All praise be to God 
《1》












「おーい跡部〜、まぁた二人連れかよ?」
「全く、よくそんなヤツ連れてるよなぁ。ま、自分の美貌が引き立つってか?」
いつものように跡部の後に付いて歩いていた樺地の耳に、揶揄うような口調のそんな言葉が聞こえてきた。
ふっと顔を動かして声のした方を見ると、跡部の同級生だろうか、数人の男子中学生だった。
前を歩いていた跡部が、きっと表情を険しくしてその集団を睨み付ける。
「お、怒った怒った〜。跡部、怒った顔も綺麗だぜ?」
「美女と野獣ってとこだよなっ!」
褒めているのか貶しているのか分からないような口調で、彼らがくっくっと笑いながら言う。
跡部がそのままじっと睨み付けていると、その数人はさすがに跡部を怒らせるとまずいと思ったのか、くすくすと笑いながらも走り去っていってしまった。
「………ちっ!」
忌々しげに跡部が舌打ちをする。
怒りが治まらないのか、足下に転がっていた空き缶を、勢い良く蹴り付ける。
「行くぞ、樺地」
「……ウス」
短く返事をして跡部の後を歩きながら、樺地は、そんなに怒ることもないのに、と思って跡部を窺った。
実際、先程の学生たちの言う通りだ。
自分と跡部が一緒に歩いていれば、誰もが美女と野獣、と思うに違いない。
そう思うのが自然の理で、樺地は卑屈になるわけでもなく、気負うわけでもなく、そう思っていた。
だから、そこで跡部が怒る必要はないのだ。















樺地は、跡部のように怒りの感情を浮かべることはない。
と言うのも、樺地の両親は敬虔なクリスチャンで、樺地も両親の薫陶を受けて、幼少の頃から信仰に基づいた教育を受けていた。
樺地の両親は、物静かで穏やかな学究的な人間で、自分よりも他人を幸せにする事を、自己犠牲を尊ぶ精神の持ち主だった。
樺地はそういう自己犠牲の精神を教えられていた。
それと共に、神から与えられたものを粗末にしたり、それに不服を言ったりするような事は厳に慎むようにとも教育されていた。
自分の外見や持って生まれた資質がどうであろうと、神からの祝福として厳粛に享受する。
そういう風に教えられていたから、樺地は、自分の外見や風体については、客観的に美醜を判断する事が出来ていた。
それに対して、不満や嫉妬を感ずるようなこともなかった。
樺地の家はお世辞にも裕福とは言えない。
華美や贅沢を美徳としない、質素で敬虔な生活をしていた。
が、樺地の、持って生まれたすぐれた資質であるテニスの才能に気付いた両親は、樺地が幼少の頃から、彼に特別な指導を受けさせていた。
そのテニスの腕が認められて、樺地は氷帝学園中等部に来ないかと誘われた。
家の経済的状況を考えれば、地元の公立中学に進学するところだったが、スポーツ特待生ということで入学金及び授業料が免除になり、樺地は氷帝学園へ進学した。
両親も、樺地が才能を伸ばすことに熱心で、喜んでくれた。
そんな風な家庭に育っていただけに、樺地は年よりもずっと大人びた少年だった。
けっして激昂せず、物事を素直に受け止め、自分を誇示したり他人を見下したりするような事は絶対にしなかった。















