不如帰 《5》
その日は、手塚と別れて家に帰っても、菊丸はずっと上の空だった。
胸のドキドキが治まらなかった。
食事をしていても、テレビを見ていても、不意に脳裏に、昼間の手塚の姿態が浮かび上がってくる。
自分を受け入れた時の、幾分苦しげに顰められた眉や、あえかな息づかい。
しっとりとした肌の感触。
それらが次々に、頭の中に再現される。
オレは、今日、手塚を抱いたんだ……!
ぞう何度も自分に言ってみる。
まだ自分でも信じられなかった。
もしかして、夢だったんじゃないか。
ふとそう思ってしまって、菊丸は大きく頭を振った。
夢なんかじゃない。
オレは本当に手塚を抱いたんだ。
手塚だって、嫌がらなかった。
積極的にオレを受け入れてくれた。
手塚と一つになった時の陶酔感を思い出して、菊丸は幸せを噛みしめた。
-----が、それも僅かの間の事だった。
手塚が本当に好きなのは、不二だという現実を思い出して、菊丸の表情は曇った。
手塚と不二は、あんな素晴らしい時間をずっと過ごしてきたんだ。
しかも、今だって、手塚は不二に恋い焦がれている。
不二に冷たくされて、あんなに落ち込むぐらいに。
落ち込んで、自暴自棄になって、オレに抱かれてしまうくらいに…………。
そう思うと、身が焼けるようだった。
これが、嫉妬というものなのだろうか。
苛立って、訳もなく悔しくなって、胸がムカムカする。
不二が、憎らしくてたまらなくなる。
手塚を無理矢理にでも、自分だけのものにしたくなる。
-------負の感情に支配されそうになって、菊丸は激しく頭を振った。
……駄目だ。
感情に、本能に負けてしまっては。
手塚を苦しめるだけだ。
オレは、手塚が幸せになることを願っているんだ。
そのためなら、自分が傷付いたってかまわない。
手塚さえ、幸福になってくれれば。
「……………」
そうは思っても、それが理想論に過ぎない事に、菊丸は気付いていた。
本当は、違う。
オレは、手塚が欲しい。
手塚を傷付けてでも、彼が欲しい。
一度手に入れてしまっただけに、一層その思いは、菊丸の全身を焼き尽くすかのように強く燃えさかった。
手塚は、オレのものだ。
今更、他のヤツなんかに………不二なんかに渡せるものか!
背筋がぞくり、と冷たくなって、菊丸はベッドに突っ伏した。
自分が抜き差しならない道に足を踏み入れてしまったような気がした。
「……手塚………」
小さな声で呟いて、菊丸は唇を噛み締めた。結局、その日は殆ど眠れず、翌朝菊丸は、腫れぼったい目を冷水で冷やしてごまかして、手塚の家へ向かった。
手塚の家は、菊丸の家からはバスで20分位の隣町にある、大きな木造2階建てだった。
以前にも何度か来たことはあったが、今日は菊丸は、今までになく緊張していた。
ピンポーン。
門の所の呼び鈴を押すと、ややあって玄関が開いた。
(………手塚…)
中から出てきた手塚を見た途端、胸がきゅっと痛くなって、菊丸は門扉をぎゅっと握りしめた。
「お、おはよう……」
門を開けてくれた手塚に対して、菊丸はできるだけ明るく元気な声で呼びかけた。
「……あぁ、おはよう……」
手塚が静かな声で答える。
どことなく寂しげな様子だったが、それでも菊丸を見て嬉しかったのか、ほんの少しだけ笑う。
それを見て、菊丸はドキドキした。
前よりは、オレに心を開いてくれているみたいだ。
部長としての手塚ではなく、ただの一人の人間としての彼を見せてくれた気がする。
もっとオレに心を開いてくれるといいのに。
少しずつでもいいから………不二に心を開いているみたいに。
