僕の家に行きますよ?」
「あ、うん。そうだな」
実を言うと、虎徹を自分のマンションに呼ぶのは初めてだった。
一度、市長の息子を預かった時に彼が来た事があるが、あれはほぼ仕事のようなものだった。
それ以降、一度も呼んだ事はない。
それなのに虎徹がいかにもいつもの事のように返事をしたので、バーナビーはやはりもしかして、と思った。
催眠術とか、はっきり言って実は信じていなかったが、しかし、もしかしたらかかっているのかもしれない。
どのぐらいまでかかっているのか分からないが、とにかく試してみる余地はありそうだ。
急いでシャワーを浴び着替えをすると、虎徹と一緒にジャスティスタワーを出る。










自分のマンションとジャスティスタワーはそれほど離れていない。
徒歩で十分の距離だ。
帰りがけ、途中にある雰囲気の良いレストランで夕食を済ませ、それからマンションへと向かう。
その間は、虎徹の様子には特に変わったところはなかった。
人前だからというのもあるかもしれない。
とにかく彼が本当に催眠術にかかっているのかどうか、かかっているとしたらどのぐらいかかっているのか、それが知りたい。
マンションについてエレベータを上がり、入り口の本人認証を済ませて中に入る。
自分の後に続いて入ってきた虎徹を振り返ると、バーナビーは内心は恐る恐る、表向きはさり気なく言ってみた。
「虎徹さん、お帰りの挨拶にキスですよ?」
「あ、そうだったな」
虎徹がなんの疑いもせず、頷いた。
「僕の唇に、濃厚なのしてくださいね?」
さすがにそう言う時には声が上擦ってしまった。
「おー」
虎徹がそういうのは何でもない、という風に相づちを打つ。
不意に首に手を掛けられ、虎徹がしなだれかかるようにバーナビーに抱きついてきた。
一瞬、驚いて固まった所に、虎徹が顔を近づけ、間近でにっこりと微笑んできた。
それから唇が柔らかく重なってきた。
マシュマロのようにふんわりとした感触。
それが徐々に押しつけられ、虎徹の舌がぬるり、と軟体動物のように蠢いて咥内に差し込まれる。
思わず唇を開いてそれを受け入れると、虎徹の舌がバーナビーの舌を捕らえ、味蕾同士を擦り合わせるように動いてきた。
舌先でつつかれ、ぬるぬるとした粘膜同志の擦れ合う感触に、背筋がぞくっと粟立つ。
……まさか、本当にキスをしてくるとは。
完璧に催眠術がかかっているようだ。
と言うことも驚きではあったが、更には、虎徹がそのような性的なキスをしてくるとは予想もしていなかっただけに、バーナビーは内心狼狽した。
虎徹にこんなキスをするテクニックがあったとは思わなかった。
虎徹は自分より10歳以上年上であり、既婚者であるから、考えてみたら普通にそういう経験があっておかしくはない。
しかし今まで接していた彼からイメージされる結婚生活というものは、どこかそんな性的なものを感じさせない、所謂暖かい善良なものだった。
元々バーナビーは、虎徹の事が好きだった。
会った当初はこんな人とはやっていけないと思ったのも昔の事、今ではもう、虎徹が好きで好きでたまらない。
それも人として好き、というのではなく、恋愛対象として好きなのだ。
虎徹の笑顔が見たい、自分だけに笑いかけて欲しい、などと思うのは当然ながら、それ以上に、彼とキスしたい、彼に触れたい…その行き着く先としては彼とセックスがしたい、である。
勿論表立ってそんな事言えるはずもないので、密かな片思いである。
ひたすら、自分の妄想の中で虎徹を抱き締めたり、口付けをするだけだ。
自慰をする時に、虎徹と自分がセックスをする妄想などはもう何回もしていた。
彼が好きだし、自分は正常に発達を遂げた成人男子なのだから当然だ。
しかしそういう場合でも自分の脳内の虎徹は、自分の口付けに対して頬を赤らめておずおずと応えたり、それからセックスの時でも自分の求めに応じて受け入れはするけれど、いつも恥ずかしそうにしていた。
言うなればそういう事に不慣れな処女を抱いているような、そんな、まぁそれも自分勝手な妄想なのだが、……そういう妄想しかしていなかった。
なので、その予想を覆す積極的な、しかも技巧的なキスを仕掛けられて、バーナビーはたじたじとなった。
ぬるっと舌が離れ、最後に下唇をちゅっと吸われる。
緑の瞳を丸く見開いたまま虎徹を見ると、虎徹がいつもやってるだろ、という雰囲気でにっこりと琥珀色の瞳を細めて笑った。
まるっきり疑っていない様子を見ると、信じられない事だが、先程トレーニングセンターでネイサンのかけた催眠術が100%効いている、という事なのだろう。
―――それなら……。
急に胸がどきどきしてきた。
こんなに効いているのなら、今なら何を言っても虎徹は信じて、疑いもなく行動を起こすだろう。
自分の妄想の中の虎徹ではない、積極的で、言ってみれば卑猥で淫靡な彼を見る事ができるのではないだろうか。
そう思うと、期待で、自分の中にぐっと興奮が迫り上がるのを感じた。
二度と無い機会だ。
この機会を逃したら、こんなチャンスは絶対に訪れないに違いない。
バーナビーは上擦る気持ちを押し隠し、震える声をできるだけ平静を装って絞り出した。
「虎徹さん、僕たち、いつも愛し合っていましたよね。あなたが下で…」
この場合、セックスにおける上下関係をはっきり言っておかないと、下手したら虎徹が自分を襲うかもしれないと思ったので、バーナビーは最初に虎徹が下である、と言ってしまう事にした。
虎徹が、うん、と疑いもなく、栗鼠のように目をくりくりとさせてバーナビーを見上げてきた。
「今日もしましょうね、虎徹さん」
「ん…勿論だな!」



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