NIGHTMARE 《2》
「跡部、ちょっと残れ」
金曜日の夕方。
その日の部活が終わって着替えをしていた跡部の所に、珍しく監督の榊がやってきた。
榊は、氷帝のテニス部内において絶大な権力を誇っており、その命令は絶対である。
それは跡部とて例外ではない。
榊からおまえ一人で残れと言われ、跡部はいつも行動を共にしている1年の樺地には、先に帰るように指示した。
部員たちが次々に帰宅し、部室内に榊と跡部と、それからもう一人忍足侑士が残った。
忍足と自分に用があるのか、と思って目で問い掛けると、榊が、
「跡部、ちょっと忍足の練習に付き合ってやってくれ。内密にな」
と言ってきたので、跡部は少なからず驚いた。
榊がそのように一人の部員に配慮を示すような事など、今まで無かったからである。
用件だけ言うと、榊はさっさと帰ってしまった。
部室の中に、跡部と忍足だけになる。
どう話しかけていいやら、跡部が逡巡していると、
「悪いなあ、ちょっとつきおうてや」
忍足の方から、跡部に話しかけてきた。
「……なんだ?」
「まぁ、コートでな……」
そう言って部室を出ていく忍足の後を、跡部はむっつりとした表情で付いていった。「俺がロブを上げるよってに、跡部、アンタはスマッシュ打ってや」
夕暮れの日が薄く射すコートには、既に誰もいなかった。
何面も続くコートの中の、一番端の正レギュラー用コートに入ると、忍足が、
「ほな、試合形式で」
と言いながら、サーブを打ってきた。
練習とはいえ、渾身の力を込めたサーブに、跡部も真剣な表情をしてレシーブを返す。
そのボールを忍足は、ぽん、と高く上げてきた。
ロブだ。
と言う事は、これをスマッシュしろと言うことなのか。
ネット際に出る。
忍足の練習に付きあえとは言われたが、親切に協力してやる気など持ち合わせてない跡部は、忍足が取れないような位置へ鋭くスマッシュを放った。
しかし、次の瞬間。
忍足のコートの方へ放ったはずのボールが、高い曲線を描いて自分の遥か頭上を越えて飛び去ったので、跡部は愕然とした。
忍足がスマッシュを返したのだ。
背を向けて、身体を捻りながらスマッシュをダイレクトに返す技。
---------ポン。
思わず振り返ると、ボールがラインぎりぎりに落ちたところだった。
スマッシュをダイレクトに返す技に、見覚えがあった。
これは、青春学園の不二周助だけが出来うる高等技術だ。
他に、こんな事が出来る人間を、跡部は誰一人知らない。
どうしてそれを忍足が?
「……どうや?」
「………?」
「うまくいったようやな?」
ネット越しに、忍足がにやりと笑いかけてきた。
「出来たんだったら、もうええわ。練習、終わりにしよ?」
驚きの表情を顔に貼り付けたままの跡部に軽く手を挙げると、忍足はさっさと後片づけを始めた。「この技なぁ、実は監督はんから、おまえやってみんか言われて、ビデオ見て研究したんやで」
押し黙ったまま、部室に戻って正レギュラー用の部屋に入ったところで、忍足が声をかけてきた。
正レギュラー用の部屋は、20畳ほどの広さの所に大きな縦長のロッカーが8つ、それからソファとテーブルのセット、それに簡単な給湯設備まで付いている。
更に、部屋の奥にはシャワールームまで完備されていた。
「なぁ、どうや?……ちゃんとできたやろ?」
忍足が、三人掛けのソファにゆったりと座りながら、ロッカーの前に行った跡部に問い掛けてきた。
「監督はんからビデオ見せられたときなぁ、ほんまできるんかいと思うたんやけどな、実際やってる選手がおるからな。
あの青学の不二とかいう選手、なかなかうまいな。
ま、でも、誰かができる技、オレができないわけない思うてな、練習してみたっちゅうわけや」
「練習って、誰とだ?」
氷帝テニス部員は誰一人、忍足が、青学の不二の使うスマッシュ返しの技を会得しているという事を知るまい。
自分でさえ、知らなかったのだから。
「練習か?……監督はんがな、スマッシュ打ってくれて、ずっと二人でやってたんや」
監督と、忍足の二人で-------?
それを聞いて、跡部は何とも言えず不快な気持ちになった。
この自分を差し置いて、榊が忍足と二人きりで秘密の練習をしていた。
それが、ショックだった。
跡部は、榊を自分の上に立つ唯一の人間として認め、尊敬もしていた。
それに、榊に一番信頼され、期待されているのは自分だという自負もあった。
そのプライドが傷つけられたのだ。
そんな跡部の表情を見たのか、忍足はくすっと笑った。
「なんや、跡部、気に入らんようやな?」
「別に…………オレには関係ねえよ」
榊がどんな事をしようと、跡部が口を差し挟むような事は出来ない。
榊には榊の考えがあり、それがいかなるものであろうと、跡部はそれに従うしかないのだ。
だが、忍足の得意げな顔を見ると、わけもなく胸がむかむかした。
こいつは、ついこの間氷帝に来たばっかりのくせして、いつのまにか部員とも仲良くなってるし、もしかして、監督にも、オレよりも期待されているんじゃないだろうか?