そう思いながら、手塚の家に上がると、手塚の母がにこにこしながら出迎えてくれた。
「菊丸君、いらっしゃい」
どうやら顔と名前を覚えられていたようで、菊丸は緊張して挨拶した。
「ど、どうも………失礼します……」
「どうぞごゆっくり」
手塚の母に見送られて階段を上がり、突き当たりの手塚の部屋に入る。
入ると緊張が解けて、菊丸ははぁっと大きな溜め息を吐いた。
「なんだ、菊丸らしくもない…」
後ろから、茶のセットを持って入ってきた手塚が苦笑する。
「だってさー、やっぱ緊張するじゃん! オレ、大人の人と話するのって、苦手なんだよねー」
やれやれ、とカーペットの上に足を投げ出して座りながら、菊丸は、手塚と普通に会話が出来ることに安堵していた。
(良かった。手塚、結構元気みたいだ……)
テーブルの上に置いたティーカップに湯を注ぐ手塚をちらちらと見る。
知性を感じさせる穏やかな表情に、カーテン越しの光が当たって、手塚の周りはふんわりとした雰囲気だった。
柔らかそうな唇に目が行って、菊丸はどきり、とした。
昨日、あの唇に、口付けをしたのだ。
それだけではなくて、あの身体を……………。
(……止めろったら!)
妄想に浸りそうになって、菊丸は慌ててそれを心の中から追い出した。
「ね、何しようか?」
出された紅茶に口を付けながら問い掛ける。
「そうだな……」
特に何も考えていなかったのだろう。
手塚が紅茶を飲む手を止めた。
「……じゃぁさ、ゲームでもしない?」
菊丸は、バッグの中からカードを取り出した。
実のところ、ビデオやらゲームソフトやらいろいろ遊べそうな道具を持ってきてはいたのだが、手塚の部屋にはテレビが無かった。
と言うことは、ゲームソフトも使えない。
そう言うわけで、無難なカードを取り出したのである。
今、学校で大流行のカードだ。
「どうやるんだ?」
しかし、手塚はやり方を知らないようだった。
きっと休み時間でも、手塚はこういうもので遊んだりしないのだろう。
静かに本を読んでいるか、あるいは、次の時間の予習でもしているか。
そんな姿が目に浮かんだ。
「これはさ、こういうふうに分けて置いて……」
もしかしたら、こんなものでは、手塚はつまらないと思うかも知れない。
そう思ったが、菊丸は、マイナス思考に陥りそうになる自分を叱咤して、できるだけ詳しく、手塚に遊び方を教えた。
手塚は飲み込みが早く、すぐに覚えた。
実際やってみると、意外に手塚も夢中になった。
「……国光、お母さんたち出かけるけど……あとよろしくね」
手塚の母親が部屋に入ってきたとき、すでに昼が過ぎていた。
「お昼の用意してあるから、菊丸君と一緒に食べなさいね」
「あ、す、すいませんっ」
手塚の家で昼食を用意してくれたのを知って、慌てて菊丸は言った。
手塚の母親が、そんな菊丸を見て、にっこりと笑った。
「いいのよ、菊丸君。国光と一緒に食べてね」
どうやら、これから出かけるらしかった。
手塚の祖父と両親が車で出かけるのを見送って、菊丸と手塚はダイニングへ行った。
テーブルの上に、温めるだけに用意された食事が載っていた。
「なんか、悪いな……」
恐縮して言うと、手塚が首を振った。
「気にしなくていい。不二もよく………」
そこまで言って、手塚は不意に口を噤んだ。
「……あ、オ、オレ、あっためるよ!」
手塚が俯いてしまったので、菊丸は狼狽した。
「手塚は座ってて」
電子レンジに皿を入れ、炊飯器からご飯を茶碗に盛る。
「いただきまーす!」
元気良く声を出して食べ始めつつ、菊丸は手塚の様子を窺った。
すっかり不二のことを思い出してしまったのか、手塚は先程の元気はどこへやら、沈み込んでしまっていた。