そんな樺地にとって、入学して早々出会った跡部という人間は、驚くことばかりだった。
初めて跡部を見たとき、樺地は心の中でなんと美しい人なんだろう、と感嘆した。
美しいものを美しいと素直に賛美し、そうでない自分はそうでないものとして従容として受け止める。
それは樺地の、或いは樺地家の生き方である。
そういう素直さや、さらには他人に尽くすことを美徳とする樺地の生き方が、跡部に気に入られたのだろうか。
テニス部に入部してあまり時間が経たないうちに、樺地は跡部のお気に入りになった。
それまで跡部は、誰彼構わず他人にものを言いつけたり、横柄な態度を取ることで、部員たちから密かに嫌がられていた。
それが樺地が来てからは、跡部はなんでも樺地に言いつけるようになり、他の部員に被害が及ぶことが無くなったので、部員たちは樺地に済まないと思いつつも安堵していた。
数ヶ月経つうちに、樺地はすっかり跡部専属になっていた。
そういうふうに跡部の側にいつもいるようになって、樺地は、跡部が非常に感情の起伏が激しいことに気がついた。
跡部は常に心の中が荒れていて、他人の何気ない一言でカッとなったり、意味もなく他人を攻撃したりする。
黙っていれば見とれるほど美しいのに、酷薄そうに唇を歪めたり、睨むような目つきをして、他人を威嚇する。
跡部の家庭も荒れていることに、樺地はすぐに気が付いた。
跡部には外資系企業に勤める父親がいたが、海外出張が多く、母親もその関係上ちょくちょく家を空けており、自宅は跡部一人で住んでいるといっても過言ではなかった。
常に家にいるのは、常駐の警備員ぐらいなものである。
更に、跡部は両親と仲が良くなかった。
たまに帰ってくる父親や母親と激しく口論しているのを、樺地は何度も聞いていた。
跡部は学校生活の事も、自分の個人的な問題も、何もかも一人で解決しなくてはならず、常に孤独だった。
いつも暖かで穏やかで親密な、お互いに思いやり労り合う家庭の中で大きくなった樺地にとって、跡部の家は想像を絶していた。
何より、跡部が本当は両親を恋しがっていて、一緒にいて自分を愛してくれる事を願っているにも関わらず、両親は跡部の事を気に掛けていないようなのが、樺地には信じられなかった。
その苛立ちが、跡部をして、たまに会う両親に辛辣な悪口を出させるのであり、その悪口や粗暴な振る舞いを見た両親が、ますます跡部から心を離すという悪循環を、樺地はひしひしと感じた。
自分の家とは全く違う。
樺地の家では、悪口や粗暴な行為など絶対に見られなかった。
何か心配事があって帰ってきたとしても、両親がすぐに察知して穏やかに話しかけてくるし、本当に個人的な問題の場合は、聖書を読んで神に懺悔することもできる。
樺地の家は、いつも暖かく、助け合いと静かな喜びに満たされた家庭だった。
そんな樺地にとって、跡部はすぐにでも壊れそうな、不幸な人間に見えた。
こんなに神から祝福を受けているのに。
跡部の整った容姿や、テニスの才能、それに、裕福な家。
そういうものを思う度に、樺地は心が苦しくなった。
なんて痛々しい人なのだろう。
彼にとって、美貌やテニスの才能や裕福な家など、価値が無いのだ。
せっかく神から与えられたものなのに。
樺地は跡部を支えてやりたかった。
元々他人に尽くす生き方が身についている樺地は、跡部が気分のままに自分に辛く当たろうが攻撃しようが、いつも黙って、彼のそういう行動を受け止めていた。
そうやって数ヶ月経つうちに、跡部が、……無意識だろうが、自分に打ち解けてくるようになった。
相変わらず態度は横柄で攻撃的だったり、実際に乱暴だったりするが、そんな中に、樺地を頼りにして甘えてくるような仕草が見られる。
そんな彼の行動が微笑ましくて、樺地はどうにかしてこの人の役に立ちたいと願った。
自分がいることで、彼が少しでも幸せになればいい、と純粋に心の底から思った。
跡部に尽くす事が樺地の喜びであり、跡部が少しでも幸せを感じてくれるなら、それで良かった。
樺地は元々、そういう犠牲的精神を涵養されていたのだ。















「……ちっ!」
先程の言葉がよっぽど頭に来ているのか、跡部は面白く無さそうに空き缶を蹴りつつ、道路を歩いていた。
部活が終わった後の夕方の街は、雑多な人々でごったがえしていた。
跡部が蹴った缶が他の人間に当たるのではないか。
樺地は跡部を見ながらはらはらしていた。
が、道行く人々の方で、機嫌の悪そうな跡部を怖がって避けてくれているので、樺地は内心ほっとした。
氷帝学園中等部から跡部の家までは、直線距離にして3キロほどあり、歩いて帰るには少々遠かった。
いつもは学校から出るバスに乗っている。
しかし、今日はどうやら歩いて帰るらしい。
どっちにしろ樺地は跡部の後をついていくだけなので、バスだろうと徒歩だろうと関係なかった。
跡部がちゃんと家につくまで見守る。
それが、最近ではすっかり樺地の仕事になっていた。















