冥晦 
《2》












「跡部さんのうち、どこっスか?」
「……ああ?……ソコ曲がって、突き当たったトコ………」
ぐったりとなった跡部の腰をしっかり抱えながら、桃城は歩いた。
跡部の家はその公園から500メートルほどの所にあった。
瀟洒な家の建ちならぶ、高級住宅街の一角。
門扉に跡部と書かれているのを見付けて、桃城はほっと息を吐いた。
「跡部さん、着いたっスよ?」
肩越しに声を掛けたが返事がない。
「……跡部さん?」
振り返って跡部を覗き込むと、跡部がようやっと瞳を開けた。
「……誰もいねェから、入っちまってかまわねェよ……」
掠れた声で言う。
「……そ、そうっスか?」
門扉を開けて、桃城は跡部を抱きかかえたまま中に入った。
跡部に言われるままに、電子ロックを解除して、重厚な扉を開ける。
開けると自動的に照明が点き、広々とした玄関と、豪華な廷内が見て取れた。
自分の家の二階建てメーカー住宅とは全く違った豪華な内部に、桃城は気圧された。
「……お邪魔しま〜す……」
恐る恐る内部に向かって声を掛けながら、桃城は跡部を担いだまま廷内に入った。
跡部の言う通り、広い廷内はしんと静まり返って、人気がなかった。
こんな広い家なのに、誰もいないのだろうか。
きょろきょろと見回しながら、桃城は、跡部の部屋はどこかと探した。
………二階だろうか。
玄関から続く大きな階段を見上げる。
「跡部さん、部屋どこっスか?」
階段を見上げながら言うと、跡部が、
「二階の突き当たりだ……」
と小さな声で答えた。
さすがに、人を担いで階段を上がるのは容易な事ではなかった。
落ちないように跡部の腰に手を回して、桃城は一段一段階段を昇った。
昇って、広い廊下を歩いて、突き当たりの部屋のドアを開ける。
開けると、その部屋も自動的に照明が点灯した。
中に入って、桃城はその贅沢さに目を見張った。
広いワンルームには、値の張りそうな家具やオーディオ機器が並んでいる。
部屋の奥に、3人ぐらい寝られそうな大きなダブルベッドがあった。
桃城はそこに跡部を寝かせた。
「ぅ…………」
跡部が微かに呻いて、ベッドの上で気怠げに腕を投げ出す。
「水………」
掠れた声で跡部が呟いたので、
「み、水っスか?」
桃城は部屋の中を見回した。
ベッドと反対側の壁の一角が、システムキッチンになっていて、填め込みの冷蔵庫があった。
そこを開けると、ミネラルウォーターのペットボトルが何本か入っていたので、桃城はそれを取って、蓋を開け、跡部に渡そうとした。
が、ぐったりとした跡部がペットボトルを持とうとしないので、桃城はこわごわ、跡部の身体を抱き起こすと、その唇にペットボトルを押し付けた。
「……水っスよ」
言いながら、少しずつペットボトルを傾ける。
跡部の口の中に水が流れ込んでいって、白い喉がこくり、と動くのを見て、桃城はほっと溜め息を吐いた。
二、三回水を飲むと、跡部は弱々しく首を振って、もういい、という仕草をした。
怠そうに息を吐いて、桃城の胸に顔を預けてくる。
「風呂、入りてぇ…………」
ぼそっと呟いたのが聞こえて、桃城は困惑した。
「風呂っスか?」
跡部が重そうな瞼をあげて、目線を動かす。
その先を見ると、扉があった。
跡部から一旦離れてその扉を開けてみると、内部は大理石仕様のユニットバスだった。
(すっげぇ、金持ち………)
自室にユニットバスまで付いているなんて、と桃城ははっきり言って驚いた。
氷帝学園中等部は裕福な家庭の子弟が集まる学校として有名で、跡部もその学園の生徒であるからには裕福であるだろうとは思っていたが、実際に家を見てみると、自分のそれとは格段の違いがあった。
取りあえずバスタブに栓をして、湯を張る。
(なんでオレがこんなこと……)
とは思ったが、どうやらこの広い跡部邸には誰もいないようだし、跡部はぐったりしていて誰かが介抱してやらなければならない。
(……しょうがねえよな……)
肩を竦めて、桃城は跡部の方に戻った。
「跡部さん、風呂入れるっスよ?」
ベッドで仰向けになって浅く息を吐いている跡部に話しかけると、跡部がうっすらと目を開いた。
身体を動かすと痛いのだろう、細い眉を顰めながら起きあがって、その場で服を脱ぎだしたので、桃城は慌てた。
「あ、跡部さん……」
「……ああ?」
話しかけるな、という雰囲気で答えられて、桃城はぐっと詰まった。
重い腕を漸く動かすような感じで服を全部脱ぐと、跡部はベッドから降りた。
足を着いた瞬間に蹌踉めいたので、桃城は慌てて跡部を抱き留めた。
しっとりとした肌と、その下の張りのある筋肉の感触が手に伝わってきて、桃城は瞬時、どきんと心臓が跳ねた。
「歩けるって………」
頭を振りながら、跡部が気怠げに言う。
桃城が手を離すと、跡部はふらふらと蹌踉めきながら、バスルームの中へ消えていった。














