体育祭 
《2》














「……不二っ!」
夕方、体育祭も無事終了し、ほんのり涼しい風が吹いてきた校庭で、手塚は帰ろうとしている不二を見付けた。
着替えてから、ずっと探していたのだ。
6組の教室を見にいって、それから外に出て、グラウンド中を探した。
漸くのことで、見慣れた後ろ姿を発見して、声をかける。
「あ、手塚君?」
不二と一緒にいた女性が、手塚を認めて笑いかけてきた。
「周助、手塚君よ?」
その女性は不二の姉、由美子だった。
今日は、不二の家では、両親と姉が体育祭を見に来ていた。
両親は先に帰ったのだろうか、不二は姉と二人で校庭を出ようとしていた。
不二がくるりと振り向いた。
「不二……」
不二が、作り物めいた笑顔を見せてきた。
「手塚、何か用?」
「……あ、ああ………その…………」
他人を寄せ付けない笑顔。
心の底で何を考えているか、他人にけして分からせない表情。
手塚は言葉が出なくなってしまった。
「周助、私、先に帰ってるから、手塚君と一緒に帰ってきなさいよ」
不二の姉がにこっと笑いながら言う。
笑うと、不二とよく似ていた。
「遅くなるようだったら、電話してね」
そう言って、由美子が駐車場の方へ歩いていく。
手を振って見送って、それから不二は手塚の方を向いた。
「……何、手塚?」
とりつく島の無いような、冷たい声音だった。
「その…………」
何か言わなければ、と思って口を開いたものの、手塚は途方に暮れた。
不二は一体何を怒っているのだろう。
何か、不二の気に障るような事をしただろうか。
それとも、もう…………自分に飽きたのだろうか。
突然、そういう考えが湧き起こって、手塚は愕然とした。
(まさか、不二に限って………!)
あんなに俺の事を好きだと言っていたのに。
手塚の表情の変化に気付いたのか、不二がやや表情を柔らかくした。
「……一緒に帰る?」
「……あ、ああ………あの、不二……」
「……なに?」
「俺の家に………寄っていかないか?」
どうしても、このまま別れるわけには行かなかった。
手塚は必死で言葉を紡いだ。
「……キミの家?」
「ああ、……来たこと無いだろう……?」
「そうだね………明日は休みだし、遊んでいっても大丈夫かな……」
不二がバッグを肩にかける。
「じゃ、お邪魔するよ……」
不二の言葉に、手塚は思わず安堵の溜め息を吐いていた。














「お邪魔します」
手塚の家は、和風木造2階建ての広い家だった。
違い戸の玄関を手塚が鍵で開けると、不二が礼儀正しく挨拶をしながら中に入った。
「今日、誰もいないんだ……」
階段を上がって自分の部屋に案内しながら手塚は言った。
「……そう。だから、今日、キミのご家族誰も来てなかったんだね?」
不二が抑揚をつけずに言う。
まだ怒っているのだろうか?
先程の、とりつく島もないような態度は消えたものの、手塚は不安だった。
不二が何に怒っているのか分からないところが、更に不安を煽った。
部屋に案内すると、不二が周りを見回した。
「キミの部屋って、きちんと整頓されてるね……」
壁に貼ってあった山の写真に目が行ったらしく、それをしげしげと眺めている。
-------不二に、何か話しかけなければ。
そうは思うものの、実際自分から話しかけるとなると、手塚は何を話したらいいか分からなかった。
「……茶を持ってくる……」
短く言って、手塚は不二を部屋に置いたまま、階下に降りた。














手塚の家では、茶と言えば緑茶のことを差したが、この間不二の家に行って、どうやら不二の家では洋風のものが普通らしいと分かった手塚は、食器棚からコーヒーを取り出して、それを煎れた。
部屋に戻ると、不二が絨毯の上に座っていた。
テーブルにコーヒーを出して、不二を窺う。
コーヒーを押し黙ったまま飲むと、部屋に気まずい沈黙が流れた。
「あ、あの………今日は不二は、何に出たんだ?」
不二が一向に話してこないので、手塚は口ごもりながら話しかけた。
「リレーだよ、キミもいただろう?」
「……他には、何か出たのか?」
「騎馬戦」
「………………」
不二のぶっきらぼうな物言いに、会話が続かない。
もともと手塚は、自分から話をするタイプではない。
相手がしゃべっているのを聞いている方である。
いつもなら、不二が盛んにしゃべりかけてきて、手塚はそれに相槌を打つぐらいで良かった。
それが、今は不二が話さない。
手塚は途方に暮れた。
「なあ、何、怒ってるんだ?」
不二が何も話さないので、焦れて手塚はとうとう聞いてみた。
「………べつに………」
「別にじゃないだろ。何が気に入らないんだ?」
「…………」