食欲も無いのか、食事を半分以上残してしまう。
残ったおかずをラップに包んで冷蔵庫にしまいながら、菊丸は落胆した。
……やっぱりオレじゃ、駄目なんだ。
いくら手塚のことを好きでも、手塚を喜ばせてあげられない。
手塚は不二じゃなくちゃ駄目なんだ。
そう思うと、自分が情けなくて涙が出てきた。
食事が終わって部屋に戻っても、暗くなってしまった手塚を前に、菊丸は途方に暮れた。
自分も挫けそうになる。
自分の無力さを感じて、いたたまれなくなる。
「オレさ…………そろそろ帰るね」
しばらくぼぉっとして手塚を伺っていたものの、手塚が不二のことを考えて物思いに耽っているのが分かって、菊丸は我慢できなくなった。
手塚はオレと一緒にいても、全然楽しくないんだ。
やっぱり、不二じゃなくちゃ駄目なんだ。
それなおに、オレったら、いい気になって。
手塚が自分を好きになってくれるかもしれないなんて思って。
………馬鹿なオレ。
鼻の奥がつうんとして、涙がこみ上げてくる。
乱暴にカードをバッグの中に詰め込んで立ち上がると、手塚がはっとして菊丸を見上げてきた。
「オレ、帰るね」
手塚から目を背けるようにして、バッグを手に持ち歩き出すと、
「菊丸っ!」
手塚が狼狽したような声をあげて、菊丸に背中から抱き付いてきた。
「いやだっ、帰るなっ!」
抱き付いてきた身体が震えていた。
「手塚……」
「帰らないでくれ、菊丸っ!」
手塚が哀願するような口調でそう言う。
離すまいとするかの如く、必死で抱き付いてくるのを感じて、菊丸は胸が詰まった。
身体の向きを変えて手塚の方を向くと、手塚が菊丸の唇に、自分の唇を強く押し付けてきた。
菊丸をなんとか引き留めたいのだろう。
一生懸命に菊丸の機嫌を取ろうとする手塚に、菊丸は何とも言えない辛く歯痒い気持ちになった。
手塚にこんな事までさせてしまうなんて。
『もういい、やめろよ』と言いたい。
オレの事なんか、気に掛けなくてもいいんだ、と言いたい。
しかし、そう思うと同時に、手塚を抱きたいという欲望が津波のように押し寄せてきて、菊丸は混乱した。
「菊丸………」
手塚が何度も菊丸に口付けをしながら、掠れた声で囁いてきた。
羞恥を含んだ誘いに、菊丸は無意識に行動していた。
手塚を抱き締めると、倒れ込むようにしてベッドへ彼を押し倒す。
手塚は全く抵抗せず、それどころか菊丸のその行動を待っていたかのように自分から菊丸の動きに合わせてきた。
頭にかぁっと血が昇って、菊丸は無我夢中で手塚にむしゃぶりついた。
剥ぎ取るように手塚の服を脱がせると、露になった胸に噛み付くように唇を付ける。
「……き……くまる………」
手塚が微かに震えた、しかしどこか安心したような声で名前を呼んできた。
「…………!」
鼻の奥がつんとなって涙が込み上げてきて、菊丸は唇を噛んだ。
手塚にこんな事までさせている不二と自分に対して、言いようのない怒りがこみ上げる。
不二に対しても、怒りはあった。
が、結局自分も手塚を苦しめているだけなのではないか。
自分の方が、不二よりも質が悪いのでは。
手塚の弱みにつけ込んで、自分の欲望を満たしているだけなのではないか。
そいう思いが突き上がってきて、菊丸は苦しくてたまらなくなった。
そんな思いを振り払うように殊更激しく、手塚の肌にむしゃぶりついて、菊丸は滑らかな肌に歯を立てたり、強く吸い上げたりした。
「あッ………はッッッ………!」
手塚が切なげに喉を震わせて喘ぐ。
憤りにも似た激情が込み上げ、その感情のままに、菊丸は手塚の性器を握り込んだ。
