病 
《1》














彼が出てくるだけで、開場がしんと静まり返る。
誰もが、手塚を息を呑んで見つめている。
手塚が歩くだけで、人々が彼を食い入るように見つめ、手塚の視線を、皆がたどる。
--------パシッ。
ボールを打つ乾いた音がして、試合が始まる。
衆目の関心を一手に集めて、手塚が綺麗にボールを打つ。
流れるような動きに、皆が感嘆の溜め息を吐く。
それでも、素知らぬ風をして、自然体で、手塚が打つ。
注目を集めるのが当然のように。
そんな事、まるでどうでもいいかのように。







(……………)
唇が切れて、鉄の錆びた味が口の中に広がる。
不二は、手塚から無理矢理視線を外した。
鼓動が、頭の上まで響いている。
憧憬。
焦燥。
執着。
怨嵯。
あらゆる感情が襲いかかってきて、息が詰まる。
「手塚………」
口に出すだけで、目の前が霞むような気がした。
誰もが憧れて、尊敬する、彼。
超然として、何事にも動ぜず、淡々と試合をこなす、彼。
常に青学のNO.1で、………NO.2の自分との間には、越えることの出来ない、永遠とも思えるような深い溝があるのだ。







手塚のシャツが、青空に翻る。
青と白の色が、彼を象徴するようだった。
近付くと、氷のように冷たい。
冷ややかな視線。
手塚は、僕が、彼に恋い焦がれているを、まるで知らない。
僕を高みから見下ろして、ただ眺めているだけ。
見苦しく、手塚の機嫌を取ろうとし、手塚のように強くなろうとして、できなくて苦しんでいる僕を、ただ無表情に見ているだけ。
関心がないのだ。
僕なんかには。
------不二には、それがよく分かっていた。
だから、不二の気持ちにも、気が付かない。
誰にでも公平で、優しくて、誰にでも冷たい。
視線で、手塚をつなぎ止めることが出来るならいいのに。
誰よりも、この僕が、一番、強く手塚を見るのに。







手塚のサーブが決まり、観客のどよめきが聞こえる。
平然と、瞳をあげて、手塚がボールを取る。
僕の視線など、まるで気付いていない。
僕なんて、はなから相手にされていないのだ。
手塚にとって、僕は、他の大勢と同じ。
せいぜい、同じ部活の仲間ぐらいなものだ。
それが分かっているからこそ、悔しい。


不二は、俯いてまた唇を噛んだ。
鉄の味が、苦かった。













「おい、随分深刻そうな顔してるな?」
その時、背後から不意に声をかけられて、不二は振り返った。
「跡部………」
いささか他人を小馬鹿にしたような、しかし整った顔が、不二を面白そうに眺めていた。
氷帝学園の、跡部景吾だった。
跡部とは、昨年の都大会で対戦したおりからの知り合いである。
もっとも、知り合いとは言っても、不二にとっては他校の強い選手程度の認識であるが、跡部にとって、不二は特別らしい。
何かと近付いてきては、ちょっかいを出してくる。
それも、周りに青学の仲間が誰もいなくなったときに限って。
「ふふふ、手塚を見てたのか?」
跡部が不二の視線を追って、その向こうにいる人物を見て、笑った。
「別に………」
不二は、ふい、と横を向いた。
「おまえの熱い視線にも気付かないんだから、あいつも鈍感だな」
「…………」
不二が押し黙ってしまったので、跡部はくっくっと口の中で笑った。
「なぁ、不二………あんなつれないヤツのことはあきらめて、俺のモノになれよ……」
「……やだって言ってるだろ?」
跡部は、なぜか不二のことが気に入ったらしく、自分と付き合え、自分のものになれと煩く言ってくる。
そんな事を対戦相手に言うという事、しかも不二は男だという事、そういう非常識な事にも頓着しないらしい。
「いいじゃないか。……おまえだって、あいつの事を想って、身体が疼いてるだろ?……なぁ、どうだ?……俺が可愛がってやるよ……」
形の良い唇が動く。
跡部は、氷帝学園のテニス部の部長格で、実力も手塚と同程度と思われた。
そんな人物が、自分に執着してくるのが、なぜか可笑しかった。
どうやら、跡部は、元々男が好きらしい。
しかも、不二のように、色素の薄い、外見が柔らかな男が好みのようだった。
「一目惚れなんだ……」
憶面もなくそう言われて、迫られたこともある。
しつこく言い寄っては来るが、そうかと言って、無理じいをするという事もなく、不二の気持ちを尊重しているような所が、不二は跡部が好きでも何でもなかったわりには気に入っていた。
自分を大切に思っているらしい事は確かだ。
少なくとも、無関心で無視されるよりは、ずっとましだった。
不二が、手塚を好きだという事も、跡部にはすぐにばれてしまった。
「あいつは駄目だね……」
跡部にからかうように言われて、むかつきながらも、その通りだと思っている自分がいる。
「あいつは、ノーマルだ。それに、おまえの手に負えるような人間じゃないよ」
跡部が言う。
そうかもしれない。
跡部の言うことももっともだと思いながらも、不二は手塚のことがあきらめきれない。
あきらめるどころか、日に日につのる飢餓感に、不二は喘いでいた。
「あいつはさ、綺麗すぎるんだよ、おまえには。………もっと、おまえの所まで堕ちてきてくれなきゃ、あいつには近づけねえよな……」
跡部が手塚を見ながら言う。
「……そうだね……」
それには、不二も同意見だった。
自分と、手塚は違う。
自分は、泥の中を這いずり回る虫けらで、手塚はそれを踏みつけて、踏みつけたことさえ気付かない人間なのだ。













