片思い 《1》
先程から、額に立て皺を寄せて机をこつこつとシャープペンで叩きながらノートに向かっている手塚を、大石は微笑ましく眺めていた。
部活が終わって部員が帰った後も、手塚はよく残って次の日の練習メニューを考えている。
そういう時は、大石も一緒に残ることにしている。
手塚は帰っていいと言うが、相談に乗ることもあるだろうし、何より、手塚を一人にしておいては申し訳ない気がするのだ。
そういうわけで、今日も残っている。
今日は土曜日なので午前中授業だった。
部活は放課後すぐに行われ、早めに終わった。
まだ、太陽の光が窓から眩しく差し込んでいる。
大石が部室の後片づけをしている間も、手塚はずっとノートに向かって何か書いていた。
明日は朝から部活だから、練習メニューもそれだけバリエーションを考えなくてはならないようだ。
なにを書いているのだろうか。
一人一人のメニューまで考えているのだろうか。
そんなに根を詰めなくてもいいのに。
大会前の今が大切なのは分かるが、なんといっても部の柱は手塚である。
彼が体調を崩しでもしたら、元も子もない。
「……手塚、なんか飲むか?」
いつまでも机に向かっている手塚に、大石は後ろから声をかけた。
「ああ、頼む……」
振り返りもしないで、手塚が言う。
大石は苦笑して手塚を見ると、ドアを開けて外に出ていった。大石は、少々歩いて、昇降口の隣に設置してある自動販売機まで行った。
硬貨を入れ、温かい紅茶を出す。
疲れているときには、温かくて甘い物がいいだろう。
そう思って、ミルクと砂糖入りにした。
土曜の放課後の校舎は既に施錠がされ、中はしんと静まり返っている。
昇降口のガラス扉から中を見て、それから大石は校庭を見回した。
既に、他の運動部の部活動は終わったようで、広い校庭には誰もいなかった。
「明日も早いんだから、そろそろ帰った方がいいよな………」
独り言を言うと、大石は、校舎の南面に位置するテニス部の部室に戻った。ドアを開けて中に入ると、
「てづか………」
さっきまでノートに向かって真剣に書いていたはずの手塚が、ノートに突っ伏した格好で動かなかった。
近寄って、覗き込んでみると、
(寝てるのか………?)
すぅすぅと穏やかな寝息が聞こえて、大石は少々驚いた。
手塚が、居眠りをするなんて。
授業中は勿論、部活中だろうがなんだろうが、いつも凛と顔を上げて、だらしない所など微塵も見せない手塚である。
副部長として一緒にいることが多い大石でさえ、手塚がこんな所で居眠りをするのを初めて見た。
よっぽど、疲れていたのだろうか。
大石は反対に心配になった。
(起こさない方がいいかな………)
少しの間、寝かせておいた方がいい。
そう思って大石は、手塚を起こさないように、そっと隣の椅子に座った。
自分用に買ってきた紅茶のプルトップを、音を立てないようにそっと引いて、少しずつ紅茶を飲む。
(しかし、意外とすぐに寝るんだな………)
大石自身は結構神経質な方で、自分の家のベッドとか決まったところでないと、実は眠れない。
机で居眠りして怒られることなど、経験が無い。
手塚もそうだと思っていたので、大石にはちょっと意外だった。
「……てづか………」
なんとなく、一人で手塚を見ているのが心細くなって、大石は手塚に小さな声で呼びかけてみた。
ぴくりとも動かず、手塚は寝たままである。
(………生きてるよな………)
ふと不安になって、大石はそっと手を伸ばして、手塚の額に掛かった髪を払ってみた。
(眼鏡、取った方がいいのに……)
額を腕に付けて寝ているので、眼鏡を取るには机の下から手を回す必要がある。
逡巡して、大石はそっと机の下に屈み込んだ。
手塚の眼鏡を取ってやろうと思ったのだ。
屈んで上を見上げると、手塚の顔が間近に見えた。
(………………!)