背筋を瑞枝のように反り返らせて、手塚が掠れた喘ぎを漏らす。
固く閉じた切れ長の目から、涙が見る見るうちに流れ出す。
下唇をきゅっと噛んで快感を必死に堪えている様子が、たまらなく菊丸の劣情を煽った。
菊丸は、もどかしげに着衣を脱ぐと、乱暴に手塚の身体を裏返した。
どうしてこういう事をしてしまうのだろう。
決して、こういう事をしたくて、手塚の家にやってきたわけではないのに。
心の底で期待していたことは否めないが、………が、こんな風に乱暴にしたいわけでは無かった。
もっと手塚に優しくして、手塚もオレをちゃんと見てくれて好きになってくれて……。
その上で、幸せな気持ちで抱きたかったのに………。
俯せにさせて、ぐぃっと腰を引き上げて、乱暴に秘処をまさぐり、探し当てた入り口に、菊丸は凶器を突き入れた。
「-----ッッッ!!」
手塚の全身が痙攣する。
狭い肉壁を抉るように掻き分け、自分の腹と手塚の尻がぴたりと密着するまで深く挿入する。
何の準備もされていない部分への無理な挿入は、よほど痛かったのだろう。
手塚はシーツが千切れるほど両手を強く握りしめ、顔をシーツに押し付けて叫びを殺していた。
そんな風に扱われても文句一つ言わずに、ただ耐えて自分を受け入れてくる手塚に、言いようのない怒りがこみ上げてきて、菊丸は残酷な衝動が抑えきれなかった。
オレにこんな事されて、本当はイヤなくせに。
オレのこと、好きでもなんでもないくせに。
本当は、不二にしか抱かれたくないくせに…………!
「-----ッッ……くッ……ァッッ……き……く…まる……ッッッ!」
柔らかい肉襞をわざと傷つけるかのように腰を荒々しく動かすと、その度に手塚が弱々しく首を振った。
それでも快感を感じているのだろうか、苦しげな喘ぎの中に甘いものが混じってくる。
それを聞くと、菊丸は一層苛立った。
手塚の身体を壊すかというほど激しく揺さぶって、内部を抉る。
それから、ぐっと腰を突き入れて、手塚の最奥に、欲望を叩き付ける。
最後の一滴まで流し込んで、ようやく菊丸は手塚から離れた。
ズルリ……と萎えた欲望を抜くと、手塚と密着していた部分の繊毛に、薄赤い液体が付いていた。
「てづか…………」
ドサッと力無くベッドに倒れ込んだ手塚の、大きく広げられた脚の中心から、赤と白の混じった粘液がとろり、と滴り落ちる。
菊丸は思わず目を背けた。
「ごめん………ごめん……手塚……」
突如、手塚に対する罪悪感と憐憫の情が湧き起こって、菊丸は泣きながら手塚に縋り付いた。
背中から抱き締めて、汗にしっとりと濡れた首筋に口付けを繰り返しながら、名前を呼ぶ。
「手塚……手塚……ごめん………」
はぁはぁと荒く息を吐いていた手塚が、菊丸の方を向いてきた。
「良かった……いてくれて……」
「………手塚?」
「おまえまでいなくなってしまったら、どうしようと思った……」
涙で充血した瞳で、手塚が菊丸をじっと見つめてきた。
「菊丸………俺を一人にしないでくれ………」
「し、しないよっ! 手塚、オレ……絶対に!」
その言葉を聞いて漸く安心したのか、手塚が微笑んだ。
「菊丸…………」
幼子のように手塚が頬を擦り付けてきた。
たまらなくなって、菊丸は手塚をきつく抱き締めた。
腕の中で手塚が安心したように身体の力を抜くのが分かる。
-----------そんなに苦しんでるんだ。
オレの前で、そんな姿を見せてしまうほどに--------------そんなに不二のことが好きなのか………。
胸が痛んで、鉛が詰まったように重かった。
菊丸は唇を切れるほど噛み締めて、その苦しみに耐えた。
菊塚編その4