TARGET 《1》
コートに白と青の色が舞う。
ジャージが翻って、シルエットが弾む。
さらりとした黒髪が靡いて、眼鏡がきらりと光る。
「手塚っ、もう一本お願いするよ」
ネット越しに、彼の練習相手の不二が声を掛ける。
頷いて、手塚がボールを上げるのを、リョーマはコートの隅からじっと眺めていた。
(やっぱり不二先輩…………)
不二の、手塚を見つめるときの視線が、自分が手塚を見つめるときと同じ色合いを帯びていることに、リョーマは気付いていた。
自分が気付いているくらいだから、向こうはもっと早くから気が付いていただろう。
知ってか知らずか、不二は何も言ってこない。
が、手塚に対して必要以上に馴れ馴れしいのが、リョーマの癇に障った。
あっちは、同学年で、しかも1年の時からの付き合いだから、既に2年以上一緒にいることになる。
それに、教室のある階も同じだし、やっている勉強内容も同じだ。
しかも、不二と手塚は、どちらも生徒会役員で、リョーマがそれを知ったときには、既に自分は図書委員に決まってしまった後だった。
そう言うわけで、かなり出遅れている。
青学のレギュラーにはなれたし、手塚や不二たちと同じ立場になっているわけだから、出遅れたことなど気にせずにアタックしたいところだが、二つの障害があった。
一つは勿論、不二の存在だ。
リョーマが手塚に近付こうとすると、さりげなく先回りして手塚を連れていってしまったり、リョーマが見ている前でやたらとべたべた話しかけたりする。
一種のデモンストレーションだろう。
手塚は僕のものなんだから、手を出すんじゃないよ、と言外に言われているようだった。
勿論、そんな事、気にしないが。
しかし、実際問題として、なかなか手塚と話をする機会に恵まれないことだけは確かだった。
リョーマが手塚を好きになったのは、会った瞬間である。
いわゆる一目惚れというやつだ。
仮入部して早々リョーマは、テニス部の2年生の荒井と揉め事を起こした。
喧嘩になりそうな所に、手塚がやってきた。
その時、初めてリョーマは手塚を見た。
きりりとした細い眉。
怒っているのだろうか、眉尻がつり上がって、眉間に皺が寄っている。
細い銀縁の眼鏡の奥から、切れ長の綺麗な二重の瞳が自分を見下ろしていた。
さらり、と黒髪が風に靡いて、白い耳が見え隠れする。
リョーマは一瞬、見とれた。
「コート内で何を揉めている」
凛とした声だった。
声を聞いた途端、ぞくっとした。
「騒ぎを起こした罰だ。そこの二人、グラウンド10周」
言われた相手に有無を言わせない迫力があった。
荒井が言い訳をすると、
「……20周だ!」
更に眉間に皺が寄って、黒い瞳がすうっと眇められる。
周りの空気がしんと張り詰めて、息をするのも躊躇われるようだった。
あの時に、一目惚れしたのだ。リョーマはアメリカ育ちだから、恋愛の相手について、性別はどうだろうと気にならなかった。
それより、自分の心を揺り動かすような存在が今まで現れなかったので、そういう事に関しては、友人の話を聞くだけだった。
アメリカは情報も豊富で、早くから経験する人間も多い。
そういう悪友から、媚薬入りのチョコレートとか、凹凸つきのコンドームとか、潤滑剤とか、そういうろくでもないものをいろいろもらったりもしている。
告白したとか、ヤったとか、そういう下世話な話も聞いていた。
友人の悩みの相談に乗ったこともある。
その時は、なんでそんな些細なことで悩むのかと、ばかばかしく思ったりもしたものだが、自分が恋をしてみて初めて、リョーマは些細なことで悩むのが恋なんだと身に沁みて分かった。
手塚が自分と話をしてくれないかと思ったり。
他の誰かと話をしているのを見ると、普通の話でも、なんとなく気に入らなかったり。
不二が手塚に近付いているのを見るだけで、胸がむかっとしたり。
そういう事でいちいち心が乱されて、リョーマは苛立ちが募っていた。
更に苛立ちが募る原因があった。
障害のもう一つだ。
それは、手塚自身だった。
不二が、未だに手塚のただの友人でいることが、則ち手塚は恋愛関係に疎いと言うことを表していた。
不二があれだけアタックをかけているというのに、手塚は全く気が付いていないようなのである。
きっと、仲の良い友人としか思ってないのだろう。
不二も、今まではライバルがいなかったから、それで満足していたのかも知れない。
しかし、そこにリョーマが出現した。
自分の出現が、却って不二の行動に拍車をかけることになっていると分かって、リョーマは焦った。
下手をすると、このままでは手塚を取られてしまう。
生まれて初めて心の底から好きになって、欲しくてたまらない人が現れたのだ。
渡してなるものか。
何事にも負けず嫌いで、あきらめない性格のリョーマである。
地区予選が終了して都大会が始まる前、リョーマは手塚と密かに試合をした。
その絶好の機会を、リョーマが逃すはずがない。
話したいことがあると言って、試合の後手塚を呼びだした。
そこで、リョーマは言ったのだ。
「オレ、アンタのこと、好きなんだ」
と。
「…………?」
案の定、手塚は何を言われているのか分からないようだった。
「だからさ、オレさ、アンタのこと、好きなんすスよ」
「……俺だって、おまえのこと好きだが?」
呼び出されたファミレスで、湯気の立つコーヒーを手に持ったままで、手塚が困ったように首を傾げる。
傾げると、白いシャツの襟元から、すっきりとした首筋がよく見えた。
思わず触って、キスをして、そこに痣を付けたくなるような、すらりとした首。
リョーマはごくり、と唾を呑み込んで、口を開いた。
「アンタが考えてるようなんじゃなくって、オレ、アンタのこと、好きなんス。愛情っスよ」
「………愛情?」
「そうっス。部長、オレのこと、そういう意味で好きっスか?」
「……越前……」
手塚の眉根が寄せられる。
どう答えていいか、分からない様子だった。
きっと、そんな事、考えたこともないのだろう。
突然難しい問題を突きつけられて、途方に暮れているという感じだった。
「………俺は男だが………」
漸く手塚が口を開いた。
「そりゃ分かってます。オレは、男の部長を好きなんスよ」
「……………」
手塚が更に眉根を寄せた。
眉を寄せると、瞼がはれぼったくなって、睫毛が揺れる。
その風情も色っぽくて、リョーマはぞくぞくした。
「……ね、オレのこと、嫌いスか?」
「……いや、だから、嫌いじゃないが……」
「じゃあ、オレと付き合って下さいよ!」
手塚がいつまでたっても煮え切らないので、リョーマはもう一歩押してみた。
「………付き合う?」
「そうっス。……一緒に映画見たり、遊びに行ったりでいいっスよ」
本当は、付き合うからには、抱き合ったりキスしたり、それから、当然の事だがセックスも考えていたのだが、リョーマはそういうことはおくびにも出さず、にこっと笑った。
「………そういうのだったら、別に構わないが……」
どう答えていいものか困った様子で、手塚が口ごもって言う。
「そうっスか!やった〜〜!」
リョーマは年相応にはしゃいでみせた。
「じゃ、オレ達、付き合ってるって事でいいっスね!」
リョーマのはしゃぎようが微笑ましかったのか、手塚が少し笑って頷いた。
「ああ…」
こうして、リョーマの野望は、一歩実現に近付いたのである。
リョ塚←不二。鈍い手塚をその気にさせるのは難しそうです、リョーマ君(笑)