不如帰 《1》
第一部
冬の夕暮れは早い。
最後までコートに残って練習をしていた菊丸が、コート内に散らばったボールを集めて練習を終わらせた時には、すでに辺りは群青色の闇が立ちこめていた。
「寒いや………」
ジャージの襟を立てて、コートをぐるっと見回して、ボールが落ちていないことを確認すると、大石から預かっていた鍵でコートの出入り口を施錠する。
3年生が引退し、菊丸達2年生が主体で練習をするようになって数ヶ月。
練習メニューも軌道に乗り、これから4月の地区予選に向けて、部員の意気上がってきた所だ。
菊丸も例外ではない。
2年生で既に全国大会まで行っている、という自負と共に、もっと上手くなりたいという気持ちが、菊丸を練習に駆り立てている。
そんな訳で、今日もついつい遅くまで熱中してしまったのだ。
(もう誰もいないかな………?)
そう思いながら部室に向かうと、部室の灯りが点いていた。
(……誰がいるんだろう……?)
部活自体は、30分以上前に終わっていた。
だから、もうみんな帰っていてもおかしくない。
ドアを少しだけ開けて、菊丸は中を覗き込んでみた。
途端、胸がつきん、と痛んだ。
中にいたのは、手塚と不二。
二人で、壁際に設えられたソファに座っている。
たわいない話でもしているのか、不二が何かぼそぼそとしゃべって、それに応えて手塚が微笑む。
(………………)
入ろうかどうしようか瞬時迷って、菊丸はわざと大きな音を立ててドアを開けた。
「……あれ、まだ残ってたんだ?」
中の二人に、開けてから初めて気が付いた、というように声を掛ける。
「エージ、遅くまでご苦労様」
不二が菊丸を見て、にっこり笑い掛けてきた。
「練習熱心だね、エージ」
「まあね、オレ、努力型だからね!」
「……そうなのか?」
手塚が首を傾げて自分を見てきたので、菊丸はどきっとして視線をずらした。
「失礼だよ手塚。……エージはあれですっごく努力家なんだよ?」
「そうか、菊丸がなぁ……」
不二と手塚の会話を聞いていると、訳もなくイライラした。
菊丸はそんな内心を隠すように肩を竦めて、ロッカーの前で着替えを始めた。
「おまえら、まだ残ってんのか?」
「うん、もうちょっと。……………ね、手塚?」
「あ、ああ……」
不二の前だと、手塚の表情が違う。
いつもの一見冷たいような整った表情が、柔らかく融けたようになる。
そんな表情を見せていることを、自分では分かっているのだろうか。
菊丸は、二人に分からないように、奥歯を噛み締めた。
きっと、分かってないんだ。
----------それから、オレの気持ちも。「じゃあ、お先に〜」
明るく言って、ドアを閉めて、菊丸は振り切るように駆け出した。手塚と不二が、何時から付き合っているのかは分からない。
菊丸が手塚を意識した時、既に手塚は不二と付き合っていた。
考えてみると、菊丸が手塚を好きになったのは、手塚がよく6組に遊びに来て、不二の前で蕩けるような笑顔を見せるのに気付いたからかもしれない。
………こんな表情もするんだ。
不二の前で笑う手塚に、菊丸は驚いたのだった。
自分では意識していないのだろうが、手塚は、心を許した人間には表情が豊かだ。
不二があまり表面に出さないのに対して、手塚は無防備に不二に甘えてくる。
それが新鮮だった。
そんな手塚の様子を見ているうちに、いつしか、自分にもあんな風に笑い掛けてきてくれないかな、と考えている事に気が付いた。
その後、ふとした事から、不二と手塚がただの付き合いではなくて、身体も含めた深い付き合いをしているらしいと分かって、菊丸は身体が焼けるような嫉妬を感じた。
分かったのは偶然だった。
あの時も、部室で菊丸は着替えをしていた。
部室には他に不二と手塚だけがいて、隣で着替えをしていた。
菊丸が背中を向けていたから、見えないと思ったのだろうか。
不二が手塚の耳元に何か囁いて、手塚が顔を真っ赤にして俯く。
その首筋に不二が軽くキスをするのを、菊丸は見てしまったのだ。
菊丸が見ているとは思っていなかったのだろう。
あの時の甘やかな雰囲気。
こっそりと呟いた不二の声まで聞こえてしまった。
「昨日のキミ、すごく可愛いかったよ………」
瞬間、身体がかっとなった。
頭に血が昇って、眩暈がした。
漸くのことで平静を保って着替えをして、菊丸は逃げるように部室を出たのだ。それから菊丸は、二人を殊更観察するようになった。
そんな事をしたら、自分がますます嫉妬するだけだと思いながらも。
観察すればするほど、二人が親密なのが分かった。
特に、手塚は、不二に夢中なようだった。
不二を見ると、表情を輝かせる。
不二と話していると、声音まで違う。
勿論、他人のいる前ではそういう素振りは見せないが、不二と二人きり、あるいは、不二と仲の良い、例えば菊丸のような人間がいるだけの時には、表情が和らぐ。
きっと、オレの事を不二の親友だと思って、安心しているんだろう。
確かに、親友なことは確かだが…………。
………しかし、菊丸は複雑だった。
自分が手塚を好きだと言うことを、自覚してしまったからだ。
自分も、不二のように、手塚に微笑みかけられたい。
不二のように、手塚を抱き締めたい。
不二のように………手塚を手に入れたい。
不二はどういう風に手塚を抱いているんだろう。
考えると、頭が沸騰しそうだった。
あの蕩けるような笑顔以外に、どんな顔をするんだろう。
どんな声をあげるんだろう。
手塚に触れたい。
抱き締めたい。
-----------抱きたい。そんな事ばかり考えるようになって、菊丸はここのところ、神経を尖らせていた。
いくら考えたって、どうしようもない事は分かっている。
手塚が不二に夢中で、他の人間なんて眼中にない事は明白だっだ。
どうしたら、あんな風に手塚に好かれるんだろう。
不二が羨ましかった。
オレも告白してしまおうか。
……とも思わないでもなかったが、手塚が困るだけだろうと思って、自分の気持ちは言わないことにしている。
手塚は不二が好きなのだから、オレから言われても、困惑するだけだ。
手塚は優しいから、きっと気を使ってくれるだろうけど。
そういうのも、イヤだ。
それに、菊丸は、不二の事も好きだった。
勿論、友人としてだが、手塚の相手としてふさわしいとも思う。
自分が手塚の恋人になれなくても、手塚の相手が不二なら、あきらめられるような気もした。
それでも、やっぱり手塚を見ると胸が苦しくなる。
手塚の笑顔が不二だけに向けられているのを見ると、嫉妬で表情が歪む。
そんな自分が嫌にもなる。
手塚には、知られたくない。
心の奥底で、手塚と不二が別れてしまえばいい、などと思っていることを。
そんな気持ちを抱えながら、日々を送っていた。3学期が始まって数日。
学校ではインフルエンザが流行し始めていた。
クラスでもぽつぽつ休む人間が出始めている。
クラスの3分の1以上の人間が風邪にかかると、クラスが閉鎖になる。
今年はどうかな、などと不二と話し合っていた矢先、不二が学校を休んだ。それが全ての発端だった。
日記で連載しているSSの冒頭部分を作りました。当初の話とは打って変わったシリアス話です(汗)
日記なので、えんえんと連載続ける予定です〜vよろしくお願いしますv