そうやって二十分ほども歩いただろうか。
突然、
「……あら、崇弘君?」
跡部ではなく、自分の名前を呼ばれて、樺地は戸惑って立ち止まった。
数メートル先を歩いていた跡部も、胡散くさげに振り返ってくる。
そこはちょうど洋菓子店の目の前で、菓子店から女子学生が出てきて、自分を見てにこにこと笑い掛けてきたのだ。
「私、私、ほら、覚えてない? 小学6年の時一緒だったんだけど」
樺地はすぐに思い出した。
小学校の時に学級委員をしていて、よく樺地に話しかけてきてくれた活発な女子だ。
樺地は元々寡黙で、子どもの頃からあまり話さなかったが、そんな樺地になにかと話しかけてきてくれた人で、小学校の時一番仲良かった女子と言っても良かった。
久しぶりに懐かしい顔に出会って、樺地は表情を弛めた。
「覚えてる?」
もう一度彼女が聞いてきたので、樺地は頷いて、
「山下さんでしょう?」
と言った。
「そうそう、奇遇だねぇ。でも崇弘君背が伸びたね。小学校の時も大きかったけど、……テニス、うまくなった?」
樺地がテニスをしていることを、彼女は知っている。
「これ、氷帝の制服でしょ? ふふふ、あんまり似合わないね」
くすくすと笑われて、樺地はにこにことした。
「でも、崇弘君はどこ行ってもうまくやっていけるもんね。頑張ってる?」
「うん。……毎日テニスやってて、楽しいです」
「そう、崇弘君、強そうだもんね。……あ、ねぇねぇ、同じクラスだった岡崎さんとか覚えてる?」
樺地が頷くと、山下が笑った。
「岡崎さんね、転校しちゃったんだ」
「そうなんだ……」
「そう。私、一番仲良かったから、寂しくて。……ね、中学校卒業したあたりで一回同窓会しようよ。崇弘君が声掛けてくれれは、みんな集まると思うんだ、どう?」
「うん、いいね」
「じゃ、そのうちまた連絡するから」
小学校の頃の事を思い出すと、ほんの少し前とはいえ、懐かしい気分になる。
「……あ、なんかお連れの人、先輩?……待ってるようだから、……じゃ、また!」















山下がそう言って、ケーキの箱を持って、手を振りながら走り去っていく。
それを見送って、身体の向きを変えると、
「…………」
跡部が細い眉を顰めて、鋭く樺地を睨んでいた。
跡部が非常に怒っているのが分かって、樺地は困惑した。
立ち止まらせてしまったのが良くなかったのだろうか。
そう思って跡部の所に駆け寄る。
「テメェ、随分饒舌じゃねえか。ちゃんとしゃべれるんだな」
跡部が吐き捨てるように言った。
「……………!」
次の瞬間、膝を思い切り蹴られて、樺地は顔をゆがめた。
跡部の薄茶色の綺麗な瞳が、自分を射抜くように睨んでくる。
自分に対してこんなに機嫌の悪い跡部を見るのは、樺地にとっても初めてだった。
どうしていいか分からず、ただ突っ立って跡部の蹴りを受けていると、跡部が乱暴に樺地の肩から跡部のバッグを剥ぎ取った。
「樺地、もう帰れ。テメェなんかに送ってもらなくてもいい。おい、付いてくんじゃねえぞ!」
激しい口調で言われ、樺地は呆気に取られた。
そんな樺地を一睨みすると、跡部は自分のバッグを肩に掛け、走り出した。















あっという間に跡部の姿が小さくなり、通りの向こうを曲がって視界から消えるのを、樺地は困惑したまま見つめた。
跡部が怒っているのは分かる。
………それも、自分に対して。
今まで跡部が様々な人間に対して怒り、攻撃するのを見てきたが、それが自分に向けられるのは初めてだった。
何が跡部を激昂させてしまったのだろうか。
跡部を立ち止まらせたからか。
自分が他の人間としゃべっていたからだろうか。
「…………」
樺地は困惑した。
もしそれが跡部を怒らせたとしても、実際問題、他人と全くしゃべらないで常に跡部の側についているのは不可能である。
それは跡部も分かっているはずで、そこまで跡部が要求するとは思えない。
あんなふうでいて、跡部はかなり他人に気配りが出来、自分にも優しいことを樺地は知っていた。
跡部の感情表現は複雑で、心の中とは裏腹に、乱暴な態度を取ったり、粗暴な言葉遣いをしたりする。
しかし、その裏側に、跡部の傷付きやすく繊細な優しい心持ちが隠れているのを、樺地はよく理解していた。
それだからこそ、今までずっと跡部の世話ができたのだ。
-----しかし、今の跡部は、本当に自分に対して怒りを向けていた。
それも、かなり激しく。
今までも、跡部が付いてくるなと言って帰ってしまうことはままあったが、今回のように本心から言ってきた事はなかった。
だから、樺地は跡部の後を追えなかった。
今日は、本当に、自分を拒絶していたからだ。
俯いて、しばし考えて、樺地は考えるのをあきらめた。
跡部の気持ちが分からないのでは、これ以上いろいろと詮索してもどうしようもない。
自分は、今まで通りやっていくしかない。
小さく溜め息を吐いて、自分のバッグを肩に引き上げると、樺地は自宅へ向かって歩き出した。


















樺地の家とか宗教の話とか全くの捏造で出任せですので、適当に読み流してやって下さい(汗)キリスト教の方すいません。
樺地をしゃべらせてるし、いろいろと嘘くさいです。