そんな事はないとは思うのだが、そういう馬鹿なことを考えてしまうほど、跡部は動揺していた。
自分は、入学前から榊と面識があり、入学したときからずっと榊の元で、常に榊の一番を勝ち取ってきた。
榊の期待に応え、氷帝テニス部を背負って立つ人間として、やってきたはずだ。
後からきた人間なんかに、この地位がほんの少しでも脅かされることなど無いはずなのに、跡部は自信がなかった。
忍足は、周りの部員とは違う。
跡部にとっては、周りの部員は自分よりも下で、彼らが何をしようと、そんな事気にする値打ちもなかった。
しかし、忍足は違う。
忍足は、少なくとも、自分より下と言い切れない。
もしかして、自分と対等か、へたをしたら上なのか?
--------まさか。
オレの思い過ごしだ。
しかし、あの榊がこれだけ忍足に目をかけているところを見ると、もしかして、という不安が残る。
難しい顔をして黙り込んでしまった跡部を見て、忍足がくすくすと笑った。
「なんや、悩んでるようやな。オレが監督はんと二人で練習していたんが、気にいらんか?………アンタ、監督はんのこと、好きやもんな……」
「…………?」
「なぁ、跡部……………あの監督はんと、できてるんか?」
言っていることが理解できなくて、跡部は柳眉を顰めた。
忍足が、ソファから立ち上がって、跡部の方に近寄ってきた。
「アンタ、美人やからな。部員の中には、アンタに憧れてるヤツ、多いんやで?
ま、それは高嶺の花っちゅうことで、みんなあきらめているようやけどな。
でも、誰のこともどうでも良さそうなアンタが、監督はんのことになるとえらいご執心やな。
あんた、監督はんのこと、好きなんやろ? もう、随分と可愛がってもらってんのか?」
不意に視界が暗くなった。
次の瞬間、唇に生暖かい感触を感じて、跡部は驚愕した。
忍足が、跡部の唇を奪ってきたのだ。
突然の事に、驚きのあまり動けないでいると、一旦すっと唇を離して、忍足が笑いかけてきた。
「可愛ええな、アンタ。……やっぱり、いい顔しよるわ。
ほんま、美人は近くで見ても、やっぱり美人やな……。
アンタのこのほくろ、ぞくぞくするで。………色っぽくてな」
そう言うと、今度は更に深く口付けてきた。
驚いて半開きになったままの跡部の口の中に、忍足の舌が入り込んでくる。
上顎を舐め上げられ、舌が自分の舌に絡んできたところで、跡部はようやく我に返った。
はっとして、思い切り忍足を突き飛ばそうとしたが、それは見抜かれていた。
跡部が行動を起こすよりも先に、忍足は跡部の両腕をがっちりと押さえ込んで、ロッカーに押し付けてきたのだ。
体格的には、跡部はどちらかというと、身体が細く肩幅も狭い。
ロッカーと忍足の身体の間に挟まれ、跡部は身動きが出来なかった。
顔を背けようとしても、逃げかけた顔の方へ忍足の顔も移動してきて、唇をすっぽりと覆われる。
「ぅ………………!」
こんな無体な事を跡部に仕掛けてくるヤツなど、今まで誰もいなかったので、跡部は半ば呆然として、忍足にされるがままだった。
はっと気付くと、着替えかけていたシャツを脱がされていた。
口付けをしたまま忍足が、跡部の両腕を乱暴に後ろ手に捻って一纏めにすると、シャツの端で器用に手首を縛ってきた。
「……な……にするんだ!」
「……どうや、抵抗でけへんやろ?」
後ろ手に縛られた腕の痛みに、眉を寄せて呻くと、唇を離した忍足が、跡部の耳元に囁いてきた。
「……ざけんな!………ほどけよ!」
他人にこんな風に拘束されたことなど、未だ嘗て一度もない。
プライドの高い跡部にとって、これだけでも屈辱で身が焼けるようだった。
「……ま、そう言うなや。アンタだって、溜まってるんやろ?
ここのとこ、監督はん、オレの方にかかりきりやったからな。
……あ、言うとくけど、オレと監督はんは、なんでもないで? ……嫉妬されても困るがな」
引き擦られるようにして、ソファに押し倒される。
手を縛られているだけに、ソファに荷物か何かのように投げ出されて、跡部は反撃もできなかった。
体勢を立て直す間もなく、忍足が覆い被さってきて、まだ着替えていなかったジャージを思い切り引き下ろしてきた。
「……………!!」
下着毎引き下ろされ、脚を乱暴に広げられて、その間に膝を突いて、忍足が跡部の身体を押さえつけてくる。
「な………にすんだよ、テメェ!」
見下ろしてくる忍足を睨み返して必死に言うと、忍足が口元を歪めて笑った。
「威勢がええなあ、跡部………」
「……………!!」
不意に肛門に、忍足の節くれ立った指が侵入してきて、跡部は背筋を仰け反らせて呻いた。
ひりつくような痛みが、頭の先まで一瞬に突き抜ける。
「なんや、もしかしてアンタ、バージンか?」
更に関西弁の嘘度が上昇………。茨城弁なら自信あるんですけどね(汗)