一瞬、どきん、と胸が鳴って、大石は手塚に気付かれやしまいか、と狼狽した。
間近で見る手塚の寝顔が、意外なほど可愛かったのに驚いたのだ。
いつも、周囲を睥睨するような強い視線をしているせいか、怖い印象があるが、目を閉じていると、それが無くなった分、幼くあどけない感じにさえ見えた。
半開きになった唇が、時折震えて、そこから小さく息が漏れる。
閉じている瞼が少し震えて、黒く長い睫毛が、霧雨のようにけぶっている。
「………………」
しばし、呆けたように見とれて、それから大石ははっと我に返った。
途端に、恥ずかしくなった。
手塚を見て、可愛いとか、胸がドキンとするとか、そういう風になるなんて。
-------おかしい。
そう思うのに、なんだか更に胸がどきどきしてきた。
手塚の、薄く開いた唇から目が離せない。
桃色のつんと形の良い唇が、濡れたように光って見える。
「ん……………」
その時、手塚が身じろぎながら寝言を発したので、大石は驚いて飛び退いた。
「……いててっ!!」
飛び退いた拍子に机に脚を引っかけてバランスを崩し、派手な音を立てて床に尻餅をつく。
「………大石?」
その物音で起きてしまったのだろう、手塚が机から顔を上げて、床に転がっている大石を訝しげな目で見てきた。
「ははは、転んじゃった………」
うまい言い訳が見付からなくて、大石は頭を掻き掻き笑って見せた。
「……あ、手塚、紅茶買ってきたぞ?」
「あ、ああ……すまない……」
手を伸ばして身体を解すような動作をしながら、手塚が脇の机に置かれていた紅茶の缶に手を伸ばす。
「これは、おまえの分か?」
既にプルトップが開けられ半分ほど飲まれた缶を手に取って、大石の方に差し出してくる。
「ああ、ありがとう……」
受け取って、大石は、内心の動揺を隠すように、一気にそれを飲み干した。
飲みながらも、手塚のことが気になって、横目でちらちらと盗み見る。
手塚は、プルトップを開けて、缶に口を付けていた。
白い喉が、こくり、と上下するのが見える。
----------ズキン。
不意に胸が痛くなって、大石は顔を顰めた。
「………どうした?」
手塚が、大石を、少々首を傾げて見つめてきた。
「い、いや……なんでもない………」
その仕草が可愛い、などと思ってしまって、そう思った自分に狼狽して、大石は口ごもりながら視線を逸らした。
困った。
なんだか、いつもの自分じゃない。
(………どうしたんだ、オレ……)
「そろそろ帰るか……」
周りが暗くなってきたのを見て、手塚が立ち上がった。
「大石、帰ろう」
「あ、ああ、そうだな……」
手塚に声をかけられ、慌てて帰り支度をする。
「………どうしたんだ。なにか心配事でもあるのか?」
いつになく慌てている様子の大石に、手塚が心配そうに尋ねてきた。
「い、いや、なんでもない………」
「おまえは人に気を使いすぎるところがあるからな、また部員の事で悩んでるんじゃないか?」
「いや、その………手塚こそ、今日は疲れているみたいだぞ?」
「……そうか?」
「ああ、今日は早く寝ろよ」
内心の狼狽を隠すようにおどけて言ってみせると、手塚が微笑んだ。
「いつも悪いな、大石。心配してもらって……」
ぽん、と肩を叩かれる。
突然肩が熱くなって、大石は身体が硬直した。
「…………どうした?」
部室を出ようとした手塚が、訝しげに振り返ってくる。
「あ、いや……」
慌てて笑顔を作ると、大石も急いで部室を出た。「じゃあ、また明日な………」
「ああ、明日……」
なんとか平静を装って手塚と別れると、大石ははぁっと溜め息を吐いた。
(どうしたんだよ、オレ………)
手塚の寝顔を見て、可愛いとか思ってしまったり。
手塚に笑いかけられたら、どぎまぎしたり。
(……………変だよ、オレ………)
道を歩きながら、大石はひたすら困惑していた。
純情中学生大石の苦悩の話(笑)