(……どうしようか……)
部屋に一人になると、桃城はどうしたものか途方に暮れた。
なんとか跡部も一人で動けるようだし、さっきの様子からでは、どうしてあんな事をされていたのか理由を話してくれそうにもないし、自分が聞けるような事でも無さそうだった。
…………それにしても、驚いた。
なんとなく疲労を感じて、桃城は跡部が飲み残したペットボトルを手にしたまま、ソファに座り込んだ。
桃城は、跡部とはほんの少しの時間だが、ストリートテニスコートで試合をした事があった。
その際会話も交わしていたが、その時の彼の印象は、絶対的な自信を持った、悪く言えば鼻持ちならない人間、というものだった。
態度が大きく、謙虚さの欠片もない。
人を人と思わない、不遜な態度。
絶対に、友達になどなれそうにない人間だと思っていた。
他人を見下したような態度をとる、という事に関しては、今日も変わってはいなかったが。
それにしても……………。
桃城は、跡部が理解できなかった。
さっきの事は、どう見ても強姦だ。
跡部を強姦していた男達の、冷たい笑い声や、跡部をまるで物でもあるかのように蹴りつけていた動作などが思い浮かぶ。
あんなことを、跡部が許すはずがない。
それなのに、彼は自分が好きだからされているんだ、とかほっといてくれとか言った。
あのまま放っておいたら、あそこで跡部は気を失ったまま、朝までいたかもしれない。
いくら暖かくなったとはいえ、裸同然であんな公園で。
一体、何を考えているんだろう。
それにあいつらは、跡部とは知り合いなのか。
………そうも見えなかった。
桃城が難しい顔をして考え込んでいると、ドアがバタンと開いて、濡れた頭から雫をぽたぽたと垂らしながら、跡部が出てきた。
「跡部さん………」
湯に浸かって、体温が上がったからだろうか、跡部の身体の痣がくっきりと赤く浮かんで、見るからに痛々しかった。
頭から雫が垂れているのを見て、桃城は慌ててクローゼットを開けてタオルを引っ張り出すと、それで跡部の髪をごしごしと拭き始めた。
風呂に浸かって疲弊したのだろうか、跡部は何も言わずに桃城のされるがままになっていた。
髪だけではなく、跡部は全身が濡れていた。
「ちゃんと拭いて出てきて下さいよ。部屋濡れっちまうっスよ?」
言いながら桃城は、跡部の顔や首、それから身体をタオルで拭き始めた。
先程公園で手当をしたときに、跡部の身体は隅から隅まで見ているから、今更どうと言うことはなかったが、そうは言っても湯上がりの跡部の肌はしっとりと湿っていて、桃城はタオルを持つ手が震えるのを止められなかった。
先日、ストリートテニスコートで見た跡部は、気に入らないヤツという印象しかなかった。
なのに、今、自分の目の前にいる跡部は、どこか茫洋とした目つきで、幼く、心細げに見えた。
濡れた髪をよく拭いて掻き上げてやると、形の良い額と、細く綺麗な眉、それから色素の薄い目とその下の黒子、それに紅の唇が、桃城をどきり、とさせた。
(綺麗な人だな………)
その時桃城は、心の底からそう思った。
こんなに容姿の整った人物を、桃城は見たことがなかった。
白く滑らかな肌。
整った造形。
容姿に恵まれている上に、テニスの才能も抜きんでており、更に裕福である。
それなのに、一体何が彼を、先程のような愚かな行動に駆り立てているのだろう。
桃城は不思議でならなかった。
跡部の下半身から目を背けるようにして手早く拭くと、桃城は軽く溜め息を吐いた。
「跡部さん、今日はもう寝た方がいいっスよ。パジャマとか、どこっスか?」
「いらねぇ………」
「いらねぇって………風邪ひくっスよ?」
駄々をこねた子どものような物言いに困惑しながらも、桃城は何故か跡部から目を離せなかった。
「……じゃあ、とりあえず寝て下さいよ……」
ブランケットを除けて、跡部をベッドに入れる。
「……じゃあ、オレ、帰るっス。玄関締めてきますから、締め方教えてください」
時計を見ると、夜の10時を過ぎていた。
早く帰らないと、家族が心配する。
「あ、今日のことは誰にも言わないっスから、安心して下さい。オレ、口は堅いっスから」
その時跡部が何か言いたげに桃城を見つめてきたので、きっと口止めを要求しているのだろうと思い、桃城は自分からそう言った。
ベッドに横たわったままで、跡部がじっと桃城を見上げてくる。
その視線の強さに、桃城は我知らず頬が赤くなるのを感じて、ふい、と目を逸らした。
「じゃあ、帰るっス………」
そう言って、腰掛けていたベッドから立ち上がろうとした時、跡部が腕を伸ばして、桃城の腕を掴んできた。
「……帰るなよ………」
掠れた声で跡部が桃城に囁いてきた。
「えっ?……そう言われても………」
「なぁ、桃城………」
跡部が自分の名前を呼んできたので、桃城は一瞬驚いて目を見開いた。
跡部が上半身を物憂げに起こして、桃城の首にしなやかな腕を巻き付けてきた。
「……あ、跡部さん………」
「……なぁ、オレ、一人じゃ寂しいんだ………いてくれよ……」
しっとりとした低い声で囁かれて、ぞくり、と背筋に戦慄が走る。
「桃城………オレ、一人はイヤだ………」
どこか甘い色を帯びた声。
どくん、と心臓の鼓動に合わせて血がうねって、桃城は身体を強張らせた。


「なぁ、……慰めてくれよ、桃城………オレのこと………今だけでいいからさ………なぁ、いいだろ?」

















ははは、ありがちな展開でどうもすいません(笑)