「…………」
手塚がまたサーブを決めて、観客が感嘆の声をあげる。
それを見て、不二は胸が更に詰まった。
「……な、俺と、さ……」
跡部が不二の肩に、すっと手を回してきた。
「俺も、もういい加減待って、待ちきれないんだよな。……このまま襲っちゃってもいいんだぜ?」
「……ねえ………」
不意に、不二は口を開いた。
「……僕のこと、欲しいの?」
「欲しいよ……」
跡部が瞳を光らす。
「………じゃあ、…………お願い聞いてくれるかな?………聞いてくれたら、僕のこと、好きにしていいよ……?」
「……お願いか?」
「うん………」
不二は答えて、跡部に対してにっこりと笑った。
自分の微笑みが、跡部に与える影響は充分に分かっている。
案の定、不二に微笑みかけられて、跡部は目尻を下げた。
「おまえを好きにしていいのか?……そりゃあ、夢みたいだな……」
肩を引き寄せられて、そのまま、試合会場の奥の一角の、立木の所まで連れて行かれる。
木々が深く生い茂っていて、周りから見えないところだった。
「……聞いてくれる?」
不二は、跡部の首に手を回して、白い頬を跡部の胸に擦り付けるようにして甘えてみた。
「不二……」
跡部が、不二の顎をくいっと引き上げてくる。
「ん…………」
跡部の唇が降りてきて、きつく抱き締められる。
口付けは、不快ではなかった。
熱い舌が口腔内に入り込んできて、不二のそれと絡み合う。
「……お願いって、なんだ?」
唇を僅かに離して、跡部が尋ねてきた。
「それは、後で………なんでも、聞いてくれるでしょ?」
「ああ、そりゃあ勿論……」
「じゃあ、……どうする?……キミのうちにでも、行く?」
不二は甘えるように跡部に笑いかけた。
「そうだな………試合が終わったら、抜けてこられるか?」
「うん、大丈夫………」
「じゃ、ここで待ってろ……」
引き寄せられ、もう一度、深く口付けられる。
不二は瞳を閉じた。
瞼の裏に、手塚の凛とした表情が浮かんだ。







手塚……………、
キミを、手に入れる事にしたよ。
------ごめんね。
もう、僕は……………。
僕は、キミを手に入れるためなら、悪魔にでも魂を売れる。
ごめんね、手塚。
でも。
そこまで、僕を追いつめた、キミが悪いんだ。
キミが……………。


















不二受け前提な上に不二が変です(汗)ちょっと書いてみたかったので・・・