◆ヒーローが出向してきました!--社史編纂室篇--◆ 10
恥ずかしくなった。
――そうだ。
俺は、甘えていた。
鏑木みたいになれるわけがないと思っていた。
鏑木はヒーローで、俺はただの人間だから、と拗ねてひがんで、鏑木を恨んだ。
恨みきれなくなると自暴自棄になって、自分なんてと自己憐憫に浸っていた。
でも鏑木は、そうじゃなかった。
俺の事を信じてくれた。
俺が自分で俺を見捨てても、鏑木はそうじゃなかった。
ヤツは俺を捨てなかった。
俺がヒーローの悪口をさんざん言っているのを聞いてすげぇ嫌だっただろうに、そんな事一言も言わず俺を嫌ったりもしなかった。
俺の話を聞いて共感してくれ、俺のくだらない話を自分の事のように受け取ってくれた。
俺の情けない、嫉妬に凝り固まったろくでもない話だって、あんなに真剣に聞いてくれた。
その上で、俺を信じてくれた。
俺のどうしようもねぇ腐った性根に活を入れてくれた。
そうだ。
鏑木はロートルと言われようが、俺みてぇなヤツに悪口をさんざん言われようが、それでもヒーローをやっている。
他の人間に何と言われようとも、自分に信念があるからだ。
信念に基づいてやってるから頑張れて、そしてここぞという時に活躍できるんだ。
俺は………俺はどうだろう。
俺にだって信念があったはずだ。
アポロンメディア社に入社した時、あんなに頑張ろうって思っていたじゃねぇか。
自分の力を信じて頑張っていたじゃねぇか。
人生の中には、自分の力じゃどうにもできねぇ事もある。
左遷されたのもそうだし、鏑木が前の会社を解雇されたのもそうだ。
自分の力じゃどうにもできねぇ事は必ず起きる。
その時に、じゃあ自分はどうするかってのが重要なんだ。
俺はそこで自分を見捨てちまった。
でもそれは甘えだ。
俺は、世の中を恨んで、自分を左遷した会社や上司を恨んで、全部他人のせいにして、自分を甘やかしていた。
それじゃ駄目なんだ。
俺だってそれはうすうす分かっていたけれど、でも鏑木みたいに前向きに思う事ができなかった。
だって自分で自分を見捨ててるんだもんな。
無理だ。
でも鏑木は俺を信じてくれていた。
俺に活を入れてくれた。
もし鏑木が上から目線で偉そうに言ってきたら、俺はますます鏑木を恨んで世間を恨んで、ヒーローズバ−にいて鏑木を罵倒していた酔っ払いと同じだっただろう。
でも鏑木は、そうじゃなかった。
俺には何も言わなかったけれど、鏑木自身が頑張る姿を見せることで、俺を叱咤してくれた。
―――俺は恥ずかしい。
自分を甘やかして、世の中を拗ねて、自己憐憫に浸っていた。
鏑木がそんな俺を、自分で作った檻の中から連れ出してくれた。
……そうなんだ。
自分を甘やかしていたんじゃ、それ以上前に進めねぇ。
どうにかするためには、そこで自分が頑張るしか、ねぇんだ。
ひがまず、拗ねず、自分ができる最善の事をしていく。
それが最良の道なんだ。
結果はどうあれ、自分がそういう風に生きていくこと、―――それが重要なんだ。
そうだろう、鏑木…?
鏑木はそうやって自分を甘やかさずに、格好良く生きているヤツだ。
ロートルだろうが崖っぷちだろうが関係なく、自分が自分でできる事を人事を尽くしてやる、そういうヤツだ。
だから、今までずっとヒーローをしてこられたんだ。
単に運が良い訳じゃねぇ。
ヤツが自分自身を甘やかさず、人のせいにせず、歯を食いしばって努力した結果なんだ――!
ヒーローTVが終わって、画面がぱっと変わる。
かしましいCMになって、画面がめまぐるしく移り変わる。
人々がほぅ、と息を吐いた。
バーの雰囲気がまったりとし、さっきまで悪口をがなりたてていた酔っ払いも、鏑木を賞賛していた客も、皆がまたそれぞれに酒を飲んで歓談を始める。
ヒーローズバーにいつもの喧噪が戻ってくる。
「ご馳走様」
俺はカウンターにコインを置くとヒーローズバーを出た。
冬の午後の日差しが眩しかった。
空を見上げる。
青くて雲一つ無い空だった。
すっきりと晴れ渡った空気の中、太陽の光が俺を暖かく包み込む。
なんだか嬉しくなって、俺は太陽に向かって両手を伸ばし、深呼吸をした。
身体の向きを変え前を向いて歩き出す。
アポロンメディア社に戻って午後の仕事をしようと思った。
相変わらず足取りはとぼとぼとしていて、スーツはよれよれ、どこの浮浪者が歩いているのかと思われるような風体だったけれど、でも俺は時折空を見上げ、太陽を仰いだ。
暖かな太陽に照らされていると、心の底まで癒されるような不思議な気分だった。
いや実際、俺は嬉しかった。
自分が世の中に受け入れられている、と思った。
今まで自分で世界から背を背けていた。
けれど、鏑木に手を引っ張られてしぶしぶ前を向いたら、暖かい光が射していた。
それに、今気付いた。
でも、光は優しく俺を包んでくれていたんだ、……ずっと前から。
「課長、おはようございます」
エレベータを降り俺がオフィスに入ると、まだ始業時間にはかなり間があったが既に出社していた部下達が俺を見て口々に挨拶をしてきた。
「おはよう」
皆に挨拶をして大きな一枚窓を背にした中央、自分の席にスーツケースを置く。
東南が開けている窓からは早春の柔らかい日差しがオフィスにすっと入り込んできており、朝靄に包まれた大河とその向こう、遙か水平線まで続く海がその上の薄淡い水色の空を映して朝日に照らされている。
あれから、数ヶ月が経っていた。
鏑木はあの日以降、講座に来ることは無かった。
あとで俺だけこっそりと室長に呼ばれて説明を受けたのだが、ヤツの素性が俺に分かってしまったのを聞いたヒーロー事業部部長の指令で、講座参加は中止になったようだった。
鏑木本人は講座を最後までやりたかったんじゃないか。
俺がいるから結局鏑木の邪魔をしてしまったのか、と心苦しくはあった。
社史編纂室の他の面々には、室長を通して鏑木の伝言があった。
『人事部の方の都合で、講座を中断せざるを得なくなりました。修了することができなくて申し訳ありません』という事と、『でも殆ど教わっていたので、おかげで仕事が捗るようになりました、なんとか一人前になった気持ちです、ありがとうございます』という内容だった。
パメラやウォンは、鏑木がもう来ないという事を知って、とても寂しがっていた。
俺はあの後一ヶ月ぐらいして、元の部署に復帰した。
つまり社史編纂室からメディア調査部に異動したのだ。
一ヶ月前、俺が3年前に左遷された時昇任した部長が何か重大な失敗をしたらしく、部長を干されてどこか地方に吹っ飛ばされた。
代わりにそれまでの社内派閥とは全く関係のない、アポロンメディア社の海外支社から戻ってきたやり手の人物が部長になった。
その部長がメディア調査部を引き継ぐに当たっていろいろと調べたらしく、俺の過去の業績なども目にして、俺を課長として引き戻してくれたのだ。