ドサッ!
突然、不二が手塚を押し倒してきた。
びっくりする間もなく、熱い唇が覆い被さってきて、激しく口付けされる。
と同時に、不二の手が手塚のシャツをたくしあげて、乱暴に素肌をまさぐってきた。
「……………よせッ!」
乳首を痛いほど摘まれて、手塚は無意識のうちに、不二を思い切り蹴り上げていた。
-----ドン!
派手な音を立てて、不二が突き飛ばされて、壁に肩を打ちつける。
「つッッッ!!」
不二が顔を顰めて呻く。
「……不二っ!!」
慌てて、手塚は不二に駆け寄った。
肩を押さえて起きあがった不二が、手塚から顔を背けて、元気なく俯いた。
「不二…………どうしたんだ?」
不二の行動が分からない。
手塚は、不二を気遣うように声を掛けた。
「べつに…………」
不二の悲しげな声は、初めて聞いた。
胸がきゅっと苦しくなる。
「僕、帰るよ………」
「……不二!」
不二が立ち上がったので、手塚は慌てた。
「不二ッ、待てよっ!」
自分に背を向けた不二の背中に抱き付いて、必死で止める。
「なあ、不二………なんで、機嫌悪いんだ?」
「………………」
「不二………」
不二をあやすように、手塚は不二の首筋にそっと唇を付けた。
こんな事、自分からしたことなどないが、不二にしてもらって嬉しかった記憶がある。
だから、自分がすれば、不二が喜んでくれないかと思ったのだ。
少しでも不二に機嫌を直してもらいたかった。
甘えるように何度もキスをすると、不二が、くるりと手塚の方を向いてきた。
「………させてくれない………」
「……………は?」
「……やらせてくれないじゃないか……」
怒ったような不二の物言いに、手塚も瞬時むかっとしてしまった。
「おまえ、俺とやりたいだけなのか?」
つい、詰問調に言ってしまって、言った後、手塚は後悔した。
今、不二はなぜだか元気がない。
その不二にこんな事を言ってしまったら、逆効果だ。
案の定、不二が悲しげに俯いた。
「……違うよ……」
萎れた物言いに、手塚は狼狽した。
「不二………その、すまない………」
何が悪いのかよく分からないが、一応謝ってみる。
もともと、手塚は謝ると言うことが苦手だった。
謝るような失敗をしないというのがモットーだから、謝る機会自体が少ない。
それで一層苦手になっていた。
「不二…………なあ、どうして怒ってるんだ?」
手塚は恐る恐るもう一度聞いてみた。
「別に、怒ってないよ……」
「だったら……」
「キミさ、………僕のこと、どう思ってるの……?」
「…………は?」
「僕のことどう思ってるのか、分かんないよ。………分かってるのは、キミがやらせてくれるってことだけだし……」
「………何、言ってるんだ?」
「手塚、僕より、エージとしゃべってるほうが嬉しそうだった………」
不二が、拗ねるように上目遣いで手塚を見てきた。
「エージの足なんか嬉しそうに触っちゃって、……エージにはすっごく優しくて………」
「…………ふじ…………」
はっきり言って、この時手塚は呆れた。
今まで自分が何か酷いことでもしたのかと思って、心配していたのがバカみたいだ。
肩の力がどっと抜けて、手塚は思わず溜め息を吐いた。
「バカか、おまえ………」
ついつい本音が出てしまった。
不二が更に拗ねたように手塚を睨んできた。
「どうせ、バカだよ……」
今の不二は、いつも自分と二人きりでいるときの、大人びた不二じゃない。
なんだか、駄々をこねている、ただの子どものようだった。
でも、拗ねた不二は、意外に可愛かった。
手塚はつい顔を綻ばせた。
「不二………」
並んで立つと、自分の方が背が高い。
手塚は少し屈んで、不二の唇に自分の唇を近づけた。
自分からキスするのは初めてだった。
触れるような軽いキスをして、一旦唇を離す。
「不二のこと、好きだ…………大好きだ………」
不二が困ったように目を瞬かせた。
「………ほんとに?」
「……俺が嘘言うわけ無いだろう?」
「…………うん…………」
不二がふわり、と微笑んだ。
「………ごめんね………」
甘えるような不二の声音に、ズキンとなる。
いつも不二の方が大人だったから、安心していた。
不二に甘えっ放しで、不二の気持ちなんて、考えてなかった。
不二だって、俺と同じ年で、不安だってあるだろうに。
自分のことで精一杯で、不二の気持ちまで思いやることができなかった。
「俺の方こそ、ごめん………」
「ううん、キミは悪くないよ………」
不二が恥ずかしそうに言って、それから唇を寄せてきた。
すっぽりと覆われると、暖かさが心まで届いてくるようだった。


「ね…………していい?」
掠れた声で聞かれて、手塚は顔を真っ赤にして頷いた。


















珍しくお子さまな不二君にしてみました。